夢と現実の境界

 私たちは、夢を見ることがあります。夢から覚めたとき、私たちは夢の世界から、この現実の世界に戻ってきます。

 では、夢と現実の境界は、どこにあるのでしょうか?



胡蝶の夢

 夢と現実の問題を語る上で、最も有名で使い古された例題は、おそらくは『荘子』の「胡蝶の夢」になるでしょう。

 荘周という人物が、蝶になった夢を見たという話です。蝶として飛びまわっているときは、自分が荘周だということは自覚しませんでした。しかし、目が覚めてみると、やはり自分は荘周なわけです。それならば、荘周が蝶となった夢を見たのか、それとも蝶が荘周になった夢を見たのか判然としません。ですが、荘周と蝶には、きっと区別があるだろうというわけです。

 この荘周と蝶の区別は、現実と夢の境界の問題だと見なせます。その境界は、どのようにして求められるのでしょうか?



覚めるものと覚めないもの

 夢と現実の区別を考えたとき、すぐに思いつく論点は"目覚め"になるでしょう。そこから、夢は覚めるものであり、現実は覚めないものだという意見が挙がるかもしれません。つまり、目覚める経験が夢であり、目覚めない経験が現実だということですね。

 しかし、私たちが語る夢は、思い出としての夢です。夢の中にいるときには、基本的にその世界が夢だとは意識されないからです。夢の中ではそれが現実だと意識されているのであり、夢だと意識されているわけではありません。ですから、後から夢と認定されるものが、夢だと見なされることになるわけです。

 そうだとするなら、この現実もやがては"覚め"て、夢になってしまうのではないでしょうか? そうではないと言える根拠は、はたして示せるのでしょうか?

 私には、そうではないと言える有力な根拠は、存在しないように思えます。



夢の現実

 この現実は、やがて覚めて夢になってしまうのかもしれません。その可能性は、排除できないように思われます。

 その見解に立つならば、現実は覚めないものではなく、今のところ覚めていない夢と見なさざるを得なくなります。目覚める経験の連鎖において、今の場所が暫定的に現実と呼ばれるに過ぎなくなるのです。すなわち現実という言葉は、夢の連関における、今居る夢の場所に付される名称ということになります。

 それゆえ現実とは、移り行く数多の夢の中の一つの夢のことなのです。そして、そのたった一つを決定する要因は、"私"の"今"ということになります。

 夢における現実。夢の現実。それは、私の今という存在なのです。



夢と仮想世界

 夢と現実の問題について、哲学者レイモンド・スマリヤンは面白い見解を提示しています。『哲学ファンタジー』という著作の第9章「生と死の禅」には、次のような記述があります。



 夢を見ている人間が、その夢のなかで、自分が夢を見ている確率をどのようにして知ることができるのだろうか? 私には、そのような方法はまるでないように思われる。この問題について、私は、次のように信じている。

(1) 私が夢の世界にいることは、論理的に可能である。

(2) 現実には、私は、夢の世界にはいない。

(3) そのように推論する証拠は何ももっていないが、とにかく私はそれを信じている。

(4) この信念について、確率はまったく無関係である。



 このスマリヤンの考え方に敬意を表し、私も自分の見解を織り込み、夢の問題について次のように述べてみます。



(1) 私は、論理的に無限に存在する夢の世界のどこかにいる。

(2) 私は、ある夢の世界から、別の夢の世界へと移動する可能性がある。

(3) 私が、今、存在している夢の世界が現実と呼ばれる。

(4) 私が存在している現実がどの夢の世界であるかについて、確率はまったく無関係である。



 夢(dream)とは、一般的には睡眠中に生じる意識体験のことであり、現在の神経生理学では浅い眠りであるレム(REM)睡眠期に起こると考えられています。ですが、ここで夢の世界を仮想世界という広い意味でとらえると、夢の世界から覚めることに加え、夢の世界へ入っていくという移動形態も考えることができます。夢の世界間の移動には、覚めることと、入り込むというパターンがあることになります。

 ただし、哲学者ヒラリー・パトナムの「水槽の脳(brain in a vat)」といった概念まで含めて考えるなら、究極的にはその区別を付けることすらできなくなるように思われます。この概念を単純化して言うと、自分が体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳に電気刺激を与えることで感じられる仮想の現実ではないのか、という仮説です。



明晰夢

 さて、少し前に、夢の中では、基本的にそれが夢の世界だと意識されないと述べました。しかし、もちろん例外もあります。夢の世界で、それが夢だと自覚できる場合はありえます。その夢は、明晰夢(めいせきむ)と呼ばれています。夢であることを自覚できる夢ですね。明晰夢においては、夢から覚めることも、夢に留まることもある程度コントロールできるそうです。明晰夢の場合は、夢と現実の問題をどのように考えれば良いのでしょうか?

 いくつかの見解が考えられるように思えます。私の見解を述べておくなら、通常の(夢だと意識されない)夢の場合は、その夢が現実になります。一方、明晰夢の場合は、夢だと意識されているその根拠を与えている世界が現実と見なせます。そのとき、その明晰夢は、現実に根付いた夢であり、現実世界に含有されます。

 現実の世界においてSFの世界を空想していても、その空想の世界を含めた現実世界に居ることになります。同様に明晰夢も、夢という世界を含んだ現実世界に居ると考えることができます。やはり、意識が今居ると措定している世界が現実となり、それに付随する世界は、その現実世界に含有されることになるように思えます。



現実を決める異なる要因

 さて、私は現実を決定する要因を、"私"の"今"と述べました。しかし、その要因とは異なる解釈もありえるでしょう。敢えて言うなら、「"私"の"今"」とは異なる「私の現実」がありえるということです。どういうことでしょうか?

 具体的な例で示しましょう。例えば、あなたは医者だとします。



たとえ話

 あなたの職業は医者です。患者の中に、長いあいだ植物状態になっている人物がいます。

 生命維持装置は完璧に作用しており、患者の脳波は安定を保っています。その脳波から、患者は何らかの夢を視ていることが推測されています。また、その夢は快適なものであることも脳波から分かっています。

 あるとき、患者が目を覚まします。数十年におよぶ長い眠りからの目覚めです。患者は混乱し、泣きわめきます。あなたは患者に説明を繰り返し、何とかここが現実であると言い含めます。患者へ、長いこと植状態で眠っていたことを理解させるのです。患者は何とか気持ちの折り合いを付け、この現実で生きていくよう努力しはじめます。しかし、やはり眠っていたハンディキャップは大きく、患者はこの現実で生きていく希望を失います。患者は、医者であるあなたへ言うのです。

「先生。私はこの現実で生きていくことは不可能です。いえ、そもそもこの現実で生きていきたくないのです。私が植物状態だったとき、私は夢を視ていました。その夢の中で、私はそれなりに幸福に暮らしていたのです。私は、その生活に戻りたいのです。あの生命維持装置のことも調べました。装置を特殊な設定にすれば、私はまたあの夢の世界へ戻ることができます。そして、もう二度とこの現実の世界で目覚めることはありません。先生、私を夢の世界へ戻してください。」

 その患者の依頼を受け、あなたはこう返します。

「あなたはいったい何を言っているのですか? そんなことが許されるわけがないでしょう? ここが現実なのです。あなたは、この現実の世界で生きなければなりません。気を確かにもってください。」

「先生、そんなことを言わないでください。私にとっては、先生が言う夢の世界こそが"現実"だったのです。いいえ、今でもそうなのです。ここは、悪夢にしか思えません。私の現実の世界は、ここではないのです。先生、私を私の現実の世界へと戻してください。」

 患者の切実な眼差しを受けながらも、あなたは無慈悲に告げるのです。

「仮にあなたの現実が生命維持装置による眠りの中にあるのだとしても、私の現実はこの世界です。私は医者として、私の現実において患者と接します。それが、医者としての私の義務だからです。」



現実という言葉の使われ方

 人は何をもって特定の世界を現実だと見なすのでしょうか? 

 端的に言うのなら、それを決めるのは"私"の"今"になります。しかし、そこには異なる要因が作用し、我々の言葉遣いを形作っています。異なる要因が交じりあって、我々は現実という世界を形作っているのです。とても不思議な話ではないでしょうか?

 とても不思議で、とても素敵で、そして、とても恐ろしい物語ではないでしょうか?






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