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『保守の原理』

 保守主義には、その原理がかなり明確に規定されています。
 アンソニー・クイントンは『不完全性の政治学』で、伝統主義・有機体主義・政治的懐疑主義という保守主義の三つの特殊原理について述べています。これらの原理について、個別に見ていきます。

 

<伝統主義(『不完全性の政治学』)
 保守主義の三つの特殊原理のまず第一は、伝統主義の原理であり、それは、確立された慣習や制度に対する保守主義者の愛着あるいは尊敬というかたちをとります。それと表裏の関係にあるのが、急激で、向こうみず、そしてもっと強く言えば、革命的な変化に対する保守主義者の敵意です。歴史的な進化の所産である社会秩序は、共同社会に蓄積された実際的知恵の結晶であり共同の成果なのであって、政治の経験を積んだ人々が、責任をもって決定を下さざるをえない諸状況のもとで行ってきた適応修正の積み重ねの結果としてあるのです。

 

 この伝統主義についての考え方は大切であり、あまり異論はありませんが補足説明をしておきます。
 歴史を学ぶということは、世界の複雑性から言って、新しい出来事に対する新しい対処の積み重ねを参照するということになります。そこから、変えるべきものと変えてはいけないものの見極め、その基準を得ることが可能になるのです。基準の構築に貢献しないならば、歴史を学ぶ意味はありえないと思うのです。
 その基準は、何を大切だと考えるかにかかっており、その大切さを示すものとして、伝統が注目に値するのです。大切なものを守るため、何を変えて、何を変えないのか、それが重要なのです。
 単に慣習や制度を墨守するだけなら、保守主義は原理主義に接近して行ってしまいます。この点には注意が必要です。

 

<有機体主義(『不完全性の政治学』)
 第二の原理は、有機体主義の原理であり、社会は一体として自然に成長するものであり、組織された生きた全体であって機械的な寄せ集めではない、という社会観です。社会を構成するのは裸の抽象的個人ではなく、社会的存在として相互にかかわり合い、歴史的に受け継がれてきた慣習や制度に構造的に織り込まれて独特の社会性を帯びるにいたった人間です。社会の諸制度はこうして個々人にとって外在的で自由に取捨選択できるものでもなければ、個人的に利用できる面でだけ関心をもてば足りるものでもありません。むしろ、社会の諸制度が個々の人間を社会的存在たらしめるのです。

 

 私が保守の原理の中でもっとも疑問視するのは、この有機体主義です。確かに社会は、設計された機械ではありません。機械的社会観に比べれば、社会を一つの有機体と見なす社会観はマシだとは言えます。
 しかし、社会とは、一つの有機体ではなく、有機体である人間の集まりです。有機体の集まりとして社会を見たとき、それは群れと呼ばれるものになります。有機体群体主義とでも呼べばよいでしょうか。
 ただし、人間の社会は群れではありません。有機体の群体以上の何か、社会をそのように捉えたとき、人は、人の間において人間という存在になり、社会には法律や道徳といった要素が絡み合うことになります。
 そもそも有機体主義を唱えた思想家は、有機体によって進歩を論じている場合が少なくないのです。社会学の創始者と言われることもあるフランス人のコントは、〈社会的連帯をもっぱら構成し、社会有機体の拡大と複雑化の基本的要因となっているのは、各種作業の継続的分割なのである。このようにして、社会有機体は人類全体を包含すると考えることができる『社会静学と社会動学』)〉と述べています。イギリスの社会学者であるスペンサーは『進歩について』で、〈正しい意味での社会的進歩とは、社会という有機体の構造上の変化〉と述べ、〈有機体進歩の法則が一切の進歩の法則であることを明らかにしよう〉と語っています。
 オランダの歴史家であるホイジンガは、『歴史学の成立』において、〈歴史は法則の提示にさからうものであること〉や、〈歴史における発展概念は、多くの条件つきでのみ通用するもので、我々が歴史的有機体という比喩を受け入れる時にだけ適用されうる〉ということを正しく指摘しています。さすがです。
 人間は、人たちの関わり合いによって一つの有機体としての社会を形成するのではありません。人の間において人間は、一人の人間として、他の人間と互いに関係を築いていくのです。そこには共同体が生まれ、その共同体における共通性という高度な抽象概念に対して、例えば、国家という名前が名付けられるのです。
 このあり方は、一つの有機体といった単純な概念からは、明確にはみ出たものです。国家は一体として自然に成長するものなのではなく、国民の日々の努力によって何とか維持される繊細で大切なものなのです。
 このことは、日本の歴史を振り返ってみれば明らかです。日本の歴史では、平安時代や江戸時代のように太平の世が長く続く場合もあれば、戦国時代や日清・日露・大東亜の戦争の連続など混乱が続く場合もあるのです。このような紆余曲折に継続する歴史は、とても有機体によって例えられものではありえません。
 有機体主義は、伝統主義の考え方と不協和音を奏でています。

 

<政治的懐疑主義(『不完全性の政治学』)
 第三の原理は政治的懐疑主義の原理であり、政治的な知恵つまり人間社会の諸問題を適切に処理するのに必要な類の知識は、孤高の思想家たちの思弁的理論のなかにではなく、共同社会全体に歴史的に蓄積されてきた社会的経験のなかに見いだされるという信念です。そういう知識は、とりわけ、歴史の試練に耐えて確立された伝統的な慣習・制度の堆積や、またなんらかのかたちで政治にたずさわって広く実際的な経験を積んだ人々のうちに体現されています。社会はまことに複雑なものであって、およそ理論的な単純化になじまないのです。社会を首尾よく維持していくために必要とされる知識は、一面ではいわば暗黙の了解のようなかたちで多くの人々に共有されてもいますが、やはり基本的には個々の人間を越えた客観的な社会的諸様式のうちに具現されているといえます。

 

 政治的懐疑主義における懐疑とは、物事を疑って掛かるということではなく、人間の不完全さを見据えることです。この考え方も重要であり、特に批判はないのですが、一つだけ蛇足を付け加えておきます。
 それは、西欧という文脈において懐疑主義を取ったとき、キリスト教はどのように位置づけられるのかという問題です。ここに、西欧の保守主義が、近代保守主義だと言い張らなければならない理由の一つが隠されています。ここには、かなり深刻な矛盾と葛藤が埋め込まれています。
 ちなみにキリスト教徒ではない日本人である私は、そのような矛盾や葛藤に患わされる必要がありません。人間が不完全だなんて、(少なくとも江戸時代までの日本人にとっては)まったく当たり前のことだからです。

 

 さて、保守主義の原理には、伝統主義・有機体主義・政治的懐疑主義の他に、漸進主義が加えられる場合があります。
 オークショットの『保守的であるということ』には、〈変化の速度は急速なものよりも緩やかなものの方が良い〉とあります。漸進主義は、変化は急進的ではなく漸進的に、つまり、ゆっくり行われるべきだという考え方です。急進的な変化は、あまりに多くのものを壊してしまうからです。
 この考え方も重要ですが、やはり注意が必要です。例えば、ハイエクのような漸進主義には警戒が必要です。ハイエクは、『自由の条件』で次のように述べています。

 

<漸進主義(『自由の条件』)
 自由の究極の目的は人間がその祖先に優越する能力の拡大であり、各世代はそれぞれ相応の貢献――知識の成長と道徳的ならびに美的信念における漸進的進歩に見あった貢献――に努めなくてはならない。その場合、なにが正しく、なにが善いかについて、どんな優越者といえどもある一組の見解を強制することは許されない。ただよりいっそう進んだ経験だけが、なにが広く認められるかを決めるのである。
 人間が現在の自分を超えるところに到達し、新しいものがあらわれ、そして評価を将来に待つというところにおいて、自由は究極的にその真価をあらわすのである。

 

 ハイエクの漸進主義には、進歩主義が張り付いています。
 しかし、漸進主義は社会の進歩のために要請されるのではありません。漸進主義は、社会の中の大事なものを守るためにこそあるのです。バークが、〈私は変更をもまた排する者ではありません。しかしたとえ変更を加えるとしても、それは保守するためでなければなりません(『フランス革命の省察』)〉と述べていることを思い返してみるべきです。

 

 

 

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