『日本式 経済論』荻生徂徠の章


 荻生徂徠(1666~1728)は、江戸中期の儒学者です。著作である『政談』では、さまざまな論点が散発的に述べられているので、個々の記述を要約して紹介していきます。



第一節 治めの根本

 荻生は、〈太平久しく続く時、漸々上下困窮し、それよりして紀綱乱れてついには乱を生ず〉と考えています。平和が長く続くと、そのままでは上も下も困窮し乱れてしまうというのです。そのため、〈国天下を治むるには、まず富豊かなるようにする事、これ治めの根本也〉という認識が示されることになります。彼は世の困窮を病気に例えています。



 国の困究するは病人の元気尽るが如し。元気尽れば病生じて死する事必然の理也。元気盛んなれば、いかようの大病をうけても療治はなるものなる故に、上医は必ず病人の元気に心を付け、よく国を治むる人は古より国の困究せぬようにと心を用ゆる事也。ここの境を会得して、国の豊かに富むようにする事、治めの根本也。



 病気を治療するように、困窮した状態を豊かに富むようにすることが、治めの根本だということです。



第二節 戸籍と路引

 世を治めるための具体策については、例えば次のような提案があります。



 治めの根本にかえりて法を立て直すというは、三代の古も、異国の代々も、また我が国の古も、治めの根本は、とかく人を地に付くるようにする事、これ治めの根本也。人を地に付くる仕形というは、戸籍・路引の二つ也。これにて世界に紛れもの無し。



 三代とは、古代中国の夏・殷・周の三王朝のことです。治めの根本は、人が土地に根付くことだというのです。そのためには、戸籍と路引が提案されています。この二つの活用により、為政者の把握から逃れて、社会の混乱にまぎれて生活するものがいなくなるということです。

 一つ目の戸籍については、〈戸籍というはまずは人別帳の事也〉とあり、〈店替えを自由にし、他国へも自由にゆき、また他国より来りてその処にすむ事自由なれば、日本国中の人入り乱れ混雑し、何方も何方も皆暫くの住処というものになり、人に永久の心なし〉とあります。戸籍によって国民の所在をはっきりさせなければ、世の中は混乱するということです。

 二つ目の路引については、〈路引というは、総じて旅人道中の切手なり〉とあり、〈国境国境に関所ありて、切手をもってこれを越ゆる也〉とあります。つまり、路引とは旅券のことなのです。〈旅人、一泊も隔たる処より来らば、路引あるべし。路引なきは指置くべからざる也〉と提案されています。人の移動を、路引によってはっきりさせよということです。

 この戸籍と路引の二つによって、国民の居場所を把握することの重要性が説かれています。そのことによって旅行が不自由になるとしても、自由にさせすぎると実害が出てくると考えられているのです。〈当時は余り自由なれば害多き也〉というわけです。



第三節 万民と土地

 これら戸籍や路引の政策から分かるように、荻生は人と土地との結び付きを重視しています。

 特に武士については、〈なかんずく武士という者は、元来土の上の業をするものなる故、田舎の住居にあらざれば武道廃るる事也〉とあります。〈身貴ければ身持も自由ならず、気の詰る事がち也〉とあるように、武士の気苦労がしのばれます。

 万民についても、〈古の聖人の治めの大綱は、上下万民を皆土に有り付けて、その上に礼法制度を立つる事、これ治めの大綱也〉とあり、土地と結び付けることの重要性が指摘されています。ただし、商人については少し違った見解が示されています。



 総じて商人は利倍をもって渡世をするもの故に、当時のありさまにても、一夜検校にもなり、または一日の内につぶれもするもにて、これ元来不定なる渡世をするもの故也。武家と百姓とは、田地より外の渡世はなくて、常住の者なれば、ただ武家と百姓の常住に宜しきようにするを治めの根本とすべし。商人の潰るるというにはかつて構うまじき事也。これまた治道の大割の心得也と知るべし。



 商人は、急に大金持ちになったり、一日で没落したりして、定めなく世を渡る者だというのです。武士階級や百姓は、土地との結びつきが強いため、それを考慮する必要がありますが、商人は勝手に商売してろということです。



第四節 風俗と制度

 徂徠は、風俗と制度についても詳しく論じています。〈御城下は諸事に付け自由なる所なる上に、せわしなき風俗と制度なきと、この二つを加ゆる故、武家の輩米を貴ぶ心なくなり、金を大切の物と思い、これよりして身上をみな商人に吸い取られて、武家日々に困究する事也〉とあります。武士は米を貴ぶ気持ちを無くしてお金に執着するから、商人にいいようにお金を吸い取られて困窮するのだと考えられています。

 風俗については、〈せわしなき風俗というは、元来政をする人治めの道を知らず、法度ばかりにて国を治むる事になりたる上に、上たる人の心の我儘より出来たる事にて下の思いやりなき故也〉とあります。落ち着かない風俗においては、法律も上のものが下を思いやることなく勝手に定めるため宜しくないというのです。

 制度については、〈制度なきという事は如何の事となれば、古聖人の治めに制度という物を立てて、これにて上下の差別をたて、奢を押え、世界を豊かにする妙術也〉とあります。制度とは、分限を立てて世界を豊かにするものなのです。詳細には、〈衣服・家居・器物あるいは婚礼・喪礼・音信・贈答・供廻りの次第まで、人々貴賤・知行の高下・役柄の品に応じて、それぞれに次第あるを制度という也〉と説明されています。〈制度を立つる仕形は、上大名より下小身の諸士に至るまで、衣服より家居・器物・食事・供廻り、役席・官禄等の限りをもって立つるべし〉ともあります。

 少し注意が必要なのは、〈今の代にある格というようなる物は、古より伝わりたる礼にもあらず、また上より屹(きっ)と立てられたる格にもあらず〉とあり、風俗によって自然と成立したものは制度とは認められていないことです。自然に発生する風俗と、人為によって定めた制度を区別して論じられているのです。



第五節 誠の制度

 荻生は、誠の制度について記しています。そこでは、歴史感覚や程度問題が考慮されています。



 誠の制度という物は、往古を鑑み未来を計りて、畢竟世界の安穏に末永く豊かなるように、上の了簡をもって立置き候事にて、往古を鑑みる事は、総じて人情という物は、時代の替りなく古今も同じ事也。



 誠の制度とは、時代によって変わることない人情をもって、過去を顧みて未来を憂うことによってもたらされるものだというのです。



 未来をはかる事の制度は、その御代の伝わらん限りは永く守るべき物なれば、とかく質素なるがよきとて、質素過ぎて制度を立ておく時は、代の末になる程文華になるもの故、ついには制度を破る事になるによって、質素過ぎて立てたるは必ず久しく伝わらず。また、人情は文華を好むとて、制度を華美過ぎて立て置く時は、国中早く尽きてよろしからず。故に文質の程らいをば末へ伝うるべき程を考えてよろしく立置く時は、その御代永く伝わる事也。



 その制度は、質素がよくても質素過ぎてはよろしくなく、華やかであっても華やかすぎてもよろしくないのです。すなわち、程度を考慮すべきだと説かれているのです。



第六節 法と道

 荻生は、法と道について述べています。

 法については、〈法立たずして、いたずらものの楽なる世界なる事、よろしからざる事の第一也〉とあります。法を立てずに何でも自由にできてしまうことを戒めています。さらに、〈土地を持ちて民を支配する時は、刑罰なくては法はたたぬ事也〉とあり、罰則を伴う法による支配を提示しています。

 法と人の関係については、〈総じて人と法との二つを分けて知るべき事也。法は仕形也。人とはそれを取扱う人也〉とあります。〈人さえよければ、仕形はあしく定めたりとも、人に器量ある故に、これをよく取扱いて国は治むる事也〉とあるように、法は人次第なのです。

 そして、人が法を取り扱うところにおいて、道があらわれます。〈国を治むる道は人を知る事を第一肝要なる事にする事、古より聖人の道かくの如し〉とあり、〈人を知る道はやはり人をつかう所にあり〉と語られています。人を知り、人をつかうことにおいて道があり、その取り扱うものとして法があるというのです。人を使う道と、人が取り扱う法がしっかりと区別されています。



第七節 肝心のまとめ

 荻生徂徠は、結論を次のようにまとめています。



 肝心の所は、世界旅宿の境界なると、諸事の制度なきと、この二つに帰する事也。これによりて、戸籍を立てて万民を住処に在り付くると、町人・百姓と武家との制度の差別を立つると、大名の家に制度を立つると、御買上げという事等のこれなきようにすると、田井台これらにて、世界はゆり直りて、豊かにもなるべし。上にばかり御倹約のありて、御勝手直りたりとも、万民困窮せば宜しからざる御事也。上下ともに富み豊かになりて、御代の長久にあらんこと願い奉る御事也。



 国民の住処を把握し、それぞれに合った制度を立てることで、世界の流通が活発に動いて経済が正しく直り、豊かさがもたらされるというのです。倹約は大事ですが、そのことによって民が困窮するようでは駄目であり、上も下も豊かになるべきことが説かれています。







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