オルテガ『大衆の反逆』

 

 オルテガ(Jos Ortega y Gasset, 1883~1955)は、スペインの哲学者です。1929年に出版された『大衆の反逆』では、大衆批判が展開されています。

 

第一節 二種の人間

 オルテガは、〈社会はつねに、少数者と大衆という、二つの要素の動的な統一体である。少数者は、特別有能な、個人または個人の集団である。大衆とは、格別、資質に恵まれない人々の集合である〉と述べています。社会における二つの人間の区分について言及しているのです。
 他にもオルテガは、〈人間についての、もっとも根本的な分類は、次のような二種の人間に分けることである。一つは、自分に多くを要求し、自分の上に困難と義務を背負いこむ人であり、他は、自分になんら特別な要求をしない人である〉と語っています。
 この区分は、「大衆人(mass-man)」と「高貴の人(すぐれた少数者)」を分けるものです。この区別は、資本家階級や労働者階級などの社会階級のことではありません。オルテガは、〈社会を大衆とすぐれた少数派に分けるのは、社会階級の区分ではなく、人間の区分であって、上層、下層の階層序列とは一致するはずがない〉と述べています。つまり、社会階級ではなく、精神階級によって大衆人と高貴の人を区別しているのです。

 

第二節 大衆は平均人か?

 オルテガは、〈大衆とは≪平均人≫である〉と述べています。ただし、この文章には、少し注意が必要です。
 なぜならオルテガは、〈「ここで私は終わり、私より能力のある人がはじめる。世界には明らかに二種類の人間がいる。それは、私と、私よりもすぐれた他人である」〉という考え方を示し、その直後に、〈他の時代の平均人は、この根本的な知恵を、世界からしじゅう教えられた〉と語っているからです。
 つまり、オルテガが『大衆の反逆』を出版した時代状況において、そのときの平均人が大衆となってしまっていたのです。ですから、必ずしも平均人が大衆であるというわけでもないのです。大衆人か否かは、平均人であるか否かではなく、別の判断材料を必要とするのです。

 

第三節 大衆について

 オルテガが、大衆について述べた部分を見ていきます。
 まず、〈大衆とは、みずからを特別な理由によって――よいとも悪いとも――評価しようとせず、自分が≪みんなと同じ≫だと感ずることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じてかえっていい気持になる、そのような人々全部である〉とあります。そのことの裏返しとして、〈大衆は――団結した多数のこの人間たちを見たとき、とてもそんなふうに見えないが――大衆でないものとの共存を望まない。大衆でないすべてのものを死ぬほど嫌っている〉という観察結果が得られています。
 オルテガは、〈現時の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知のうえで、大胆にも凡庸なるものの権利を確認し、これをあらゆる場所に押しつけようとする点にある〉と主張しています。〈いま分析している人間は、自分以外のいかなる権威にもみずから訴える、という習慣をもっていない。ありのままで満足しているのだ〉というわけです。さらに、〈大衆的人間は、状況が暴力的に強いないかぎり、自分以外の何者にも訴えかけることはないだろう〉とあり、〈今日、あらゆるところを歩きまわり、どこででもその精神の野蛮性を押しつけているこの人物は、まさに人類の歴史に現われた甘やかされた子供である〉と説明されています。
 オルテガが、〈問題は、大衆的人間が愚かだということではない。まったく反対に、現代の大衆的人間は利口で、他のいかなる時代の大衆よりも知的能力がある〉と述べていることには注意が必要です。大衆は、知的能力の差異ではないのです。そのため、〈専門家こそ、私がいろいろな角度から定義しようとしてきた新しい奇妙な人間のみごとな例である〉ということが起こりえるのです。

 

第四節 高貴の人について

 次に、オルテガが、高貴の人について述べた部分を見ていきます。
 まず、〈選ばれた人、つまりすぐれた人間は、自分よりもすぐれた、自分のかなたにある規範にみずから訴えることが必要だと、心底から感ずる性格をもっていて、その規範のために、易々として身を捧げる〉とあります。
 さらに、〈一般に信じられているのとは逆に、基本的に奉仕の生活を生きる者は、選ばれた人間であって、大衆ではない。なにか卓越したものに奉仕するように生をつくりあげるのでなければ、かれにとって生は味気ないのである。したがって、奉仕の必要性を一つの圧迫とは思わない。もしも偶然その必要性がなくなると、かれは不安を覚え、自分を抑圧するもっと困難でやっかいな規範をつくりだす。これは修行としての生であり――高貴な生である〉と説明されています。続いて、〈高貴さは、権利によってではなく、自己への要求と義務によって定義されるものである。高貴な身分は、義務をともなう(Noblesse oblige)〉と語られています。
 オルテガは、〈高貴の人とは≪知られた人≫という意味で、世間に知られた者とか、無名の大衆に抜きんでることによって自分を知名にした有名人ということだ。高貴であるということは、かれを著名にするもととなった、なみなみならぬ努力のあったことを意味する。したがって高貴な人とは、努力する人、または卓越した人ということに相当する〉と考えているのです。〈高貴な身分は、義務をともなうのである。最初の貴族は自分を義務づけ、世襲の貴族は相続によって義務づけられる〉というわけです。

 

第五節 オルテガによる要約

 オルテガ自身が、『大衆の反逆』を要約している箇所を以下に示します。

 

 さてここで、この論文の主題を要約しよう。今日の世界は、深刻な退廃に陥っている。これはいくつかの兆候となって現われているが、なかでも大衆の無法な反逆が目だつ。頽廃の原因は、ヨーロッパの退廃にある。ヨーロッパの退廃にはたくさんの原因があるが、その主要なものの一つは、まえにはヨーロッパが世界の他の地方やわれわれ自身の大陸でふるっていた権力が、どこかへ行ってしまったことである。ヨーロッパは支配しているということに自信がなくなり、世界の他の地方も支配されることに得心がいかない。歴史的な主権は分散しているのである。

 

 はっきり言って、間違っています。ヨーロッパが世界の支配者の地位から脱落したことが、大衆の反逆の理由ではありません。この意見は、さすがにいただけません。
 オルテガは、〈問題は、ヨーロッパには道徳がなくなってしまったという、そのことである。大衆的人間が、新たに出現した道徳を尊重して古ぼけた道徳を軽視しているというのではなくて、かれらの生の体制の中枢において、いかなる道徳にも服さずに生きたいと望んでいるのだ。若者たちが≪新しい道徳≫について語るのを聞いても、一言も信じてはいけない〉とも述べています。この道徳がなくなってしまったことが、大衆の反逆の一因だという意見は一考に値します。
 ただし、道徳がなくなった原因は、ヨーロッパの支配権の喪失ではありません。技術の進展に伴い、古い道徳が顧みられなくなったことが問題なのです。
解決策は、新しい道徳ではなく、古い道徳を取り戻すことなのです。そのためには、歴史的な主権が分散していても構わないのです。むしろ、各国の主権が分散しているのは、国家の道徳の前提条件だとすら言えると思うのです。

 

第六節 『大衆の反逆』について

 オルテガの記述から、大衆人と高貴な人の特徴をまとめてみます。

 

<大衆人>
・ありのままで皆と同じであることを好み、すぐれた人を嫌う。
・義務を果たすことより、権利を主張しようとする。


<高貴の人>
・自己への要求へ向けて努力し、卓越した人になろうとする。
・権利を主張することより、義務を果たそうとする。

 

 現代の日本は、高度大衆社会だと言われることがあります。大衆社会とは、高貴の人より大衆人が多い場合の社会です。高度大衆社会は、大衆の割合が大勢を占めている社会のことです。大衆社会から抜き出すためには、次の二つを教育に組み込む、子供たちに教えることが必要です。
 一つ目は、社会には民主主義の要素が必要であるように、貴族主義の要素も必要であるということ。民主主義万歳は間違っているということ。
 二つ目は、義務は権利より重いということ。(free riderのような)ただ乗りや責任の押し付けは卑しいということ。
 これらの、あまりに当たり前の二つが周知徹底されれば、日本は大衆社会から脱却することができます。それが可能か否かは、まさしく高貴な人にかかっています。

 

第七節 マス(mass)と大衆

 オルテガの『大衆の反逆』は、大衆論の一つに数えられています。大衆論を読むときに注意すべきことは、マス(mass)が大衆(たいしゅう)の訳語となっているところです。
 漢語の大衆(だいしゅ)とは、多くの僧を意味しています。日本でも本来は、寺院における僧侶の汎称です。平安中期以後は、寺院における僧兵を大衆と称することもありました。ですから、日本における大衆は肯定的な意味合いを持っています。
 一方、西部邁の『学問』によると、〈マスの含意は「愚劣、低劣、卑劣な人々」ということ〉だとされています。そのため、マス(mass)の訳語を大衆(たいしゅう)としたことは、誤訳なのです。『大衆の反逆』などの大衆論を読むときは、このことを意識しておいた方が良いでしょう。

 

 

 

 

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