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『断章 不易流行』

【目次】
第一節 松尾芭蕉の不易流行
第二節 向井去来の不易流行
第三節 服部土芳の不易流行
第四節 日本の不易流行


断章 不易流行
 不易流行は、松尾芭蕉(1644~1694)の俳諧における言葉です。
俳諧は、基本である不易と新しさの流行の二つに分けられていますが、その二つの元は一つだとされています。不易流行は、俳諧のみならず、万事に渡ると考えられています。

第一節 松尾芭蕉の不易流行
 松尾芭蕉は、不易流行について弟子に語り、弟子が不易流行を書き残しています。しかし、芭蕉自身は、直接には不易流行を書き残していません。ただし、芭蕉の残した文章の中に、不易流行の精神を感じることはできると思います。
 例えば『奥の細道』における、〈月日は百代の過客にして往きかふ年もまた旅人なり〉という句などが挙げられます。
 他にも『常盤屋句合』の跋文には、〈倭歌(やまとうた)の風流、代々にあらたまり、俳諧年々に変じ、月々に新也〉とあり、『三聖図賛』の跋文には、〈風雅の流行は、天地とともにうつりて、只つきぬを尊ぶべき也〉とあります。俳諧は変化による新しさを求め、その変化を求めることを、いつまでも変わらぬものとして感じているのです。

第二節 向井去来の不易流行
 向井去来(1651~1704)の『去来抄』には、〈蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へども、その元は一つなり。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日宜しからず、今日の風、明日の用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をいふなり〉とあります。芭蕉の俳諧は、千歳不易と一時流行の二つに分けて教えられたけれど、その根本は一つだというのです。不易を知らなければ俳諧の基本が確立せず、流行を知らなければ俳諧が新しくならないとされています。不易は古い時代も後代も優れているので千歳不易と言い、流行はその時々に応じて変化して一日で通用しなくなることもあるので一時流行と呼ぶとされています。つまり、流行は一時的にはやることだというのです。
 去来は、〈不易流行の事は万事に渡るなり〉と述べ、不易流行は俳諧に限らず全てのことに通じることを示しています。俳諧においては、〈先師、はじめて俳諧の本体を見つけ、不易の句を立て、また風は時々に変ある事を知り、不易と流行との句を分かち教へ給ふなり〉と述べています。芭蕉がはじめて俳諧の本質を見つけて不易を立て、俳諧に変化があることを知って不易と流行を区別して教えたというのです。
 ただし、〈蕉門に不易流行の説々あり。あるいは今日の一句一句の上をいふ説あり。是も流行にあらずといひがたし。しかれども、不易流行の教へといふは、俳諧の本体、一時一時の変風との事なり〉とあります。芭蕉の俳諧には、不易流行について様々な説があり、一句ごとに不易か流行かを言うのだという説もあるそうです。これも内藤丈草(1662~1704)が言うように、流行でないとは言えないとされています。しかし去来は、不易流行の教えは、俳諧の本質を不易とし、その時々の新しい変化を流行と考えています。

第三節 服部土芳の不易流行
 服部土芳(1657~1730)の『三冊子』には、〈師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり、この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり。不易を知らざれば、実に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にもかかはらず、誠によく立ちたる姿なり〉とあります。芭蕉の俳諧は、万代不易と一時変化の二つに極まりますが、それらを統合する風雅の誠があるというのです。不易を知らなければ俳諧が分かったことにはならないとされています。不易は、新古や変化流行に関係なく、誠において成立した姿だというのです。続いて、〈代々の歌人の歌を見るに、代々その変化あり。また、新古にもわたらず、今見る所昔見しに変らず、哀なる歌多し。是まづ不易と心得べし〉とあります。歴代の歌人の歌には代々変化があり、新しい古いに関係なく、今の人が見ても昔の人が見たときと変わらずに哀の歌が多いというのです。この哀をもたらすものが不易だとされています。さらに、〈また、千変万化する物は自然の理なり。変化にうつらざれば、風あらたまらず〉と続きます。変わり行くことは自然の道理であり、俳諧にも変化が必要とされています。
 風雅の誠については、〈「高く心を悟りて、俗に帰るべし」との教なり。「つねに風雅の誠を責め悟りて、今なす所、俳諧にかへるべし」といへるなり〉とあります。心を高く持って俗世間へ帰るべきだという芭蕉の教えがあり、今なすべきこととして、風雅の誠において俳諧に帰るべきことが示されています。俗世間と俳諧への循環が、高き心による風雅の誠において繰り返されているのです。続いて、〈常風雅にゐるものは、思ふ心の色物となりて、句姿定まるものなれば、取物自然にして子細なし。心の色うるはしからざれば、外に言葉を工(たく)む。是すなはち常に誠を勤めざる心の俗なり〉とあります。常に俳句を心に留めている人は、心の思う色が表れ出ることで句の姿が定まり、俳句が自然でおかしなところがないというのです。心の色が麗しくなければ、いたずらに言葉をいじくるだけであり、俗な心であり常に誠を求めているとはいえないと語られています。さらに、〈誠を勉むるといふは、風雅に古人の心を探り、近くは師の心よく知るべし。その心を知らざれば、たどるに誠の道なし。その心を知るは、詩の詠草の跡を追ひ、よく見知りて、すなはちわが心の筋を押し直し、ここに赴いて自得するやうに責むる事を、誠を勉むるとはいふべし〉と続いています。風雅の誠とは、古人の心を探り、師である芭蕉の心を知ることだとされています。先人の心を理解することなく、風雅の誠には至れないと考えられています。風雅の誠の心を知るには、芭蕉の俳句を追い覚えて、自身の心の筋を押し直すのです。そこにおいて、心を自得できるように自らを責めることが、誠のつとめ方だというのです。

第四節 日本の不易流行
 日本の不易流行は、松尾芭蕉の俳諧における言葉です。弟子たちは、芭蕉の述べた不易流行を、それぞれの視点から述べています。
 不易流行では、俳諧の本質である不易と、その時々の新しい変化である流行が二つに分けられていますが、その根本は一つです。哀をもたらす不易と、自然の道理に従い変わり行く流行は、先人の心を理解して至れる誠によって収斂し、一つになります。俳人は、俳諧において変化による新しさを求め、その変化を求めることを、いつまでも変わらぬものとして感じます。
 この俳諧における不易流行は、俳諧の世界を超えて、万事に通じる原理となります。新しさを求めて変化していく流行は、本質として不易となり、誠において統合されるのです。


 

 

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