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第五章 井上哲次郎『教育と宗教の衝突』

 

 井上哲次郎(1855~1944)は、日本の哲学者です。ドイツに留学しており、日本人最初の哲学科教授となっています。東西の思想の融合統一を目指しながら、日本主義をとなえてキリスト教を排斥しました。
 井上の『教育と宗教との衝突』から、キリスト教に対する考え方を参照してみます。

 

第一節 不敬事件
 井上の『教育と宗教との衝突』は、「内村鑑三不敬事件」(「第一高等中学校不敬事件」とも言う)に端を発しています。1891年に中学校での教育勅語奉読式において、内村鑑三が天皇晨筆の御名に対して最敬礼しなかったことが不敬と判断され、教職を追われた事件です。敬礼を行なわなかったわけではなく、最敬礼をしなかっただけなのですが、それが不敬事件とされてしまったわけです。
 この事件に対し、東京帝国大学教授の井上哲次郎が激しく内村を攻撃し、『教育と宗教との衝突』を発表したのです。キリスト教信仰が、天皇や国家と相容れない反国家性を持つものと非難されたわけです。1893年には内村鑑三が、井上哲次郎に対して『文学博士井上哲次郎君に呈する公開状』を公表しています。

 

第二節 一神教と多神教
 『教育と宗教との衝突』で示されている井上の論理を参照します。本書では、一神教と多神教の違いについての考察があります。


 耶蘇教は唯一神教にて其徒は自宗奉する所の一個の神の外ハ天照大神も、弥陀如来も、如何なる神も、如何なる仏も、決して崇敬せさるなり、唯一神教は恰も主君独裁の如く、一個の神ハ一切万物の主にして、此神の外には神なしとし、此神の其領分中に併存するを許さヽるなり、独り自宗の神のみを以て真正の神とし、他の諸宗の奉する所は如何なる神も、皆真正の神と見做さヽるなり、多神教は之れに反して共和政治の如く、他宗の諸神とも併存すると許すこと多く、決して唯一神教の如く、厳に他神崇拝と禁するものにあらさるなり


 井上の言っていることを簡単にまとめると、一神教は他宗教との併存が難しいですが、多神教は他宗教と併存できるということです。キリスト教が(多少なりとも)寛容になっていることを知っている現在の我々からみると、違和感があるかもしれません。ただし、当時の状況においては、井上の懸念にも一定の言い分はあるように思えます。

 

第三節 天皇とキリスト教
 天皇とキリスト教の関係については、〈耶蘇教徒は唯一の神を信し、此神に対して之れを言へは、如何なるものも差等あることなし、天皇も穢多も同等と見做し、唯々其奉する所の神のみを以て至尊無上となす〉と語られています。
 確かに、キリスト教の教えからは、天皇を特別視する観点は生まれません。そこに井上は危惧を抱いているわけです。

 

第四節 国家とキリスト教
 国家とキリスト教の関係についても、教育勅語と絡めた上で井上は危惧を表明しています。教育勅語とは、1890年に発布された教育の基本方針を示す明治天皇の勅語です。政府の公式文書では『教育ニ関スル勅語』と言います。


 勅語の主意は、一言にて之れを言へば、国家主義なり、然るに耶蘇教は甚だ国家的精神に乏し、啻に国家的精神に乏しき而己ならず、又国家的精神に反する者あり、為めに勅語の国家的主義と相容れざるに至るは、其到底免れ難き所なり、耶蘇自ら能く国家の事を知らざりしものと見え、新約全書中国家の事説を説く所殆んど之れなく、纔に之れあるも遂に共同愛国の要を説くに至らざるなり、耶蘇教は実に無国家主義なり


 つまり、〈勅語の主意は徹頭徹尾国家主義にして耶蘇教ハ非国家主義なり〉というわけです。国家主義の観点から、非国家主義のように思えるキリスト教が問題だと言っているのです。
 ただし、キリスト教を信仰する国家もあるわけで、その点は井上も認識しています。〈欧州人の愛国心に富むハ、決して耶蘇教より得来りたる者にあらさるなり〉と井上は考えています。ヨーロッパ人の愛国心は、キリスト教とは関係ないという判断をしているのです。
 井上はキリスト教徒が〈国家は其仮りに居る所にて天国即ち其の帰せんと欲する所なり〉と見なすことを指摘しています。〈彼等は国家の外に天国あるを信じ、君王の上に神あるを信ずればなり〉というわけです。
 そこから井上は、〈耶蘇教徒に取りてハ如何なる国が繁栄するも、如何なる国か滅亡するも、是等の事ハ其意に介する所にあらず、彼等は此現世と軽視し、偏に己れの精神を未来に救はんとを企図すればなり〉と考えているのです。井上のこの懸念にどれだけの根拠があるかについては議論の余地がありますが、こういったことを問題点として考えておくことには意味があると思われます。






 

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