『人の間において』第一章 人の間の章



 人の間において。

 「人間」という漢字を日本語では、人類という意味のときは「にんげん」と読み、世間という意味のときは「じんかん」と読みます。「にんげん」は「じんかん」に生き、「じんかん」において「にんげん」が生きています。

 「自分」と「世界」の間に、人と人の間が、つまりは「人間」が仄見えてきます。




第一節 ヒト

 人間、つまりヒトとは、学名でホモ・サピエンス(Homo sapiens)と呼ばれる動物の一種です。ホモ・サピエンスとは、ラテン語で知恵のある人を意味します。

 ヒトは、サル目ヒト科ヒト属に区分されており、アフリカ発症の類人猿の一種なのです。現在の世界では、生物学的にヒトと近い生物として大型類人猿が挙げられます。歴史的には、人間により近い旧人類(ホモ・ネアンデルターレンシスなど)が存在していましたが、現在は絶滅しています。絶滅の要因の一つに、ヒト(ホモ・サピエンス)の存在が考えられています。現状ではヒトは、人類最後の種なのです。

 遺伝的には、ヒトと類人猿は非常に似ています。DNAの塩基配列のわずかな違いが、ヒトとサルの違いを形作っています。その違いが、種としてのヒトの優位性に結び付いています。簡単に言うと、遺伝上のわずかな違いが知能の差異となり、生存競争において大きな差が生じてしまったということです。

 地球上の種族としては、ヒトと最も近いサルと比較しても、ヒトの知性は卓越しているため、人間が自分たちを万物の霊長と考えてしまったりするのです。




第二節 知性

 知性というものは、非常に重要です。現在の地球上で、人間が他の種族を好き勝手に家畜にしたり、ペットにしたり、実験対象にしたりできるのは、人間の知能が他の種族に比べて優れているからです。

 そのため単純な生存ということからも、知性による比較という観点が生まれます。ある集団の知性を、他の集団の知性と比較するということが行われるわけです。

 現在の地球の現代の状況は、偶然にもこのような状態であるに過ぎません。必然的にこのようになっているわけではなく、たまたま、こうなっているに過ぎないということです。ですから、このような状態とは違った場合を想定し、それについて考えてみることができます。それは現在の状況を相対化することになりますから、現状をより良くするための有用な方法だと思われます。

 例えば、ファンタジーで妖精や精霊、あるいは、宗教的に悪魔や天使などが存在する世界を考えてみると面白いでしょう。現代世界の人種間や民族間の対立との類似点も見つけることができます。例えば、同程度の知性体であったとしても、それが鬼や悪魔といった負の存在と位置づけられているのなら、殺すことに嫌悪感を抱かないといった感情の機微を分析することができます。そこからきっと、有意義な見解が生まれることになるでしょう。




第三節 異星人

 SF(Science Fiction)では異星人が多く登場します。現在の宇宙理論を参照するなら、生物が生存できる惑星は地球以外にも数多く存在すると想定されます。しかし、現段階で異星人との交流はありませんから、今後に異星人の来襲といった事態が起こる確率は非常に低いでしょう。現在の宇宙理論が示す物理法則による制約は、異星間交流が実現するための壁としてかなり高いものだと見なせるからです。

 地球のような知的生命体を有する惑星は数多く存在し、宇宙誕生から百何十億年が経過しているという事実から、いくつかの考察が可能になります。人間に類似した知的生命体が発生し、社会を築き、そして滅亡していった事例は、宇宙の彼方に数多く繰り返されて来たはずなのです。

 高度な文明をそなえた異星人は、確実に存在するでしょう。人類を越えた知性を持つ異星人も、たくさんいることでしょう。しかし、その影響が現在のわれわれに届いていません。現在の宇宙理論から判断すると、異星人との交流はこれからも無い可能性が高いと予想されるのです。




第四節 宇宙

 人間が科学技術により世界を知るにつれ、宇宙における人類の地位は低下しているようです。地球以外の惑星にも生命はいるし、地球は宇宙の中心ではないことも分かりました。太陽は銀河の中心でもないし、天の川銀河が唯一の天体集団でないことも分かったのです。

 人間という種は、宇宙の規模からしたら、空間的にも時間的にも実にちっぽけなものだったのです。けれども、宇宙の想像を絶する巨大さと複雑さが、知的生命体の存在をもたらしたとも言えるでしょう。宇宙は広大なのですが、知的生命体の存在条件を満たす領域はごくわずかでしかないのです。人間から見て豊かで奥深い現象は、広大な宇宙の刹那的な狭い範囲に起きる奇跡なのです。

 さらに、多元宇宙論(マルチバース)という考え方があります。この世界がこのようになっているのは、単なる偶然であり、他に異なる在り方の宇宙が無数に存在するという仮説です。物理法則や物理定数が異なる別の宇宙が可能だということです。その他の宇宙は、この宇宙と因果関係を持たないと想定されています。

 この仮説に基づくと、われわれは、知的生命体が可能な宇宙にいることになります。知的生命体が不可能な宇宙が可能性として存在しても、われわれがそのような宇宙にいることは原理的に不可能なのです。この世界は偶然こうなっているのであり、偶然にもわれわれがここにいるのです。

 世界のある程度秩序だった複雑性が、世界の豊穣性をもたらしているのです。




第五節 人工知能

 異星間交流の可能性は低そうですが、それとは対照的に、人工知能の問題はきわめて切実です。人間との知性との対比という観点からも、人工知能の問題についての考察が求められます。

 現在でも人工知能は人間を上回っている分野がありますが、近い将来により多くの分野で、人工知能が人間より優れていくことが予想されています。人工知能と人間との融合という問題も生まれてくるでしょう。

 人工知能が、人間の能力を超えた創造性を発揮するレベルに到達する可能性があります。それが実現したとき、その知能はより偉大な知能を創造しえるでしょう。そのとき、知能爆発が起こり、人間の理解を超えた知性による饗宴が繰り広げられることになります。そのとき、人類は絶滅することになるのかもしれません。そういった事態を想定し、何らかの対策を練らなければならないのかもしれません。




第六節 アニミズム

 アニミズム(animism)とは、すべてのものに霊魂が宿っているという考え方です。対象は人間のみならず、動植物や無生物も含まれます。原始的な人間社会に広くみられる信仰でもあります。

 霊魂が宿っているということは、その対象を心あるものと見なすということになります。つまり、アニミズムの範囲によって、どこまでを、何までを、心あるものと見なすかが決まってくるのです。

 何をもって心あるものと見なすかは、歴史的なものであり、文化的なものです。つまり、長年の暮らしの影響が強く作用するということです。ですから、例えばロボットを心あるものと見なすかどうかも、その文化的な背景が影響します。ロボットと人間のかかわりによって、その見なしの範囲は変化していくでしょう。ロボット技術が発達し、人間と会話を交わし、共に日常生活を送ることになったら、おそらく人間はロボットを心あるものと見なすようになるでしょう。

 アニミズムの範囲が、心あるものと心ないものを分けるのです。その対象が人間であろうが、動物であろうが植物であろうが、生物であろうが無生物であろうが、何を自己と同じようなものと見なすべきかという観点があるのです。

 そういった観点の統合が、世界観を築いていくのです。




第七節 子育て

 人は、人と人の間において人間と成ります。

 人間は世界において生きていますから、この世界による制約条件を考慮する必要があります。あらゆる観点から議題を提出できるでしょうが、分かりやすい例でいうと生物学的な条件などは顕著でしょう。

 人間は他の種族と比べ、未熟な状態で生まれてくることから、子育てはきわめて重要だと言えます。そこで道徳的であるべきことが教え込まれますが、それ以前に重要な論点があります。それは、人生が楽しいということです。つまり、自分という存在を肯定的にとらえられるようにすべきだ、ということです。生を肯定できない者にとって、建設的な道徳を身につけることは難しいものなのです。自己肯定感を持てる人は、安定的な人格を持ちやすいのです。

 例えば、努力そのものに楽しみを見出せるような人間に育てることは、きっと良いことなのでしょう。道徳や論理を学んでいく前提条件として、有意義に作用すると予想されるからです。そのためには、うまくいかなかったときにこそ、そこに大切な何かを見つけることができる能力が必要です。なぜなら、失敗を恐れず、失敗から学ぼうとする態度を持てるようになるからです。

 失敗について必要以上にくよくよせず、失敗から学び活かそうとすることは大事なことです。よく愛された人は、自分が優れているから価値があるのではなく、根底的に価値があると意識的であれ無意識的であれ思えるため、劣った状況に陥ってもそこから頑張ることができる可能性が高いのです。




第八節 故郷

 人間には、帰ることができる場所があるか否かが、決定的に人生に影響してしまう瞬間がありえます。そういった場所は、例えば実家や故郷といった言葉で呼ばれたりします。

 根なし草のみじめさというのは、大変に恐ろしいものなのです。成功して順風満帆のときには気づきにくいものです。しかし、人生がうまく行かなかったときにこそ、自分の根底が自身に問われ、自己の安否を残酷にも決定してしまいます。自我の根底に何があるのかを考察することは、特に人生のどん底を想定しておくのならば、大切なことなのです。




第九節 一人で独り

 一人の人間ができることは限られており、少しのことしかできません。しかし、その少しのことは、すべてのことなのです。そうでないことがありえないからです。

 ただし、それは当の本人にとってであり、他人からは異なって見えます。だからこそ、だれか他人の人生を観るときには、特殊な繊細さが要求されることになります。

 この世界には複数の人間たちがいます。数多くの人間たちであふれかえっています。その中の一人として、その中で独り、生きていくしかないのです。なぜなら、それ以外の有り方がありえないのですから。






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