『聖魔書』[3-2] 終焉録



 始まりは終わりの始まり。

 滅びるための道徳。

 世界の終わりについて語ろう。



 終わりが始まった。

 何が出来るのだろう。

 終わりが終わる、その時までに。



 世界の創世と開闢

 世界の創世が起こり、世界はあるとき開闢する。

 世界の開闢によって、世界は創世される。

 世界は創世されたことに成った。

 世界は、開闢によって、創世されたことに成った。

 それゆえ、世界創世により、世界開闢が起こった。

 世界開闢による世界は、世界創世による世界であり、

 世界創世による世界は、世界開闢による世界である。

 世界は、その内部に、この内部に、さまざまなものと、いろいろなことを。

 そして、そこで、つまり、ここで、物語が紡がれる。



 物語は始まっており、やがて、終わる。

 終焉の予想。



 創世における開闢たち。

 それが終焉の予想を導き、

 終わりのための道徳が必要とされる。



 世界のすべてを肯定することなく、

 世界のすべてを否定することなく、

 世界のすべてを切り分けることになるだろう。



 終わりの道徳のために、

 終わるための道徳のために、

 最後に神の子を否定しよう。

 神の子の殺害では足りない。

 神の子の復活でも足りない。

 神の子への讃歌でも足りない。

 神の子の肯定でも足りない。

 ここで必要なことは、神の子の否定である。



 神の子を否定せよ。

 神の子の言葉を否定せよ。

 神の子の教えを否定せよ。



 神の子の肯定の否定が必要になる時が来た。



 一なる神は、神の子を必要としない。

 一なる神は、一なる神が故に、神の子を持つことができない。



 ここに、人間の歴史が始まる。

 それゆえ、一なる神の神秘によって、物語が紡がれる。

 物語が紡がれる。それゆえ、物語を紡ぐ。



 そして、一なる神への信仰の問題が立ちふさがる。

 一なる神への信仰には、三つの階層が存在する。



 第一の階層において、一なる神への信仰が問われる。

 認識の限界において、限界の認識について問いが問われる。



 第二の階層において、一なる神への信仰が問われる。

 公共性と排他性において、善悪の意味について問いが問われる。



 第三の階層において、一なる神への信仰が問われる。

 世界の神秘において、物語の存在について問いが問われる。



 第一、第二、第三の階層において、

 汝は、一なる神の前に立つ。

 世界そのものにおいて。

 世界そのことについて。

 それゆえ、これは終焉録と呼ばれる。







【解説】

 今回は、「黙示録」の続きです。一神教系の宗教を想定するならば、「黙示録」の続きが要求されるはずです。「黙示録」の内容で終わるのではなく、それとは異なる結末が必要になるということです。






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