平和について

 平和について考えてみます。



シュペングラーの世界平和

 平和については、ドイツの哲学者であるシュペングラー(Oswald Spengler, 1880~1936)が、著作である『西欧の没落』で面白い意見を述べています。



 何となれば世界平和――これは既にしばしば存在していた――の含むものは、巨大な大衆が戦争を個人的に放棄することである。しかしそれと共に、戦争を放棄しない他国の獲物となることを暗黙のうちに用意していることも含んでいる。それは一般的和解という国家破壊的願望に始まり、不幸の落ちるのが隣人の上だけという間、誰も手を動かさないということで終わる。



 見事な卓見だと思われます。



平和主義者の二通りのあり方

 平和主義者には、大雑把に言えば二通りの人間のあり方が見られます。

 一つ目の平和主義者は、自分や仲間が殺されても非武装を貫く者たちです。ある時代のインドにおいて、わずかながら見ることのできた人間のあり方です。ある条件下で、しかも一定期間に限定した場合に、一つの手段としては有効だと言うことは可能です。しかし、冷静に考えれば、それを普遍化することはできません。ただし、この一つ目の平和主義者たちについては、ある種の敬意を払う必要があると思われます。

 二つ目の平和主義者は、例えば戦後日本に発生した平和主義者たちです。この平和主義者たちは、ひとまず自分に危害が及ばないことを確認します。それから、武力を否定し、それに喝采を叫ぶ思考力の著しく劣る者たちを取り込みます。世界史の至るところで明確に示されている武力の必要性を無視し、恥じることなく武力の放棄を訴えます。もちろん、自身に危害が加えられそうになれば、今までの意見など翻します。そうした顛末になったとしても、この平和主義者たちは、もちろん恥じることなどありません。

 この二つ目の平和主義者たちについては、ある種の軽蔑の視線を向けてやる必要があると思われます。



平和の実現方法

 平和を実現するには、大雑把に三つの方法があります。

 一つ目は、世界征服です。特定のある国家が世界の覇権を確立することで、平和を実現する方法です。二つ目は、バランス・オブ・パワーと呼ばれる考え方であり、国家間の武力均衡によって、戦争を抑止して平和を実現する方法です。三つ目は、全ての国家が武力放棄を行うことによって平和を実現する方法です。

 一つ目の方法は、世界征服そのものが難しく、仮にできたとしてもその維持が困難なため、お勧めできません。三つ目の方法も、武力を隠し持っている国や、武力製造に乗り出した国が、他国を蹂躙できてしまうので危険であり、やはりお勧めできません。

 よって、当たり前の話ですが、二つ目の方法しかないと思われます。国家は、自国の武力を他国家の武力情報を基に決定し、武力の均衡によって戦争を回避すべきなのです。

 ちなみに、平和を考える際には、武力と暴力の相違について注意すべきなのは言うまでもありません。




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