『日本式 経済論』海保青陵の章
海保青陵(1755~1817)は、江戸後期の儒学者であり経済学者です。著作である『稽古談』を見ていきます。
第一節 稽古と経済
『稽古談』の「稽古」について、海保は、〈稽古トハ、古ヘト今トクラベ合セテ見テ、古ヘノヌキンデヽヨロシキコトヲ、カンガヘテ用ユルコト也〉と述べています。今と昔を比べて、昔の秀でたところを今に活かすことが稽古だというのです。過去の政治を考えて、今の国家に考え合わせるべきことが説かれているのです。
経済については、〈経済ノコトナゾハ、コトヲヽキコト〉とされ、〈ヌケ目ノナキデナケレバ、マコトノ経済デナキ也〉と語られています。〈上ヨリ言フテ出ルコトハ、至極ニ知レヨキ理ニテ、上ノスルコトハ、トント下ヘ知レヌガ経済ノ上手也〉ともあります。経済には多くのことが要求され、抜け目無さが必要だと考えられているのです。
第二節 君臣と市道
市場については、〈古へヨリ君臣ハ市道ナリト云也〉とあります。君臣の関係が、市場における関係の比喩として考えられています。
古へヨリ君臣ハ市道ナリト云也。臣ヘ知行ヲヤリテ働カス、臣ハチカラヲ君ヘウリテ米ヲトル。君ハ臣ヲカイ、臣ハ君ヘウリテ、ウリカイ也。ウリカイガヨキ也。ウリカイガアシキコトニテハナシ。
君臣の関係も、市井の商売のように、利があれば合い、利がなければ去ることが語られています。市場における売り買いの関係については、君臣における給与と労働の関係において捉えられています。そこには相互の利益が関わっているのです。
第三節 利息
海保は、〈ウリカイ利息ハ理ヅメ也〉と述べています。〈上デ取リスギレバ下デクルシムコトデ、取リスギネバ上デ苦シム〉ということで、〈マンナカヲユクガ天理也〉と考えられています。借りる方も貸す方も、両者ともに苦しむことのない適正な利息の値が想定されることになるのです。
利息ナキ貨ヲカスベカラズ、民ズルケル也。利息アル貨ヲカシテ出精サスベキハヅノコト也。
民のことが案じられているのですが、安易に民の味方をしているわけではありません。民はずるいものなので、財貨を貸すときには利息をつけて頑張るように仕向けるべきだというのです。つまり、〈利息ハ取ベキ筈ノモノ也〉と考えられているのです。
第四節 売買と興利
売買についても、〈物ヲ売テ物ヲ買ハ、世界ノ理也〉とあり、理論的に考察されています。〈人ノ物ヲタヾトルハ世界ノ理ニ非ズ〉というわけです。売買は世界にとって必要なことであり、強奪することと区別されているのです。
古ヨリ興利ノ民ヲニクムコト、是又キカイノ論也。民ノトリカヲユルメヨフト思ヘバ、興利ヨリ外ナシ。
昔から、民が利益になる事をくわだておこすことを憎む風潮があるが、それは奇怪なことだというのです。なぜなら、民の取箇(トリカ)、すなわち江戸時代に田畑に課した年貢をゆるめようとすれば、利益があることが前提になるからです。海保は、はっきりと〈興利ハ町家デイフ金儲ヶ也〉と述べています。金儲けを肯定的に捉えているのです。
第五節 算用と学問
海保は、〈算用ゴトモ治国ノ一ヶ条也〉と述べています。ただし、上から無理強いするのではなく、〈自然ニ心ヅクヨフニスルコト〉が勧められています。皆が自然と興味を持つように仕向けるのが良いとされています。
学問ト云ハ古ヘノコトニクワシキバカリノコトニテハナキ也。今日唯今ノコトニクワシキガヨキ学問トイフモノ也。
また、学問は昔のことに詳しいだけでは役に立たず、今のことに詳しいからこそ良いものだと言えるというのです。
第六節 米切手という通用の財貨
海保は、〈米切手トイフモノヲ作リテ、是レヲ以テ金ヲカルユヘニ、真ノ金ノ外ニ米切手トイフ財貨アリ〉と提案しています。江戸時代に大坂などの蔵屋敷では、蔵米を入札で売却して落札者に米切手を渡し、その切手と引替に正米を渡すという方法がありました。青陵は、これを藩札などと同じ財貨の一種として活用すること説いています。
是真ノ金・米切手・フリ手形・空米先納コレホドハ皆通用ノ財貨也。通用ノ財貨多キユヘニ、金フヘルハヅ也。財貨ハ財貨ヲウムモノナレバ、大坂ノ財貨ウムモノ沢山アレバ、ズツズツトフエル道理也。
米切手などは、通貨の代わりになるというのです。流通する通貨が増えることによって、新たな財貨を生み出す仕組みについて言及されているのです。
産物廻シノコトナゾハ大ヒナルモノナレバ、マワセバ利ノ大ヒニ得ラルヽコトナレドモ、金手マワラネバ産物ヲ買上ルコトナラズ。買上ルコトナラネバ、民ヘ利ヲトラスルコトナラズ。民利ヲトラネバ面白カラズ、民面白カラネバ、物沢山ニ出ヌ也。物ノ沢山ニ出ヌハ、是出ベキモノノ出ヌ也。
産業製品を世の中に廻すことで利益が循環するのですが、通貨が出回らなければ売買が活発に行われないので、民の利益になることはないというのです。それでは面白くなく、製品もなかなか世に出ることがなくなります。それを防ぐために、流通する通貨を増やすことを提案しているのです。
第七節 鼓舞
景気刺激策が、〈鼓舞〉として示されています。
民ト云モノハ己レガ腹サヘフクルレバ、ソレカラハ働ラカヌ心ニナル也。民ヲ働ラカサント思フニハ、甚(はなはだ)術ノアルコト也。民ヲ鼓舞スルヨリ外シカタナシ。鼓舞スルハウカス也。ウカレテ働ケバ働ク也。働ケト云テ働カズ、其上ヲ怨ル也。民ノ方カラ働ントスヽミテ働クガ、民ヲ働カス法也。
民は怠け者だと見なされているため、働かせるためには鼓舞する必要があるというのです。〈ウカス〉とは、ひき立てて陽気にすることです。働けと口で言っても、反感を募らせるだけで逆効果であるため、ひき立てて陽気にすることで、民が自発的に働くような政策をすべきだというのです。〈ウマミヲミレバウカレルニ違ヒナキ也〉というわけです。ひき立てて陽気にするには、働くことでうま味が生まれるようにすればよいということです。そうすれば、国は富むようになるというのです。
第八節 国富と覇道と王道
国富について言及があります。
凡ソ国ノ富ハ、土ノ出ノ多キガ其国ノ富也。其国ノ富ハ天下ノ富也。隣国ノ貨財ヲ其国エヒキヨセ、他国ノ貨財ヲ自国ヘスヒトルナドヽ云コトヽチガヒテ、一体地ヨリ出ベキモノヲ、地ヨリ出スコトナレバ、天ノ意ニモ叶フテオルベシ。他国ノ貨財ヲ自国ヘスヒコムモ、覇道ニテ智ノ株シキ也。自国ノ土ヨリ物ノ生ズルコト多クナルハ、王道ニテ仁ノ株シキ也。
土地よりの産物が国の富だというのです。自国の財貨については、自国からもたらすか、他国からひきよせるかという二つの方法が示されています。〈覇道〉は、武力・権謀を用いて国を治めることです。〈智ノ株シキ〉とは、智能をはたらかせて得た富のことです。株式は収益の源泉である物権の意味ですが、ここでは身上のよさを「株がよい」という程の意味で用いています。〈王道〉とは、仁徳を本とする政道のことです。〈仁ノ株シキ〉とは、仁愛をもって得た富を指しています。
第九節 貨利の循環
貨幣の循環についても語られています。
田地・山海・市陌ヲ民ニカシツケテ、一割ノ利息ヲ滞ナフ取レバ、金銀ハグルリグルリトマワリテ、タリヒヅミナフ、メグリテオルヨフニシカケタルモノト見ヘテ、水ニハ潤下ノ理ヲ云ヒ、火ニハ炎上ノ理ヲ云フコトハ、全ク循環端ナキヨフニ、貨利メグルト云フコトヲ教ヘタルモノ也。
田んぼや山や海、町の土地や道を市民に貸して一割の利息を取るなら、貨幣は巡り廻って、確実に貨幣を循環させる政策となるというのです。これは水がしたたり、火が炎上するように、貨幣が巡ることの教えだというのです。資本の貸し付けにより、貨幣の循環が生じて景気が良くなることが示されているのです。
このとき、利息が重要な役割を果たします。そのため、〈無利足ニテ其土地ニ居ルモノアリテハ、是マキアゲベキ金銀ガアガラズ、ユヘニ循環ノ如クニ、グルリグルリトハユカヌ也〉と語られています。貨幣循環による景気向上のため、利息を伴う資本の貸し付けが提案されています。利息なしでは、貨幣の循環がうまく廻らないというのです。
第十節 自国と他国
国家については、〈一国一ト味方ニナリテ、他国ノ金ヲ吸ヒ取ルトイフ法、甚宜シカルベシト思フ也〉とあります。さらに、〈一国一ト味方ニナリテ、他国ノ金ヲ吸ヒ取ルトハ、産物マワシガ其機密也〉ともあります。他国のお金を自国へ吸い取るには、その土地の生産物を他へ売りに出すことが秘訣だというのです。
政策としては、〈上ニテ産物マワシノセワヲヤケバ、是民ト一ト味方ニナリテ、他国ノ金ヲ吸ヒ取ル也〉と提案されています。さらに、〈自国ノ物ヲ他ヘウリ、他ノ物ヲ自国ヘカイ入ルヽノミニアラズ、他ノ物ヲ他ヘウリテモヨキコト也〉ともあります。多国間貿易が提唱されていることが分かります。
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