『聖魔書』[1-4] 原罪記



 一なる神は神秘を授ける。

 神秘を感じたものが人間となった。

 人間は一なる神に祈る。



 一なる神は、最初にして最後の人間の前に降り立つ。



 一なる神は、言われた。

「光あれ。」

 すると光があった。

 光は人間に遮られ、闇を生んだ。

 光は闇と分かれた。



 闇は、不気味に蠢いた。

 やがて闇は、曲がりくねった形をとった。

 光は、人間の形となった。

 光は自愛の神と名乗り、闇は蛇と名乗った。



 自愛の神は、蛇と共に、「生命」と「知恵」を唱えた。

 そうすると、そこに生命の樹と知恵の樹が生え出た。

 自愛の神は、そこを世界の中心と呼んだ。

 蛇は、そこを異なる中心と呼んだ。



 自愛の神は、人間に言った。

「知恵の樹の果実を取って食べてはならない。

 なぜなら、それを食べると死んでしまうからだ。」

 人間は、自愛の神に従って知恵の樹の果実を食べなかった。



 蛇は、人間に言った。

「知恵の樹の果実を取って食べても、死ぬことはないでしょう。

 それを食べると、自愛の神や蛇のように善悪を知る者となるでしょう。」

 人間は、自愛の神と蛇を交互に見た。

 自愛の神と蛇は、黙って人間を見つめ返した。

 人間は、知恵の樹に手を伸ばし、果実を取って食べた。

 人間は、善悪を知る者となった。



 自愛の神は問われた。

「あなたは食べるなと命じておいた樹から、なぜ取って食べたのか。」

 人間は答えた。

「食べると死ぬはずの果実を食べても、私は生きています。」

 自愛の神は言われた。

「あなたはあなたのために呪われ、あなたは一生、善悪によって苦しむ。」



 自愛の神は、人間を従わせた。

 蛇は、人間に逆らうことを教えた。

 一なる神は、人間に従うことと逆らうことを許した。



 蛇は言った。

「生命の樹の果実を食べてはいけません。」

 自愛の神は言った。

「生命の樹の果実も食べなさい。」



 人間は、再び自愛の神と蛇を交互に見た。

 自愛の神と蛇は、黙って人間を見つめ返した。

 人間は、生命の樹に手を伸ばし、その手を止めた。

 人間は、生命の樹の果実を食べずに、自愛の神と蛇から歩み去った。

 それゆえ、最初の人間は、最後の人間である。



 自愛の神は言われた。

「見よ、

 人間は蛇のようになり、善悪を知るものとなった。

 人間は蛇のようにならず、永遠に生きるものにならなかった。」

 蛇は言った。

「見てください、

 人間は自愛の神のようになり、善悪を知るものとなりました。

 人間は自愛の神のようにならず、永遠を願うものとなりました。」



 それゆえ、これは真に原罪と呼ばれる。

 一なる神が、

 神秘を感じる人間に対し、

 善悪を授けたその原因たる罪だからである。








【解説】

 今回は、「創世記」のアダムとエバ(イブ)の物語に該当する箇所です。「創世記」では二人の男女が対象となっていますが、「原罪記」では性別不明の人物一人だけです。ここでの「原罪」は、「創世記」のそれとは別物だということです。

 「創世記」に出てくる「命の木」と「善悪の知識の木」のアイディアは、とても面白いと思います。『聖書』って、個人的にはほとんどの部分がつまらなく感じられるのですが、「創世記」(の一部)の文学的価値は素晴らしいと言わざるをえません。

 参考文献としては、バクーニンの著作は重要ですし、長谷川三千子さんの『バベルの謎』も秀逸です。「原罪記」の蛇の設定および役割は、長谷川さんの仮説を参考し、利用しています。そのため物語を、エバ(イブ)という中間項を挟まずに、アダムによる直接対決に意図的に仕立てあげているのです。






 [1-5] 律法記 へ進む


 聖魔書 へ戻る

 論文一覧 へ戻る


コメントする

【出版書籍】

本当に良いと思った10冊》

 『[ビジネス編]

 『[お金編]

 『[経済編]

 『[政治編]

 『[社会編]

 『[哲学編]

 『[宗教編]

 『[人生編]

 『[日本編]

 『[文学編]

 『[漫画編]』

《日本式シリーズ》

 『日本式 正道論

 『日本式 自由論

 『日本式 言葉論

 『日本式 経済論

 『日本式 基督論

《思想深化シリーズ》

 『謳われぬ詩と詠われる歌

 『公正考察

 『続・近代の超克

 『思考の落とし穴

 『人の間において

《思想小説》

 『思想遊戯

《メタ信仰論シリーズ》

 『聖魔書

 『夢幻典

 『遊歌集

《その他》

 『思想初心者の館

 『ある一日本人の思想戦

 『漫画思想

 『ASREAD掲載原稿一覧

 『天邪鬼辞典