『思想遊戯』第二章 第三節 峰琢磨の視点
パンドーラーは神々が象った最初の女である。
アポロドーロス『ギリシャ神話』より
第一項
佳山智樹とは、同じ学科だったこともあり、大学に入ってすぐに仲良くなった。何か、俺とはタイプが違うけど、その違いがうまいことマッチしたというか・・・。
とりあえず大学生らしく、学科の歓迎会後に夜を明かして語り合ったりもした。講義なども、互いに協力してうまいことやっていこうって感じだ。
智樹は講義もうまいことこなしていたが、そういったこととは別に、話していると機転が利いているというか、発想が柔軟と言うか、あいつの話していることを聞いているのは楽しい。
俺は高校一年のころは割りとバイトを頑張っていて、そういった方面の知識や経験ではあいつより上だったりして、そこがあいつの気に入ったところだったんだと思う。まあ、バイトは一年限定だったわけだが・・・。それでも、おのおのの今までの人生での蓄積が違っていて、互いに興味を持てたということなんだろう。
まだ出会ったばかりだけど、そんなにベタベタするでもなく、講義であった後に一緒に遊んだりして、適度に居心地の良い間柄になれたように思う。
智樹の気まぐれに付き合わされることもあったけど、俺はそれも楽しかった。俺にはよく分からない実験に付き合わされることもあった。
生体工学の教授の研究室に乗り込んだこともあった。講義中に教授が、質問とかあれば研究室まで来てよいと言っていたので、それを間に受けて行ってみたわけだ。その教授は喜んで迎えてくれて、3人で1時間半くらいは話しただろうか。といっても、俺はほとんど横で聞いているだけで、佳山がいろいろと教授に質問を浴びせかけていたわけだが。
佳山は教授に質問し、その回答についても意見を言い、さらなる問題点についても質問するなど議論は白熱した。もちろん、専門の教授からしたら、たいしたレベルの内容ではなかったのかもしれない。それでも、入学間もない大学一年が、教授と議論を行うというのに、俺はかなり感動したりしていたわけだ。
議論が終わって帰る途中で、俺は佳山にどうしてそんなに言葉が出てくるのか聞いてみた。佳山は、普段から年上の人とも話すようにしていればできるようになると言った。そして、慣れれば琢磨もできるよと簡単に言ってのけた。俺は、そうかなと答えておいたけど、そんなに簡単な話でもないだろう。智樹はやっぱり、どこかすごいやつなんだと思う。
第二項
大学生活といえば、やっぱり女のことにも触れておかないといけないだろう。
俺には、高校時代から付き合っている彼女がいる。俺と彼女は別々の大学へ行くことにした。できれば同じ大学に通いたかったが、偏差値にけっこうな差があったから、それはしょうがない。俺が彼女に合わせると言ったら、怒られた。良い彼女だと思う。
彼女は、それほど離れていない、電車を利用して40分くらいのところの大学に通っている。適当な距離があって付き合いも順調だ。同じ大学なら、四六時中会っていられるんだろうが、別々の大学なら会うのも間隔があいて、それが丁度良いのかもしれない。でも、そのうち同棲するかもしれないけど(笑)。
智樹はあんまり女に興味がなさそうなイメージがあったのだけど、何やら面白い展開になりそうだ。どうやら智樹は、噴水のところで読書をしている美女とお近づきになろうとしているらしい。その美女は、わりと有名人らしい。俺も見かけたことがあるけど、確かに美人だし、噴水での読書は絵になっている。先輩たちから聞いた情報によると、かなりの人数が玉砕したらしい。その女性については、いろいろな噂があってどれが本当だかよく分からないが、面白そうな出来事であることは間違いない。
俺は智樹の恋愛の行方を、傍観しながら楽しもうと思っていた。思っていたんだけど、まさかそれに巻き込まれることになるとは、思ってもいなかった...。
第三項
大学といえば、やっぱりサークル活動だ。大学のサークル勧誘はすごい。とりあえず、興味のあるところを一通りまわってみる。なかには、智樹と一緒に行ったものもある。
土日なんか、サークル体験に行くのが実に楽しい。飲み食いはおごりで、先輩たちがちやほやしてくれる。もちろん、入る前だけの話で、入ったら別なんだろう。それでも、この短い期間は楽しまないと損だなと思って楽しんだ。いろんなサークルを見てまわると、いろんな人たちと出会う。役に立つ情報もあれば、うわべだけの言葉もある。
大学生活において、サークル活動はやっぱり重要だ。過去問を手に入れることも重要だし、就職活動で有利に働くことも大きい。今後の人生に、けっこうな影響が出るかもしれない。それでも、なんとなく決めるのが先延ばしになってしまっていた。
たぶん、智樹も入るサークルを決めていなかったことも影響していたと思う。別に、あいつと同じサークルに入りたいとか、そんなのじゃない。ただ、あいつが余裕をもってすぐには決めないのなら、そういう方法もいいんじゃないかと思っただけだ。
そんな感じでサークルに入るのを先延ばしにしていたある日、智樹から話を持ちかけられた。
智樹「琢磨。サークル立ち上げたいんだけど、どうしたら良いか知っている?」
俺は言ってやった。
琢磨「知らんわ!」
俺は逃げ出した。しかし、回り込まれてしまった。
普通の大学生は、新入生歓迎会などを通して部活やサークルの勧誘を受け、どこかに入る。だが、まれに自分でサークルを作ろうという物好きがいたりする。そんな物好きとは無縁と思っていたというか、そもそもそんなことを考えてもいなかったので、俺はかなりビックリしてしまったわけ。
まさか大学入学早々に友達になったやつから、新しくサークルを作ろうと誘われるとは思わなかった。思わなかったのだが、そのような事態に陥ってしまっては、冷静に対処するしかない。バイトでも同じだ。予想もしない変な客が現れても、冷静さを失わず、淡々と対処するしかないのだ。だから俺は、智樹を思いとどまらせようとは考えずに、大学の連合会へサークルの作り方を聞きにいったのだ。我ながら、便利屋としては優秀だと思う。
まあ、俺が簡単にまとめたものを見てくれ。
(1)5名以上、かつ2学部以上にまたがる構成員がいること。
(2)設立サークル名での活動実績が1年以上あること。
1年未満の場合は、仮サークルとして登録。
(3)領収書を添付した会計の報告義務。
領収書については細かい規定がある(がここでは割愛)。
(4)幹事長・副幹事長・会計の登録。学生証要。
(5)連合会の規定の順守。
こんなところか...。細かいところは割愛しているので悪しからず。で、あとは智樹と打ち合わせだ。
琢磨「サークルの設立のための規約は、こんなところだ。」
俺は、調べてきた情報を智樹に話す。
智樹「おおっ、すごいな。さすが琢磨だな。頼りになるなぁ。」
...悪い気はしないな。
琢磨「まず、問題は5名以上のメンバーってところだな。当てはあるのかよ?」
智樹「僕と琢磨と、あと上条一葉さんって人で、まずは3人か...。」
琢磨「ああ、やっぱり俺も頭数に入ってんのな...。」
予想通りの展開ではあるけどな。
智樹「いいじゃん。入ってくれよ。幽霊部員でもいいからさ。掛け持ちでもいいから。」
琢磨「それって、俺、関係ないじゃん。何? その上条さんとイチャつきたいだけなの?」
智樹は微妙な間を空けてから、答えた。
智樹「まあ、そうかも。いや、違うかな? 何て言ったらいいか分からないんだけど、イチャつきたいというか、いろいろなことを話し合える場がほしいんだよな。」
琢磨「場?」
智樹「そう、場所。だから、仮サークルでもいいから、大学の空いてる教室とか使えるようになっときたいんだよね。それで、テーマとか決めて、そのテーマに興味のある人が集まって、好きなように話す。そんな場所を作りたいんだ。」
琢磨「ふ~ん、いまいち分かんないけど...。」
智樹「別に、硬いテーマじゃなくてもいいんだ。何だったら、好きな漫画とかテーマにして、その漫画が好きな人が集まって話し合うとかでもいいと思うんだ。」
琢磨「あ~、なるほどねぇ。そんなのなら、まあ、分からなくもないかな?」
智樹「だから、名前貸して。」
琢磨「少し考えさせてよ。」
智樹「何言ってんの。ここまでしてくれてんじゃん。僕に付き合ったら、こんな風になるんだよ。観念しなよ。」
琢磨「え~。」
智樹「はい。決定。じゃあ、次は、書類ね。」
琢磨「マジかよ...。」
智樹「マジです。」
琢磨「じゃあ、書類も書くけどさぁ。まずはサークル名を決めてよ。」
智樹「サークル名?」
琢磨「そう。登録するのにも必要だし。」
智樹「そうだなぁ...、琢磨は、何か良いアイディアある?」
琢磨「俺に聞くなよ...。そうだなぁ...、"何でも議論研究会"とか?」
智樹「う~ん、それも微妙だなぁ...。でも、確かに何でも議論のテーマにできるってのは、アピールポイントだよなぁ...。」
琢磨「まあ、アピールっていうか、好きな名前にすればいいんじゃねぇの?」
智樹「まあ、名前は何でも良いんで、無難に"思想・哲学同好会"かな。いや、思想で遊ぶってことで、"思想遊戯同好会"って名前でいこう。テーマは何でもありで、みんなが集まっていろいろと話し合って遊ぶような同好会って感じで。」
琢磨「自分で決められるなら、俺のアイディアとか聞くなよ・・・。ええと、"思想遊戯同好会"と。」
俺は、サークル申請書類のサークル名の項目を埋める。他の項目についても、一つずつ二人で考えながら書き込んでいく。なぜに俺はここまでやっているのだろう。俺は、そんなにお人よしじゃなかったはずなんだけどなぁ...。
琢磨「で、智樹。」
智樹「何だよ?」
琢磨「あと二人ほどメンバーが足りないんだけど?」
智樹「......琢磨、誰か心当たりない?」
「さすがに、そこまで面倒見きれないわ。細かい手続きとか進めとくから、さっさと残り二名のメンバーを集めてこいよ。」
第四項
智樹からメンバーが5名集まったと聞かされたのは、それから数日後だった。俺は書類をまとめて、智樹と一緒に連合会へ出しにいった。ちなみに、幹事長は智樹、副幹事長は上条さん、それで、なぜか会計は俺がやることになってしまった。まあ、このメンバー構成ならしょうがないか...。とりあえず、いろいろと質問されて大変だったが、仮登録は認められた。目的だった空き教室の使用も、ひとまずは認められた。
教室を予約し、いよいよ"思想遊戯同好会"の顔合わせだ。そう、実は俺は、智樹以外のメンバーとまだ顔合わせしていなかったのだ。今日、5名のメンバーが集まって、新しいサークルの門出になるってわけ。
本日最後の講義を受けた後、智樹と一緒に借りた教室へ向かう。俺と智樹は、教室の黒板に落書きしたりしながら、他のメンバーを待っていた。正直なところ、けっこうドキドキだ。智樹は、どんな人を集めたのだろう?
しばらくして、一人目がやってきた。見覚えがある。ショートカットで可愛らしい感じの、智樹とたまに話したりしている女性だ。
祈「あの、こんにちは。水沢祈です。」
智樹は、手を挙げて水沢さんを迎える。
智樹「こいつは、峰琢磨。同じ学部の友達。」
琢磨「あっ、えっと、峰琢磨です。よろしくお願いします。」
まさかこんな可愛い女性が来るとは思っていなかったので、俺はしどろもどろになって挨拶する。まったく、恰好悪いぜ...。
祈「こちらこそ、よろしくです。」
琢磨「えっと、水沢さんは、どうしてこのサークルに?」
祈「智樹くんに誘われたので、それで。」
何? 智樹くんだと? 何で名前呼びなんだ? 俺は思わず智樹を見てしまう。智樹は、なんかすっとぼけた表情をしている。こいつ、上条さん狙いじゃないのかよ...?
祈「えっと、峰くんは、どうしてこのサークルに?」
琢磨「えっと、俺も智樹に誘われました。ほとんど、強引に。」
そう言うと、水沢さんは微笑んだ。本当に可愛らしい人だなぁ。
祈「私も、智樹くんに強引に誘われてしまったのです。」
智樹「お前らなぁ、同学年なんだから、敬語じゃなくていいよ。」
智樹が横からチャチャを入れる。そうして、少し話をしていると、ドアが開いて二人の女性が入ってきた。
一葉「こんにちは。」
入ってきたのは、噂の上条さんと、もう一人もまた女性だ。智樹...、お前はもしかして、ハーレムでも作るつもりなのか?
一葉「こんにちは。上条一葉です。こっちは、ちーちゃんです。」
千里「ちーちゃん言うな! えっと、高木千里です。はじめまして。」
上条さんと高木さんが自己紹介すると、智樹も自己紹介を返す。
智樹「はじめまして。佳山智樹と申します。高木さん、はじめまして。参加していただき、ありがとうございます。」
なんだ。上条さんの知り合いなのか。
琢磨「あっ、えと、峰琢磨です。智樹と同じ学科で一年です。どうぞよろしくお願いします。」
祈「水沢祈です。よろしくお願いします。」
俺は正直、ビックリしていた。すごい...。上条さんは遠くから見たことがあったけれど、近くでみると尋常じゃない。さらに、高木さんも素晴らしい。スラッとしている眼鏡美人だ。これは、女性目当ての野郎どもが集まってくるんじゃないか? 俺はちょっと不安になった。
智樹「まあ、今日はサークル発足の顔合わせということで。幹事長は僕、佳山智樹が、そして副幹事長は上条一葉さんにお願いします。会計は峰琢磨が担当です。水沢と高木さんは、無理にお願いして参加してもらっているので、役職とか気にせず、気が向いたときに参加していただけると助かります。」
そう言って、智樹が場を取り仕切っていく。おいおい、俺も無理矢理参加させられた組の一員だぜと思ったけど、まあ黙っておこう。
とにもかくにも、こうしてサークル"思想遊戯同好会"は発足したのだ。この先どうなるか、それは、この先になってみないと分からない。大学の仮サークルということで、楽しんだもの勝ちってところだな。
第五項
彼女「ねえ、琢磨くん。」
琢磨「なに?」
彼女「最近、なにか良いことあった?」
琢磨「どうして?」
彼女「大学に入ってからの琢磨くん、少し変わったかなって。」
俺は驚いて彼女を見る。
琢磨「どうして、そう思うの?」
彼女は少し首を傾けて応える。
彼女「だって、ちょっと大人っぽくなったし。」
琢磨「そうかな?」
彼女「そうだよ。何かあったの?」
僕は、最近の出来事を思い出す。確かに、何かあったと言えば、あったなぁ...。
琢磨「まあ、いろいろあったかな。サークルとか作ったし。」
彼女「作った? 入ったのじゃなくて?」
琢磨「そう。作ったんだ。新しいサークル。」
彼女は、興味深そうに聞いてくる。
彼女「どんなサークルなの?」
琢磨「ええと、"思想遊戯同好会"っていう名前のサークル。堅苦しい名前だけど、実態は適当なテーマを決めて、みんなで好きなように話し合うだけ。」
彼女「それって、おしゃべりしてるだけじゃないの?」
琢磨「まあ、そう言われれば、そうなのかもね。ただ、そのおしゃべりする人たちのレベルが、異常に高いのなんのって...。」
彼女「つまり、すごく難しい話をしているってこと?」
琢磨「そう。だから、テーマによっては、本とか読まないとダメなんだよね。面倒くさいことこの上ない。」
彼女「...ふ~ん。でも、面倒くさいって言っているわりに、なんか楽しそうなんだけどなぁ...。」
琢磨「そう? まあ、そうなのかも。難しい本とか読んで、それについて議論するって、真面目な大学生っぽいでしょ?」
彼女「そうだけど...。でも、なんかさみしいなぁ...。」
彼女は、本当にさみしそうな顔をする。
琢磨「そんな拗ねないでよ。いいじゃん。サークルで楽しむくらい。」
彼女「でも、それって私とのデートより楽しんでない?」
琢磨「そんなことないって。デートの方が楽しいにきまってるじゃん。友達に誘われて、名前を貸してるだけでもあるし。気が向いたときに、だべっているだけだって。」
彼女「それならいいけど...。」
そんなことを話しつつ、いつものようにデートを続ける。俺、何か変わったのかなぁ...? 自分では分からないけど、たまに会うこいつには、何か感じるところがあるのかなぁ?
琢磨「なあ?」
彼女「なに?」
琢磨「パンドラの匣って知ってる?」
彼女「パンドラの匣? 名前くらいは聞いたことがあるけど。」
琢磨「どう思う?」
彼女「どうって?」
琢磨「だから、その話を聞いたとき、どんなことを思った。」
彼女「...? 別に何も。」
琢磨「......ふ~ん。」
彼女「え~? 何よ、いったい?」
琢磨「いや、別に...。」
彼女「あれでしょ。匣を開けると、何かよくないものがいっぱい出てきて、あわてて閉めたら希望だけが残ったって話でしょ?」
琢磨「そうだね。」
彼女「それがどうしたの?」
琢磨「どうしたっていうか...。」
彼女「よく分からないよ。」
琢磨「だから、パンドラの匣について、どう思うかってこと...。」
彼女「どうって、素敵な話だなぁ...とか?」
琢磨「まあ、そんなこと。」
彼女「ふ~ん? なんで?」
琢磨「いや、なんでもない。忘れて。」
俺の心に、不可思議な感情が湧き上がってきた。確かに、パンドラの匣をどう思うか訊かれたって、困るのが普通だろう。だから、俺の彼女は普通なのだ。そのことに安心したと同時に、少しだけ寂しさも感じたのは、きっと変な人たちと変な時間を過ごしたせいだ。
俺は、寂しさを感じた自分に驚いた。そうじゃない。これは、寂しさを感じるようなことじゃない。俺には、俺なりの日常がある。それは、きっと尊いものだと思う。
俺は、彼女の手をぎゅっと握り締めた。
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