『日本式 経済論』山田方谷の章


 山田方谷(1805~1877)は、幕末期の儒家で陽明学者です。備中松山藩5万石の財政を立て直し、備中聖人と称されました。著作である『理財論』見ていきます(『財政破綻を救う山田方谷「理財論」』からの引用です)。



第一節 外に立つ

 『理財論』には、山田の有名な言葉があります。



 それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈す。



 国家の経営においては、大局的な視点に立って、局所的な視点に留まらないことが語られています。実際に行った政策を見てみると、明らかに山田は経済学におけるマクロとミクロの区別を認識できていたと考えられます。彼からは、他の経済を論じる者は、目先のミクロ的な問題にとらわれていると見えていたのでしょう。

 マクロ的な視点に立っていると、〈富貴はまた従って至る〉ことになります。これこそまさに、〈財の外に立つ者〉になります。実際に山田方谷による藩政改革では、不況下において公共投資を行い、金利を下げ減税をし、金を潤沢に流し、金詰まりの緩和を実現しました。ケインズ理論の誕生以前に、ケインズ理論的な政策を実施していたのです。



第二節 後世の利

 後世を考えることについて、山田は含蓄のある見解を提示しています。



 ただ後世の利を興すの徒は、瑣屑煩苛(させつはんか)にしてただ財を之れ務めて、而して上下ともに困しみ、衰亡之に従ふ。此また古今得失の迹の昭昭(せうせう)たるものなり。



 後世のための利益を追究すると、目先の経済活動に熱中して煩雑になるというのです。そのため上も下も苦しみ、衰亡の危機に陥ってしまうのかもしれません。これは、歴史上の成功と失敗を考えると明らかなことだというのです。

 後世のことを考えて活動することは、良いことのように思えます。しかし、その一見して良いと思われることの危険性が指摘されているのです。例えば、後世に負担をかけないようにと、必要な支出をせずに事態を悪化させてしまう可能性が考えられます。山田方谷の実際に為した政策を見てみると、彼はそのことを良く分かっていたのだと思われます。そして、本当に後世のためになることを実施したのです。



第三節 義理

 義理について、山田は次のように論じています。



 それ綱紀を整へ政令を明らかにするものは義なり。饑寒死亡を免れんと欲するものは利なり。君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。



 国家の基本を整えて法を正しく整備することが義であり、飢えや寒さで死なないようにすることが利だと考えられています。君子は義を明らかにし、自分の利は求めてならないというのです。ただ、やるべきことをするだけだというのです。その結果どうなるかは、天命に委ねられています。

 山田は、〈義利の分一たび明らかになれば、守るところのもの定まる〉と述べています。義と利がはっきりと認識されれば、何を守るかは判明するというのです。そこにおいて、次のように語られることになります。



 然りといへどもまた利は義の和なりと言はずや。未だ綱紀整ひ政令明らかにして、饑寒死亡を免れざる者あらざるなり。



 〈利は義の和なり〉は、『易経』の[周易上経]にある言葉です。正しく利益を追求していけば、義へと至ることが示唆されています。国家の基本を整え、法を正しく整備するなら、飢えや寒さで死ぬ者はいなくなると考えられているのです。

 ちなみに、この義の中に利があるとする考え方は、弟子の三島中洲へと引き継がれていきます。







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