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カール・ポランニー『大転換』


  カール・ポランニー(Karl Polanyi, 1886~1964)は、ハンガリー生まれの経済学者です。主としてアメリカで活躍しました。


第一節 『大転換』の経済学
 『大転換(The Great Transformation)』は、ポランニーが1944年に著した書籍です。

 

第一項 自己調整的市場というユートピア
 ポランニーは、〈十九世紀文明は四つの制度のうえに成り立っていた〉と述べ、〈バランス・オブ・パワー・システム〉・〈国際金本位制〉・〈自己調整的市場〉・〈自由主義的国家〉を挙げています。
 その上で、〈自己調整的市場という考えはまったくのユートピアであったということ、これがわれわれの主張する命題である〉と語っています。つまり、〈社会的な大変動の源泉は、自己調整的な市場システムを打ち立てようとした経済的自由主義のユートピア的な試みにあった〉というわけです。

 

第二項 自由主義哲学の欠陥
 ポランニーは、〈十八世紀における産業革命の核心には、生産用具のほとんど奇跡的ともいうべき進歩があった。しかしそれは同時に、一般民衆の生活の破局的な混乱をともなっていた〉と述べています。
 自由主義については、〈自由主義哲学の欠陥の中で、変化の問題に関する理解ほどその誤りが明白なものはほかにないだろう〉と語られています。なぜなら、〈そのスピードが速すぎると思われるような無統制な変化は、社会の安寧を守るために、もしも可能であるなら、その速度を緩やかにすべきである〉と考えられているからです。


第三項 市場経済
 ポランニーは、〈ひとたび商業社会において精巧な機械と工場が生産に使用されれば、自己調整的市場システムという概念が必然的に姿を現わすものであるということを強調したい〉と述べています。
 その上で、〈利潤はもはや保証されず、商人は市場においてみずからの利益をあげなければならない。価格は、みずから調整することを認められねばならない。このような諸市場の自己調整的システムこそ、われわれが市場経済という言葉で意味するものなのである〉と語られています。また、〈市場経済とは、市場が自己調整的なシステムであるということを意味する。もう少し専門的な言葉で表現すれば、それは、市場価格によって、そしてただ市場価格によってのみ統制される経済の謂いである〉ともあります。
 ここでは、市場と市場経済が区別されているのです。〈市場という制度は、新石器時代以降かなり普遍的な制度となってはいたが、その役割は経済にとって付随的なものにすぎなかった〉というわけです。

 

第四項 互酬、再分配、家政
 市場経済以前の経済については、〈大雑把にいって、西ヨーロッパにおける封建制の終焉まで、われわれが知っているあらゆる経済システムは、互酬、再分配、あるいは家政の原理によって、あるいはこれら三つの原理のいずれかの組合せによって組織されていたという主張が妥当する〉とあります。
 その上で、〈この枠組みの中で、財の秩序立った生産と分配が、社会全体としての行動原理によって統制されたなかでの多種多様な個人の動機を通じて確保されていた。こうした動機の中で、利得動機は突出したものではなかった。究極のところ、経済システムにおける各自の役割の遂行を保障していた行動規範を当の個人に遵守させるという点において、慣習と法、呪術と宗教とが協同していたのである〉と語られています。
 ちなみに、後の『人間の経済』においては、家政は再配分の中に包含され、互酬、再配分、交換の三つが示されることになります。

 

第五項 資本主義と市場
 資本主義については、〈資本主義経済においては、取引あるいは交換の原理が基本的な重要性をもつとともに、市場が支配的な役割を果たしている〉と説明されています。ちなみに、〈市場とは、取引あるいは売買のために人々が出会う場所である〉と定義されています。
 ここでは、〈市場が、その付属物として社会を動かすということ〉が指摘されています。〈経済が社会的諸関係の中に埋め込まれているのではなく、反対に社会的諸関係が経済システムの中に埋め込まれている〉というわけです。


 ひとたび経済システムが、特定の動機に基づき、特別な地位を与えられて別個の制度として組織されるや、社会は、経済システムがそれ自身の法則に従って機能することを可能とするようにかたちづくられねばならないからである。これが、市場経済は市場社会の中でしか機能することができないという、よく知られた主張の意味である。


 

第六項 市場の自己調節的メカニズム
 市場と自己調節的メカニズムの関係については、次のように説明されています。


 市場経済とは、市場価格によって統制され、調整され、指図される経済システムである。財の生産と分配における秩序は、この自己調整的メカニズムにゆだねられる。この種の経済は、人間というものは最大限の貨幣利得の獲得を求めて行動するという期待から導き出される。この経済は、ある一定の価格で利用可能となる財(サーヴィスを含む)の供給が、その価格における需要と等しくなるような市場を前提とする。それはまた、その所有者の手にあって購買力として機能するような貨幣の存在を前提としている。


 自己調整的メカニズムにおいて、〈自己調整とは、すべての生産が市場における販売のために行われ、すべての所得がそのような販売から派生することを意味する〉とあります。
 ポランニーは、〈市場経済は、市場社会の中においてのみ機能する〉と述べています。そのため、〈市場経済は、労働、土地、貨幣を含めたすべての生産のための要素を包摂しなければならない〉という考えから、〈労働と土地を市場メカニズムに包摂することは、社会の実体そのものを市場の法則に従属させることを意味する〉と語られています。
 その結果は、次のように予想されています。


 市場システムが人間の労働を処理するということは、それによって、「人間」という名札に結びつけられたその人自身の物理的、心理的、道徳的特性を、市場システムが処理することを意味しよう。人間は、文化的諸制度という保護膜を奪われ、社会的にむき出しの存在となることに耐えられず、朽ち果ててしまうだろう。


 この予想を基に、ポランニーは、〈いかなる社会も、その中における人間と自然という実在あるいはその企業組織が、市場システムという悪魔のひき臼の破壊から守られていなければ、むき出しの擬制によって成立するこのシステムの影響に一瞬たりとも耐えることができないだろう〉と述べています。

 

第七項 市場への対抗運動
 市場システムのもたらす悪影響に対し、それを防ぐための対抗運動も起こります。

 

 近代社会のダイナミクスは二重の運動によって支配された。すなわち、一つは絶えざる市場の拡張であり、もう一つはその市場の拡張が遭遇した運動、すなわち市場の拡張がある一定の方向へ向かうのを阻止しようとする対抗運動であった。このような対抗運動は、社会の防衛にとって決定的に重要であったが、結局のところそれは市場の自己調整機能と両立せず、したがって市場システムそれ自体とも両立しなかったのである。

 

 ポランニーは、対抗運動は市場システムと両立しないと考えています。この二つは、異なった組織原理としても説明されています。
 まず、〈経済的自由主義の原理〉については、〈自己調整的市場の確立を目標とし、商業階級の指示に依拠しながら、その手段として自由放任と自由貿易を広く利用した〉と説明されています。
 一方、〈社会防衛の原理〉については、〈人間、自然および生産組織の保全を目標とし、市場の有害な作用によってもっとも直接的に影響を受ける人々、すなわち労働者階級および地主階級を中心にそれ以外の人々の支持にも依拠しながら、保護立法、競争制限的組織、その他の介入方法を手段として利用した〉と説明されています。

 

第八項 計画化と自然発生
 ポランニーは、〈自由放任経済は、国家による意図的な行動の産物であったが、その後の自由放任に対する制限は、自然発生的なかたちで始まった。つまり、自由放任はあらかじめ計画されたものであったが、計画化はそうではなかったのである〉と述べています。
 さらには、〈経済的自由主義および自由放任に対する対抗運動は、それが自然発生的な反応であるという見紛うことなきあらゆる特徴を備えていた。この運動は、互いに無関係な無数の問題について、直接的な利害関係者の間の共同行動やそうした人々におけるイデオロギー上の意見の一致もなしに、開始されたのである〉と説明されています。
 つまり、〈もしも市場経済が社会の骨組みをなす人間および自然という構成要素に対する脅威であるならば、さまざまな人々のあいだに何らかの保護を求める衝動が生ずると考えるほかはないだろう〉というわけです。ここでは、〈保護主義運動を階級利害によるものでなく、市場によって窮地に追い込まれた社会勢力によるもの〉と考えられているのです。

 

第九項 社会防衛の目的
 対抗運動や保護主義などの社会防衛の目的については、次のように語られています。


 あらゆる社会防衛の目標は、このような市場の仕組みを破壊し、それが存在できなくなるようにすることであった。そして実際には、賃金や労働条件、規範や法律が、商品であるとされた労働の人間的な性格を確保するものであるという場合に限って、労働市場はその主たる機能を維持することが認められた。時として、社会立法、工場法、失業保険、そして何よりも労働組織などというさまざまな制度は、労働の流動性および賃金の柔軟性を妨害するものではなかったと論じられる。

 

 社会防衛には様々な事例が挙げられています。
 例えばデフレについては、〈取引量が膨張する際、金属正貨を使用することによって必然的に生ずるデフレーションから取引を保護するため、紙券貨幣(トークン・マネー)が初期の段階で生まれた。いかなる市場経済も、このような人為的貨幣という手段がなければ存立できなかったのである〉と語られています。
 ポランニーは、〈市場というものは、みずからを一掃するような価格を生み出す傾向をもつのであるから常に自己調整的であるという見解には、たしかに一理があるといえよう。このような市場の傾向は、それが自由であろうとなかろうとすべての市場に当てはまる〉と述べています。ただし、〈自己調整的市場システム〉については、〈社会を破壊するおそれ〉があるため、〈社会(コミュニティ)の自己保存措置〉という〈自由な作用を抑制するためのもの〉が必要になると考えているのです。

 

第十項 社会主義
 社会主義については、〈そもそも社会主義とは、自己調的市場を意識的に民主主義社会に従属させることによって、自己調整的市場を超克しようとする産業文明に内在する性向である〉と語られています。
 ファシズムについては、〈ファシズムは、社会主義と同様、どうしても機能しなくなった市場経済にその根源をもっていた〉と語られています。

 

第十一項 市場社会の自由
 ポランニーは、〈十九世紀社会の先天的な弱点は、それが産業社会であったということではなくて、それが市場社会であったということであった〉と述べています。
 ここに、〈自由の問題は、二つの異なった次元で生ずる〉ことが示されています。まず、〈制度的な次元〉では、〈増大する自由と減少する自由との間の均衡をとる問題〉があります。次に、〈道徳的あるいは宗教的次元〉では、〈自由を維持する手段それ自体が自由をおとしめ破壊する〉問題があります。ポランニーは、〈現代における自由の問題を解決する鍵は、この後者のレヴェルにおいて追求されねばならない。制度とは、人間存在の意味と目的が具体化されたものである〉と考えています。〈制度的な次元では、規制が自由を拡大もするし制限もする。この場合には、失われた自由と獲得された自由のバランスをとることのみが重要である〉というわけです。
 ポランニーは、〈自由も平和も、市場経済のもとでは制度化することができなかった。というのは、市場経済の目的が平和や自由を創造することではなくて、利潤や繁栄を創出することにあったからだ〉と述べています。


第十二項 複合社会の自由
 市場社会を消滅させた後の展望について、ポランニーは次のように語っています。

 

 あらゆる犠牲を払っても、たとえそれがたとえば生産の効率、消費の節約、あるいは行政の合理性という側面における犠牲であっても、個人の自由は支持されるべきである。産業社会は、自由を擁護するゆとりをもちうるのである。
 市場経済の消滅は、これまでになかった自由の時代の幕開けとなりうる。法的自由および実際上の自由は、かつてないほど拡大され、普遍的なものとなることができる。規制と管理は、少数者のためでなく万人のための自由を達成することができる。この場合の自由とは、汚れた手段で手に入れた特権の付属物としての自由ではなく、政治的領域という狭い範囲を超えて緊密に組織された社会それ自体へと広がる規範的な権利としての自由である。かくして古くからの自由と市民的権利に、産業社会が万人に提供する余暇と安全によって生み出された新たな自由という財産がつけ加えられることになるだろう。

 

 ここに、ポランニーの述べる複合社会が示されることになります。


 人間が万人のために溢れるばかりの豊かな自由を創造するという自己の使命に忠実であるかぎり、権力と計画化が人間の意に背き、それらを道具として使いながら打ち立てようとしていた自由を破壊するという事態を恐れる必要はない。これが、複合社会における自由の意味であり、この使命の需要性が、われわれの必要とするすべての確信を与えてくれるのである。

 

第二節 『大転換』の問題点
 ポランニーには、〈経済が社会的諸関係の中に埋め込まれているのではなく、反対に社会的諸関係が経済システムの中に埋め込まれている〉という有名な台詞があります。これは「経済」をどのように捉えるかにもよりますが、私には、経済システムと社会システムは相互に影響を与え合うような補完関係であるように思われるのです。
 また、ポランニーは、自己調整的市場を目標とする〈経済的自由主義の原理〉と人間、自然および生産組織の保全を目標とする〈社会防衛の原理〉は両立しないと考えています。補足するなら、市場に任せる範囲と、市場による破壊から防衛が必要な範囲があると考えるべきなのです。そのように考えるなら、その二つの範囲は両立可能ですし、両立させるべきです。異なる方向へと向かう力の均衡によって、調和を模索すべきだと考えるからです。
 また、ポランニーの見解には、自由放任は意図的な行動であり、その制限は自然発生的だと述べている箇所がありますが、これも単純化しすぎています。自由放任もその制限も、いくらかは意図的な行動であり、いくらかは自然発生的だったとしか思われないのです。
 ポランニーの予想では、市場経済の消滅は自由の時代の幕開けになると考えられています。〈人間が万人のために溢れるばかりの豊かな自由を創造するという自己の使命〉によれば、〈自由を破壊するという事態を恐れる必要はない〉というわけです。私には、ここにはかなり危険な考え方が隠されていると思われるのです。このような使命は、往々にして社会を破壊する可能性を秘めているものだからです。ポランニーの考えは、いささか楽観的すぎるように思われるのです。許容された範囲・規制する範囲・管理する範囲のそれぞれは、危ういバランスの上でかろうじて成り立つ可能性があるに過ぎません。そのことの危険性をあまく見積もるのなら、そこには落とし穴が待ちかまえているように思えてならないのです。

 

第三節 『大転換』から学ぶべきこと
 ポランニーが、自己調整的市場に疑問を投げかけていることは重要です。
 特にポランニーが、市場と経済と市場経済をそれぞれ区別していることには注意が必要です。市場経済とは、市場が自己調整的なシステムと見なされている状態のことです。そう見なされる以前には、市場は経済にとって付随的なものに過ぎず、それ自体が調整的であると考えられていたわけではありません。
 ポランニーの言うとおり、市場は自己調整的だとは限りませんし、それどころか市場の拡張は社会を破壊してしまうこともあります。そのため、〈社会(コミュニティ)の自己保存措置〉という〈自由な作用を抑制するためのもの〉が必要になるのです。


 

 

 

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