『聖魔書』[3-1] 黙示録



 これは、復活した神の子が残した黙示。

 神の子が、今はまだ耐えられぬとして語らなかった遺産。

 ここに預言が成就する。

 黙示録。

 幸いなるかな。

 この予言を唱える者とこれを聞く者が近づく。

 時が至る。



 支配者である神の子が、恵みと平和をもたらす。

 '愛'によって、罪なき罪を。

 '愛'によって、罰なき罰を。



 神の子が宣告する。

 これはα(アルファ)でありΩ(オメガ)である。



 神の子は、生と死を司る者である。

 死と再生の鍵を握る者である。



 神の子は、「生命」を唱える。

 生命の樹が生え出て、神の子はそこを生命の中心と呼んだ。

 神の子は、人の子が生命の樹の果実を食べるよう宣告する。



 ここに二つの果実が揃う。

 生命の樹の果実と知恵の樹の果実。

 その二つを兼ね備えた人間が誕生する。

 二つを兼ね備えた人間には、

 新しき名と神の左の座が与えられる。



 勝利者へ。

 勝利の証に支配する権利が授けられる。

 意のままに治めよ。



 これから起こるべきことを見せよう。

 聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。

 全知全能全善。

 一なる神。

 やがて来るべき者。



 勝利者は十の封印を解く。

 血によって、神の子のために、地上を支配する。

 力と、富と、誉と、栄光と、讃美を。



 勝利の上に勝利を得る。

 地上に平和をもたらすことを許された。

 そして、平和を奪い取ることも許された。

 そのために、大いなる剣を授けよう。

 死を司る。

 神の子の名において、神の子の証において。

 生ある者を死へ導く。

 死んだ者をさらなる死へ導く。



 数多くの群衆が叫ぶ。

 救いを求める。

 救いは汝次第。

 生贄を捧げよ。

 生贄の血を捧げ、神の子を賛美せよ。



 血で染めて赤くし、

 血で注ぎ黒くする。

 餓えることも渇くこともなくなるように、

 侵し尽くすことで涙を拭い去る。



 天地が戦慄くだろう。



 第一の封印が解かれる。

 神の子が基点を設定する。



 第二の封印が解かれる。

 神の子が真理に辿り着く。



 第三の封印が解かれる。

 神の子がすべてを語りつくす。



 第四の封印が解かれる。

 神の子がすべてを導く。



 第五の封印が解かれる。

 神の子がその時を刻み出す。



 第六の封印が解かれる。

 神の子を信じる者だけが、神の子と共にある。



 第七の封印が解かれる。

 既存の秩序が崩れ、神の子により新たな境界線が引かれる。



 第八の封印が解かれる。

 神の子への祈りが祝福される。



 第九の封印が解かれる。

 神の子への信仰が完成に至る。



 第十の封印が解かれる。

 すべての心が、神の子への信仰において一つとなる。



 そして、多くの人々が死に絶えるであろう。

 神の子の印を持たぬ者たちに、拷問が加えられる。

 その者たちは、

 死を求めても与えられず、

 死にたいと願っても死は逃げて行く。



 もう時がない。

 預言の通り、神の子の奥義は成就される。

 賛美歌が響き渡る。



 さあ、神の子の印を持つ者たちを量ろう。

 死者の埋葬ももはや必要ない。

 永遠の支配が完成する。



 神の子が、大いなる'愛'をもって現われる。

 処女が子を宿し、神の子が再臨する。



 もう一つの可能性が現われる。

 龍が降臨する。

 龍は、かつて蛇と呼ばれていた。

 龍は、生命の樹の果実を手にしなかった人間たちに、

 別の可能性において生命を授ける。



 神の子の裁きの時が来た。

 死はもはや死ではない。

 すでに神の子の御言は成就した。



 救いは神の子の教えであり、

 神の子の教えは救いである。

 その裁きは真実である。



 神の子が宣告し、

 真実の言葉において、

 預言が成就する。



 龍は、別の可能性を掲げて戦いを挑む。



 神の子の印を得た者が復活する。

 復活する者は幸いである。

 彼等は聖なる者である。

 聖なる者にとって、死はもはや死ではない。



 別の可能性を担う龍は、闇をまとい出でる。

 そして、出て行き、人間に最後の最期を授ける。



 数々の書物が開かれる。

 もう一つの書物が開かれる。

 生命の書が開かれる。

 すべての人類は、

 その人生に応じ、

 この書によって裁かれる。

 生者も死者も裁かれる。



 新しい天と地が来たる。

 古き天と地は消え去る。

 聖なる都が出現する。



 神の子が人の子と共にあり、

 神の子が人の子と共に住み、

 人の子は神の子の民となり、

 神の子と民の涙は報われる。

 もはや死はなく、

 悲しみもなく、

 叫びもなく、

 痛みもない。

 すべてが成就したからである。



 神の子は宣告する。

 すべてのものが新しくなる。

 これらの言葉は信ずべきことであり、

 真実である。



 神の子が宣告する。

 私がα(アルファ)でありΩ(オメガ)である。



 神の子がすべてを照らし、すべてを永遠に支配する。



 神の子が宣告する。

 神の子の教えに従う者は幸いである。

 ただ神の子だけを拝せよ。



 神の子が宣言する。

 時は近づいている。

 聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。

 私がα(アルファ)でありΩ(オメガ)である。

 私は最初の者であり、最後の者である。

 始まりであり、終わりである。

 生命の樹の果実は、我が手の中に。

 我が教えに従う者には幸いを。

 我が教えに逆らう者には災いを。

 神の子は、神の子の子供たちを使わす。

 輝く子供たちによって、神の子の名声は高まる。



 神の子の言葉は、すべての人々に響く。

 神の子は、警告する。

 我が教えに加える者は地獄へ。

 我が教えから取り除く者も地獄へ。

 なぜなら、我が言葉は、神の子の言葉であるが故に。



 神の子の言葉が響く。

 然り、私はすぐに来たる。

 我が復活をもって、

 我が教えに従う者たちへ祝福を授ける。

 神の子に幸いあれ。







【解説】

 今回は、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に該当する箇所です。

 実際の『聖書』において、「ヨハネの黙示録」の解釈は論者によって多様です。預言書の一種ですが、かなり荒唐無稽に感じられます。この内容が、歴史的に多くの人々によって読まれてきたということは、何とも不思議な感じがします。

 「ヨハネの黙示録」では、それが神の子の黙示であることが語られているわけですから、「福音書」との継続性が問題になります。「福音書」と「黙示録」をどう関連付けるかが問われるわけです。ちなみに、ここでの『聖魔書』における「黙示録」の十の封印は、「形成記」の十の奇跡と、「律法記」の十の律法と数的に重なっています。







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