中野剛志『保守とは何だろうか』

 

 中野剛志(1971~ )は、日本の経産官僚です。研究分野は経済ナショナリズムです。
 中野の『保守とは何だろうか』に記載されている内容について、表側と裏側から考察を行います。

 

第一節 表側
 中野剛志の『保守とは何だろうか』では、保守主義者コールリッジの経済観を軸に、保守主義と新自由主義の相違が明確化されています。そのため読者は、保守主義が新自由主義と相容れないことを理解し、新自由主義的な政策を肯定する保守が偽物であることが分かるようになっています。
 すなわち、本書によって感化された者は、真正の保守主義者となって新自由主義者と対決することになるのです。

 

第二節 裏側
 本書を読み通したとき、次のような疑問が浮かびました。

 中野剛志は、保守主義者なのか?

 本書のあとがきでは、〈私は、歴史上の数少ない保守主義者の中から数名を選び、彼らの思想の解釈に託して、自らの保守主義を明らかにするのがよいと考えた(p.252)〉と語られています。ですから、中野はおそらく保守主義者なのだと思われます。ですが、「自らの保守主義」の意味するところによっては、そうではない可能性もあるかもしれません。
 ここで注目すべき点は、本書のように「保守」を問うということは、保守主義者であっても保守主義者でなくても可能だということです。中野は、〈 保守主義の特徴とされるプラグマティズム (p.85)〉と述べています。保守主義とプラグマティズムの関係を軸に、少し考えてみましょう。
 保守主義とプラグマティズムという二つの思想形態を並べたとき、二つの思想に包含関係が存在することに気づきます。つまり、保守主義者としてプラグマティズムを用いる場合と、プラグマティストとして保守主義を利用する場合があるということです。後者の人物の場合、都合が良ければ保守思想を用いますし、都合が悪ければ保守ではない思想を用いるわけです。
 つまり、保守の内部から「保守」を論じる人と、保守の外部から「保守」を論じる人の二通りが考えられるということです。
 中野は、〈国民には、日常生活を維持したいという保守感覚がある。その保守感覚が障害となって、国民は革新的イデオロギーを受け入れようとはしない。ならば、革新を常態にしてしまえばよい。そうすれば、国民は、「革新を保守する」ようになるであろう。じつに狡猾と言うほかないが、丸山が「保守」の弱点を見事に突いていることは認めざるをえない(p.11)〉と述べています。政治学者の丸山眞男の影響力が、保守的な態度を取った福田恆存を上回ったことについて、中野は保守の弱点を突いたからだと考えているのです。この考え方は、どちらかと言うと、保守の外部から「保守」を論じている人がたどりつく思考のパターンだと思われます。保守の外部にいるなら、保守の長所は取り入れますが保守の弱点は取り入れなくてよいわけですから、簡単にこのようなことが言えてしまえるわけです。一方、保守の内部にいる人は、革新を保守するのは真の保守ではないという論理を展開するような気がします。
 中野は、〈現代日本の「保守」を称する政治家や知識人たちは、それとは逆のことをやり続けている。なぜか。(p.243)〉という問いを発しています。その答えは、〈理由は簡単である。 それは、彼らが、真の保守ではないからである (p.243)〉と語られています。この問いと答えが、保守主義者によって発せられているのなら、何の問題もありません。しかし、保守主義者でない者によって発せられているのなら、その人物は、警戒に値します。

 

 

 

 

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