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オークショット『保守的であるということ』

 

 マイケル・オークショット(Michael Joseph Oakeshott, 1901~1990)は、イギリスの政治哲学者です。現代保守主義の代表的な理論家の一人です。ここでは、『政治における合理主義(Rationalism in Politics and Other Essays)』に収録されている『保守的であるということ』というエッセイを見ていきます。

 

第一節 保守的
 オークショットは、『保守的であるということ』の冒頭で、〈私の取り上げるテーマは信条や教義ではなく、或る性向である。保守的であるということは、思考や行動が或る様式を持つ傾向があるということであり、或る種の行動様式や人間をとりまく環境の或る状態を他よりも好むということ、或る種の選択を行う傾向にあるということである〉と述べています。
 オークショットは、保守的であることについて次のように述べています。

 

 保守的であるとは、見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと、試みられたことのないものよりも試みられたものを、神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、無制限なものよりも限度のあるものを、遠いものよりも近くのものを、あり余るものよりも足りるだけのものを、完璧なものよりも重宝なものを、理想郷における至福よりも現在の笑いを、好むことである。得るところが一層多いかも知れない愛情の誘惑よりも、以前からの関係や信義に基づく関係が好まれる。獲得し拡張することは、保持し育成して楽しみを得ることほど重要ではない。革新性や有望さによる興奮よりも、喪失による悲嘆の方が強烈である。保守的であるとは、自己のめぐりあわせに対して淡々としていること、自己の身に相応しく生きていくことであり、自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを、追求しようとはしないことである。

 

 これらは、一人前の大人ならば、当然備わっているべき態度の一つだと思います。

 

第二節 変化
 オークショットは、〈変化とは我々がそれを受け容れざるを得ない場合のことを、変革とは我々がそれを意図的に実行する場合のこと〉と定義しています。変化は受動的であり、変革は能動的という区分です。
 その上で、〈変化の影響が及ばない人もいないわけではないが、それはただ、何事にも気を留めることのない者、自己の有するものについて無知で、自己の環境に対して何の感情も抱かない者だけに起こることである。また変化が無差別に歓迎されることもあるが、そんなことをするのは、大切に思う物事が何もなく、愛着がすぐに消えてしまう者、愛情や愛着に無縁な者だけである〉と語られています。
 この考え方において、〈保守的であるとは、単に変化を嫌うということ(それは一つの性癖かも知れない)だけではなく、変化への適応というすべての人間に課された活動を行う、一つの方法でもある〉ことが示されています。

 

第三節 保守的な結論
 オークショットは、〈保守的な気質の人はいくつかの適切な結論を導く〉と述べています。以下、個別に検討していきます。

 

<保守的な結論(1)>
 第一に、変革による利益と損失は、後者が確実に生ずるものであるのに対し、前者はその可能性があるにすぎない、従って、提案されている変化が全体として有益なものと期待してよい、ということを示す挙証責任は、変革を唱えようとする者の側にある。

 

<結論(1)の検討>
 オークショットの用語法にならえば、変化がまったくない理想状態においては、オークショットの言うことは妥当します。しかし、変化が発生している状態(つまりは普通の状態)ならば、変化における変革を想定しなければなりません。そのとき、挙証責任は(その比率は考えなければなりませんが)両者に発生します。
 チェスタトン(1874~1936)の『正統とは何か』には、〈あらゆる保守主義の基礎となっている観念は、物事は放っておけばそのままになっているという考えかたである。ところがこれが誤りなのだ。物事を放っておけば、まるで奔流のような変化に巻きこまれるに決まっている〉とあります。

 

<保守的な結論(2)>
 第二に、変革が自然な成長に一層似ていればいるだけ、(即ち単にそれが状況に対して押し付けられたというのではなく、そのもっと明確な兆しが状況の中にあればあるほど)、損失の方が利益を上回る結果となる可能性は低くなる、と彼は思う。

 

<結論(2)の検討>
 自然な成長という言葉が含意するところは、あまりにも広大です。自然な成長が望ましい場合もあるでしょうし、自然な成長が人間に危害をもたらす場合もあると考えることができます。

 

<保守的な結論(3)>
 第三に、何らかの特定の欠陥への対応としての変革の方が、つまり、何らかの特定の不均衡を是正するための変革の方が、人間の環境の状態を一般的に改善するという観念から生まれた変革よりも、望ましく、またそれは、一つの完璧な未来像から生まれた変革よりはずっと望ましい、と彼は考える。その結果、彼は、大規模で無限定な変革よりも小規模で限定的なものの方を、好ましく思う。

 

<結論(3)の検討>
 これは参考になる意見ですが、厳密に適用するには条件が必要です。
まず、その社会や共同体が、深刻な内部的危機に見舞われていない場合です。具体的には、欠陥とか不均衡が明確に分かり、それを是正すべきという認識が皆で共有できる文化的遺産があるような場合です。次に、深刻な外部的危機が、短期・中期・長期にわたって見あたらない場合です。
 つまり、深刻な内部的危機かつ外部的危機が存在しない場合には、その通りだと思います。

 

<保守的な結論(4)>
 第四に、彼は、変化の速度は急速なものよりも緩やかなものの方が良い、とする。そして彼は、目下のところ何が帰結として生じているのかを、立ち止まって観察し、適切に順応していく。最後に彼は、変革の行われる時機が重要だと考える。彼が変革にとって最も都合が良いと考える時機は、計画されている変化が意図された範囲に限って実現される可能性が最も高く、望んでいない制御不可能な帰結によってそれが汚染される可能性が最も低い、という時である。

 

<結論(4)の検討>
 自分や自国でどうにかなることならば、変化の速度は急速より緩やかな方を選ぶのも得策だと思います。ただし、自分たちではどうにもならない変化が襲ってくるかもしれないと覚悟しておくことも必要だと思うのです。
 また、変革を保留しておいても守るべきものが崩壊してしまわないという非常に幸運な状況下ならば、変革の行われる最も都合の良い時機を選ぶのも良いでしょう。

 

第四節 保守性
 オークショットは、〈保守性とは、人間の行動の全領域を包含することのできる「進歩志向的」な態度に対して、偏見にとらわれた敵意を示すものではなく、広範で重要な領域における人間の活動に対して、唯一適合的な性向なのだということである〉と述べています。
 なぜなら、〈保守的性向が他のいかなるものよりも常に適合的になる場合とは、進歩よりも安定性の方が有益なとき、憶測よりも確実性の方が価値のあるとき、完璧なものよりも慣れ親しんだものの方が望ましいとき、真理であるかも知れないがそのことが論争の的になっているものよりも、誤謬だということで意見が一致しているものの方が優っているとき、治療よりも病気の方が耐えやすいとき、期待そのものの「正当性」なるものよりも期待を満足させることの方が重要なとき、そして、規則が全くなくなるおそれがあるよりは、何らかの種類の規則のある方がよいとき、であろう。そして、人間の行動をどのように見たとしても、環境の中でこれらの条件が当てはまる領域は、無視できない広さを持っているのである〉と考えられているからです。
 確かに、これらの条件が当てはまる領域は、無視できない広さを持っていると思います。そして、これらの条件が当てはまらない領域も、無視できないと思うのです。

 

第五節 『保守的であるということ』
 オークショットの『保守的であるということ』に示されている保守的な性向からは、得られるものが多いと思われます。保守的であるべき状況は、確かにあるからです。
 そして、それは、当たり前の話ですが、あらゆる全ての状況ではないのです。そのことについては、おそらくオークショットも気づいていたのだと思います。

 

 

 

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