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『第九章 恥と罪』

【目次】
第一節 日本の恥
 第一項 世俗の恥
 第二項 仏教の恥
 第三項 武士の恥
第二節 日本の罪
 第一項 神話の罪
 第二項 法令の罪
 第三項 世俗の罪
第三節 日本の恥と罪
 第一項 恥と罪の内面と外面
 第二項 恥と罪の内外差
 第三項 恥と罪の交差
 第四項 「恥と罪の体系」対「義務と権利の体系」
 第五項 恥と罪の体系へ
<備考>


第九章 恥と罪
 恥は何々すべしに関係が深く、罪は何々することなかれに深く関わります。
 日本人は、あるべき様から外れたと思うとき恥を感じます。禁じられたことを犯してしまったと思うとき罪の意識が芽生えます。

 

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 [図9-1] 恥と罪の関係

 

第一節 日本の恥
 恥とは、あるべき様から外れていることや、名誉から離れていることです。そのような状態に陥ったとき、人は恥ずかしいと感じるのです。そのため、恥を知る人は、義や名誉を重んじます。
 大和言葉の「はづ」の「は」は、葉・歯・端などの本体から外れてはみ出した端のことです。「はづ」とは、そのはみ出すという動詞です。つまり、「恥づ」とは、何らかの本体から外れてはみ出していること、本来あるべき姿から外れていることを意味するのです。そのため、恥を感じているとき、人は負い目や疚しさの意識を持つのです。

 

 第一項 世俗の恥
 日本人は、恥について大いに考え語っています。
 紫式部(973頃~1014頃)の『源氏物語』[若紫]には、〈いと恥づかしげに、気高ううつくしげなる御かたちなり〉とあります。こちらが負けて目をそらしてしまいそうなほど、上品で美しい器量だというのです。
 『十訓抄(1252)』には、〈わが身はたくはへ持ちながら、銭をほしがり〉という人に対し、〈かくのごとくの人、形は人間にありといへども、心さきだて、餓鬼の因を結びおくものなり。かへすがへすも恥づべし、恥づべし〉と評されています。金に意地汚い人のことが、人間の形をしているが餓鬼道に堕ちているくらい恥知らずだというのです。
 吉田兼好(1283頃~1352頃)の『徒然草』[第百七段]には、〈山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるる」とこそ、仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ〉とあります。卑しい女の視線でも気恥ずかしく感じるというのです。女のいない世なら、服装の作法がどうであれ、身なりを気にする人はいないだろうと語られています。[第百七十二段]には、〈若き時は〉という条件付きで、〈美麗を好みて宝をつひやし、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢうらやみ、好む所日々に定まらず〉とあります。若いときは綺麗なものに金を注ぎ込んだり、それを捨てて貧乏になったり、衝動的に人と争ったり、内心で恥じたり羨んだりして、心の赴くところが日々変化すると語られています。
 『閑吟集(1518)』には、〈忍ぶれど色に出でにけりわが恋は 色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで 恥づかしの漏りける袖の涙かな げにや恋すてふ わが名はまだき立ちけりと 人知れざりし心まで 思ひ知られて恥づかしや 思ひ知られて恥づかしや〉とあります。じっと堪えた自身の恋が顔色に出てしまい、人に知られて恥ずかしいというのです。
 茶人である千宗旦(1578~1658)の『宗旦伝授聞書』には、〈愚者千人に讃られんより、数寄者一人に笑はれん事を恥づべし〉とあります。たくさんの人に褒め称えられることよりも、たった一人でも数寄を解する人に笑われないように恥を知っておくべきだというのです。

 

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[図9-2] 一人と千人

 

 中江藤樹(1608~1648)の『孝経啓蒙』には、〈「治」は、民、恥ぢ格つてしかうして乱れざるを謂ふ。「厳ならずしてしかうして治る」とは、上令し、下従ひて、威猛を用ひずしてしかうして治るを言ふ〉とあります。民が恥を知れば、治世は乱れないというのです。『論語』[為政篇]の、〈これを道びくに政をもってし、これを斉うるに刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを道びくに徳をもってし、これを斉うるに礼をもってすれば、恥あり、かつ格し〉という文章からの影響が見られます。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈人々悪を恥善を好むの良心あればなり〉とあります。その上で、〈己が心に恥てひとりしるところを慎みなば、いづれの時にか、不善をなし不義をなさんや〉とあります。自分の心に恥じて自分しか知らないことについてでも自重するようになるなら、いつ何時も義や善でいられるというのです。
井原西鶴(1642~1693)の『好色一代女』には、〈世に長生きの、恥なれや、浅ましやと〉あります。長生きに執着することが恥だと考えられています。
 西川如見(1648~1724)の『町人嚢』には、〈道徳の人といへるを見るに、おのが身躰の穢はしきをもうちあらはして全恥る心なきを殊勝の儀なりとす。凡俗の人はいまだ情欲を離るゝ事なきゆへ、耻るこゝろを脱がれずと称す〉とあります。道徳ある人というのは、自身の身体上の欠点を公言して恥ない人だというのです。

 

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[図9-3] 道徳の人と凡俗の人

 

 近松門左衛門(1653~1724)の『国性爺合戦』には、〈日本生れは愛に溺れ義を知らぬと、他国に悪名とどめんは日本の恥ならずや〉とあります。日本人は、義を知らないと言われると恥を感じるというのです。つまり、義を気にかけて生きているのが日本人だということです。
 室鳩巣(1658~1734)の『書簡』には、〈然れどもまさに人、天地の間に生れ、この義理の心あるを以て、禽獣に異なるを思ふべし。今ただ一身の利害を知るのみにして、義理あるを知らざるは、これ禽獣なり。他人、禽獣を以て己を辱かしむれば、必ず怒る。安んぞ禽獣を以て自ら居りて、恬として恥ぢざるものあらんや〉とあります。義理の心があるから、人間は獣と違うというのです。獣と同じと言われ、恥を感じぬ人などいないと語られています。
 林子平(1738?1793)の『学則』には、〈恥は辱を知りて手前勝手を致さざる事なり〉とあります。恥は、自身の勝手を抑えることに関わるのです。
 佐藤一斎(1772~1859)の『言志四録』[言志録]には、〈是に於いて我が為したる所を以て、諸を古人に校(くら)ぶれば、比数するに足る者無し。是れ則ち愧ず可し。故に志有る者は、要は当に古今第一等の人物を以て自ら期すべし〉とあります。自身を昔の人と比べると、自分は古人とは比べものにならないと恥じるばかりだというのです。そのため、志のある者は、古今を通じて一人前の人物になるべく自ら前もって決心すべきだと語られています。
 [言志晩録]には、〈我が言語は、吾が耳自ら聴く可し。我が挙動は、吾が目自ら視る可し。視聴既に心に愧じざれば、則ち人も亦必ず服せん〉とあります。自分の言葉は自身の耳で聴き、自分の行動は自身の目で視るのがよいとされています。そうして心に恥じるところがなければ、他人も自分に心服するようになると語られています。また、〈人は恥無かる可からず。又悔無かる可からず。悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し〉ともあります。『孟子』[尽心章]の、〈人は以って恥なかるべからず。恥なきことをこれ恥ずれば、恥なからん〉という文章の影響が見られます。人間は恥を知り、悔い改めるということがなければならないというのです。悔い改めることを知っておけば、悔い改めることが無くなり、恥を知っておけば、恥じ入ることは無くなるというのです。
 [言志耋録]には、〈立志の工夫は須らく羞悪念頭より跟脚を起すべし。恥ず可からざるを恥ずること勿れ。恥ず可きを恥じざること勿れ〉とあります。志を立てるには、まず悪を羞じるところからだというのです。恥じなくてよいことを恥じる必要はありませんが、恥じなければならないことを恥じないようではいけないと語られています。
 『百姓分量記』には、〈人に具る理は、恥をしり悪を憎を形とす〉とあります。人間に備わっている理性は、恥を知ることと悪を憎むことだというのです。〈小義理をさへ届ぬは恥とおもへり〉とあり、〈考へて重き恥を思ふべきにや〉とあり、〈人の善を見ては我あしきを恥〉とあります。他人や自分の義や善を省みて、恥をおもうべきことが語られています。

 

 第二項 仏教の恥
 仏教においても、恥が示されています。
 鴨長明(1155~1216)の『発心集』には、〈仏天の知見こそ、いと恥づかしく侍れ〉とあります。仏や神に姿を見られていると思うと、とても恥ずかしくなるというのです。
 明恵(1173~1232)の『梅尾明恵上人遺訓』には、〈人は常に、浄頗離の鏡に日夜の振舞ひのうつる事を思ふべし。是は陰れたる所なれば、是は心中に窃に思へば、人知らじと思ふべからず。曇り陰れなく彼の鏡にうつる、恥がましき事なり〉とあります。浄頗離の鏡とは、閻魔丁の法廷にある死者の生前の罪業を映し出す鏡のことです。その鏡を意識し、人に隠れたところでも自身の心に照らして、人に見られていなければ良いなどと思ってはならないというのです。そのような恥知らずな振るまいは、鏡に映りこみ恥となると考えられています。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』[行持(下)]には、〈正法にあふ今日のわれらをねがふべし、正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。はづべくば、この道理をはづべきなり〉とあります。正法に出会えた我々のことを、じっと考えてみようというのです。正法に遇いながら、身命を捨てないなら恥ずかしいことだと考えられています。恥を知る者なら、この道理を恥じなければならないと語られています。
 『正法眼蔵随聞記』には、〈ひとしく人の見る時と同く、蔵すべき処をも隠し、慚ずべき処をも、はづる也。仏法の中にも、又、戒律是の如し〉とあります。他人が見ているときと同じように、隠すべきところは隠し、恥ずべきところは恥じるべきだというのです。それは仏法の戒律でも同じだと考えられています。
 鈴木正三(1579~1655)の『盲安杖』には、〈心に心を恥じる〉とあり、〈心を敵にしてひとりつゝしめ。心中のあやまり、人はしらねども、我慥に是をしる。心をすまして是をおもへ。余所の人は我にしられん事をはづ。去ば我なんぞ我に恥ざらんや〉とあります。人に知られて恥ずかしく思うように、自分自身に恥じるべきことが語られています。

 

 第三項 武士の恥
 日本人の中でも、とりわけ武士は名を重んじ、恥を知りすぎるほどに知っています。
 『将門記(940)』では、〈現在に生きて恥有らば、死後に誉れなし〉とあり、名が恥と関連付けられて捉えられています。
 『陸奥話記(1062)』には、〈故をもて免るることを得たり。武き士猶しもて恥と為せり〉とあります。理屈をつけて責任から逃れることを、武士は恥としたというのです。
 『平治物語(1159)』には、〈弓矢取る身は、敵に恥を与へじと互ひに思ふこそ、本意なれ〉とあります。武士は、お互いに相手に恥をかかせないようにするというのです。
 『平家物語』には、〈恥ある者は打死し、つれなき者はおちぞゆく〉とあります。恥を知る者は戦って死に、恥をかくことに何も感じない者は落ち延びたと語られています。
 『太平記』[巻第九]には、〈弓矢取りの死ぬべき所にて死なねば恥をみる、と申し習はしたるは、理にて候ひけり〉とあります。武士が死ぬべき所で死なないのは恥ずかしいことだというのです。[巻第三十]には、〈弓矢の道は二心あるを以て恥とするところなり〉とあります。武士道では、二心を抱くことが恥だとされています。[巻第三十四]には、〈軍の習ひ、負くるは常の事なり。ただ戦ふべきところを戦はずして、身を慎むを以て恥とす〉とあります。合戦において負けるのは常ですが、戦うべきところで戦わず、命を優先することは恥だと語られています。
 『甲陽軍艦』には、〈とてもの儀に、慢気なくして、年増をばうやまい、年おとりを引きたて、同年をば、たがひにうちとけ、其中によく近づく人のたらぬ事ある共、よく異見を仕り、惣別人も我もよきやうにと存知、少しもへつらふたる儀いでば、心に心を恥る人は、何に付けても、大きにほめたる事なりといふて云々〉とあります。周りに気を使い、誰とでも仲良くなるような人なら、心に心を恥じる人は大いに誉めるだろうと語られています。
 大久保彦左衛門(1560~1639)の『三河物語(1622)』には、〈瀬名殿御情を忘れ申て落行く物ならバ、我が身の恥ハさておきぬ、国の恥をかき申間敷〉とあります。ここでの国は三河を指し、国の恥は徳川家の恥を指しています。
 大道寺友山(1639~1730)の『武道初心集』には、〈義を行ふと申に付て三段の様子〉として、〈誠によく義を行ふ人〉、〈心に恥て義を行ふ人〉、〈人を恥て義を行ふ人〉の順で述べられています。誠に義を行う人を最上にし、その次に恥じることができる人が続いています。恥じることができる人に対しても、二つに分類されており、上位の恥を己の心に恥じることとし、下位の恥を他人に恥じることとしています。

 

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[図9-4] 義の順番と恥の関係

 

 近松門左衛門(1653~1724)の『丹波与作待夜の小室節』には、〈主君の恩を報ぜぬは侍たる身の大恥と知らざるか〉とあります。また、〈犬畜生といはれふが我が身の恥を振捨て。厚恩の主君に忠節を励むこそ。恥を知つたる侍大丈夫の武士の。生粋と云ふ物ぞ〉ともあります。恩に報えないことは、武士の恥だというのです。
 山本常朝(1659~1719)の『葉隠』には、〈図に迦れて死たらば、気違にて恥には成らず〉とあります。立派な振舞い方からはずれて死んでも、恥にはならないというのです。そのため、〈命を捨るが衆道の至極也。さなければ恥に成也〉とも語られています。死ぬべきときに死ねねば、恥になるというのです。
 広瀬淡窓(1782~1856)の『迂言』には、〈「恥ヲ知」ハ聖人ノ教ニシテ、武門ニテハ尤モ重ズル所ナリ〉とあり、恥か否かの具体例がいくつも語られています。その基準は、〈凡ソ人ニ笑ルルハ、恥辱ト立ルハ俗人ノ見ナリ。唯智者ニ笑ハレヌ様ニ心ガクベシ。愚者ニ笑レタチトテ少モ恥ベキ事ニアラズ〉と示されています。人に笑われるのを恥とするのは俗に過ぎることで、知者に笑われないように心がけることが肝心だと説かれています。愚か者に笑われたところで少しも恥ではないというのです。

 

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[図9-5] 恥の基準

 

 藤田東湖(1805~1855)の『壬辰封事』には、〈畢竟変難ノ場ニ踏カカリ、忠節ヲ尽シ、死生ヲ事トモセザルノ士ハ、太平ノ世ニ在テハ、道義ヲ重ンジ、利禄ヲ軽ンジ、心ニ恥ルコトヲ行ハザルノ人ナリ〉とあります。結局のところ、緊急事態に忠節を重んじて命を顧みずに働く武士は、太平の世でも義を重く利を軽く見ることができ、心に恥じることのできる人だというのです。
 吉田松陰(1830~1859)の『講孟余話』には、〈大丈夫自立の処なかるべからず。人に倚つて貴く、人に倚つて賤きは大丈夫の深く恥るところ〉とあります。人によって態度を変えるのは、一人前の男として恥ずべきことだというのです。
 橋本左内(1834~1859)の『啓発録』には、〈道徳ハ初ノ心ニ慚(はず)ル様ニ成行モノニテ候〉とあります。道徳は、心に恥を覚えるようになってからだというのです。


第二節 日本の罪
 罪とは、規範や法律に背くなど、禁止事項を犯すことです。
 罪に対しては、罰が与えられます。罰は、懲らしめ、仕置き、咎めなどのことです。日本での罰は、人間間においては「ばつ」として、神仏の次元では「ばち」として捉えられています。
 中国の古典を参照すると、『墨子』には〈罪とは禁を犯すなり〉とあり、『説文解字』には〈罪とは法を犯すなり〉とあります。

 

 第一項 神話の罪
 日本神話においては、特殊な罪が示されています。
 『万葉集』[巻第四]には、〈味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひがたき〉とあります。神聖な杉に手を触れたため、その罪によって愛しい人に逢いがたくなったというのです。神による罰(ばち)が暗示されています。
 『延喜式(成立927、施行967)』には罪の記述として、〈安國と平らけく知ろしめさむ國中に、成り出でむ天の?人等が過ち犯しけむ雜雜の罪事は、天つ罪と、畔放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸・許多の罪を天つ罪と法り別けて、國つ罪と、生膚断・死膚断・白人・こくみ・おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆虫の災・高つ?の炎・畜仆し蠱物する罪、許多の罪出でむ〉とあります。天つ罪は、他人の耕作地を犯す罪や、まつりの行事などを妨害する罪を指しています。国つ罪は、性的なタブー(禁忌)を犯す罪や膚を傷つけたり・皮膚病あるいは虫・雷・鳥などによる災禍を指しています。解釈は諸説ありますが、天津罪は共同体に関わる犯罪であり、国津罪は個人に関わる犯罪だとされています。
 本居宣長(1730~1801)の『古事記伝』には、〈罪とは必ずしも悪行(あしきわざ)に非ず、穢(けがれ)又禍(わざわい)など心とするには非で自然(おのずから)にある事にても凡て厭い悪(にく)むべき凶事(あしきこと)をば、皆都美(つみ)と云うなり〉とあります。神話の時代においては、禍々しい出来事に罪という言葉が用いられた事例が見られます。

 

 第二項 法令の罪
 日本の法制度における法令において、何々することなかれという禁止が示されています。禁止を犯すと罪になり罰せられます。罪について、直接言及されている場合もあります。
 例えば『十七条憲法』[第四条]には、〈礼をもって本(もと)とせよ〉という規範が示された上で、〈上、礼なきときは、下(しも)、斉(ととのお)らず、下、礼なきときは、かならず罪あり〉と規定されています。礼が無いことは罪だとされているのです。[第十一条]には、〈功過(こうか)を明らかに察(み)て、賞罰かならず当てよ〉とあります。功績には賞賛を、罪過には罰を適切に行うべきことが語られています。
古代国家の基本法である『律令』では、唐律・日本律ともに、犯罪と刑罰の区別は明確ではありませんでした。犯した罪の軽重を、加えるべき計の軽重によって表現することがしばしば行われています。日本の五罪は、苔(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)の五つです。苔(ち)は苔(むち)で臀を打ち、杖は杖で臀を打つ体罰刑でした。徒は懲役刑で、流は流罪、死は死刑です。
 『御成敗式目(貞永式目)』は、貞永元年(1232)に制定された鎌倉幕府の基本法典です。[第四条]には、〈守護人、事の由を申さず、罪科の跡を没収する事〉について定められています。〈恣(ほしいまゝ)に罪科の跡と称して私に没収せしむるの条、理不尽の沙汰甚だ自由の奸謀なり〉とあり、〈なほ以て違犯する者は罪科に処せらるべし〉とあります。罪人の所有物を勝手に没収することが戒められ、それが過ぎると罪となることが示されています。[第十条]には、〈殺害刃傷罪科事〉について定められています。例えば、〈不慮の外にもし殺害を犯す者は、その身死罪に行はれ、ならびに流刑に処せられ〉とあります。過失でなく殺害の罪を犯した者は、死罪もしくは流刑に処せられるというのです。
 『武家諸法度』は、元和元年(1615)徳川家康の命により2代将軍秀忠のときに発布された、江戸幕府が諸大名を統制するために制定した法令です。その後、必要に応じて改訂されています。禁止事項が定められていて、例えば〈新規ノ城郭構営ハ堅クコレヲ禁止ス〉とあり、新たに築城することが禁止されています。また、〈新儀ヲ企テ徒党ヲ結ビ誓約ヲ成スノ儀、制禁ノ事〉とあり、謀反を企て、徒党を組んで誓約を交わすことを禁止しています。他には、〈諸国主ナラビニ領主等私ノ諍論致スベカラズ〉とあり、諸国の藩主や領主の私闘が禁じられています。〈私ノ関所・新法ノ津留メ制禁ノ事〉という事項もあり、私的な関所を作ったり、新法を制定して港の流通を止めてはならないことが定められています。

 

 第三項 世俗の罪
 日本人は、恥ほど多くはありませんが、罪についても大いに考え語っています。
 鴨長明(1155~1216)の『発心集』には、〈この罪の深しといふ、何ぞ。みな、我が身を思ひし故なり〉とあります。我が身をいとおしく思うために、罪深いというのです。
 『十訓抄(1252)』には、〈また人に一度の咎あればとて、重き罪を行ふこと、よく思慮あるべし〉とあります。一度の過失で重罰を科すことは、よく考えなければならないというのです。他にも、〈よろづの罪を失ふ法とせり。一切の罪をおかすこと、ものにしのびえぬが、いたすところなり〉とあります。罪を犯すことは、すべて何事かを耐え忍べなかったことから始まるというのです。
 大久保彦左衛門(1560~1639)の『三河物語(1622)』では、〈二罪〉という言葉が出てきます。二罪とは、二重の罪であり、一揆加担の罪と和議を破った罪のことです。経典では性罪(しょうざい)と遮罪(しゃざい)を二罪と言います。性罪は盗殺等の仏制を持たない本来の罪悪をいい、遮罪は五逆罪・七逆罪等の仏制による罪悪を言います。五逆罪は、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破る罪を言います。それに、和尚を殺し、阿闍梨を殺す二罪を加えて七逆罪となります。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』では、法と罰の関係について、〈法度出来て後は、これをいむなり。法をおかすは不義なれば、これを罰するものなり。いはんや、日本の水土によりて立られたる神道の法なれば、をかしては神罰有べく候。神道の本は義理なれば、義理有てはくるしからじ。ただに欲するにまかせてやぶるべからず〉とあります。法度は禁制のことで、義理は人間として当然なすべき務めのことです。法を犯すことは、当然なすべき務めに背いているため、罰せられるというのです。神道の法に背くなら、神罰が下ると考えられています。
 石田梅岩(1685~1744)の『都鄙問答』には、〈?(タノ)ム人ハ下ナリ。?(タノマ)ルヽ者ハ上ナリ。?ム者モ?ルヽ者モ罪アリ。然レドモ七分ノ罪ハ上ニアリ、三分ノ罪ハ下ニアリ〉とあり、〈上ノ?潔ヲ法トスルハ古ヨリノ道ナリ〉とあります。罪がある場合、頼む下の人が三割で、頼まれる上の人が七割であるため、上の人には精神の清潔さが必要だというのです。
 徳川宗春(1696~1764)の『温知政要』には、〈万の法度号令年々に多くなるに随ひ、おのづから背く者も多く出来て、弥(いよいよ)法令繁煩はしき事に成たり〉とあります。法が多くなるにつれ、法に背く者も多くなるため、法が煩雑なのはよくないとされています。
 佐藤一斎(1772~1859)の『言志四録』[言志後録]には、〈一罪科を処するにも、亦智・仁・勇有り。公以て愛憎を忘れ、識以て情偽を尽くし、断以て軽重を決す。識は智なり。公は仁なり。断は勇なり〉とあります。罪を裁くには、智仁勇の三徳が必要だというのです。


第三節 日本の恥と罪
 日本の恥と罪は、相互に関係し合っています。
日本では、あるべき様へと向かいながらも、そこから外れたときに恥が生まれます。禁じられたことを犯してしまったときに罪が生まれます。
 また、恥のあるべき様が何であるかによって、恥は多彩に変化します。あるべき様が善や正しさについてであれば、恥は「きまりが悪い」や「ばつが悪い」、あるいは「間が悪い」としてあらわれます。あるべき様が美についてであれば、「みっともない」や「かっこう悪い」、「はしたない」としてあらわれてきます。

 

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[図9-6] 善の恥と美の恥

 

 第一項 恥と罪の内面と外面
 日本人の恥と罪には、内面におけるものと外面におけるものがあります。
 自分には、自分がこうありたいと思うあり様があります。また、世の中が自分に要求してくるあるべき様があります。同様に、自分が自身に課した禁則があり、世の中が個人に課している禁止があります。ですから、恥も罪も、自己の内面と外面の両方に作用するのです。
 恥の二面については、法相宗の良遍(1194~1252)や、石門心学の柴田鳩翁(1783~1839)の見解が参考になります。
 良遍の『法相二巻抄』には、〈慚ノ心所ハ、身ニモ恥ヂ法ニモ恥ヂ、モロモロノ罪ヲ作ラザル心也。愧ノ心所ハ、世間ニ恥テ諸罪ヲ作ラザル心也〉とあります。慚は、梵語「hri.」であり、自己の行為を反省し恥じる心であり、その恥によって罪を作らないようにする心です。愧は、梵語「apatrapya.」であり、世間に対して恥じる心であり、その恥によって罪を作らないようにする心です。
 柴田鳩翁の『鳩翁道話』には、〈なるほどよう人は恥を知ったものじゃ。そのはずでござります、「羞悪ノ心ハ義ノ端」と申して恥を知るが人の生れつき、然しながらその恥を知るに二様ござりまして、姿の恥を知って心の恥をしらぬ人がござります。これはきついご了簡ちがいじゃ、心ほど大切なものはござりませぬ〉とあります。「羞悪ノ心ハ義ノ端」は、『孟子』[公孫丑章]にある言葉です。人に姿を見られることによって沸き起こる恥と、自身の心に照らして起こる恥を区別しています。もちろん、心の恥の方が重要視されています。

 

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[図9-7] 恥の内面と外面

 

 罪の二面については、貝原益軒(1630~1714)の見解が参考になります。
 貝原益軒の『五常訓』では、〈法ヲタテ、罪アルヲ刑シテイマシムルハ、義也〉と語られています。法律に則り、罪に応じた刑罰を科すのが正しいというのです。同じく益軒の『大和俗訓』では、〈偽としりて、わが心をあざむくは罪ふかし〉とあり、自己の内面の罪について語られています。

 

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[図9-8] 罪の内面と外面

 

 江戸の刑法では、この外面の罪に内面の罪が考慮されていました。そのため、罪が故意であるか否かで罰則に差がつけられていたのです。故意の犯罪の場合では、功を以て犯した罪(計画的犯罪)と、そうではない当座の罪(出来心の犯罪)が区別され、前者が後者より重く罰せられていました。

 

 第二項 恥と罪の内外差
 恥も罪も、その内面と外面が一致している箇所もあれば、異なっている箇所もあります。そのズレによって、恥や罪は多彩な色合いを帯びます。
 例えば、恥において自己の評価と世の中の評価にズレが生じる場合があります。自己の評価が低く、世の中の評価が高い場合は、その恥は「照れくさい」や「面映い」としてあらわれてきます。逆の場合、その向きはともかく、その恥は「悔しい」など、世の中へ働きかけるための起爆剤となります。

 

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[図9-9] 恥の内外差

 

 罪においても、自己の意識と世の中の意識にズレが生じる場合があります。法律を犯しても罪の意識を感じないことがあります。逆に、法律に違反していなくても罪の意識を感じることもあります。

 

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[図9-10] 罪の内外差

 

 第三項 恥と罪の交差
 緊急事態には、恥と罪が交差することがありえます。
 『平家物語』[紅葉]には、〈今の代の民は、朕が心をも(ッ)て心とするがゆゑにかだましき者朝にあ(ッ)て、罪ををかす。是わが恥にあらずや〉とあります。今の世の民は、私の心をもって自分たちの心としているので、心の曲がった者が居て罪を犯すのは、私自身の恥だというのです。罪を少なくすべしという世の中のあり方から外れているため、為政者として恥を感じていることが分かります。
 [瀬尾最期]では、妹尾兼康(1123~1183)の自害が語られています。兼康は、〈同隷ども、『兼康いまは六十にあまりたる者の、幾程の命を惜しうでただひとりある子を捨てておちけるやらん』といはれむ事こそ恥づかしけれ〉と述べています。同輩に、六十を越えてまで命を惜しみ、一人息子を見捨てて落ち延びたと言われるのは恥ずかしいというのです。そこで、息子の小太郎のところへ引き返します。父の姿を見た小太郎は、〈我ゆゑに御命をうしなひ参らせむ事、五逆罪にや候はんずらむ。ただとうとうのびさせ給へ〉と述べています。私のために命を失わせることは、五逆罪となるため、速やかに落ち延びてくださいと頼んでいます。それでも兼康は、〈思ひき(ッ)たるうへは〉と述べ、覚悟を決めた上は決意は変わらないことを諭しています。五逆罪とは、仏教における最も重い五つの罪悪のことです。父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢を殺すこと、仏身を傷つけること、僧の集団をそこなうことを指しています。兼康が、罪よりも恥によって行動していることが分かります。緊急事態においては、平時には禁止されていたことを、敢えて為さなければならないことがあるのです。その為すべきことを為さないのは恥です。それ故、為すべきことを為し、結果として平時に形成された罪に触れてしまうのです。
 吉田松陰(1830~1859)の『書簡(嘉永四年)』にも、〈自余尋常の問聞は、寧ろ罪を獲とも断じて為さじ。知らず道の権に於て何如〉とあります。道の権とは、文通の道における臨機適宜の態度のことです。只ならぬ事態においては、臨機応変に対処し、たとえ罪となろうと、為すべきことを為すことが示されています。
 平時と戦時(緊急事態)では、恥と罪の関係が変化することがありえるのです。

 

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[図9-11] 恥と罪の平時と戦時

 

 平時では、規範は禁止の枠内にあります。平時では、恥の意識によって行動しても罪になることはありません。しかし戦時では、規範が禁止の外に出てしまうことがあるのです。そのとき恥の意識によって行動すると、罪を犯すことになります。気高い者は、緊急事態には、あえて罪を犯して為すべきことを為すのです。

 

 第四項 「恥と罪の体系」対「義務と権利の体系」
 恥と罪の相互作用において、「恥と罪の体系」が想定されます。また、「恥と罪の体系」とは別に、西洋由来の「義務と権利の体系」があります。
 「恥と罪の体系」とは、かなり簡単に言ってしまえば、「何々すべし」と「何々することなかれ」を軸として組み合わせた体系のことです。「何々することなかれ」は、裏返せば「何々せよ」という強制になり、これは「義務と権利の体系」では義務と呼ばれています。強制(義務)は、禁止と表裏の関係にあります。禁止の枠内は、「何々してもよい」であり、許容された範囲となります。「何々してもよい」という考え方は、「何々することなかれ」や「何々せよ」を融解させていきます。具体的には、江戸時代末期の「ええじゃないか」などが挙げられます。しかし、「何々すべし」があることによって、「何々することなかれ」や「何々せよ」を築くことができます。それらの相互作用によって、「恥と罪の体系」はうまく廻っていくのです。
 例えば、平時においては、「何々することなかれ」の枠内の内実が「何々すべし」で試行錯誤されます。戦時においては、「何々すべし」が「何々することなかれ」を必要に応じて破ります。様々な状況において、「何々すべし」、「何々することなかれ」、「何々せよ」、「何々してもよい」のそれぞれが相互に関係し合って、「恥と罪の体系」は調和を保つのです。

 

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[図9-12] 恥と罪の体系

 

 「義務と権利の体系」は、「何々することなかれ」を軸にした体系です。「何々することなかれ」の枠内の内実は問われずに、権利や自由として掲げられます。権利や自由は、「何々してもよい」として賞賛されます。「何々することなかれ」を裏返した「何々せよ」は義務として機能します。最低限と思われることが義務として課され、それ以外は「何々してもよい」とされるのが、「義務と権利の体系」なのです。
 そこでは、権利意識が義務や禁止を溶解させます。そのため、義務は権利より勝るということを徹底させるか、強い宗教意識などの隠れた規範が内在していなければなりません。それらが崩れると、「義務と権利の体系」は混乱に陥ります。

 

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[図9-13] 義務と権利の体系

 

 「何々してもよい」という権利意識は、法に違反しなければ何をしても良いと考え出します。このように考える人たちが一定数を超えれば、もうほとんど手遅れです。しかも、さらに悪いことに、法に違反してもバレなければ良いという考えに行き着くのも時間の問題です。さらに、法自体を公正の観点ではなく、欲望の観点から一部に都合よく変えてゆくことすら平然と起こります。「義務と権利の体系」において、この堕落に陥らないことは非常に困難です。

 

 第五項 恥と罪の体系へ
 日本は本来「義務と権利の体系」ではなく、「恥と罪の体系」によって治められていた国でした。
 例えば『十七条憲法』[第一条]では、〈和をもって貴(とうと)し〉の規範があり、〈忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ〉という禁止があります。和を乱したり、逆らったりしたら罪となるのです。和を尊重しながらも、うまく場の和を治められなければ、恥を覚えます。
 『武家諸法度』には、〈文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムベキ事〉とあるように、何々すべきことが示されています。強制(義務)に当たるものとしては、〈大名・小名在江戸交替相定ムル所ナリ。毎歳夏四月中、参勤致スベシ〉とあり、参勤交代が挙げられます。その条件として、〈国郡ノ費、且ハ人民ノ労ナリ。向後ソノ相応ヲ以テコレヲ減少スベシ〉とあり、人民の負担軽減すべきことが記されています。禁止については、〈新規ノ城郭構営ハ堅クコレヲ禁止ス〉などがあり、禁止事項もきちんと定められていることが分かります。
 『御成敗式目(貞永式目)』にも、〈神社を修理し、祭祀を専らにすべき事〉や〈寺塔を修造し、仏事等を勤行すべき事〉のように、何々すべきことが示されています。同時に、〈謀叛人の事〉や〈殺害刃傷の事〉のように、罪と罰に関わることも示されています。
 『五箇条の御誓文』は、慶応4年(1868)に明治天皇が宣布した明治新政府の基本政策です。〈広く会議を興し、万機公論に決すべし〉、〈上下(しゃうか)心を一にして、盛に経綸(けいりん)を行ふべし〉、〈官武一途庶民に至る迄、各其志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す〉、〈旧来の陋習(ろうしふ)を破り、天地の公道に基くべし〉、〈智識を世界に求め、大に皇基を振起すべし〉の五箇条で構成されています。基本的に、何々すべしという規範が掲げられています。
 しかし、西洋の「義務と権利の体系」の影響を受けた『大日本帝国憲法』には、「何々すべし」という規範が消えかけています。『大日本帝国憲法』は、明治22年(1889)に明治天皇によって公布され、翌年施行された欽定憲法です。規範は『五箇条の御誓文』で示されているので、相関関係にあるという見方も成り立つかもしれません。
 [第一章 天皇]では、〈第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス〉とあります。実際の行為については、〈第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ〉と規定されています。
 [第二章 臣民権利義務]では、義務が示される一方で、権利は自由として示されています。まず、〈第18条 日本臣民タルノ要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル〉と定められています。その上で、義務については、〈第20条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス〉や、〈第21条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス〉などが記されています。権利については、〈第22条 日本臣民は法律ノ範囲内ニオイテ居住及移転ノ自由ヲ有ス〉や、〈第29条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニオイテ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス〉などが、自由として記されています。
 「恥と罪の体系」では、平時においては禁止の枠内において何をすべきかが問われています。そこに名誉や恥が複雑に絡み合い、重荷を背負う人が讃えられます。日本では、禁止条項が人の世の情理に適っているため、罪に対する意識は恥に比べて希薄になっています。戦時では、恥の感覚により、禁止を破ってでも為すべきことを為し、緊急事態に対処できる可能性があります。
 「義務と権利の体系」では、禁止の枠内において、堕落が始まります。重荷を誰もが嫌がり、自分以外に背負わせようとします。重荷を背負おうとしないことが称えられることすらあります。その堕落を防ぐための防波堤(強い義務意識や宗教感覚)が社会に残存している内はまだマシですが、それが崩れると、社会は混乱に陥ります。
「義務と権利の体系」に非常事態条項がある場合、戦時が想定されていて、緊急時に対処できる可能性があります。非常事態条項がない場合、戦時が想定されておらず、緊急時に対処できません。ちなみに現在の『日本国憲法』には、非常事態条項はありません。
 日本は現在「義務と権利の体系」になってしまっていますが、「恥と罪の体系」の方が優れているのですから、「恥と罪の体系」へと戻るべきだと思うのです。


<備考>
 西洋においては、アリストテレス(BC384~BC322)の『ニコマコス倫理学』に、〈羞恥は「不面目に対する一種の恐怖」と定義〉されています。この定義は妥当であり、肯けます。
 しかし、西洋ではキリスト教の影響により、恥の感覚が罪の意識によって侵食され、不気味な様相を呈しています。キリスト教の罪は、人の世の罪ではなく、(人の誰かが定めた)神による罪であり、人の情から懸け離れたものだからです。人の世の情理を無視した禁止条項を設けた場合、罪の意識が不気味に肥大化していくのです。

 

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