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『第十章 心』

【目次】
  第一節 心のあるべき様
   第一項 清明心
   第二項 他力
   第三項 正直
   第四項 誠
   第五項 真心
  第二節 心と歌
   第一項 歌の心
   第二項 心の歌
  第三節 心のあり方
   第一項 心と世界
   第二項 心の思い
   第三項 心と身
   第四項 心と心
   第五項 心の自性
   第六項 心の自由自在
   第七項 心の階層
   第八項 心と道
   第九項 心と死
  第四節 日本の心


第十章 心
 心とは、世界そのものであり、世界において作用することです。
世界の認識は、心によって可能となります。それゆえ、心そのものは一つの世界です。心は、身体を通じて世界と触れ合うため、心は身体との対比で捉えられるようになります。
 その心が、言葉を通じて他の心と交流することにより、心は世界の中の一つの作用であることを認めます。そこにおいて心は、自分の心と他人の心との対比において捉えられるようになります。心が思うことを通して、心を想えるようになるのです。
 

第一節 心のあるべき様
 日本人は、心のあるべき様を想います。その様には時代ごとに変遷が見られますが、一貫しているものも感じられます。
 

 第一項 清明心
 日本古代においては、神道による清明心が称えられています。
   『日本書紀』には〈子々孫々、清明心を用(も)て天闕(みかど)に事(つかえ)奉(まつ)らむ〉とあり、『続日本紀』には〈明き浄き直き誠の心〉が示されています。日本人はそれぞれの時代において、心の曇りなく時代ごとの天皇と接し、清明心をもった臣民として天皇とつながるのです。このことは、日本では時代を通じて続いているのです。
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  [図10-1] 清明心


 吉田兼倶(1435~1511)の『神道大意』には、〈天地に有ては神と云ひ、万物に有ては霊と云ひ、人倫に有ては心と云ふ、心は則神明の舎、混沌の宮也〉とあります。神と霊と心が一つのものとして捉えられているのです。

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  [図10-2] 神と霊と心


 第二項 他力
 仏教では、他力の心が説かれています。
 法然(1133~1212)の『浄土宗略抄』には、〈他力によらずば往生をとげがたきがゆえに、弥陀の本願の力をかりて、一向に名号をとなえよと、善導はすすめ給えるなり。自力というは、わが力をはげみて往生を求むるなり。他力というは、仏の力をたのみたてまつるなり〉とあります。自力と他力は、心構えの問題です。自力は我が力であり、他力は仏の力のことです。他力の「他」は阿弥陀如来を指し、「力」は本願力のことですから、他力は他人の助力という意味ではありません。
 親鸞(1173~1262)の『高僧和讃』には、〈信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり〉とあります。信心は即ち天親のいう一心であり、一心は即ち善導の説く金剛心であり、金剛心は曇鸞の説く菩提心であり、この心は即ち他力の回向にほかならないというのです。『教行信証』には、〈他力と言ふは、如来の本願力なり〉とあります。
 一遍(1239~1289)の『一遍上人語録』には、〈本より真実といふは弥陀の名なり。されば至誠心を真実心といふは、他力の真実に帰する心なり〉とあります。誠に至る心や真実の心とは、他力の心のことだとされています。
 日本の浄土信仰において、自身の力ではなく仏の力を頼む他力の思想が示されています。

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  [図10-3] 他力の心


 第三項 正直
 中世以降には、正直の心が称えられています。元は「正しく直(なお)き」と読まれていましたが、仏教の影響で「しょうじき」と読まれるようになりました。
 北畠親房(1293~1354)の『神皇正統記』には、〈鏡ハ一物ヲタクハヘズ。私ノ心ナクシテ、萬象ヲテラスニ是非善悪ノスガタアラハレズト云コトナシ。其スガタニシタガヒテ感應スルヲ徳トス。コレ正直ノ本源ナリ〉とあります。三種の神器のうちの鏡が、無私の心に対応するものとして語られています。その上で、〈オヨソ政道ト云コトハ所々ニシルシハベレド、正直慈悲ヲ本トシテ決断ノ力アルベキ也〉とあるように、正直慈悲が重要視されています。
 天台宗の僧である慈遍(?~?)の『豊葦原神風和記』には、〈宗廟ノ御本誓、正直清浄ヲ先トス〉とあります。
 石田梅岩(1685~1744)の『都鄙問答』には、〈商人ハ正直ニ思ハレ打解タルハ互ニ善者ト知ルベシ〉とあり、〈自然ノ正直ナクシテハ、人ト竝(ナラ)び立テ通用ナリ難シ〉とあります。商人は、正直によって他人と共に生きられるというのです。その上で、〈直ニ利ヲ取ハ商人ノ正直ナリ。利ヲ取ラザルハ商人ノ道ニアラズ〉とあります。利益を得ることは、商人の正直だというのです。梅岩は、〈我教ユル所ハ、商人ニ商人ノ道アルコトヲ教ユルナリ〉と、商人の利益を職分とする道を示し、〈上ノ?潔ヲ法トスルハ古ヨリノ道ナリ〉と、上に立つ人間の道も示します。その後に、〈何事モ?潔ノ鏡ニハ士(サムラヒ)ヲ法トスベシ〉と述べ、〈商人ノ道ト云トモ、何ゾ士農工ノ道ニ替ルコト有ランヤ〉と語っています。商人の利益を求める道も、他者に対する正直さにおいて、他の道と変わるところはないというのです。
 沢庵(1573~1645)の『不動智神妙録』には、〈一念発る所に善と悪との二つあり、其善悪二つの本を考へて、善をなし悪をせざれば、心自(おのずか)ら正直なり〉とあります。善悪において、善をなし悪をなさないのは正直だからだとされています。
 日本の正直は、それぞれの立場における必要なものを通じて、それを無私で行うことで生まれます。例えば上の立場なら「清」であり、下の立場なら「利」などが挙げられます。

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  [図10-4] 正直な心


 第四項 誠
 近世以降には、誠の心が称えられています。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈誠を思ふは人の道なり。誠を思ふ心真実なれば、誠すなはち主となりて、思念をからずして存せり〉とあります。誠を思う心が本物ならば、意図せずとも自然と誠が出来るようになるというのです。
 山鹿素行(1622~1685)の『聖教要録』には、〈已むことを得ざる、これを誠と謂ふ。純一にして雑はらず、古今上下易ふべからざるなり〉とあります。自己の已むを得ざる自然に生きることが誠であり、純粋であり雑念がなく、そのあり方は歴史的立場的に変わりないというのです。
 伊藤仁斎(1627~1705)の『語孟字義』には、〈誠は、実なり〉とあり、〈誠の字、偽の字と対す〉とあります。〈いわゆる仁義礼智、いわゆる孝弟忠信、みな誠をもってこれが本とす〉と語られています。
 貝原益軒(1630~1714)の『大和俗訓』には、〈公にして私なければ、道理にかなひ、天意にかなひ人心にかなふ。故に、その心の誠おのづからあらはれて、人のほまれもよろこびもあつく、人のうたがひにくむことなく、もとめずして天道のめぐみも人の愛敬もこれあり〉と語られています。
 荻生徂徠(1666~1728)の『弁名』には、〈誠なる者は、中心より発して、思慮勉強を待たざる者を謂ふなり〉とあります。誠であれば、考えあぐねることなく、すっと正しいことができるというのです。
 中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』には、〈誠は人の心なり〉とあります。
 二宮尊徳(1787~1856)の言葉を集めた『二宮翁夜話』には、〈世の中に誠の大道は只一筋なり、神といひ儒と云仏といふ、皆同じく大道に入るべき入口の名なり、或は天台といひ真言といひ法華といひ禅と云も、同じく入口の小路の名なり〉とあります。世にある様々な思想も、それぞれのやり方で誠につながるというのです。

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  [図10-5] 誠の心


 勝海舟(1823~1899)の『氷川清話』には、〈男児世に処する、たゞ誠意正心をもつて現在に応ずるだけの事さ。あてにもならない後世の歴史が、狂といはうが、賊といはうが、そんな事は構ふものか。要するに、処世の秘訣は誠の一字だ〉と語られています。
 西郷隆盛(1828~1877)の『南洲翁遺訓』には、〈事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず〉と語られています。
 吉田松陰が死の間際にしたためた書簡には、〈吾れの将に去らんとするや、子遠吾れに贈るに死の字を以てす。吾れ之れに復するに誠の字を以てす〉とあります。入江杉蔵(子遠)が師である松陰に死の字を贈ったときに、松陰はそれに誠の字をもって応えたのです。日本人は、死を覚悟することで、誠に向き合うのです。

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  [図10-6] 死と誠


 第五項 真心
 国学では、真心が説かれています。
 賀茂真淵(1697~1769)の『国意考』には、〈唐国の学びは、其始人の心もて、作れるものなれば、けたにたばかり有て、心得安し。我すべら御国の、古への道は、天地のまにまに丸く平らかにして、人の心詞に、いひつくしがたければ、後の人、知えがたし〉とあります。唐国の心は理屈っぽくて理解しやすいのに対し、日本の古の心は穏やかで言葉で説明し尽くせずに捉えにくいというのです。
 この古の日本の心に対し、本居宣長(1730~1801)は明瞭に答えています。『玉勝間』には、〈そもそも道は、もと学問をして知ることにはあらず、生れながらの真心なるぞ、道には有ける、真心とは、よくもあしくも、うまれつきたるままの心をいふ〉とあります。生まれついたままの真心が、日本の神の道にはあるというのです。この心は、もののあはれを知る心であり、歌の道へとつながります。

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  [図10-7] 真心



 人が育つに従い、様々な教育を受けることで真心から離れていきます。そのため、生まれたままの心を顧みることで、真心に帰ることが必要になるのです。


第二節 心と歌
 日本人は和歌に親しみ、歌の心を奏でます。

 
 第一項 歌の心
 日本人は、歌の心について語っています。
 『古今和歌集』[仮名序]には、〈やまとうたは、人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを見るものきくものにつけていひいだせるなり〉とあります。日本の歌は、人の心を種とし、言葉を咲かせるのです。
 『新古今和歌集』[仮名序]には、〈大和歌は、昔天地開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵝の里よりぞ伝はれりける。しかありしよりこの方、その道盛りに興り、その流れ今に絶ゆることなくして、色に耽り心を述ぶるなかだちとし、世を治め民を和らぐる道とせり〉とあります。日本の歌は古くから伝わり、その歌の道は今に至るまで絶えることなく続いているのです。その歌の道は、和を尊び世を治める道なのです。
 『近代秀歌』によると、藤原俊成(1114~1204)がわが子である藤原定家(1162~1241)に対し、〈歌は広く見遠く聞く道にあらず。心より出でて自らさとるものなり〉と述べたことが記されています。和歌は高遠な知識を求めるようなものではなく、自分の心から出てきたものを自分で悟るようなものだというのです。
 その心を受け継いだ藤原定家は、『毎月抄』で和歌の「有心躰」について語っています。〈いづれも有心躰に過ぎて歌の本意と存ずる姿は侍らず〉とあり、有心体を和歌の本質と考えています。そのため定家は、〈宜しき歌と申し候は、歌毎に心の深きのみぞ申しためる〉と述べ、〈常に心有る躰の歌を御心にかけてあそばし候べく候〉と語っています。心敬(1406~1475)の『さゞめこと』にも、〈有心體を高貴至極と也〉という記述があります。
 鴨長明(1155~1216)の『発心集』には、〈心の師とはなるとも、心を師とすることなかれ〉と語られています。
 賀茂真淵(1697~1769)の『歌意考』には、〈皇神の道の、一の筋を崇むにつけて、千五百代も、やすらにをさまれる、いにしへの心をも、こころにふかく得つべし〉とあります。日本の道は、古の心を得ることで安らかに治まるというのです。
 本居宣長(1730~1801)の『石上私淑言(いそのかみささめごと)』には、〈古今序に、やまと歌はひとつ心をたねとして、万の言のはとぞなれりけるとある、此心といふが則ち物のあはれをしる心也〉とあります。歌の心が、もののあはれと結びついていることが分かります。
 

 第二項 心の歌
 日本史上において、数多くの心の歌が詠われています。

【『万葉集』】
 [巻第七]
  明日香川七瀬の淀に住む鳥も心あれこそ波立てざらめ
 [巻第十一]
  神名火に神籬立てて斎へども人の心は守り敢へぬもの
 [巻第二十]
  移り行く時見るごとに心いたく昔の人し思ほゆるかも

【『古今和歌集』】
 [春歌下]
  久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
 [恋歌二]
  夏虫をなにかいひけむ心から我も思ひにもえぬべらなり
 [恋歌五]
  世の中の人の心は花ぞめのうつろひやすき色にぞありける
  色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける
 [雑歌下]
  身をすててゆきやしにけむ思ふより外なる物は心なりけり

【『新古今和歌集』の藤原俊成(1114~1204)】
 [夏歌]
  わが心いかにせよとてほととぎす 雲間の月の影に鳴くらむ
 [秋歌下]
  心とやもみぢはすらむ立田山松はしぐれに濡れぬものかは
 [恋歌二]
  憂き身をばわれだにいとふいとへただ そをだにおなじ心と思はむ
 [雑歌上]
  忘れじよ忘るなとだにいひてまし雲居の月の心ありせば

【『山家集』の西行(1118~1190)】
  もろともにわれをも具して散りね花憂き世をいとふ心ある身ぞ
  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮
  こりもせず憂き世の闇に迷ふかな身を思はぬは心なりけり
  いかでわれ清く曇らぬ身になりて心の月の影をみがゝん
  心から心に物を思はせて身を苦しむる我身成けり
  今の我も昔の人も花見てん心の色はかはらじ物を

【『一遍上人語録』の一遍(1239~1289)】
  こゝろよりこゝろをえんと心得て心にまよふこゝろ成けり
  こゝろからながるゝ水をせきとめておのれと淵に身をしづめけり
  心をばこゝろの怨とこゝろえてこゝろのなきをこゝろとはせよ
  仏こそ命と身とのあるじなれわが我ならむこゝろ振舞
  夢の世とおもひなしなば仮のよにとまる心のとまるべきやは
  いにしへはこゝろのまゝにしたがひぬ今はこゝろよ我にしたがへ
  とにかくにまよふ心をしるべにて南無阿弥陀仏と申ばかりぞ

【『不動智神妙録』の沢庵(1573~1645)】
  心こそ心迷はす心なれ 心に心心ゆるすな


第三節 心のあり方
 日本人は、心のあり方を問うて来ました。
 

 第一項 心と世界
 かつて心は、本当の意味で世界でした。
 心が世界そのものであると分かるということは、もう、その地点には居ないということです。その地点に立って、心がかつて本当に世界だったことを思うのです。あるいは、心が世界そのものであると思うのです。
 神道五部書の一つ『倭姫命世記』には、〈心神ハ則ち天地の本基、身躰ハ則ち五行の化生なり〉とあります。精神は天地の本当の基本であり、身体は木・火・土・金・水の五行から生まれるものだというのです。心は天地を認識するものとして世界の基本であり、その心を超えた視点からの世界把握により神が想定されます。心と神がそろい、精神となります。

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  [図10-8] 神道の心世界


 明菴栄西(1141~1215)の『興禅護国論』には、〈大なるか哉、心や。天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり〉とあります。太虚とは宇宙空間であり、元気とは万物を生出す根本エネルギーのことです。天の高かさや地の厚さは測り知れませんが、心はそれよりも大きいというのです。なぜなら、それらを捉えるのは心そのものだからです。すなわち、心は宇宙空間の全てを含み、万物の全てを生み出すものなのです。

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  [図10-9] 仏教の心世界


 『百姓分量記』には、〈天に心なし明徳を以て心とす。地に心なし万物を生じて心とす〉とあります。天にも地にも心はなく、徳や物体などの全てを生じさせるものとして心があるというのです。
 心は、かつて世界そのものでした。それゆえ、そこでは、心が世界そのものだと思うこともできないのです。心が世界そのものの場所から、世界における心という場所に移ったとき、その場所で、かつて心が世界そのものだったことを思えて、心が世界そのものであると思うのです。
 

 第二項 心の思い
 心は思います。
 思う。ここで、日本語の「もの・こと」を用い、「思うこと・思うもの」を生み出すことができます。それゆえ、思うものが思うこと、つまり「思い」が起こります。一方、思うことを思うもの、つまり「心」が生まれるのです。この起こりと生まれにより、「心の思い」となるのです。

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[図10-10] 心の思い


 『古事記』には、「こころ」を表す文字として「心」と「情」があります。両方とも、物事に向かって働きかけて行く動きを意味していますが、特に「情」の場合は意志的な働きを表すときに用いられています。

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  [図10-11] 古事記の心


 吉田兼倶(1435~1511)の『唯一神道名法要集』には、〈意を以て理を成し、意を以て言を成し、意を以て手足ヲ成す。皆是れ心神の所為也。一切の含霊は神に非ずといふこと莫き者也〉とあります。含霊とは、霊魂をもつものであり、有情に同じです。つまり、人間や人類を指しています。人間は心の意の作用によって、理を構築し、言葉を発し、手足を動かすというのです。

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  [図10-12] 吉田兼倶の心


 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈志といふは道に志す也。初学の人、道に志ざして、いまだ道をしらずといへども、心思のむかふ所正也〉とあります。志が、心の思いが向かうところが正しいこととして語られています。
 山鹿素行(1622~1685)の『聖教要録』[心]には、〈心は火に属す。生々息むことなく、少くも住らず、流行運動するの謂なり。古人性情を指して心と曰ふ。凡そ心と謂ふときは、乃ち性情相挙ぐるなり〉とあります。性質と情感が休む間もなく、絶えず動いているのが心だというのです。心の動きは、火のように止まったり留まったりせずに流れ行くと考えられています。

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  [図10-13] 山鹿素行の心


 伊藤仁斎(1627~1705)の『語孟字義』[情]には、〈心とは、人の思慮運用するところ、もと貴きにあらず、亦賤しきにあらず〉とあります。心は思い慮ることを運用するところであり、そのままでは貴賎はないというのです。では、違いはどうできるかというと、〈心は是れ心、性は是れ性、おのおの功夫を用うる処有り。情はただ是れ性の動いて欲に属する者、わずかに思慮に渉るときは、すなわちこれを心と謂う〉とあります。思慮の運用が欲に傾けば情であり、思慮に傾けば心だというのです。[志]には、〈心の之くところ、これを志と謂う〉とあります。心の向かいが志だというのです。[意]には、〈意とは、心の往来計較する者を指して言う〉とあります。往来計較とは、あれこれくらべあわせて考慮することです。選択肢を比較検討して決断することが意だというのです。

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  [図10-14] 伊藤仁斎の心


 荻生徂徠(1666~1728)の『弁名』には、〈性なる者は、生の質なり〉と定義されています。心については、〈心なる者は、人身の主宰なり〉と定義されています。他には、〈志なる者は心の之(ゆ)く所、これ説文の訓なり〉とあり、『説文解字』より心の向かうところが志と説明されています。〈意なる者は念を起すを謂ふなり。人のなかるべからざる者なり〉とあり、念(おも)いを起こすことが、人が欠かすことのできない意の働きとして語られています。思いについては、〈思なる者は思惟なり〉とあります。思うことが、考えることと結びつけられています。

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  [図10-15] 荻生徂徠の心


 佐藤一斎(1772~1859)の『言志四録』[言志後録]には、〈心の官は則ち思なり。思の字は只だ是れ工夫の字のみ。思えば則ち愈いよ精明に、愈いよ篤実なり。其の篤実なるよりして之を行と謂い、其の精明なるよりして之を知と謂う。知行は一の思の字に帰す〉とあります。心の役割は思うということであり、思うということはただ工夫することだというのです。思えば考えが詳しく明らかとなり、真面目に取り組むようになると語られています。その真面目に対処する点を「行」といい、詳しく明らか点を「知」といい、知も行も「思」に帰着するというのです。

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  [図10-16] 佐藤一斎の心


 以上のように、心の思いに関して先人が語っています。
 心は思います。その思いは、何かに向けての思いであり、その思いの向かいが志と呼ばれます。思いが、いくつもの思いから一つの思いへ至ることが、意として示されています。
 

 第三項 心と身
 心は世界への向かいを通じ、世界への向かいのために身体を意識し、身体を必要とします。そこで、心と身体の関係が問われます。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』[身心学道]には、〈仏道を学習するに、しばらくふたつあり。いはゆる心もて学し、身をもて学するなり〉とあります。仏道を学ぶには、心で学ぶことと身をもって学ぶことの二つがあるというのです。続けて、〈心をもて学するとは、あらゆる諸心をもて学するなり。その諸心といふは、質多心・汗栗駄心・矣栗駄心等也。また、感応道交して、菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を習学するなり〉と語られています。心をもって学ぶとは、あらゆる心で学ぶことであり、その心には、慮る心や心臓の心、要を集めた心などがあるというのです。また、仏と人の気持ちが通じ、悟りを求める心をおこし、仏祖の大道に帰依して、求道のことを学習するというのです。一方、〈身学道といふは身にて学道するなり、赤肉団の学道なり。身を学道よりきたり、学道よりきたれるはともに身なり〉ともあります。身学道は、身をもって仏道を学ぶのであり、肉体をもってする学道だというのです。身は学道によって得られ、学道によって獲得されるものもまた身であるとされています。

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  [図10-17] 道元の学習における心と身


 世阿弥(1363~1443)の『花鏡』には、〈舞・はたらきは態(わざ)なり。主になるものは心なり〉とあります。舞や働きは身体的な技であり、態を支配し、芸の主体となるのは演者の心だというのです。

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  [図10-18] 世阿弥の心


 林羅山(1583~1657)の『神道伝授』には、〈心ハ神明之舎也。舎ハ家也。タトヘバ此身ハ家ノゴトク、心ハ主人ノ如ク、神ハ主人ノタマシヰ也〉とあります。主人と家の関係が、神と心の関係、および心と身の関係として語られています。その上で羅山は、〈神ハ心ノ霊也。心ハ形ナケレドモ、生テ有物ヲ霊トモ妙トモ云也〉と述べています。

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  [図10-19] 林羅山の心


 沢庵(1573~1645)の『不動智神妙録』には、〈世の中に、仏道も儒道も心を説き候得共、其説く如く、其人の身持なく候心は、明に知らぬ物にて候〉とあります。心を知るには、身体がなければならないことが説かれています。
 盤珪永琢(1622~1693)の『盤珪禅師語録』には、〈只生じたる體を一心が家といたして、住まするによつて、其内はものを聞、香をかぎ知り、物いふ事の自由なれども、かりあつめ生じたる此體が滅しますれば、一心の住家がなく成ますゆへに、見聞物いふ事ならぬまでの事でござる〉とあります。心は体を家として住むのですが、その家を通して聞いたり嗅いだり喋ったりするため、体がなくなればそれができなくなるというのです。

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  [図10-20] 盤珪永琢の心


 貝原益軒(1630~1714)の『大和俗訓』には、〈心は天君といふ。身の主なり。思ふを以て職分とす〉とあります。心は身体の主人であり、思うという役割を果たすというのです。
 浅見絅斎(1652~1712)の『絅斉先生敬斉箴講義』には、〈耳デ聞ト云モ、是ガキカス。手ガ動ト謂テモ、手計ガ自由ニ動ク物デナシ。足デ歩ムモ、足ガヒトリ自由ニアルク物デナシ〉とあり、〈見タリ聞タリノ、日用万事全体、心ノ為業、心ノ動クナリ〉とあります。体によって見たり聞いたりすることなど、日常の全ては心の為す業によって心が動くことによるというのです。

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  [図10-21] 浅見絅斎の心


 大塩中斉(1793~1837)の『洗心洞?記』には、〈道よりして観れば、則ち心は身を裹み、身は心の内に在り〉とあります。これは、〈心太虚に帰すれば、則ち非常の事も皆亦た道なるを知る〉という前提の上のことです。そのため道という大きな視点から判断すると、心は太虚に帰っているため、心が身を包むことになり、身体は心の中にあることになります。

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  [図10-22] 大塩中斉の心


 日本では心と身の関係において、心が身に優越することが語られています。精神は肉体に勝るという想定がなされているのです。
 

 第四項 心と心
 心は世界への向かいにおいて、心と出会います。
 心が心と出会うのです。そして、心と心が出会うのです。
 『十七条憲法』の第十条には、〈人みな心あり。心おのおの執(と)るところあり。かれ是(ぜ)とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫(ぼんぷ)のみ〉とあります。人には皆心があり、それぞれに是々非々があり、それぞれが賢くもあり愚かでもあるというのです。

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  [図10-23] 十七条憲法の心


 親鸞(1173~1262)の『教行信証』には、〈衆生の心のごときは、これ色にあらず、長にあらず短にあらず、麁にあらず細にあらず、縛にあらず解にあらず、見にあらずといへども、法としてまたこれ有なり〉とあります。すなわち、人の心のようなものは、物質ではなく、長くも短くもなく、粗くも細かくもなく、縛れるものでも解けるものでもないし、見えるものでもないけれども、もの(法)としてあるものだというのです。

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  [図10-24] 親鸞の心


 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』[仏性]には、〈いま仏道にいふ一切衆生は、有心者みな衆生なり、心是衆生なるがゆゑに。無心者おなじく衆生なるべし、衆生是心なるがゆゑに、しかあれば、心みなこれ衆生なり、衆生みなこれ有仏性なり。草木国土これ心なり。心なるがゆゑに衆生なり、衆生なるがゆゑに有仏性なり〉とあります。仏教の一切衆生では、心ある者はみな衆生だというのです。心がすなわち衆生ですから、心ない人も同じく衆生だとされています。心はみな衆生であり、衆生はみな仏性を有していると語られています。草木国土は心であり、心であるから衆生であり、衆生であるから有仏性と考えられています。

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  [図10-25] 道元の心


 
 伊藤仁斎(1627~1705)の『童子問』には、〈学問は須く活道理を看んことを要すべし。死道理を守著せんことを要せず〉とあり、〈蓋し道や、性や、心や、皆生物にして死物に非ず〉とあります。道や性や心は、生き物だというのです。〈何となれば、流水は源もと有って流行す。活物なり。止水は源と無うして停蓄す。死物なり〉とあるように、心は動態的な「活」、つまり生き物なのであり、静態的な「死」ではないとされています。

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  [図10-26] 伊藤仁斎の活としての心


 契沖(1640?1701)の『倭字正濫抄』には、〈事有れば必ず言有り、言有れば必ず事有り。故に古事記等常に多く通用す。――言は即ち心なり〉とあります。言葉がすなわち心だというのです。心が心の中で言葉を自在に用いることができる段階において、その言葉の土台において、心は、いくつもの心を理解し、心は心と通じることができるのです。
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[図10-27] 契沖の心

 
 心が体を通じて世界へ向かうとき、心は心に出会います。心が心ありと想うものは、衆生や生き物と呼ばれます。心は、心との交流を通じて、様々な心があることを学び知り、心を想うことができるのです。
 

 第五項 心の自性
 心と心が出会うとき、心はたくさんの心を知ります。心は、心がたくさんであることを知るのです。そのため心は、たくさんの心の中の一つが、この心であることに想い至るのです。つまり、何故かこの心は、たくさんある心の中で、この心なのです。
 栄西(1141~1215)の『興禅護国論』には、唐訳の『華厳経』からの引用で、〈一切の法はすなはち心の自性なりと知つて〉とあります。自性とは、ものの同一性と固有性が、それ自身で存在していることを意味しています。そのため心の自性は、自分が自分であること、つまり「心がこの心このものであること」を意味します。
 石田梅岩(1685~1744)の『莫妄想(マクモウゾウ)』には、〈自性ト謂モ是ガ自性ト云ベキ物ナシ〉とあります。これ自身であることの理由はないというのです。〈自性ハ無心無念ナリ。其無心ナル者ガ何トテ物ヲ云物ヲ思ヒ候哉〉という言葉に対し、〈夫ヲ妙ト云〉とあります。これ自身であることそのものには、心も念(おも)いも関係ありません。なぜなら、心や念(おも)いは、世界にたくさんあることは分かっているからです。それなのに何故か、心は根拠では無いにもかかわらず、自分が自分として言葉を話したり何かを思ったりしているのです。自分が自分であることは妙だというのです。〈然バ其処ヲ妙ニ預タルニ候哉〉に対し、〈否、妙ニ妙ナシ。妙破テヤハリ妙ナリ〉とあります。そして、〈妙ト云ヨリ外ハ無キヤ、如何〉に対し、〈黙スル而已(ノミ)ナリ〉となります。
 まずもって心とは、この心のことです。この心とは、自分の心のことです。自分が自分であること、つまり、心がこの心このものであること、心の自性は、黙されたまま、この心に課せられています。それ故に、もしくは、それにも関わらず、心はさまざまな責任を背負うことになるのです。
 

 第六項 心の自由自在
 世界にはたくさん心があり、それぞれの心はそれぞれの理由で動きます。心は、互いに影響を与え合っています。そこで、この心のこの動きは、この心によって動いているのか、他の心によって動かされているのかが気になります。この心が、この心に基づいて動くことは、自由や自在として日本史上で語られています。
 『大日本国法華経験記』には、〈仏を見法を聞くこと、心に自在を得たり〉とあります。心が煩悩の束縛を離れて、通達無礙なることが示されています。
 貞慶(1155~1213)の『興福寺奏状』には、〈まさに知るべし、余行によらず、念仏によらず、出離の道、ただ心に在り〉とあります。迷いを離れて解脱の境地に達することは、心によるというのです。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』[阿羅漢]には、〈心得自在の形段、これを高処自高平、低処自低平と参究す。このゆゑに、墻壁瓦礫あり。自在といふは、心也全機現なり〉とあります。心が自在を得たという有り様は、高処なら高処で平らに、低処なら低処で平らなことと知られる故に、墻壁や瓦礫があるというのです。自在とは、心の全ての働きが現れることだというのです。
 鈴木正三(1579~1655)の『驢鞍橋』には〈自由に舞べき心有〉とあり、〈無我の心に到て、私なく物に任て自由也〉と語られています。
 中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』には、〈世界中が心じやによつて、自由が出来たものじや〉と語られています。
 自由や自在について、日本人がどう考えてきたかは、『日本式 自由論』に詳しく書いています。興味のある方は、そちらを参照してください。
 

 第七項 心の階層
 世界にはたくさん心があり、心は心と交流します。そのとき、この心は、その心やあの心との相違に気がつきます。心は、同じではなく異なっているのです。そこで、その異なり方によって、心に階層があることが仄見えてきます。
 空海(774~835)の『秘密曼陀羅十住心論』では、人間の心を十段階に分けて論じています。煩悩にまみれた〈異生羝羊住心〉から始まり、儒教や老荘思想の境地を経て、小乗仏教の各宗派から大乗仏教の各宗派へと続き、真言密教の境地である〈秘密荘厳住心〉に至っています。

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  [図10-28] 空海の心


 沢庵(1573~1645)の『不動智神妙録』には、〈心を溶かして総身へ水の延びるやうに用ゐ、其所に遣りたきまゝに遣りて使ひ候。是を本心と申し候〉とあり、本心が語られています。その上で、〈有心之心、無心之心と申す事の候〉が示されています。まず、〈有心の心と申すは、妄心と同事にて、有心とはあるこゝろと読む文字にて、何事にても一方へ思ひ詰る所なり。心に思ふ事ありて分別思案が生ずる程に、有心の心と申し候〉とあります。次に、〈無心の心と申すは、右の本心と同事にて、固り定りたる事なく、分別も思案も何も無き時の心、総身にのびひろごりて、全体に行き渡る心を無心と申す也〉とあります。有心の心が意識として、無心の心が無意識として、それぞれの特性が適切に示されていることが分かります。

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  [図10-29] 沢庵の有心と無心


 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈知・仁・勇は心の一徳也。故に君子は恐るるところなき也〉とあります。知仁勇の三つは表現としては三ですが、実は心の一つの徳であると語られています。心に徳があることを、心の良い状態としていることが分かります。

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  [図10-30] 熊沢蕃山の心


 貝原益軒(1630~1714)の『大和俗訓』には、〈人たるものは仁を以て心とすべし。不仁の人は本心を失ひ、人道をほろぼし天道にそむく。この故に、人の尤もいましむべきこと不仁より先なるはなし〉とあります。仁を持つ心が、人の心だというのです。

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  [図10-31] 貝原益軒の心


 室鳩巣(1658~1734)の『書簡』には、〈まさに人、天地の間に生れ、この義理の心あるを以て、禽獣に異なるを思ふべし。今ただ一身の利害を知るのみにして、義理あるを知らざるは、これ禽獣なり〉とあります。義理の心が、人間と獣の心を分けるというのです。

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  [図10-32] 室鳩巣の心


 本居宣長(1730~1801)『紫文要領』には、〈尋常の儒仏の道は、そのあしき事には感ずるをいましめて、あしき方に感ぜぬやうに教ふる也。歌物語は、その事にあたりて、物の心・事の心を知りて感ずるをよき事として、其の事の善悪邪正はすてゝかゝはらず〉とあります。悪しきことを感じないようにする心と、悪しきことを悪しきこととして感じる心を分けて考えています。

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  [図10-33] 本居宣長の心


 心の階層により、心の格付けがなされます。その区別には、様々な基準があることが示されています。それらの基準の上で、世界におけるたくさんの心は、互いに影響を与えあって交流を行うのです。

 
 第八項 心と道
 世界におけるたくさんの心の区別を付け、心は、この心のあるべき様を求めます。日本においては、心は道と結びついて論じられて来ました。
 最澄(767~822)の『山家学生式(天台法華宗年分学生式)』には、〈国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす〉とあります。真実の道を求める菩提心のある人は、国家の宝として崇敬すべき人だというのです。
 証定証定(1194~1255?)の『禅宗綱目』には、〈道即ち心なり〉と語られています。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』[道心]には、〈仏道をもとむるには、まづ道心をさきとすべし〉と語られています。
 柳生宗矩(1571~1646)の『兵法家伝書』には、〈すぐなる心をば、本心と申也。又は道心とも云也〉とあります。すぐなる心とは、不偏不倒の心であり、本心・道心とは、本然の心であり私欲に覆われない心のことです。
 林羅山(1583~1657)の『三徳抄』には、〈心ハ一ナレドモ、其ウゴキ働ク所ヲバ人ノ心ト云フ。其義理ニヲコル処ヲバ道ノ心ト云フ〉とあります。心が義理と結びつくと、道の心となるというのです。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈欲と云は此形の心の生楽なり。欲の、義にしたがつてうごくを道と云〉とあります。此形の心の生楽とは、肉体的な気質の心の持つ生の楽しみのことです。心の欲するところが義であるなら、それは道だと言えるというのです。
 荻生徂徠(1666~1728)の『弁道』には、〈善悪はみな心を以てこれを言ふ者なり〉とあり、〈先王の道は、礼を以て心を制す〉と語られています。
 大原幽学(1797~1858)の『微味幽玄考』には、〈道心とは、人を道(ミチビ)く為めに己が身を思ふいとま無く、暑き時は人も暑からむと思ひ、寒き時は人も寒からむことを思ひ、身を慎み人を憐むの志故、自然と家も斉ひ慶も来る〉とあります。慶とは、幸いや喜びのことです。道の心とは、己の身を顧みずに人のことを思い、自身の身を慎みて人を憐れむ志のことだというのです。
 手島堵庵(1718~1786)の『会友大旨』には、〈道は則本心なり〉とあります。
 中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』には、〈道とは何んぞ。心の事じゃ〉とあります。
 柴田鳩翁(1783~1839)の『続々鳩翁道話』には、〈心は道なり〉とあります。
 頼山陽(1780~1832)の『日本政記』には、〈道失へば、則ち人心背く〉とあります。
 心と道の関係について、日本人がどう考えてきたかは、『日本式 正道論』に詳しく書いています。興味のある方は、そちらを参照してください。
 

 第九項 心と死
 日本の武士道においては、心は死と向き合います。
 山鹿素行(1622~1685)の『山鹿語録』には、〈能く勤めて命を安んずるは大丈夫の心也。されば疋夫は死を常に心にあてて物をつとめ、つとめて命を安んずるにあり〉とあります。武士は死を常に心の中に置いておき、己の命を軽いものにしておくというのです。さらに、〈死を心にあてば、能く事物の間をつとめ守るべし。事物の間をつとめ守りては、唯今死にのぞみても快くして、あきたらぬ処有るべからず〉と語られています。死を心の中に置いておけば、死に際してジタバタすることもなくなるというのです。
 大道寺友山(1639~1730)の『武道初心集』にも、〈死を常に心にあつる〉とあります。
 山本常朝(1659~1719)の『葉隠』には、〈只殿を大切にと存、何事にてもあれ、死狂ひは我一人と内心に覚悟仕(つかまつり)たる迄にて候〉とあります。死狂いを心に秘める、武士というあり方が示されています。
 つまり、日本の武士は、心の中に死を置いているのです。

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  [図10-34] 武士の心


 藤田東湖(1806~1855)の『壬辰封事』には、〈畢竟変難ノ場ニ踏カカリ、忠節ヲ尽シ、死生ヲ事トモセザルノ士ハ、太平ノ世ニ在テハ、道義ヲ重ンジ、利禄ヲ軽ンジ、心ニ恥ルコトヲ行ハザルノ人ナリ〉とあります。結局のところ、緊急事態において忠節を尽くして死を恐れないような人は、平時にも道義を重んじ、利益を軽くみて、心に恥じることのできる人だというのです。
 以上のように、武士の心は、死を見据える心なのです。


第四節 日本の心
 日本の心、万歳。

 

 

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