『日本式 経済論』大蔵永常の章
大蔵永常(1768~1861)は、江戸時代の農学者です。著書の『広益国産考』を見ていきます。
第一節 国富の経済
経済について、次のように語られています。
國を富ましむるの経済は、まづ下民を賑はし、而て後に領主の益となるべき事をはかる成るべし。第一成すは下にあり、教ふるは上にありて、定まれる作物の外に余分に得ることを教えさとしめば、一國潤ふべし。
経済は、民の賑わいをもって為政者の益となるようにすべきだというのです。為政者側からの指導により、余剰生産物によって国を潤すべきことが語られています。
第二節 土地と国産
土地の重要性について論じられています。
土地に厚薄あり、山川に肥痩あり、猶更南北の寒暖異なれば、其事に委しき人を撰び習はざれば、徒に土地と人力を費すのみならず、損毛ありて土地に罪を負はすることあり。是を熟得して行ふときは、國富まずと云ふ事あるべからず。
土地に合った選択をし、労力を費やすことによって国は豊かになるというのです。国土の特性に応じた産物の重要性が説かれています。国家の産業を起こすためには、政府があれこれ命令するのではなく、その道の熟練者に任せるのが良いとされています。そうすれば、利益を求める人間の性向からして、民は自発的に動き始めるというのです。
始より領主の益となさんと人数多くかゝりて行はせらるゝは、得る所すくなくして費す処多ければ、益となさんとてする事却りて損となる事も有るゆゑに、只その部下に作らせて其締をよくする時は、理に叶ひて其益また広大也。
利益を得ようと焦る気持ちが、損益に結びつく可能性が示されています。上司がでしゃばるのではなく、部下に任せることの大切さが説かれています。
第三節 無私と国益
無私の心によって、益に至ることが説かれています。
心々の世の中なれども、寛恕なる重役の心入れにては追々為になる事は云出づるものなれば、其善悪を察して私しの贔屓偏頗なく取用ひ行ふときは、益あり。取用ふる人の目利一大事なるべし。
私心なく取り扱うことによって、益は生まれるというのです。その益とは、国産による国益のことです。
國産となるべきものは國所により其品の相応すればよくできぬものなり。又寒暖土地の応不応にて出来ざる所あり。此考第一なるべし。先づ其所に産せずして諸國より調へてあたひを出す事を防ぎ、相応の物あらば作りて他國へ出し利益たる事をかんがふべし。
国土に合った産物を国産とし、他国からの輸入依存を防ぎ、他国への輸出により利益を得ることを考えるべきだというのです。このとき、〈我國の醤油あしきとて他國より取り寄するは第一所の恥とも云ふべし〉という考えが示されています。国の製品を愛好すべきことが語られているのです。国産によって他国より利益を得ることは、繰り返し言及されています。〈國産の事を考ふるに、國に其品なくして他國より求むるをふせぎ、多く作りて他國へ出し其の価を我國へ取入れ、民を潤し國を賑す事肝要ならんかし〉ということです。
大蔵は〈國々の名産はみな國益と云ふべきなり〉と述べています。国の名産は、国益となるというのです。
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