『日本式 経済論』本多利明の章


 本多利明(1744~1821)は、江戸後期の経世家です。数学・天文学・蘭学などを学び、諸国を歴訪して見聞を広め、貿易振興による富国策を説きました。



第一節 『西域物語』

 まずは、本多利明の『西域物語』を見ていきます。



第一項 窮理学

 利明は、究理学を勧めています。



 学問の本旨とする処は、衆人に背からず、頑愚(がんぐ)をも能(よく)容(い)れ、国家に益ある道を勉め守る外に有まじく、其最初は何より学(まなん)で其道に入んとならば究理学より入らんも近かるべし。究理学と有、何といふとなれば、彼天地の学といへり。



 学問は、大勢の人々を取り込み、おろかで強情と思われるところも取り込んで、国家に利益のあることを勉め守るべきだというのです。その際、究理学から学び始めるのがよいとされています。究理学は事物の道理や法則を追究することであり、『易経』に由来します。究理学は当時の蘭学者の間では、具体的には物理学を意味していました。究理学に、天文や地理を中心とする西欧の自然科学の意味を持たせていたのです。

 その詳細は、〈天地の学は何を以て入らんとなれば、其最初は数理、推歩(すいほ)、測量の法より入んも近かるべし〉とあります。数理は物体の在り方・関係を数量で表わす学(自然科学の根本)と説明されています。推歩は天体の運行を観測する暦学であり、測量は物体や地形の高さ・深さ・長さ・広さ・距離を測り、地図を作成する技術のことです。いずれも天文・地理・渡海の基礎となる学問・技術のことです。数理・推歩・測量の法を理解した後に、天文・地理・航海の指針となる書を学ぶべきだと考えられています。



第二項 実事と虚事

 本多は、〈何事にても実事は難く、虚事は易く、焉(これ)を知ざるは、名を為し功を取事はならぬ也。故(ゆえに)先哲も先(まず)、虚事を以てなづけ、後に実事を布く〉と述べています。抽象的な理論で対象の全体像をつかみ、それから具体的に個別な事例へと進むやり方が示されています。

 例えば、〈日本は海国成(なれ)ば、是に備ふべき天文・地理・渡海の法を以(もって)当時の急務とし、是に仕向すれば、其器に当る者何程も出来、国家の要用に達る也〉と語られています。究理学の法をもって、現在の問題に向かって行くことが語られています。日本は海に囲まれた国であるため、天文学・地理学・航海技術が必要だということです。それらを学べば、国家の役に立つということです。



第三項 治道と撫育

 本多は、〈真実に有難く思ひて万民より治る道を勤て、治ざれ共万歳の基を開く風俗となれば、なんぼう目出度事に非や〉と述べています。万民より治る道とは、下庶民の間から自然に治まっていく道を意味しています。この道は、〈治道と云、農民の困苦を救ふを先とせり〉とあるように、農民を救う道です。治道の基本的政策は、撫育の道です。



 撫育の道。渡海・運送・交易にありて、外に良法なき事明か也。小に取ば我国内、大に取ば外国迄に係る、是国に益を生る密策なり。



 撫育の道では、航海技術・運送技術・交易技術が重視されています。その詳細については、〈飢饉といふも冬より夏の麦作に取付迄か、夏より秋の取付迄の間、一、二、三ヶ月の内なる者なれば、此間に食物になるべき売物の絶ざる様に手当するを以て、餓死人は出来ざる者也〉と説明されています。飢饉などの緊急時の対策をきちんとしておいて、餓死者などが出ないように制度を整えておくことが撫育だというのです。



第四項 自国と他国

 本多は、自国と他国の関係について言及しています。



 自国の力を以、自国の養育をせんとすれば常に足らず、強てせんとすれば国民疲れて、廃業の国民出来して大業を破るに至る。爰(ここ)を以、他国の力を容れずしては、何一ツ成就する事なし。他国の力を容んは、海洋を渉渡(しょうと)せざれば、他国へ至る事難し。海洋を渉渡するには、天文・地理・渉渡の法に暗くては、海洋を渉渡する事ならず。故に西域の風俗人情の事を呉々(くれぐれ)も述たる也。



 国内の不足を補うためには、他国の力が必要だという認識が示されています。そのためには交易が必要であり、特に日本では交易のために海洋渉渡が必要になります。そのためには、針路方位を明らかにする天文・地理学、総じて合理的な西洋自然科学が必要という順序で説明されています。

 交易によって各国間で足りないものを融通し合うということです。〈渡海・運送・交易を以て、豊作の国の米穀を、此凶作の国へ兼て前広に多く入置けば、自然と融通し、何不足ともしらずして豊作の年を迎るなり〉というわけです。豊作の国の米を、凶作の国に融通するのです。日本が凶作なら、廻りの島から食べ物を輸入すべきだということです。



 只其国より産(うまる)る所の物を用て、其国を養んとすれば常に足らず。強てせんとすれば、必国民疲れて成就せず、是に於て他の力を入れずしては、大業の成就する事は決てなし。此境を、開祖たる人能[]悟し、万国の力を抜取て我国へ入れざれば、此大業が決て成就せずと見究め、扨(さて)万国の力を抜取には、交易を用て抜取の外なし。



 自国のことを自国だけでまかなうことは困難であるという原理を理解し、さまざまな国の力を自国へ取り込むべきだというのです。そのためには、交易の他に手段はないというのです。続けて、〈交易は海洋渉渡するにあり。海洋渉渡は天文・地理にあり、天文・地理は算数にあり。此則国家を興すの大端也〉とあります。国家を興す発端は、交易の海洋渉渡であり、それには天文・地理が必要であり、その基礎は算数にあるというのです。

 ただし、ここでの本多の考えには「近隣窮乏化政策(beggar-my-neighbour policy)」になりかねない側面もあるため注意が必要です。



第五項 貨幣の通用

 本多も金銀による貨幣について論じています。



 通用金銀は、国産融通の為製作せしものなれば、多からず少からず、中分なる所に際限を立、諸物の価余りに高直ならば、通用金銀の多きを知て引揚、又余りに下直ならば、通用金銀の少きを知て放ち与へ、諸色の価を天下平均させしむ。

 通用金銀の多少差引は、国家第一の政務にして、常に密々差引せざれば、庶民の産業に勝劣出来、恨悔(こんかい)憤怒の遺念を蘊積(うんせき)し、終(つい)に刑罰の罪人多く成て、国民を失ふ事も多分に至るもの也。因て通用金銀の差引程大切成差引はなし。



 貨幣は国の生産物の流通をなかだちする役目を果すために作られたものであり、それ自身に価値があるものではなく、貨物との関係や貨物に対する役目の故に価値があるというのです。ここには、貨幣の数量の多少が物価の高下に影響することから、物価調節の為には通貨を伸縮させねばならないという、本田の貨幣説や物価政策論があらわれています。そのため、通貨の量の多い少ないに応じて、その量を伸縮させ、物価を調節することが政府の大事な役割として説かれているのです。



第二節 『経世秘策』

 次に、本多利明の『経世秘策』を見ていきます。



第一項 日本国家

 本多は、〈日本に生を稟たる者、誰か国家の為を思ひ計らざらん〉と述べています。ここでの国家は、藩ではなく日本全体を指しています。当時の時代状況について、〈万民は農民より養育して、士農工商・遊民と次第階級立て釣合程よく、世の中静謐にありしを〉と語られています。農民から始め、各階級の釣り合いによって世の中に落ち着きをもたらそうとしていることが分かります。



第二項 通用金銀

 貨幣については、〈通用金銀に際限有て放ちあたへ、四民も階級を締(しめ)保(たも)ち、爵禄といへども貧富に係れば、通用金銀の際限を建ることは肝要なり〉とあります。流通させる金銀貨幣に一定の枠を定め、士農工商の四階級をしっかり保つことを説いています。身分と俸禄も貧富に関わるため、通用する金銀貨幣に一定の枠を定めることが重要だというのです。



 通用金銀の多少差引は治道第一の政務なり。通用金銀を以時勢を制作し、四民の稼稷(かしょく)に懈怠せぬ様仕向するを治平の国君の天職とせり。



 通貨量を、多い少ないに応じて伸縮させ物価を調節することは、世を治めるための政治第一の役割だというのです。通貨量の調節により、世の状態を良好に導き治めることを説いています。その上で、士農工商の生計において、なまけないように民を方向づけることが、国民的君主の天職だと考えられています。



第三項 四大急務

 国を治めて平和にするため、〈四大急務〉が示されています。



 四大急務と云は何を以名付たるとなれば、第一焔硝(えんしょう)、第二諸金、第三船舶、第四属国の開業をいへり。此四箇条は当時の大急務なる故に四大急務と云。



 焔硝とは、火薬の原料の硝石のことです。諸金とは、金・銀・銅・鉛の諸山のことです。船舶は、人や荷物を載せて水上を走る交通機関のことです。属国の開業とは、植民地の開発のことです。具体的には、火薬を効果的に用い、鉱物の海外流出を防ぎ、官営貿易により交通網を管理し、植民地の開発が説かれています。ただし、植民地の開発については、〈此段憚る事の多ければ、爰(ここ)に省きぬ〉と書かれています。当時の状況では、幕府に憚るべき問題が多かったためです。



第四項 国民

 国民については、〈天民一人廃亡するは皆国君の科(とが)なり〉と語られています。天民とは、君主が天からさずかった掛け替えのない民のことであり、一人の損失も国君の責任だというのです。その上で、〈人民の増殖する勢ひを、折(くじか)ぬやうに治るを全政とせり〉と説かれ、人口を増やすことも政治の役割だと考えられています。

 〈外の産物と事替て、二十ヶ年の星霜を積て国用に達する物なれば、一人の国民も大切也〉ともあります。国民は、単なる物とは異なり、二十年の年月を経て役に立つようになるため、一人の国民といえども大切にすべきことが説かれています。

 本多は、〈世に独立といふことのならぬ事あり〉と考えています。ここでいう独立は、自分ひとりで孤立することを意味しています。人間社会における国家を離れては、とうてい経済的生活を営んでいけないという理を説いているのです。そのため、〈世に独立といふことは決てならざるなり。是を名て国恩といへり〉と語られています。



第五項 異国交易

 日本については、次のように語られています。



 日本は海国なれば、渡海・運送・交易は、固(もと)より国君の天職最第一の国務なれば、万国へ船舶を遣りて、国用の要用たる産物、及び金銀銅を抜き取て日本へ入れ、国力を厚くすべきは海国具足の仕方なり。



 日本は海洋国家だという条件は、必然的につきまとっている課題であるというのです。海洋国家における方策について、ここでも渡海・運送・交易の重要性が述べられています。その上で、〈算数を以台となし、天文、地理、渡海の道に透脱し、何一(なにひとり)闕目(かけめ)なき様にせざれば、物毎に差支ることのみ多くして、何事も末遂て相続することなりがたし〉と考えられています。ここでの算数は、国務における基礎としての数理の法のことです。広くは自然科学的、合理的認識を指しています。

 国家間の交易に対しては、〈日本人同士の交易と殊違ひ、損金あれば真の損金となる〉ことが指摘されています。〈異国交易は相互に国力を抜取んとする交易なれば、戦争も同様なりき〉というわけです。国家間における交易は、弱肉強食の色合いを帯びてくるという認識が見受けられます。



第六項 慈仁

 本多は慈仁について述べています。



 其根本は則国君の慈仁にあるなり。又其慈仁の根本を勉め給はんに、明察を先んじ給はず、問ふことを好み、誹謗の言迄を挙げ容れ、短なる所あれども是を扶け、長ずる所もあらば、扶るに小善をも大善の様に取なし、悉皆(しっかい)の意に協(かな)ふ様にし給へば、衆も又群て佐(たす)け奉れば、何事も意の如く成就せん。



 国君の慈仁とは、統一国家の君主や藩主が、民をいつくしみ愛する態度のことです。利明は、国家や政治の理想を実現する主体を国君の徳器に期待しているのです。〈明察〉とは、国君の方から明智を以て推察することです。〈問ふこと〉とは、民の方から問題を提起してもらうことを意味しています。非難までも考慮し、短所を退け長所を発揮し、小さな成果も大きく取り上げ、すべての意見を取り入れて民衆を助ければ、何事も適うというのです。







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