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第一章 フランシスコ・ザビエル『書簡』

 

  フランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier, 1506~1552)は、日本に初めてキリスト教を伝えたスペインの宣教師です。
 イグナティウス=デ=ロヨラ(Ignatius de Loyola, 1491?~1556)とともにイエズス会を設立し、インド・マラッカなどで宣教後、1549年(天文18)に鹿児島に上陸しました。以後2年間、九州・中国・近畿の各地で伝道を行いました。1552年、中国宣教を志しましたが、広東港外で客死しました。
 ザビエルの『書簡』から、日本人とキリスト教の関わりについてみていきます。

 

第一節 アンジロウとの出会い
 ザビエルがマラッカの町に滞在しているとき、ザビエルはポルトガル商人たちから日本の情報を聞きます。また、犯罪のために日本からマラッカへ逃れてきたアンジロウ(弥次郎, 1511?~1550?)という日本人に出会います。アンジロウは、罪を告白するためザビエルを訪ねてきたのです。アンジロウは、ポルトガル語を話せました。
 日本人はキリスト教徒になるかというザビエルの質問に対し、アンジロウは〈彼らの質問によく答えて満足させ、また私の生活態度にとがむべきことを見出さなかったら、半年ぐらい私を試してみたあとで、領主(島津貴久)や貴族(武士)たち、また一般の人びとも、キリスト信者になるかどうかを考え、判断するだろう〉と述べています。
 ザビエルは日本行きを決意します。アンジロウは聖人パウロと名を改め、史料において確かめられる最初の日本人キリスト教徒になりました。

 

第二節 日本人について
 ザビエルは、日本に来て日本人を観察した結果、次のような評価をしています。

  日本についてこの地で私たちが経験によって知りえたことを、あなたたちにお知らせします。
 第一に、私たちが交際することによって知りえた限りでは、この国の人びとは今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人びとは貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉とは思っていません。


 このような評価は嬉しいものです。ですが、ザビエルの布教活動にとっては不都合なものでもあったのです。当初のザビエルには、日本人の特徴に対して楽観的な見解が見受けられます。

 彼らはたいへん喜んで神のことを聞きます。とくにそれを理解した時にはたいへんな喜びようです。過去の生活においていろいろな地方を見てきた限りでは、それがキリスト教信者の地方であっても、そうでない地方であっても、盗みについてこれほどまでに節操のある人びとを見たことがありません。
 彼らは獣(けだもの)の像をした偶像を拝みません。大部分の人たちは大昔の人を信仰しています。私が理解しているところでは、哲学者のように生活した人びと(釈迦や阿弥陀)です。彼らの多くは太陽を拝み(日本古来の神道)、他の人たちは月(須佐之男命)を拝みます。
 彼らは道理にかなったことを聞くのを喜びます。彼らのうちで行われている悪習や罪について、理由を挙げてそれが悪であることを示しますと、道理にかなったことをすべきであると考えます。


 問題は、道理にかなうということが、キリスト教の信仰と合致するか否かです。ここにおいて、日本人の考える道理とキリスト教の信仰がぶつかり合うことになるのです。
 やがてザビエルは、日本人が道理にかなうことを好むがゆえに、キリスト教の信仰と相容れない面があることを知ることになるのです。

 

第三節 仏教徒との対決
 ザビエルは、日本の坊主のことをボンズ(Bonzos)と呼んでいます。ザビエルとボンズは、〈世間一般の人たちもボンズたちも、すべての人びとが私たちと語り合うのをたいへん好みます〉とあるように、話し合いの機会をもっています。
 当時の日本の宗教事情については、ザビエル自身が解説してくれています。

 それぞれ異なった教義を持つ九つの宗派があって、男も女もめいめい自分の意志に従って好きな宗派を選び、誰も他人にある宗派から他の宗派に改宗するように強制されることはありません。それで、一つの家で夫はある宗派に属し、妻は他の宗派に、そして子供たちは別の宗派に帰依する場合もあります。このようなことは彼らのあいだでは別に不思議なことではありません。なぜなら、一人びとり自分の意志に従って宗派を選ぶことは[まったく自由だからです]。[それでも時には]彼らのあいだで争いが起こり、ある宗派が他の宗派よりも優れていると主張する者が現われて、しばしば戦争となります。


 ここで出てくる九つの宗派とは、天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済禅宗・曹洞禅宗・一向宗・法華宗・時宗の九宗派のことです。この当時の日本人は、各人の好みに合った宗派を好きに選べたことが分かります。
 ザビエルはおそらく仏教を批判する意図で、〈[僧侶が]さらに説教するには、誰でもこの世で金銭をたくさんボンズに与えれば、あの世で生活するのに必要な金銭をこの世と同種の貨幣で一○倍にして与えられると言うのです。それで男も女もあの世で支払いを受けるために、たくさんのお金をボンズに施します〉と述べています。
 それではキリスト教はどうかというと、ザビエル自身が〈キリストのために「一」を与える者は、天国において「百」を得る〉と述べているのです。ここは、宗教の構造的な相似関係がみられて興味深いところです。仏教のある宗派もキリスト教も、あの世で良い思いをするために、この世で宗教的善行を積むべしという側面があるのです。


第四節 鹿児島と山口での布教活動
 鹿児島での布教活動では、1年の活動で約100人が信者になったと記されています。ですが、僧侶と領主の妨害が起こったため、ザビエルは山口へ向かうことになります。ザビエルは、〈彼らが信者にならなかったのは、領主[の命令に反すること]を恐れたからで、神の教えが真理であり、自分たちの宗教が過ちであることを理解しなかったためではありません〉と述べています。キリスト教の教義に照らしてみれば、この説明は苦しいと言わざるをえません。
 山口では、多数の人々がザビエルの話を聞きにやってきました。中には、〈私たちが[街頭で]説教していた教えについて質問するために高い身分の武士の家に呼ばれて、[キリスト教が]彼らが信じている教えよりも優れているなら、帰依したいと言われました〉という経験もしています。
 その結果は、〈神の教えを聞いて多くの人びとは喜びましたが、ある人たちは神の教えをあざ笑い、またある人たちは嫌悪しました〉という事態だったようです。〈さらに他の人たちは、私たちの教えの十戒を一つひとつ取り上げては私たちをあざ笑いました〉ということもあったようです。ザビエルは山口の領主にも呼ばれて、キリスト教について説明しました。ザビエルの説教では、〈多くの人びとはキリストのご生涯を聞くのを喜び、ご受難の件に至ると涙を流しました〉ということもあったようです。
 日本人ははじめて聞くキリスト教の話に対し、感動したり嘲笑したり嫌悪したりと、さまざまな反応を示したようです。


第五節 日本人の改宗
 ザビエルの説明によって、日本人の中からキリスト教徒に改宗する人たちが現れました。ザビエルは、〈信者たちや聖(み)教えを学んでいる人たちは、ボンズの教えよりも神の教えのほうがはるかに理にかなっていると思うので信者になった〉と述べています。つまり、〈ボンズの質問に対して、私たちがよく答えたのに、私たちがボンズの教えについて質問したことに、ボンズたちが答えられなかったのを見たから〉というわけです。
 ここから、当時の日本人は討論によってそれぞれの言い分を判断し、正しい方を選ぼうとしていたことが分かります。
 例えば、当時の日本人は〈すべての物の創造について、何も知識を持っていません〉とザビエルは述べています。そのためザビエルたちが、〈霊魂はそれを創造した創り主がいる〉と言ったことが有効に機能したのです。ここには、因果関係を巡る科学的な思考方法が示されています。
 当然のなりゆきとして、僧侶側も論理をもって反論することになります。


第六節 キリスト教 対 僧侶
 日本の僧侶は、キリスト教の教えに反論しています。
 まず僧侶は悪魔について、〈もしも神が善であるならば、こんなに悪い者どもを造るはずがない〉と反論しています。それに対してザビエルは、〈神は善いものを造られたのですが、彼らが勝手に悪くなったので、神は彼らをこらしめ、終わりのない罰を科すのである〉と答えています。それに対して僧侶は再反論しており、〈神がそれほど残酷な罰を科すならば、情深い者ではない〉と述べています。つまり、〈どうして悪魔の存在を許しておくのか〉ということです。
 他にも、〈神が善であるとすれば、人間をこんなに弱く、また罪に陥りやすく創造しないで、少しも悪がない[状態に]創造したに違いない〉とか、〈神は、これほどひどい地獄を造り、[私たちのいうところに従えば]地獄に行く者は、永遠にそこにいなければならないのだから、慈悲の心を持つ者ではなく、したがって万物の起源である[神を]善であると認めることはできない〉とか、〈神が善であるとすれば、これほど遵守しがたい十戒を命じなかったであろう〉などの考えを述べています。
 特に地獄については、〈地獄にいる者でも、その宗派の創始者の名を唱えれば地獄から救われるのですから、[神の聖教えでは]地獄に陥ちた者にはなんの救いもないのはたいへんに[無慈悲な]悪いことである〉と僧侶側は述べています。要するに、仏教の方が〈ずっと慈悲に富んでいる〉というわけです。
 ザビエルは、日本人について次のように評しています。

 [日本人たちは]好奇心が強く、うるさく質問し、知識欲が旺盛で、質問は限りがありません。また彼らの質問に私たちが答えたことを彼らは互いに質問しあったり、話したりしあって尽きることがありません。彼らは地球が円(まる)いことを知りませんでしたし、太陽の軌道についても知りませんでした。彼らはこれらのことやその他、たとえば、流星、稲妻、降雨や雪、そのほかこれに類したことについて質問しました。それらの質問に私たちが答え、よく説明しましたところ、たいへん満足して喜び、私たちを学識のある者だと思ったようです。そのことは私たちの話を信じるために少しは役だっています。
 彼らはその宗派のうちでどれがもっとも優れているかをいつも議論していました。


 異国の異教徒によって、このように評価されていたのが当時の日本人だったのです。優れているものについて議論する人たちだと見なされるというのは、光栄なことだと思われます。


第七節 山口の人々の疑念
 ザビエルは、山口でも日本人から疑念を持たれています。
 ザビエル自身は、〈山口のこの人たちは、私たちが日本へ行くまで日本人に神のことをお示しにならなかったのだから、神は慈悲深くはない〉と考えていたと述べています。なぜなら、〈神を礼拝しない人がすべて地獄へ行くということがほんとうならば、神は日本人の祖先たちに慈悲心を持っていなかったこと〉になるからです。〈祖先たちに神についての知識を与えず彼らが地獄へ行くに任せていた〉ことになってしまうからです。
 ザビエルは、〈全人類の創造主[である御者が、すべての人の心のうちに刻みこんだ]神の掟を他の誰からも教えられずに[生まれながら]人々は知っていたのである〉と説明しています。〈法律が書き記される以前に、[すでに]神の掟があって、人びとの心の中に刻みこまれていた〉というわけです。ただしこれは、キリスト教の地獄の設定からも分かるように、かなり苦しい言い訳です。
 ザビエル自身もこの疑問について気になったようで、〈日本に[以前]ある時代に神やキリストの知識が伝えられたのではないかと思い、これを調べるのにたいへん苦労しましたが、文書や伝承によっても、神についての知識があったという確証を得られませんでした〉と述べています。日本にも昔からキリスト教の教えがやってきているか調査したわけですが、その結果は芳しくなかったようなのです。


第八節 キリスト教徒の地獄
 ザビエルの布教活動で特に問題になったのは、キリスト教の地獄の設定です。

 日本の信者たちには一つの悲しみがあります。私たちが地獄に落ちた人は救いようがないと言うと、彼らはたいへん深く悲しみます。亡くなった父や母、妻、子、そして他の人たちへの愛情のために、彼らに対する敬虔な心情から深い悲しみを感じるのです。多くの人は死者のために涙を流し、布施とか祈禱とかで救うことはできないのかと私に尋ねます。私は彼らに助ける方法は何もないのだと答えます。


 この点に関しザビエルは、〈私はそれを悲しんでいるよりもむしろ、彼らが自分自身[の内心の生活]に怠ることなく気を配って、祖先たちとともに苦しみの罰を受けないようにすべきだと思っています〉と述べています。さらに、〈彼らは自分たちの祖先が救われないことが分かると、泣くのをやめません。私もまた[地獄へ落ちた人に]救いがないことで涙を流している親愛な友人を見ると、悲しみの情をそそられます〉と語っています。


第九節 ザビエル日本を去る
 ザビエルは日本から去る際に、〈私は肉体的にはたいへん元気で日本から帰って来ましたが、精根は尽き果ててしまいました〉と述べています。
 日本への布教のためにザビエルは、〈[日本人の]質問に答えるために、学識のある[神父]が必要です。とくに哲学がよくでき、弁証法に優れた人で、[僧侶との討論で]明らかになる矛盾をすぐにとらえることができる人が必要です〉と母国へ報告しています。
 また、ザビエルは〈インド地方で発見されたすべての国のなかで、日本人だけがきわめて困難な状況のもとでも、信仰を長く持続してゆくことができる国民〉だと述べています。これは見事な観察です。キリスト教の歴史を振り返っても、ローマの迫害以来、特に近世以降、日本ほど殉教者の多い国は他に例を見ないからです。日本における殉教は、1597年の二十六聖人の処刑から始まります。その後50年以上も弾圧は続き、4万人と推定される殉教者が発生しました。もちろん、幕府は棄教の機会を十分に与えていました。
 また、自然現象に対する日本人の反応として、〈日本人は、天体の運行、日蝕、月の満ち欠けなどについて知るのをたいへん喜びますし、雨、雪や雹、雷、稲光、彗星やその他の自然現象がどうして起こるか[を知ることに興味を持っていますので]、天体の諸現象についてある程度知っていなければなりません。これらのことを説明できれば人びとから好意を得るのにたいへん役に立ちます〉とあります。当時の日本人が、科学の知識に興味を示していたことが分かります。




 

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