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バーク『フランス革命の省察』

 

 エドマンド・バーク(Edmund Burke, 1729~1797)は、英国のホイッグ党員の政治家であり、思想家でもあります。フランス革命に際し、近代保守主義の先駆となった『フランス革命の省察』を著しています。『フランス革命の省察』における「保守」・「継承」・「偏見」・「革命」・「自由」・「騎士道」と言った用語から、バークの思想を追っていきます。

 

第一節 保守
 まずは、「保守」についてです。バークは、〈何らか変更の手段を持たない国家には、自らを保守する手段がありません。そうした手段を欠いては、その国家が最も大切に維持したいと欲している憲法上の部分を喪失する危険すら冒すことになり兼ねません〉と述べています。
 ここから分かるように、保守は改革を排除しません。〈これまで我々の行ってきたすべての改革は、昔日に照らすという原理の上に立っています。今後あるいはなされるかも知れないすべての改革も、先例や権威や実例との類比の上に注意深く行われることを私は願っています。いやそう確信しているのです〉と語られています。〈相続という観念は、確実な保守の原理、確実な伝達の原理を涵養し、しかも改善の原理をまったく排除しないということを、イングランドの民衆は熟知しています〉と考えられているわけです。
 国家が大切にしているものを守り保つのが「保守」なのです。その大切なものについては、〈どの国においても、立派に形成された精神ならば喜んで好きになりたくなるような習俗の体系がなければなりません。我々に国を愛させるよう仕向けるためには、国自体が愛すべきものたらねばなりません〉と考えられています。
 そのため、〈立派な愛国者や真の政治家ならば、如何にすれば自らの国に現存する素材で最善が得られるかを常に考えるものです。保存しようとする気質と改善する能力とを合したものが、私にとって真の政治家の基準です〉と語られています。〈我が国の人々は、真に愛国的で自由独立な精神にとっては、自分達が所有している者を破壊から守るべく、なすべきことが幾らでもある、と思うに違いありません。私は変更をもまた排する者ではありません。しかしたとえ変更を加えるとしても、それは保守するためでなければなりません〉というわけです。

 

第二節 継承
 保守することは、「継承」することに繋がります。バークはイギリスの王位継承について、〈王位継承は昔も今も変りなく、法による世襲継承でした〉と述べています。具体的には、〈コモン・ローと制定法というこれら二種の法は、二つながら同じ効力を有し、等しい権威に由来しているのであって、国家についての共通の同意と原始契約法は、二つながら同じ効力を有し、等しい権威に由来しているのであって、国家についての共通の同意と原始契約――「国家全体ノ共通ノ約束」――から流出し、またそのようなものとして、契約の条項が遵守され、かつ王と人民が同じ一つの国家組織を継承して行く限り、等しく両者を拘束します〉とあります。
 バークは、〈継承の歩みこそイギリス憲法の健全な習わしなのです〉と述べ、〈我々は相続すべき王位と相続すべき貴族を持ち、また、永きにわたる祖先の系譜から消極積極の両特権と自由とを相続している下院や民衆を持っているのです〉と語っています。継承の対象として、位や力などを挙げることができます。これらについてのバークの見解は厳しいものがあります。〈躊躇せずに申しますが、名も知れぬ境遇から高位や権力に到る道は、容易過ぎるよう作られていても当然過ぎるものであってもなりません。もしも稀有な功績というものが、あらゆる稀有のものの中でも最もすぐれて稀有であるとするならば、それはある種の試煉を通過すべきです。名誉の殿堂は高みの上に座すべきです〉というわけです。なぜなら、〈獲得及び維持という複合的原理によって形成される財産特有の本質とは、不平等という点にあります〉と考えられているからです。この洞察は凄まじく、そして素晴らしいものです。
 バークは、〈我々の財産を我々の家族の手中で永続させようとする力、この力こそ、財産に属する様々の事柄のうちで最も価値あり最も興味あるものの一つであり、しかもまた社会それ自身の永続化の方向に著しく働く力です。それは我々の弱点を美徳に服従せしめ、貪欲の上にすら善意を接木させます〉と述べています。
 国家については、〈国家は、現に生存している者の間の組合たるに止まらず、現存する者、既に逝った者、はたまた将来生を享くべき者の組合となります〉とあります。
 バークは、〈人類の重大利害が、幾世代にもわたり長く継承されながら問題となっている場合、それら利害にさ程まで深い影響を与える諸会議においては、そうした継承という側面からの発現も幾らか認められて然るべきです。これは正義の要求するところですが、そればかりか、その仕事自体が、単一の時代では供給できない程の多くの精神の援助を要求するのです〉と考えています。

 

第三節 偏見
 保守や継承を重視する観点から、「偏見」の擁護という思想が現れます。
 バークは、〈我々の古い偏見を皆捨て去るどころかそれを大いに慈しんでいること〉を宣言しています。さらに、〈偏見なるが故に慈しんでいること、しかもその偏見がより永続したものであり、より広汎に普及したものであればある程慈しむこと〉をも述べています。〈我が国の思索家の多くは、共通の偏見を退けるどころか、そうした偏見の中に漲る潜在的知恵を発見するために、自らの賢察を発揮するのです〉とまで語られています。
 なぜなら、〈偏見の上衣を投げ捨てて裸の理性の他は何も残らなくするよりは、理性折り込み済みの偏見を継続させる方が遙かに賢明であると考えます。何故ならば、理性を伴った偏見は、その理性を行動に赴かしめる動機や、またそれに永続性を賦与する愛情を含んでいるからです。火急に際しても偏見は即座に適用できます。それは、予め精神を確固たる知恵と美徳の道筋に従わせておきます〉と考えられているからです。〈偏見とは人の美徳をしてその習慣たらしめるもの、脈絡の無い行為の連続には終らせないものなのです〉というわけです。
 偏見には時間の効果、すなわち時効が働きます。〈時効こそ、草創においては暴力的だった政府を長年月の慣行を通じて熟成し、合法性の中に取り入れて来るものなのです〉とあり、〈我々が目標とする善をもたらし得る唯一のものたるそうした精神の一致を生み出すには、時間が必要なのです〉と語られています。

 

第四節 革命
 保守派が警戒するのは「革命(Revolution)」です。〈権利の有無に拘わらず、思慮ある人や善良な人にとって、革命なるものは文字通り最後の手段となるでしょう〉とバークは述べています。
 もし革命を行うとしても、それは保守のためなのです。〈革命が行われたのは、我が国古来の疑うべからざる法と自由を維持するためであり、また我々にとっては法と自由に対する唯一の保証である、あの古来の政府の基本構造を維持するためでした〉というわけです。

 

第五節 自由
 ここでは、バークの「自由」についての考え方を参照します。
 バークは、〈公私を問わずどんな計画も、状況次第で人類に対して有益にも有害にもなります。抽象的に言えば統治も自由も同様に善です〉と述べています。この見解は卓見です。〈抽象的には、自由は人類に与えられた賜物の一つに数えられるかも知れません。さりとてそれを理由として、ある狂人が、保護的拘禁と、健康に良い彼の独房の暗闇から脱走して光明と自由の享受を取り戻した時に、私は彼を本気で祝福すべきでしょうか〉とバークは語っています。
 つまり、バークは自由を、自由だからという理由で肯定していないのです。自由の肯定には、肯定に足る理由が、すなわち歴史性が求められているのです。〈我々の自由を主張し要求するに当って、それを、祖先から発して我々に至り、更には子孫にまで伝えられるべき限嗣相続財産とすること、また、この王国の民衆にだけ特別に帰属する財産として、何にせよそれ以外のより一般的権利や先行の権利などとは決して結び付けないこと、これこそ、マグナ・カルタに始まって権利宣言に及ぶ我が憲法の不易の方針であったということが、これで貴方にも御理解戴けることと思います〉というわけです。歴史的な自由によって、〈恰も列聖された先祖の眼前にでもいるかのように何時も行為していれば、それ自身としては無秩序と過度に導きがちな自由の精神といえども、畏怖すべき厳粛さで以て中庸を得るようになるものです〉と語ることが可能になるのです。
 バークはイギリスの歴史に根ざした自由を肯定しており、自由を抽象化して称賛するという愚行を犯していません。このことは、〈人間に対する抑制は、人間の自由と並んでその権利として数えられるべきです。ところが、自由や規制は時代や状況に連れて異り、無限に修正の余地がありますから、それらを何らか抽象的規則に従って定めておくことは不可能です〉という発言からも明らかです。
 そのためバークは、自由に対する警戒も適切に示しています。例えば、〈勇敢な民衆は、腐敗した裕福な隷属よりは、美徳に満ちた貧困を伴う自由の方をより良しとするでしょう。しかし、慰めと豊かさという代価を支払うに先立って、購われるものが真の自由であり、しかもその自由はそれ以外の対価を以てしては購われない、ということが相当程度確実に見込まれていなければなりません。ともあれ私としては、智恵と正義とを仲間に持たず、しかも繁栄と豊かさを供に引き連れていない自由とは極めて曖昧な姿で現れるものだ、という風に何時も考えることにしましょう〉とあります。また、〈それにしても、智恵も美徳も欠いた自由とはそも何ものでしょう。それはおよそあり得るすべての害悪中でも最大のものです〉ともあります。
 バークの言う自由な政府とは、自由と抑制という二つの要素を共に必要とするのです。つまり、〈政府を作るのには何も偉大な慎重など必要としません。権力の座を定め、服従を教え込めば、それで仕事は上りとなるのです。自由を与えるのはもっと容易です。教導する必要は何もなく、手綱を放せばそれで良いのです。しかし、自由な政府を作るためには、言い換えれば、自由と抑制というこの対立する要素を調合して一つの首尾一貫した作品にするためには、多くの思考と、深い省察と、賢明で力に溢れ総合力ある精神とを必要とします〉というわけです。
 バークの自由についての考え方には、学ぶべき点が含まれています。
 ただし、自由と抑制を調合した政府を、自由な政府と呼ぶことはおかしなことです。例えば、自由(束縛の不在)と抑制(束縛の適用)を調合した政府を、秩序ある政府とか活力ある政府と呼ぶのなら分かります。しかし、調合した状態を自由な政府と呼ぶことは、やはり、異常な言葉づかいだと言わざるをえません。この異常性は、キリスト教の影響下にある西洋社会云々と仮説をだらだらと語ることはできますが、止めておきます。
 ただ、日本人から見ると異常な言葉づかいですが、それはイギリスを含めた西洋の歴史に根ざした言葉づかいなのです。ですから、西洋の人々がそのおかしな言葉づかいを継承するのに、日本人が異を唱えるような野暮なことはしません。そして、そのおかしな言葉づかいを真似するような愚も、日本人なら当然しないのです。

 

第六節 騎士道
 バークの「騎士道」について参照します。
 バークは、〈思想と感情が交々織り成す織物の起源は古えの騎士道にあります〉と述べています。続けて、〈この原理は、移ろい行く人の世の有様に連れて姿こそ変わりはすれ、幾世代もの長きにわたって生き続け影響し続けて、我々の時代にすら及んでいるのです。万一それが完く消え去るとするならば、その損失は甚大であろうと私は憂えます〉と語っています。
 もちろん、バークの騎士道観について、事実に基づいて難癖をつけることも可能です。例えば、西欧の騎士道は日本の武士道に比して、歴史的な実績による裏付けが乏しいといった指摘ができます。ですが、そのような野暮なことはしません。
ここで重要なことは、かつて偉大さがありえたという御伽話(おとぎばなし)を信じたことにするという精神のあり方なのです。
 バークの騎士道に対する敬意に対し、私はバークに対して敬意を表します。

 

第七節 『フランス革命の省察』について
 『フランス革命の省察』に書かれている内容から判断し、私はバークに敬意を表しています。なぜなら、バークは英国の伝統を担おうとしているからです。そして私は、日本の伝統を担おうとしているからです。
 それゆえ私は、バークに敬意を表するが故に、バークの言説を参照しながらも、バークに続く保守主義に名を連ねることなく、日本の思想をたどる道へと歩を進めるのです。

 

 

 

 

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