『日本式 経済論』福沢諭吉の章

 福沢諭吉(1835~1901)は、啓蒙思想家で教育家です。蘭学を学び、江戸に蘭学塾を、後の慶応義塾を開設しました。その後、独学で英学を勉強し、幕府遣外使節に随行して欧米を視察しました。維新後、教育と啓蒙活動に専念し、明六社を設立しました。

 幅広い分野を高度な水準で論じている福沢ですが、もちろん経済についての言及も残されています。




第一節 物産と人力

 有名な『文明論之概略』では、経済について次のように語られています。



 経済の道に於て、一国の貧富は、天然に生ずる物産の多寡に関係すること思(おもい)の外(ほか)に少なくして、その実は専ら人力を用るの多少と巧拙とに由るものなり。



 この発言から、日本には天然資源が少ないという認識の上で、技術加工による経済成長を目指していることがうかがえます。



第二節 通用貨幣

 福沢諭吉の『通貨論』には、〈元来商売取引の上に就て通用貨幣の功能を論ずれば、単に之を品物の預り手形と云て可なり〉とあります。また、〈余輩の主義とする所は一国の政府を信ずべきものとして論を立て、以て紙幣発行の便利に左袒(さたん)するものなり〉と語られています。左袒するとは、味方するという意味です。これらの記述から、福沢が通用貨幣を、一国の政府の信用という観点から捉えていたことが分かります。



第三節 居家と処世

 福沢諭吉の経済論としては、『民間経済録』(以下、『初編』)と『民間経済録 二編』(以下『二編』)が特に有名です。『二編』の序では次のように記されています。



 経済に二様あり。先ず一家の産業を修めて労して衣食し、衣食して又労し、以て家の独立を保護す。之を居家の経済と云う。一家の産業既に立ち、衣食に余あり智徳に余あれば、則ち戸外の事に心を関して社会の利害を謀り、公共の財を集めて又これを費すの工夫を運(めぐ)らし、以て国の独立を負担す。之を処世の経済と云う。



 『初編』では「居家の経済」について、『二編』では「処世の経済」について論じられており、それぞれは、おおよそミクロ経済学とマクロ経済学の考え方に相当しています。




第四節 智恵と倹約と正直

 『初編』の「居家の経済」には、〈経済に大切なるものは智恵と倹約と正直とこの三箇条〉とあります。正直にはいろいろありますが、特に〈経済の上に最も緊要(かんじん)なるは約束を違えぬ事〉だと考えられています。

 『二編』では、〈倹約の一方に偏する者を見るにその弊も亦少なからず〉と指摘があります。単に節約するのではなく、必要なときには使うことが大事だと考えられているのです。例えば、〈己れに所有する財物を愛(おし)みて、悪病の為に家族を殺すは経済の旨に非ず、倹約の道に非ざるなり〉ということです。




第五節 財物の集と散

 『二編』の「処世の経済」では、経済が財の流れとして示されています。



 経済の要は唯財物を集めて之を散ずるに在るのみ。散じて又これを集め、集めて又これを散ず。集るは散ずるの方便(てだて)にして、散ずるは集るの方便なり。



 永代用いざる金塊を庫に満るも富と云うべからず。財物を活用して始めて経済の富と云うべきなり。



 使わず置いてある金銀財宝は経済の富ではないというのです。財や物を集めたり散らしたりして活用することこそが、経済の富だという視点がここにはあります。その流れを長期的に考えると、〈初に費したるものよりも後に生ずるもの多ければ之を人間の利益と云い、之に反するものを損亡と云う〉ことになるわけです。長期的な観点から、投資の重要性が認識されていることが分かります。




第六節 保険

 経済の基本をおさえていたとしても、〈時としては意外の災厄に遭うこと〉があります。それに備え、保険の重要性が指摘されています。



 人生不時の災難に備え老後の覚悟を為すと否とは人々の性質にも由ることなれども、その用心覚悟を為すに容易き方便あれば、人情自から之に従う者多かるべし。その方便とは即ち西洋諸国に行わるゝ保険の法にして、経済に最も大切なる箇条なり。



 個々人の性質によって、いざというときの備えに差が出るものです。そのため、誰でも簡単に利用できる保険制度があるべきだという見解が示されています。




第七節 政府の公

 「処世の経済」では政府の役割が重要になります。〈国事の大なるものは之を人民個々の私に委るよりも、政府の公に握る方、経済の為に便利なるもの少なからず〉というわけです。個々人や企業による民間の経済活動とは別に、政府の役割があるということです。具体的に英国(イギリス)の例から、〈鉄道、瓦斯(ガス)等その他の大事業をば政府の公に帰し、公共の事は公共の一手に執りて競争の徒費徒労を省くべし〉との見解が紹介されています。

 このとき注意すべき点として、〈政府たるものは富国の為なれば何事を為すも妨げなきものと思い、人民と共に尋常一様の事業を行い、甚しきは人民と並立て商工の成敗を競うが如きは、弊害の極度と云うべし〉と語られています。つまり、政府が民間と競争するような事態はまずいということです。民間の利益になりにくい公共事業の分野を、政府が行うべきだということです。




第八節 散財の有用性

 倹約の重要性を説いていた福沢ですが、次第に散財の重要性も説くようになります。その背景には、松方財政(紙幣整理によるデフレ政策)による不況がありました。ただし、不況前の『二編』時点でも、単なる倹約ではなく財を使うことの有用性は説かれていました。



 唯衣食住の満足のみを以て人間散材の限とすべからず。人の身は肉体と精神と二様を以て組立たるものなれば、衣食住の物を以て肉体を養うも兼て又精神を養うの方便なかるべからず。即ち情を慰る事なり。花鳥風月の遊、詩歌管弦の楽、無益なるに似て無益に非ず。



 単に生きていくための衣食住だけではなく、人間の精神面から、特に情という側面から、貨幣を使うことの有用性が指摘されているのです。不況による民衆の窮乏に直面し、福沢は散財によって景気を良くすべきことを提案するようになっていくのです。

 ここには、雇用を重視する福沢の考えがあります。『時事新報』の[外債論]という社説には、〈国中に不具病人の外は一人にても手を空うする者少なからんことを欲する〉とあります。〈借金を負へば、働く可きの仕事にありつき、又之を拂ふの時節もあり〉とも語られ、借金をしてでも仕事をすることの有用性が示されています。[人民の豪奢は寧ろ之を勧む可し]という社説において、不況に直面した福沢が次のように述べています。



 我輩が口を放て民間の散財を促がし、其生活の度を高くして其快楽を逞ふせんことを勧るは、唯その快楽の状を見て悦ぶのみに非ず、快楽は即ち勉強の刺衝、即ち殖産富國の基なりとして、ますます其盛なるを祈るものなり。



 ここでは、散財による快楽が肯定されています。なぜなら、快楽の追求が勉強の刺激となり、国を豊かにすることにつながると考えられているからです。




第九節 不況時の景気対策

 不況時おける対策として、政府による公共事業や富裕層による消費や散財が効果的だと福沢は見抜いていました。『時事新報』の[勤倹説を説く勿れ]という社説において、松方財政による不況への方策が見事に説かれています。



 更らに一歩を進めて社会の仕事を多くするこそ細民の難渋を救ふの最良手段なる可し。例へば各府県にては道路橋梁河川修築等、公共の事業に着手し、若しくは政府の直轄なる鉄道工事を盛に起すが如き、事の行はれ易くして最も望む所なり。又富豪大家の人々に於ても勉めて一身一家の生活法を改めずして、例へば家倉を新築しまたは開墾等の事に着手して周囲の細民に仕事を授くる其功徳は、直接に金米を施すに異ならず。



 ここでは、政府と民間の両面から需要を創出し、仕事を増やし景気を良くするための方法が示されているのです。








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