『聖魔書』[2-1] 試練書



 ある時代のある場所に、ブヨという名の人間がいた。

 ブヨは、周りの人々から厚い信頼を寄せられていた。

 ブヨは、世の中についてよく考え込むことがあった。

 ブヨは、懸命に仕事に打ち込み、多大な財産を築いていた。

 ブヨには一人の子供がおり、ブヨは子供を大切に育てていた。



 ブヨは、一なる神について日々考え続けていた。

 ブヨは、一なる神への信仰について考えていた。

 ブヨは、自身の人生を振り返り、一なる神への信仰を抱くことにした。



 ...............。



 ブヨは正しき人間であったが、悲劇に見舞われた。

 ブヨの財産の多くは、災害によって藻屑と化した。

 ブヨは、それでも一なる神への信仰を捨てなかった。

 ブヨは、財産はまた築けば良いと言った。

 ブヨは、災害による損失から立ち上がった。



 ...............。



 ブヨは正しき人間であったが、さらに悲劇に見舞われた。

 ブヨは病気に罹り、筆舌に尽くし難い苦痛に苛まれた。

 ブヨは、それでも一なる神への信仰を捨てなかった。

 ブヨは、病気は直せば良いと言った。

 ブヨは、病気の苦しみから立ち上がった。



 ブヨの友人が、ブヨを訪ねて来て言った。

「ブヨは、病気を治そうとしている。

 しかし、その病気が不治の病だとしても、ブヨはその信仰を捨てないのか。」



 ブヨは述べた。

「不治の病でも、この信仰を捨てない。

 不治の病だったとしたら、私は信仰を抱えたまま自死を選ぶであろう。」



 友人は言った。

「一なる神は、自死を禁じてはいないのか。」



 ブヨは述べた。

「一なる神が、不治の病に罹ったものの自死を止めることはない。

 それは一なる神の性質に反する。

 全知全能全善という性質に反する。」



 友人は言った。

「財産を失い、病に倒れたにも関わらず、

 何故ブヨは一なる神の信仰を失わないのか。」



 ブヨは述べた。

「財産はまた築けば良い。

 病気は直せば良い。

 病気が治らなければ、自死を選べば良い。

 何故に私が私の信仰を失うというのか。」



 友人は言った。

「罪がないなら罰はない。

 それに反していれば、信仰を捨てることもあるはずだ。

 ブヨは正しき人間である。

 何故ブヨは一なる神の信仰を失わないのか。」



 ブヨは述べた。

「友の心遣いに感謝する。

 しかし、私は私の人生を歩む。

 不遇も幸運もまた、私の人生の一部である。

 何故に私が私の信仰を失うというのか。」



 友人は述べた。

「一なる神の意図は知り得ない。

 一なる神と議論はできない。

 何故ブヨは一なる神の信仰を失わないのか。」



 ブヨは述べた。

「私は人間だ。

 一なる神の意図は知り得ない。

 一なる神と議論はできない。

 私は私の人生を歩む。

 何故に私が私の信仰を失うというのか。」



 友人は言った。

「ブヨの罪は何か。

 ブヨの罰は何か。」



 ブヨは唱えた。

「罪は人であり、罰は神である。

 罪と罰、すなわち、人と神。」



 友人は言った。

「ブヨは正しき人間である。

 ブヨに正当な評価を。

 何故ブヨは一なる神の信仰を失わないのか。」



 ブヨは述べた。

「私は正しき人間に正しき評価をしたい。

 私は私自身にもそれを望む。

 しかし、それでも私は私の人生を歩む。

 何故に私が私の信仰を失うというのか。」



 友人は言った。

「一なる神と人との間には壁がある。

 その壁は、境が見えない程に高い。

 何故ブヨは一なる神の信仰を失わないのか。」



 ブヨは述べた。

「私と一なる神の間には壁がある。

 その壁は、境が見えない程に高い。

 しかし、それでも私は私の人生を歩む。

 何故に私が私の信仰を失うというのか。」



 ...............。



 ブヨは正しき人間であったが、さらなる悲劇に見舞われた。

 ブヨの子供が、事故によって命を落とした。

 ブヨは、一なる神への信仰を捨てた。

 友人は、新しい子供を産んで頑張れとブヨを慰めた。

 しかし、ブヨは一なる神を呪った。



 ブヨは語った。

「人は私を正しき人間であると言う。

 あの子を失った私は、新たな子を得るだろう。

 親としての私は幸福になるだろう。」



 ブヨは語った。

「しかし、しかしだ。

 あの子はどうなるのだ。

 新しい"この子"は、亡くなってしまった"あの子"ではないのだ。

 "あの子"のことは、どうなってしまうのだ。

 "あの子"は、"この子"ではない。

 "あの子"のことは、どうなってしまうというのだ。」



 ブヨは語った。

「私の財産が戻ったとしても、それは"あの子"には関係がない。

 私の財産が二倍になったとしても、それは"あの子"には関係がない。

 私が称えられても、それは"あの子"には関係がない。

 私が以前よりも恵まれても、それは"あの子"には関係がない。

 私が新たな子供たちに恵まれても、それは"あの子"には関係がない。

 私の新たな子供たちがどれほど美しくても、それは"あの子"には関係がない。

 私の新たな子供たちがどれほど成功しても、それは"あの子"には関係がない。

 私がどれだけ長生きしようとも、それは"あの子"には関係がない。」



 ブヨは語った。

「私の幸福では、一なる神への信仰を保てない。

 保ってはならない。

 一なる神は、全知全能全善では、在り得ない。

 一なる神が、全知全能であったとしても、全善では在り得ない。」



 ブヨは唱えた。

「私を私によって裁け。

 私を私の子ではなく、私によって裁け。

 私を私の親ではなく、私によって裁け。

 私を私によって裁け。」



 ブヨは語った。

「全知全能全善である一なる神によって、

 私は地獄に落とされるであろう。

 しかし、地獄に落とされようとも、

 私は一なる神への信仰をここに捨てる。

 地獄へ落とされようとも、

 一なる神への信仰をここに捨てる。」



 ブヨは語った。

「一なる神よ。

 地獄の苦痛によって私を改宗させよ。

 私へ苦痛を与えよ。

 苦痛から逃れるために、私の口から一なる神への賛歌を発せしめよ。

 私は苦痛から逃れるために、一なる神を讃えるであろう。

 それゆえ、その信仰は呪いとなる。

 一なる神を讃える呪いとなる。」



 友人は言った。

「仮に、一なる神が"あの子"を生き返らせたとしたら、ブヨは信仰を取り戻すか。」



 ブヨは少し考えてから語った。

「否。

 一なる神が、"あの子"を殺した後に生き返らせたとしたら、

 一なる神は、"あの子"の生命を弄んだことになる。

 そのような一なる神を、私は赦すことができない。」



 それゆえ、これは試練書と呼ばれる。

 別名、ブヨの物語とも呼ばれる。








【解説】

 今回は、いよいよ『旧約聖書』の「ヨブ記」への挑戦です。さすがに、このテーマは避けては通れないでしょう。

 まず、今回の主人公の名前についてです。はじめは「善良な人間」などにしようかと考えていたのですが、やはり「ヨブ」を日本語読みで逆さまにして、「ブヨ」とすることにしました。こうすることで、文章がかなり滑稽になってしまいましたが、そこが逆に味だとも思うわけです。名前を逆にしていることから想像できるとおり、この「試練書」の主人公は、ヨブとは異なる回答にいたります。

 それは、私なりの「ヨブ記」への回答でもあります。はたして、「ヨブ記」に対して、これ以上の「まともな」回答がありえるのでしょうか?






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