『思想遊戯』第一章 第一節 桜の森の満開の下



 とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。


 坂口安吾『桜の森の満開の下』より




第一項

 学内には噴水があり、そこのベンチに腰掛けて本を読むことは、とても贅沢なことだと思う。

 本を読んでいるうちに、しおりを挟んであるページまで進んだ。そのページをめくったとき、しおりが風に流される。僕は「あっ」と言って、流されたしおりを目で追っていった。

 しおりは、少し離れたベンチの方へ流されていき、自分と同じように本を読んでいる人の近くに落ちた。その人は、本をから目を離し、こちらを見た。一瞬だけ目が合ったような気がした。

 その女性は、長い黒髪で、薄い水色のワンピースを着ていた。持っている本は、文庫本だろうか。

 僕はゆっくりとその人のそばまで歩いて行き、ゆっくりとしおりを拾った。その人の方を向いたとき、目が合った。今度は、気のせいじゃない。

 ドキドキした。本当に、心臓の音がドクンドクンと脈を打つのが聞こえた。とてもきれいな女性だ。

???「こんにちは。」

 僕が何か言おうとしたとき、意外にも彼女の方から話しかけてきた。

僕「あっ、こ、こんにちは。」

 僕は、自分でも格好悪いと思うくらいにうろたえて返事をした。彼女の視線に耐えられない。自分が、とてもみっともなく感じられた。

???「どのような本を読んでいるのですか?」

 彼女は、透き通った声で僕にたずねた。

僕「えっと、『桜の森の満開の下』です。坂口安吾って作家の。」

 僕は、しどろもどろになって表紙を彼女の方へ向けた。彼女は、本は見ずに僕の目を見たままたずねる。

???「坂口安吾、好きなのですか?」

僕「いや、それほどでも・・・。あっ、でも、『堕落論』とかは、なんか好きかも・・・。」

 そのとき、彼女の眼が妖しく光った・・・ような気がした。月並みな表現だけれども、ゾクッと背筋に寒気が走った。

???「私も、坂口安吾の『堕落論』は読んだことがあります。興味深いですよね。」

僕「ははっ・・・、そうですね。」

 僕は、曖昧に答えた。興味深いって、『堕落論』のことか? それとも、『堕落論』を持ち出した僕のやり方のことか?

???「坂口安吾は、なぜ堕落するのかという理由として、人間だから堕落するとか、生きているから堕落するとかいうようなことを述べていますよね?」

 僕は、『堕落論』についての記憶を思い出そうと、脳をフル回転させた。必要な情報を取捨選択し、選び取って、言語化する。

僕「はい。そうですね。確か、自分自身を救うために、墜ちるところまで墜ちることが必要だと、そういうことだったと思います。」

 僕は、できるだけ平静を装って述べた。

???「あなたは、救いのために、墜ちるところまで墜ちることが必要だと思いますか?」

 彼女は、僕に疑問を投げかけた。ここは重要だ。なんて答えを返すべきなのか? 僕は、一呼吸おいてから、静かに答えた。

僕「今、僕はすぐに提示できる答えを持っていません。もし宜しければ、よく考えから回答したいので、少しお時間をいただけませんか?」

 僕は、彼女の瞳を見つめた。彼女も、僕を見つめていた。彼女は、どこか冷たさすら感じさせる無表情で、じっとそこにたたずんでいた。しばらくして、すっと、彼女の口元に薄い微笑みが浮かんだ。

???「分かりました。来週のこの時間、私はここで本を読んでいます。もし、答えが見つかったのなら、そのときに教えてくださいね。」

 彼女の答えに、僕はとても嬉しくなった。

僕「はい。そうですね。来週にでも・・・。ところで、僕の名前は、佳山智樹(かやま ともき)と言います。もし宜しければ・・・。」

???「私は、上条です。上条一葉(かみじょう かずは)。上下(うえした)の上に、条件の条で上条、樋口一葉(ひぐち いちよう)の一葉(いちよう)で、一葉(かずは)と読みます。」

 僕は、忘れないように、心の中で三回ほど彼女の名前を復唱した。

智樹「ありがとうございます。上条さん。それでは、また。」

一葉「ええ。さようなら。」

 そう言葉を交わして、僕らは別れた。

 こうして僕は彼女と知り合いになった。この出会いは、僕の人生に何か転機をもたらすことになる。そんな予感を少しだけ抱いた。



第二項

 僕は講義の後、友人の水沢祈(みずさわ いのり)に話しかけた。

智樹「なあ、水沢。」

祈「何かな?」

 水沢がこちらへ振り向く。ショートカットの髪が静かに揺れた。

智樹「坂口安吾って、読んだことある?」

祈「どうして?」

 僕は、聞く相手を間違えたかなと思った。

智樹「そうだよなぁ。水沢はそんなの読むようなタイプじゃないよなぁ」

 そう言うと、水沢は意外そうな顔をした。

祈「どうしてかな? あるよ、読んだこと。」

智樹「あるの?」

 僕は、質問しておきながら、その答えに少し驚いた。本当に読んだことがあるとは思っていなかった。ただ、坂口安吾の知名度はどのくらいなのかと試しに聞いてみただけだったのだけど。

智樹「『堕落論』は? 読んだことある?」

 水沢は、う~んと少し考えこんだ。あと、実際に「う~ん」とか言うな。なんか、こいつに合っていてかわいいではないか。

祈「ええと、『堕落論』は素晴らしいよね。人間は堕落しろって。朝は布団にくるまって寝過ごし、お昼はおいしいものをカロリーを気にせずに食べ、夜は・・・」

智樹「スト~~~ップ。それ違う。何、そのダメ人間のための本は。そんなこと『堕落論』には書いてないっしょ。」

祈「あれ? でも『堕落論』って、堕落を勧める本じゃなかったっけ?」

 それは違うだろうと言いかけて、僕は黙ってしまった。『堕落論』という題名なのだから、堕落を勧めているのではないか? だとしたら、その堕落の内容こそが問題なのではないのか?

 黙って考え込んでしまった僕を見て、水沢は面白そうに言った。

祈「確かに、ダラダラしろっていう堕落の勧めではないね。ええと、私が読んだ感じだと、堕落っていうのは、人間の醜さみたいなものを見すえろってことだったと思うな。」

 水沢の言葉に、僕はうなずく。やっぱり水沢って、けっこう難しい話もいける感じだな。そんな感想はともかく、水沢が言ったことはとても重要なことだと思う。

智樹「人間の醜さから眼をそらさないことが、堕落ってこと?」

祈「う~ん? 読んだのはけっこう前だから、うろ覚えなんだけど・・・。」

智樹「それでもいいから。」

祈「え~と、確か、人間ってきれい事が好きだけど、きれい事じゃすまないこともあるでしょう? でも、やっぱりきれい事が好きだから、嫌なものに蓋(ふた)じゃないけど、きたないことから目を背けるでしょう。それじゃダメだってことじゃないかな?」

 僕は水沢の言葉に驚いて、そして素直に少し感動した。

智樹「水沢の言う通りかもな。堕落にこそ、何か真実が隠されているのかもしれない・・・。」

祈「でもさぁ、それだけじゃなかったような気もするなぁ・・・。」

智樹「えっ? 何ですと?」

祈「う~ん? 忘れちゃった。私、次の講義があるんだ。それじゃ。」

 そう言って、水沢は去って行った。なんだよ、大事なところで。しかたない。もう少し、

自分で考えてみるか。

 僕は、家に帰ってから『堕落論』を読み返してみた。『堕落論』は、第二次世界大戦後に、つまり日本の敗戦直後に書かれた作品だ。この短いエッセイは、相当な評価をもって当時の日本人にむかえられたようだ。

 安吾の語りの中に、戦争未亡人について論じた箇所があった。女心の変わりやすさを知っていながら、男の勝手な希望というか妄執のために、戦時中は恋愛の執筆が禁じられていたと指摘されている。つまり、貞操観念というきれい事が蔓延していたのだ。しかし、〈未亡人が使徒たることも幻想にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか〉、そう安吾は述べているのだ。

 そうかもしれない。そう、僕は思った。それが堕落だというのなら、むしろきれい事に留まっている方が、何も始まらなくなってしまうのではないだろうか? 堕落してこそ、前に進めるということもあるのではないだろうか?



第三項

智樹「こんにちは」

 僕は、ベンチで本を読んでいる上条さんに話しかけた。彼女は、ゆっくりと読んでいた本から眼をはなし、僕の方に顔を向けた。しばらくの間、眼の焦点が合っていないように思えた。その焦点が段々と合ってきて、彼女の意識が本から僕に移っていくように感じられた。

一葉「こんにちは。ええと、佳山・・・智樹さん・・・・・・。」

 彼女が僕のフルネームを覚えていてくれたことが、無性に嬉しく感じられた。なので、僕も名字ではなく、フルネームで返すことにした。

智樹「お久しぶりです。一週間ぶりですね。上条一葉さん。」

 今日の彼女は、青で統一されたカジュアルな服装でたたずんでいた。前見たときのワンピースも素敵だったなとか、漠然と思った。服装について何か言おうか迷ったけれど、まだ今の関係で言うのはどうかと思うので、率直に前回の話題を持ち出す。

智樹「一週間前に約束したこと、覚えていますか? 坂口安吾の『堕落論』について、救いのためには墜ちきることが必要かどうかという質問と、その回答。」

一葉「ええ、覚えています。私も『堕落論』を読み直してきました。今は『桜の森の満開の下』を読んでいました。」

 そう言って、彼女はにっこりと笑って、読んでいた本を僕に見えるようにかざした。確かに、『桜の森の満開の下』だ。気づかなかったのはうかつだった。僕の方から、そのことを指摘するべきだったのに。

 僕は気を取り直してたずねる。

智樹「ここに座ってもいいですか?」

 彼女は一人でベンチの真ん中に腰掛けていた。詰めれば四人は座れるくらいかな。

一葉「どうぞ。」

 彼女はにっこりと笑って、右側にずれて、左側を僕にあけてくれた。ちょっと残念。並んで座ったときの距離が・・・。

智樹「失礼します。」

 僕は、考えていることを悟られないように、微笑を浮かべてゆっくりと座った。並んで座って、上半身を相手の方へ向ける。見つめ合う感じになった。恥ずかしさに耐えられないので、さっそく議題に入ることにした。

智樹「ええと、救いのために墜ちきることが必要か、でしたっけ? それに対する僕の答えは、YESです。」

 僕は、彼女の瞳を見つめて答えた。彼女は、真剣な顔で、僕をじっと見つめている。しばらく互いの顔を見つめ合っていると、しだいに彼女が優しい顔になっていき、できの悪い生徒を言い含めるような言い方をした。

一葉「どうして、YESなのでしょうか?」

 僕の心臓の鼓動が、激しくなった。僕は、解答を間違ったのか? いや、じっくり考えてきたんだ。しっかりと理由を述べるべきだ。

智樹「ええと、坂口安吾のいう堕落とは、真実のことなんですよ。」

 彼女はバックから分厚い革製の手帳を取り出し、パラパラとめくった。

一葉「確かに安吾は、〈堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ、生きよ墜ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか〉と述べていますね。」

 僕は、彼女をまじまじと見つめながらたずねた。

智樹「メモってるんですか?」

一葉「メモしています。」

 そういって、彼女はにっこりと笑った。とてもかわいらしかったが、やっていることは、多分、けっこう引くようなことだと思う。でも、笑顔が可愛いから良いか。我ながら、ダメな男の思考回路だとは思うけれど。

智樹「え~っと、まあ、その、そうなんですよ。安吾は堕落を、真実を明らかにするという意味を込めて使っているんですよ。だから、ええと、『堕落論』は戦争後に書かれたのですけど、戦争によってふさがれていた欺瞞というか、そういうものを批判して、真実を明らかにするってことだと思うんですよ。それで、真実を明らかにするってことは、ある意味で堕落することでもあるんじゃないかと思うんですよ。」

 たどたどしくだけど、僕は彼女に自分の考えをぶつけてみた。彼女は、真剣に聴いてくれていた。

一葉「つまり、真実を明らかにすることは一種の堕落であり、墜ちきることは、真実を追究することになるということですね?」

智樹「そうです。そう。だから、救いのためには、墜ちきることが必要になるんですよ。だから、救いのために墜ちきることが必要かという問いには、YESと答えたわけです。上条さんも、そう思いませんか?」

 僕は嬉しくなって、彼女にたずねた。彼女は少し考えるそぶりを見せてから言った。

一葉「確かに、そういった見方もあると思います。」

 それから彼女は、手帳に眼をおとして言った。

一葉「〈墜ちる道を墜ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない〉という安吾の言葉もあります。ただし、その前に、こういった記述もあるのですよ。〈戦争に負けたから墜ちるのではないのだ。人間だから墜ちるのであり、生きているから墜ちるだけだ〉と。」

 人間だから墜ちる・・・。僕は、彼女が何を言おうとしているのか分からずに、首をかしげた。そんな僕の様子を見て、彼女は言葉を続ける。

一葉「安吾は、こう言っているのです。〈だが人間は永遠に墜ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墜ちぬくためには弱すぎる〉と。ここで、人間が墜ちぬくには弱すぎるという表現が出てきます。これには、いくつかの解釈が可能です。」

 そういって、彼女は僕を見つめた。意見を求めているのだろう。

智樹「真実はときとして残酷なため、それに耐えられない・・・とかですか?」

一葉「そうですね。それも一つの解釈として成り立つと思います。」

 僕は、ちょっとカチンときて、強めに言ってしまった。

智樹「では、他の解釈は? というより、上条さんの解釈はどうなんですか?」

 彼女は、少し間をおいて答えた。

一葉「安吾が、どういう意図で言ったのかは意見の分かれるところでしょう。なぜなら、この文章は、いくつかの解釈が可能になっているからです。佳山さんがおっしゃった、真実が残酷というのも一つの解釈です。補足すると、真実を追求することが、残酷さにつながってしまう場合もありえるということです。その場合には、真実によって堕落が暴かれ、それに耐えきれずに堕落からも逃げ出すことになります。ですが、この解釈では『堕落論』の記述とは異なる点が多く、支持できません。」

 彼女は、すらすらと僕の解釈を却下した。あんまりすんなりダメ出しをくらったので、僕は反発することもできず、おずおずとたずねることしかできなかった。

智樹「では、『堕落論』に合うような解釈とはどのようなものなのでしょうか・・・?」

一葉「堕落を示すことは、同時に堕落していない状態を示すことを意味しています。これは、単純に論理的に導かれる結論です。堕落していない状態とは、堕落している身からすると、それ自体が救いの状態だと見なすことができてしまいます。堕落の状態は、同時に救いの状態を示してしまうのです。少なくとも、その可能性はあると言えるでしょう。」

 僕は、半分くらいは分かったような気がした。

智樹「・・・・・・そうですね。」

一葉「はい。救いが見えないときには、まず墜ちることによって、救いを見出すのです。あたかも部屋を暗くすることによって、明るいときには気づかない光源を見出すことができるように。そして、堕落という闇の黒さを深めることによって、光源への恋慕を高めることも期待できます。そのためにも、堕落を堕落としてはっきりと認識しなければならない、といったところでしょうか?」

 彼女は、すらすらと自説を述べる。彼女はとても頭が良いのが分かった。彼女は手帳に眼を落として話を続ける。

一葉「『堕落論』には、〈人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく墜ちる道を墜ちきることが必要なのだ〉と書かれています。堕落を突き進むことで、救いが見えてくるというのです。そして、墜ちきることで、救いへと向かう気力がわいてくるのかもしれません。」

 僕は、彼女を見つめて言った。

智樹「それが、上条さんの解釈なのですね。」

 彼女は、にっこり笑って言った。

一葉「いいえ、違います。」

智樹「違うのですか!?」

 びっくりして、思わず突っ込んでしまった。

一葉「私の解釈は、『堕落論』の結論を深めたものになります。」

智樹「・・・・・・すいません。よく分からないのですが・・・。」

一葉「人間が墜ちぬくには弱すぎるという表現は、別の角度からの解釈を許容します。おそらく坂口安吾が意図していなかった解釈の可能性によって、『堕落論』では提示しきれていない論点を示すことができるでしょう。」

智樹「それは・・・、どういった論点でしょうか?」

一葉「それは、真偽と善悪のあいだの断絶と結合によって示すことができる、善のあり方です。その論点から、救いのために墜ちきることが必要かという問いに対する私の答えは、NOになります。」

 僕の頭はこんがらがってきた。

智樹「あの、ちょっと意味が分からなくなってしまったのですが・・・。」

 彼女は、手帳をパラパラとめくり、あるページに眼を止めた。

一葉「デイヴィッド・ヒュームという哲学者の『人性論』という本には、面白いことが書かれています。」

智樹「どのようなことでしょうか?」

 突然、哲学者の名前が出てきて、僕はさらに混乱していた。

一葉「ヒュームは、〈どの道徳体系ででも私はいつも気がついていたのだが、その著者は、しばらくは通常の仕方で論究を進め、それから神の存在を立証し、人間に関する事がらについて所見を述べる。ところが、このときに突然、である、ではないという普通の連辞で命題を結ぶのではなく、出会うどの命題も、べきである、べきでないで結ばれていないものはないことに気づいて私は驚くのである〉と述べています。」

智樹「えっと、もう少し分かりやすく・・・。」

一葉「つまり、何々であるというのは、真(しん)に関わることなのですね。」

智樹「シン?」

一葉「真というのは、真実の真のことですね。真実とか虚偽とかを示すのに、何々であるとか、何々ではないという言い方をするということです。そして、何々すべきとか、何々すべきでないということは、善に関わることです。善悪の善ですね。分かりますか?」

智樹「そこまでは、何とか。」

一葉「ここで重要な点は、真実から善を導くことができないということです。少なくとも、そこには大きな隔たりがあるということです。」

 僕は違和感を覚えた。彼女の言うことは、おかしいのではないか? 少し考えてから、意見をぶつけてみた。

智樹「それは違うと思います。だって、本当のことを言うのは善いことで、嘘をつくのは悪いことでしょう?」

 僕がそう言うと、彼女は僕をじっと見た。僕は、なにか落ち着かなくなった。僕は、彼女から視線をそらせた。

一葉「佳山君は、本当にそう思いますか? 嘘をつくことは、悪いことなのでしょうか?」

 彼女は、不思議な迫力をもった言葉を放った。

智樹「いや、嘘をつくことが必ずしも悪いってわけじゃないとは思いますけど。」

 僕はぎこちなく答える。

一葉「はい。その通りです。嘘は、善いときも悪いときもあるのです。嘘をつくことが優しさになることもあり、相手のためになることもあります。そうだとするのなら、嘘そのものは善にも悪にもなるものであって、嘘から悪を導くことはできない、ということにならないでしょうか?」

智樹「何か、きつねに化かされた感じがしないでもないですけど・・・。」

 彼女は、薄く微笑んだ。

一葉「すぐに同意してもらえるとは思っていません。」

 少し寂しそうに語る彼女は、不謹慎にもどこか色っぽいなと僕は思ってしまった。

智樹「それで、その解釈ですと、救いのために墜ちきることが必要ではない、となるわけですか?」

一葉「そうです。私の解釈ですと、救いのために墜ちきることは必要ではありません。」

智樹「え~っと、そこのところを詳しく・・・。」

一葉「真実と善意は論理的に断絶しています。しかし人間は、そこを勝手に結びつけようとするのです。その結びつきを求める人々の生活の連なりが、歴史を形成していくのです。何故そんなことが起こるかというと、人間は心を持つ存在であり、心は選択を行うものだからです。選択を行うためには優劣が必要であり、そこには善悪が、すなわち、すべきだとかすべきでないとかという価値判断が必要になります。その善悪の判断材料は、事実と呼ばれる現象に求めるしかありません。そのため、論理的には断絶している対象を、論理の飛躍を行うことによって結び付けるのです。その結びつきは、個人レベルでは脆弱ですが、人々の営みを通じて強化されていきます。その結びつきが人間の群れを群れたらしめる段階にまで到達したのならば、それは、慣習や制度や伝統と呼ばれるものになります。このことは、人類史において日々行われていることであり、まったく当たり前の話です。」

 僕は、何がまったく当たり前の話なのか分からなかった。彼女が言っていることは、何かすごく不思議で変なことなんじゃないだろうか? 彼女の話す内容はとても難しくて、すぐに当たり前だと同意できるようなものではないように感じられた。ただ、それに対する反論とか、矛盾点の指摘とかもすぐには思いつかなかったので、僕は続きをうながした。

智樹「それで、どうなるということなのですか?」

一葉「つまり、人間が墜ちぬくには弱すぎるという表現は、人間は堕落という真実をそのまま肯定することができないという意図を含むでしょう。」

智樹「人間は、堕落という真実をそのまま肯定することができない・・・。」

 僕は、彼女の言葉を反芻した。

一葉「例えば、心の無いもの。例えば、道ばたに落ちている石は、真実をありのままに体現しています。」

智樹「道ばたに落ちている石は・・・。」

 僕は、当たりを見回したけれど、落ちている手頃な石を見つけることはできなかった。

一葉「道ばたに落ちている石と、人間は、違うのです。」

 彼女は、透き通る声で、そう唱えた。僕は彼女の言うことを、全部分かったわけではない。それでも、彼女が何か大切なことを述べようとしていることは分かった。

 ああ、それはきっと素晴らしい賛歌。心有るものたちを祝福する、女神の宣告。当たり前なことを、別の視点から見直すことによって、いつも見ていた光景は、まったく別の意味を持って、まったく別様な輝きをともなって観えるようになる。これは、そんな人生に起こりえる、小さいけれど、驚くべき奇蹟なのかもしれない。そんなことを、漠然と考えた。

一葉「人間は、堕落という真実では満足せず、善悪の判断へと歩みを進めます。そのため、堕落を墜ちきることは方法の一つではありますが、必ずしも必要だというわけではありません。ですから、救いのために墜ちきることが必要かという問いに対する私の答えは、NOになるのです。」

 そう言って、彼女は静かに僕を見つめた。

智樹「いや、あの、ありがとうございます。なんか、色々と面白い解釈を聴かせていただいて。」

一葉「そうですか? 私の話は、難しくて分からないとよく言われるのでが。」

 そういって彼女は、困った顔をした。

智樹「いや、難しいのは難しいんですけど、僕はけっこう、こういう哲学的っていうか、考え方の話は好きなんで、えと、面白かったです。」

一葉「本当でしょうか?」

智樹「本当ですよ。もっと色々と聴きたいくらいです。」

一葉「じゃあ、次は解答編を行いましょうか?」

 そう言って、彼女はにっこり笑った。

智樹「えっ?」

 僕は、間抜けな声を出した。

一葉「ここまでは、『堕落論』の記述をもとにした解釈でした。そして次の解答編は、『続堕落論』の記述も含んだ安吾の解釈を曝し出します。」

智樹「えっと・・・。」

一葉「聴きたくないですか?」

智樹「えっと、聴きたいです・・・。」

 僕は、彼女に続きをうながす言葉を発した。自分の意志で述べたというより、彼女の言葉に導かれるようにして、僕の口から言葉が漏れたように感じられた。

一葉「坂口安吾は『堕落論』の後に、『続堕落論』というエッセイを書いています。そこで、墜ちきることの必要性に関して、より具体的な答えが示されています。」

 そう言って、彼女は手帳をめくった。

一葉「まず要点として、〈人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる〉と語られています。続いて、〈日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ〉とあり、安吾は堕落を勧めているのですね。」

智樹「面白いですね。」

 僕は『堕落論』に続いて、『続堕落論』も一応は読んできていたので、その内容を思い出しながらうなずいた。

一葉「次の要点は、安吾自身が堕落を悪しきことだと認めているところです。〈堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに墜ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない〉とあります。そして、〈我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に墜ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない〉と安吾は語っています。」

 そう言って、彼女は手帳をパラパラとめくった。

一葉「以上の記述から、安吾が意図していた堕落と救いの意味が明らかになります。堕落とは、単純化して述べてしまえば、自分勝手なエゴイズムのことです。道徳や倫理を度外視したエゴイズムの徹底こそが、墜ちきることを意味しており、安吾によって奨励されているこが分かります。」

智樹「確かに、そう言われてみれば、そうとしか考えられないように思えます。でも、なぜ安吾はエゴイズムの徹底を奨励しているのですか?」

 彼女は、僕の言葉にうなずいて話を続ける。

一葉「そうですね。ここでは、『堕落論』で人間が、〈墜ちぬくためには弱すぎる〉と指摘されていたことに注意が必要です。人間は、エゴイズムを徹底できるほどには強くはないということです。人間は、利己的なままではいられず、利他的なことを求めざるをえないということです。利己的というのは自分勝手に考えることで、利他的というのは他人のためになることを考えることですね。安吾は、利他的なことを求めるためにも、まずは徹底的に利己的なことを求め、墜ちきることによって、利他的な方向へと進むことができると考えているのです。」

 だいぶ理解できてきたような気がした。なるほど、そういうことか。

智樹「理解できたような気がします。でも安吾の考え方は、一種の極論じゃないですか? 方法の一つとしてはありですが、別に墜ちきることはないと思います。ほどほどに墜ちて、つまり利己的に振る舞って、それで空しさを感じて、多少は利他的になれればよいだけのような気がしますが。」

 彼女は、嬉しそうに微笑んだ。

一葉「はい。そうですね。私も、安吾の考え方は一種の極論だと思います。『堕落論』が書かれたのが敗戦時ということを考えると、この過激な意見がもてはやされてしまった要因として、敗戦のショックが考えられます。」

 そう言って、彼女は視線を遠くへ向けた。彼女の視線の先には、桜の木がある。穏やかな風が、彼女の髪を静かに揺らす。

智樹「人間は、堕ちぬくためには弱すぎる、か。いい言葉ですよね。」

一葉「そうですね。でも、私は、人間が弱いから、墜ちきることができないのではないと考えています。」

 彼女は、桜を見つめたまま話を続ける。

一葉「人間が心有る存在である以上、心が、この心を通じて複数の心と通じ合わざるをえないという世界の仕組みからして、どうしようもなく、人間は、利己的ではなく利他的なことを考慮しなければならないのです。」

 僕は、彼女の言葉に、どうしようもないほどの危うさを感じた。

智樹「ちょっと、今、上条さんが言ったことは、難しくて理解し切れていないのかもしれないのですが、その意見にはちょっと同意しかねます。利己的ではなく利他的であることを目指すべきだとは思いますが、利他的なことを考慮しなければならないというのは、ちょっと違いませんか?」

 僕がそう言うと、彼女は少し考え込むそぶりをみせ、しばらくして答えてくれた。

一葉「佳山さんのおっしゃることは、その通りだと思います。ですが、分かりにくくて申し訳ないのですが、私の今言ったことは、佳山さんの言いたいことが成り立つための土台の話なのです。」

智樹「土台?」

一葉「ええ。例えば、道徳とか倫理の議論では、もちろん利己的な振る舞いはとがめられて、利他的な振る舞いが称賛されますよね?」

智樹「そうですね。」

一葉「そこで、そういった議論が成り立っているということは、利己的および利他的であるということが、議論をする者たちの間ですでに共通認識として成立しているということになります。」

智樹「う~ん。そりゃあ、そうなりますよね?」

一葉「はい。そうなります。つまり、道徳的には、利己的なことと利他的なことを比べて、その上で利他的な行為を行うことが称賛されるわけです。ここで面白い点はですね、エゴイズムを徹底するためには、この構造がそのまま成り立って、最後だけ逆にすれば良いのです。つまり、自分勝手に振る舞うためには、利己的なことと利他的なことを比べて、その上で利己的な行為を行えば良いわけです。」

 僕は、彼女の言うことを理解しようと努めた。彼女は、とても恐ろしいことを述べているのだと思った。とても危険で、魅惑的なことを述べているんだ。

智樹「そう・・・かもしれませんね。」

一葉「つまり、利己的に振る舞うためにも、利他的なことを考慮しなければならないのです。さらに詳しく述べれば、人間が一人では生きられないという、生物学的な観点からの洞察が必要です。さらに、人間は他人の影響なしには、自らの思考を自立させることができないという心理学的な観点も重要です。ですが、これらは些末な問題ですし、専門的に過ぎるので置いておきます。」

 彼女は、桜から僕の方へ視線を移した。

一葉「話が少し脱線気味になりました。話を戻しましょう。」

 僕はうなずいた。

一葉「坂口安吾が『堕落論』や『続堕落論』で示したのは、利己的ではなく、利他的なことの大切さです。そのために、利己的な堕落を方法論として語ったのです。」

 彼女は、手帳に眼を落とした。

一葉「私の好きな坂口安吾のエッセイに、次のような言葉があります。〈いのちを人にささげる者を詩人という。唄う必要はないのである〉と。」

智樹「詩人・・・。」

一葉「詩人は言葉を人へと伝えます。人に何かを伝えるということは、他者の心を認めているということです。自分の心と、他人の心。そこに共通の何かを想定しているのです。そこには、人間が利他的になりえる可能性が示されていると私は思います。」

 僕は少し考えてから感じたことを述べた。

智樹「利他的であるということは、自分のいのちを人にささげるという可能性を秘めているのかもしれません。」

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。

一葉「このエッセイには、他にも大事なことが示されています。例えば、〈我々愚かな人間も、時にはかかる至高の姿に達し得るということ、それを必死に愛し、まもろうではないか〉とあります。他にも、〈美しいものの真実の発芽は必死にまもり育てねばならぬ〉とあります。安吾は、〈私の卑小さにも拘らず偉大なる魂は実在する。私はそれを信じうるだけで幸せだと思う〉とも述べています。真実には、美しい真実と、醜い真実があります。まもり育てるべきは・・・。」

 そこまで言って、彼女はまた、桜の木の方へ視線を向けた。そして、静寂がおとずれた。僕は彼女の横顔を眺めていたけれど、とうとう沈黙に耐え切れずに、当たり障りのないことを言ってしまった。

智樹「桜は美しいですよね。」

 僕は、そう言ってしまった。桜の花は、まだ咲いていないのに。

一葉「そうですね。桜は美しいです。」

 彼女は、まだ咲いていない桜の木を見つめながら、僕に同意してくれた。



第四項

 僕は、ベッドに寝っ転がって、今日の出来事を振り返ってみた。

 今日は、不思議な一日だったと思う。上条さんという、とても頭の良い女性と不思議な話をした。彼女の話はとても難しくて、とてもじゃないけれど全部は分からなかった。けれども、彼女がとんでもなく頭の良い人だということは分かった。そして、話す内容が、おそらくは、とても大事なことであることも。

 今日話したことは、坂口安吾の『堕落論』・『続堕落論』と『桜の森の満開の下』についてだ。『堕落論』では、安吾が堕落を勧めているのは何故かということを話し合った。僕は、堕落するということを真実と結び付けた案を出したのだけれど、ちょっと検討違いだったようだ。客観的に判断しても、僕の意見は幼稚だったと思う。僕なりに、本を読んで真剣に考えたのだけれど、彼女の意見の足下にも及んでいなかったと感じた。彼女の意見は、安吾の意図を文脈から冷静に分析していた。それどころか、安吾の文章から、別様の解釈の可能性を展開し、ものの見方が多角的であることを示してくれた。その上で、彼女は彼女の考えを堂々と述べていた。すごいことだと思う。

 『堕落論』について論じた後、『桜の森の満開の下』についても少し話をした。僕は、『桜の森の満開の下』を見ながら、その会話を思い出している。『堕落論』については、とても緻密で論理的な話だったけれど、『桜の森の満開の下』についての会話は、神秘的で幻想的に感じられた。『堕落論』の話だけでも僕は混乱していたので、『桜の森の満開の下』についての会話は、曖昧だったこともあり、ぼんやりと頭の中に入ってきていまだに反響している。自分の頭の中に、ちゃんとあのときの会話がとどまるように、本を読みながら漠然と思い出している。

 本をペラペラとめくって斜め読みしていると、〈とっさに彼は分りました。女が鬼であることを〉という文章を見つけた。僕は、ああ、そういうことかと思った。

 そうなんだ。僕は、今日、鬼に出会ったんだ。そして、また来週、僕は鬼に会いに行くんだ。

 『桜の森の満開の下』は、〈あとは花びらと、冷たい虚空がはりつめているばかりでした〉という文章で終わっていた。でも僕の今の心は、虚空がはりつめているわけではなかった。僕の心には、不思議な高揚感と、たしかな期待が踊っていた。僕は、鬼との邂逅を楽しみにしているのだ。僕は一人でニヤニヤして、その日はなかなか眠れなかった。



第五項

智樹「『桜の森の満開の下』は、不思議な話ですよね。」

 僕は、桜の木を見ている彼女に話しかけた。

一葉「はい。不思議な話ですね。」

 彼女は、桜の木を見ながら応えてくれた。

智樹「桜の花の下へ行くと、人は気が変になるんでしたよね? 不思議ですよね。お花見して酔っぱらうとかいうわけでもないのに。」

一葉「桜の花には、不思議な力があるのでしょう。花の咲かない頃は問題ないのですが、花の季節になると、旅人は桜の花の下で気が変になると記述されていましたね。」

 そう言って、彼女は静かに僕を見た。彼女の視線に曝されると、僕の気は変になる・・・・・・、そんなことを漠然と考えていた。

智樹「桜の下に人の姿がなければ、怖ろしいといったような記述もありました。」

一葉「はい。『桜の森の満開の下』には、桜の不思議な力の秘密は明示的に示されてはいません。唯一示されている仮説として、桜の秘密とは孤独ではないだろうかと語られています。」

智樹「そうでしたっけ?」

一葉「はい。桜の下に人がいないと怖ろしいといっても、自分という人間はそこに居て、その自分が怖ろしいと感じられるわけです。つまり他人の不在が自分の心に孤独を発生させて、恐ろしさを感じさせるのです。もちろん、他人がいないところでは、常に孤独や恐ろしさがわき起こる可能性があります。ただ桜の下では、そういった感情を高める効果があるということなのでしょう。」

 彼女は僕に問いかけた。

智樹「そうかもしれません。なぜ、桜にはそのような効果があるのでしょうか?」

一葉「私には分かりません。ですから、単なる私の想像を言うしかないのですが、桜が不思議だからではないでしょうか?」

智樹「桜が不思議とは?」

一葉「はい。だって、考えてみてください。一年のうちの春の季節だけ、一週間程度の期間だけ、あんなに美しい花を咲かせ、おびただしい数の花びらを散らすのです。木が突然に綺麗なピンク色の、桜色の花びらをあんなにも咲かせて散らすのです。これを不思議と言わずして、何を不思議だといったらよいのでしょうか?」

 僕は、呆然とした。まったくその通りだと思ったからだ。ああ、なんて当たり前のことを今になって気づくんだ。僕はなんて愚かなのだろうか・・・。

智樹「そうですね・・・。いや、ホントに、その通りですね。もちろん化学的には色素がどうのこうのと言えるでしょうし、生物学的にも何かそれなりのことは言えるんでしょうが、それらは、この不思議さをまったく説明していないですよね。」

一葉「はい。そうですね。というよりも、それらの科学的な説明では、不思議さの説明、つまり何故かという疑問の根本的なところには、論理的に到達できないのです。」

 彼女の言うことについて、僕は何となく分かった気がした。特に肝心な部分については、想いは一緒だと感じた。

智樹「そうですね。桜の不思議さ、桜色の花を咲かせて散らせるという不思議。その不思議さが、人間の感情を揺らすのでしょうね。」

一葉「はい。みんなでお花見といった雰囲気では、桜の花はお酒の肴としてちょうど良いのかもしれません。ですが、森で人知れず咲いている桜の花については、確かに一人でそこを通るとなると、不気味に感じられるのでしょうね。」

 僕は、その場面を想像してみた。確かに、それは不気味なことだと思った。あるいは、それは孤独という感情であったかもしれない。

智樹「そうですね。ところで、上条さんは、桜はお好きですか?」

一葉「好きです。」

 そう言って、彼女は静かに微笑んだ。

智樹「僕も大好きです。」

 僕も彼女に微笑んだ。僕はバカみたいに嬉しくなってしまった。










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