『日本式 経済論』本居宣長の章


 本居宣長(1730~1801)は、江戸中期の国学者です。

 本居は、弟子を通じて紀州藩主から政治的助言を求められた際に、『玉くしげ』と『秘本玉くしげ』を執筆しています。『玉くしげ』には国学の理念が、『秘本玉くしげ』には実際的な政治や経済の具体策が書かれています。ここでは『秘本玉くしげ』を見ていきます。



第一節 道理

 本居は、〈惣體世の中の事はいかほとかしこくても、人の智恵工夫には及ひかたき所のあるものなれは、たやすく新法を行ふへきにあらす〉と述べています。世界全体に対しては、どれほど賢くても対応できないため、安易に新しいことに手を出すことを戒めているのです。時世に沿って、先人の規範を守れば、少しの弊害はあっても大きな失敗はないというのです。馴れている事柄は、少し悪いことがあっても世間の人は安心するという考えからです。

 そこで、本居の考える道理が示されることになります。



 根本の道理によりておこなふときは、まはり遠き如く、却て思ひの外に速に其験ありて、よく行はるる事も有。或は當分はそのしるしみえされとも、つひにその験あらはれて、永久に行はれ、或は目に見えてはしるしなきやうにても、目に見えぬ所に、大なる益ある事なともあるなり。



 道理に適っていれば、急がば回れになるというのです。すぐに効果が表れなくても、最後には効果が表れて続いたり、あるいは、効果が目に見えなくても、見えないところに効果が表れたりしているというのです。



第二節 百姓の困窮

 百姓の困窮については、年貢の多さと贅沢が挙げられています。 本居は、百姓をいたわって、年貢を増やさないようにするのが上の役目だと述べています。〈下の非はなくして、皆上の非なるより起れり〉というのです。



第三節 民と国と天下

 個人と国家と世界では、経済について考え方が異なってきます。



 平民の身一分のうへにては、いかにも何わさをしてなりとも、金銀を得る事の多きか利なれとも、上に立て民を治むる人の身にとりては、領内おしならして利益あることならては、損ある也。



 天下と一國一國との差別あり。たとへは何にもせよ、世上に無益の奢のために用る物を多くつくり出す國あらんに、これは天下のうへよりいへは損なれとも、其國にとりては損にあらす。



 平民にとっては金銀を得ることが利益ですが、為政者の立場から見れば領内全体に利益がなれば損だというのです。個人における経済と国家における経済には、差異があるということです。

 また、国家経済と世界経済にも差異があることが示されています。贅沢品を生み出す国があれば、世界から見れば損になっても、その国では損ではないという理屈です。〈天下と一國一國との上にて、その趣のかはる事、外にも多し〉というわけです。世界と一国では、その意味合いが変わる事は他にも多くあるというのです。



第四節 商人の自由

 本居は、商人の自由について論じています。



 交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほと、國のためにも、民間のためにも、自由はよきもの也。然れとも、惣して自由のよきは、よきほと損あり。何事も自由よけれは、それたけ物入多く、不自由なれは物入はすくなし。



 交易には商人が必要であり、商人がたくさん居れば自由は広がるというのです。ただし、自由すぎることによって、不自由になることもあるというのです。便利だと出費が多く、不便だと出費が少ないということも想定されています。



第五節 貧富の動き

 富については、次のように語られています。



 富る者はいよいよますます富を重ねて、大かた世上の金銀財寳は、うこきゆるきに富商の手にあつまること也。富める者、商の筋の諸事工面よき事は申すに及はす、金銀ゆたかなるによりて、何事につけても、手行よろしくて、利を得る事のみなるゆゑに、いやとも金銀は次第にふゆる事なるを、貧しき者は、何事もみなそのうらなれは、いよいよ貧しくなる道理也。



 ここでは、富が富を生むことが語られています。世間の金銀財貨は、流通して富裕層へと集まるというのです。富裕層は、商売において有利な立場にあるのに対し、貧乏人はそうではないのでさらに貧しくなるというのです。

 ここには、〈富商は随分金銀をへらさぬ分別を第一として、慥なるかたにつく故に、まつは減する事はすくなくて、とにかくにふゆる方おほき也〉という洞察があります。富裕層は、金銀を減らさないように確実な方を選ぶため、財産が減ることは少なく増える方が多いというのです。ただし、〈少し不廻なる方に趣くときは、又万事みな右のうらへまはる故に、鉅万の金銀も消やすき事も、又春の雪の如し〉という可能性が示されています。良くない方に傾くとお金の勢いが逆へ働くため、巨万の富も雪のように消えやすくなることもあるというのです。

 これらの見解には、資本収益率は経済の成長率を上回りがちだという問題への洞察があるように思えます。



第六節 財産の配分

 財産については、〈世上の金銀財寳は、とかく平等には行わたりかたきものにて、片ゆきのするは、古今のつねにて、ほとよく融通するやうにはなりかたき事也〉とあります。世間の財産は平等ではなく、遍在しているのは古今の常であり、ほどよく流通するようにはならないというのです。

 そこで、次のような策が提示されることになります。



 上に立て治め玉ふ人の御はからひを以て、いかにもして、甚富る者の手にあつまるところの金銀を、よきほとに散して、専ら貧民を救ひ玉ふやうにあらまほしきもの也。但しその散しやうは、その者の歸服して、心から出すやうにあらては、おもしろからす。いかほと多く蓄へ持たれはとても、これみな、上より玉はりたるにもあらす、人の物を盗めるにもあらす、法度に背きたる事をして、得たるにもあらす、皆これ、面面の先祖、又は己か働きにて得たる金銀なれは、一銭といへとも、しひてこれを取へき道理はなし。



 ここでは、為政者が富裕層の財産を分配し、貧困層を救うべきことが説かれています。ただし、財産を分配するといっても、富裕層の納得のいく方法でなければならないとされています。蓄えが多いといっても、違法な手段で獲得したものではなく、先祖や自身の努力で得たものですから、一銭も無理に取り上げてはならないというのです。無理に財産を没収してはならず、徴収した財産は貧民の救済に用いるべきだと考えられています。〈ひたすら貧民を救はまほしきこと也〉という想いがそこにはあるのです。

 本居は、〈富人の金銀を散して、貧民を賑はすへき仕方はあるへき事也〉と考えているのです。



第七節 倹約

 本居も倹約について論じています。



 倹約を心かくれは、おのつから悋嗇きかたに流れやすきものにて、必すすへき事をも、止てせす、人にとらすへきものをも惜みてとらさす、甚しき者は、人のものをさへ、奪はまほしく思ふやうの心にもなりやすし。然に此所をよく心得て倹素にして、しかも悋嗇に流れぬやうには、ありにくきもの物也。殊に上にたつ人なと、此のわきまへなくして、悋嗇なるときは、下の潤ひかわきて、甚よろしからす。されは倹約も實には宜しき事のあらす。とかく上中下、各身分相應にくらすかよき也。



 倹約を心掛けるとケチになりがちで、必要なものも止めてしまうから心もすさむというのです。そのため、質素倹約で、かつケチにならないのは難しいと考えられています。上に立つ者がケチであるときは、下の者が潤わないのでよくないというのです。倹約にも宜しくないことがあり、人間は上中下の各身分に応じて暮らすのがよいというのです。倹約によって、お金の流れが滞ることが警戒されているのです。



第八節 モノづくりと金融

 モノづくりと金融について、興味深い意見が示されています。



 商人なから、物の交易をもせす、たた金銀のうへのみを以て世を渡る者も、おひたたしく、富人は別してこれによりて、ますます富を重ぬること甚し。惣して、金銀のやり引しけく多き故に、世上の人の心、みなこれにうつりて、士農工商、ことことく己か本業をはおこたりて、たた近道に手早く、金銀を得る事にのみ、目をかくるならひとなれり。世に、少しにても金銀の取引にて利を得る事あれは、それたけ、作業をおこたる故、世上の損也。いはんや業をはなさすして、たた金銀の上のみにて世を渡る者は、みな遊民にて、遊民の多きは、國の大損なれは、おのつから世上困窮の基となれり。



 商人がモノづくりによる経済ではなく、金融などで利益を上げることについて語られています。金融で金持ちがますます稼げるとなると、世間の人は楽に稼げると思って本業をおろそかにするというのです。金融面ばかりに目が行き、本業をおろそかになる世の中は損だというのです。モノづくりをせずに、金融にかたよれば自然と世の中は困窮していくと考えられています。



第九節 国政の対策

 国政において気を付けるべきことが語られています。



 天下のため、國のために害なる事、世に多し。其中に、實は大に害あれとも、害と見えさる事もあり。又ここには益あれとも、かしこに害あることあり。又當分は益あるやうなれとも、後日に大害となることあり。これら皆、人の惑ふこと也。國政をとらん人、つねに心を付らるへし。



 害があるか無いかは見えないこともあり、利益に害が付随することもあるというのです。短期的には害がなくても、長期的な害になることもあり、これらは人が惑わされるところなので為政者は注意すべきだと指摘されています。

 本居は、〈新規に始めんとする事は、よくよく考へて、人人の料簡をもきき、他國の例なとをも聞合せ、諸人の歸服するかせぬかをよく勘へて、行ふへし〉と述べています。新しいことは、考慮し、他人の意見を尊重し、他国の事例を参照して、皆が納得するかしないかを考えて行うべきだというのです。



第十節 意見

 本居は、〈大小の事、何によらすよき料簡あらは、たとひ輕き人なりとも、少しも憚ることなく、申出るやうに、有たきもの也〉と述べています。良い考えがあれば、身分に依らず申し出るような環境が良いとされています。

 さらに、〈とかく御政務につきては、御前へ出たる人、あまりに憚り恐れす何事もうちくつろきては料簡を申上るやうにし、輕き役人をも近く召れて、心やすく何事をも申上るやうに、あらまほしきもの也〉と考えられています。政治の意見については、はばかることなく、身分の低い人でも気安く言えるようにすべきことが説かれています。



第十一節 賄賂

 賄賂については、〈すへて世中に此筋盛んなるゆゑに、おのつから國政正しくは行はれかたく、又上に損失ある事おひたたしく、下にも損害甚多し〉とあります。賄賂が盛んだと、国政が正しく行われず、上も下も損害が激しいというのです。〈國政の大害、下民の大害、此賄に過たるはなし〉というわけです。

 さらに、〈そもそも賄はつかふ者にはとかなくして、罪は取者にある事なれ共、取者をのみ制しては、止かたけれは、つかふ者をいましむるも、一つの權道なるへきにや〉と説明があります。賄賂を止める方法として、贈る者も受け取る者も罪に問うことが挙げられています。



第十二節 時代

 本居は、〈諸事をいかやうにつめてなりとも、物入の少なきやうにして、是非とも御収納にて何事も事足るやうに相はたらかんそ、肝要なるへき〉と述べています。いろいろと工夫して、収入に見合った生活が肝心だというのです。

 そのためには、時代というものの認識が関わってきます。



 時代のうつるにつきては、世中のもやう、人の氣質なともうつりかはるものなれは、昔の法のままにては今は宜しからさる事もあるへけれは、其時代時代の世中のもやう、人の氣分なとをよく辨へて、昔の法をもこれに引當て考ふへき也。



 時代が移ると、世の中の様子や人の気質も変わります。そのため、昔のままでは今に合わないこともあるため、その時代に合わせて昔のやり方を当てはめて考えるべきことが説かれています。







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