『保守の発生』
保守主義は、いつ発生したのでしょうか?
アンソニー・クイントンのように、〈イギリスにおけるこの思想の伝統がフッカーに始まる(『不完全性の政治学』)」と見なす人もいます。バーク以後に定着したとする見方もあります。
しかし、基本的にはバークの「フランス革命の省察」をもって発生したという意見が一般的でしょう。
その発生の経緯については、佐伯啓思が『学問の力』において、〈よく誤解されることですが、思想史的にいえば、近代に入って、「自由主義」「社会主義」「保守主義」がでてくるといわれますが、問題はこの順序で、まさに、「自由主義」「社会主義」「保守主義」という順序ででてくるのです〉と述べています。続けて、〈しばしば「保守主義」が最初にあって、その「保守」という旧態依然たるものを打ち壊すために「自由主義」や「社会主義」がでてきたとされますが、けっしてそうではありません〉と語られています。
ここで疑問が浮かびます。それは近代から発生し、しかも何かの反対から生まれたようなものに、はたして価値があるのかということです。
むしろ、旧態依然たるものを打ち壊すために「自由主義」や「社会主義」がでてきたと解釈すべきなのではないでしょうか?そこで、新しい「自由主義」や「社会主義」などという理性の化物より、旧態依然たるものの方に守るべき価値があるとすべきなのではないでしょうか? そうしないと、「自由主義」や「社会主義」に対抗する「保守主義」の正統性の根拠がなくなってしまうでしょう。
反対のためにそこで生まれたものは、何を根拠に反対するというのでしょうか。元から存在したものが、自らの価値のために反対するということにしないと筋が通らないのです。
バークの『フランス革命の省察』を読むと、バークは明らかに過去の価値を継承しようとしています。バークは、〈継承の歩みこそイギリス憲法の健全な習わしなのです〉と述べています。〈もしも貴方が我が憲法の精神を知りたいとお望みならば、また、我が憲法を今日に到るまで保証してくれたあの偉大な時期の支配的政策を知りたいとお望みならば、どうか我が国の歴史、我が国の記録、我が議会の法令や議事録の中に、その精神や政策をお探し戴きたい〉とも述べています。さらに、〈人類の重大利害が、幾世代にもわたり長く継承されながら問題となっている場合、それら利害にさ程まで深い影響を与える諸会議においては、そうした継承という側面からの発現も幾らか認められて然るべきです〉と語っています。
そうだとするならば、バークをもって近代保守主義の始祖とする、あるいはバーク以後に近代保守主義が定着したとする見方はおかしいのではないでしょうか? バークは近代保守主義の始祖などではなく、バーク以前の人々と同じように、伝統を継承しようとした人物だったのではないでしょうか?
過去の価値を継承しようとした人が、その人から何かが始まったと解釈される。これは、一つの悲劇であり、喜劇ではないでしょうか?
『保守主義への挑戦状』の【目次】 へ戻る
論文一覧 へ戻る