『日本式 経済論』青砥左衛門の章


 経済にはさまざまな形態がありえます。ここでは貨幣経済について考えていきます。貨幣とは、お金のことです。貨幣経済とは、お金を媒介として商品の交換を行っている経済の形態を意味します。

 貨幣経済においては、貨幣の流通という概念が重要です。なぜかと言うと、お金は世の中を流れていきますが、その流れ具合によって、我々の生活は深刻な影響を受けてしまうからです。



第一節 金は天下の回り物

 お金(貨幣)とは何でしょうか? 『岩波 経済学事典』の「貨幣(money)」についての説明を見てみましょう。



 貨幣は、唯一、すべての商品と直接に交換できる力(一般的な直接交換可能性)をもつ。貨幣には次のような機能がある。まず商品の価値を確定する尺度機能、売り手から買い手へ商品の流通を媒介する流通手段、また、全商品と直接に交換可能な貨幣は、価値保存手段ないし貯蔵手段としても機能する。さらに信用取引などにともなう債権債務の決済も、貨幣が支払手段として機能することで行われる。



 尺度機能とは、円やドルなどの計算単位を意味します。債権とは、借金(負債)を返還してもらう権利であり、債務とは、借金(負債)を返還する義務のことです。お金は、債権債務の管理における記録の仕組みとして機能します。ですから、お金を持っているということは、債権の一種を持っていることだと考えられます。また、お金は譲渡可能なものであるため、価値の保存という機能が必要になります。

 まとめると、お金とは債権と債務の関係を記録したものであり、保存と譲渡が可能な信用に基づく計算単位のことなのです。もっと簡潔に言うと、お金というものは貸し借りの信用関係なのです。お金の価値を担保するものは社会的な信用であり、歴史的に重要なものとして金属(金属主義)や国家(表券主義)などを挙げることができます。

 お金を持っていれば、いろいろな商品を買うことができます。「金は天下の回り物」という諺があります。お金は一か所に留まっているものではなく、人から人へと回っていくものだということです。お金が世の中でうまく回っていれば、人々は様々な商品を売買することができているということになります。ですから、豊かな社会では、お金がうまく流通している必要があるのです。

 ここで注意しておくべきことがあります。個人的には散財が非難されがちであり、貯蓄が肯定されがちです。しかし、みんながお金を貯めてしまって使わないと、お金がうまく世の中に回らなくなってしまうのです。結果的に、個々人が貧しくなってしまいます。これは、個々には妥当しても全体を合計すると妥当しないという例で、「合成の誤謬」と呼ばれる現象です。そういった陥穽を避けるためには、局所的な視点と大局的な視点を併せ持つことが要求されるのです。



第二節 世の費と民を恵む心

 『太平記』[巻三十八]に、鎌倉時代後期の武士・青砥左衛門(青砥藤綱)のお金にまつわる話が出て来ます。

 青砥が夜道を歩いていたとき、袋に入れてあった銭十文を取り出し損ねて川へ落としてしまいます。わずか十文ですから、普通なら気にしないようなものですが、青砥はあわてて探しはじめます。しかも、従者へ銭五十文で明かりを買ってこさせ、十文の銭を捜し出したというのです。

 後でこの話を聞いた人が、十文の銭を捜すために五十文を使ったのだから小利大損だと笑うのです。それについて青砥は、次のように答えたというのです。



 青砥左衛門眉をひそめて、「さればこそ御辺達は愚かにて、世の費をも知らず、民を恵む心なき人なれ。十文の銭はその時求めずは、滑川の底にして永く失ふべし。続松を買ひつる五十の銭は商人の家に留まつて失すべからず。我が損は商人の利なり。彼と我と何の差別かある。かれこれ六十の銭一つも失はざるは、あに所得に非ずや」と、爪弾きをして申しければ、難じて笑ひつる傍の人々、舌を打つてぞ感じける。



 ここで青砥は、〈世の費〉という概念を提示しています。それは民を恵む心から出てくる考え方で、お金(銭)の特性を見事に見抜いています。青砥が十文の銭を五十文によって捜さなければ、世の中から十文の銭が失われていたことになります。しかし、五十文によって十文の銭を見つけ出したことによって、世の中の銭は一文も失われることがなかったというのです。なぜなら青砥が払った五十文は、商人の家にとどまって無くなったわけではないからです。

 〈我が損は商人の利なり〉という局所的な立場では、青砥の損が商人の利益になっています。一方、〈彼と我と何の差別かある〉という大局的な立場では、世の中の銭は失われず、さらには銭が世の中に流通したことで多くの人の助けになったということが分かります。青砥の個人的な損失は、全体的な好結果を生んだことになるのです。武士である青砥が、為政者として大局的な視点に立っていたことが分かります。

 しかも、この説明に対し、悪口を言って笑っていた周りの人々が、驚き感じ入ったというのです。この時代の庶民の知的水準にも、敬意を表すべきことが分かります。









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