『思想遊戯』第三章 第一節 聖人選定




 釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの四人をあげて世界の四聖と呼ぶことは、だいぶ前から行なわれている。たぶん明治時代の我が国の学者が言い出したことであろうと思うが、その考証はここでは必要でない。とにかくこの四聖という考えには、西洋にのみ偏らずに世界の文化を広く見渡すという態度が含まれている。インド文化を釈迦で、シナ文化を孔子で、ギリシア文化をソクラテスで、またヨーロッパを征服したユダヤ文化をイエスで代表させ、そうしてこれらに等しく高い価値を認めようというのである。

 和辻哲郎『孔子』より



第一項

智樹「事前に連絡していましたが、学園祭に何をするかを決める必要があります。」

 僕は"思想遊戯同好会"のメンバーに向かって言った。みんなは、僕をじっと見つめたまま黙っていた。反応がないので、僕は言葉を続ける。

智樹「ええと、ですね。大学の学園祭があるのはみなさんご存知だと思うのですが、僕たちもサークルを発足させたわけですし、学園祭で何か出し物をしようと思います。」

琢磨「例えば?」

 琢磨が訊いてくる?

智樹「何でもいいんだよ。そんなにたいしたことをやれるとは思っていないし。事前に連絡していたけど、使えるとしたらこの教室になるので、この教室で何かを展示するでも良いし、何かイベントをするでも良いし。」

千里「展示だと楽だよね。」

 高木先輩が発言する。

智樹「確かにそうなのですが、それだけだとさすがにさみしいですので、ちょっとした出しものくらいはやりたいですね。」

 水沢が会話に入ってくる。

祈「でも、このサークルだよ。議論でもするの?」

智樹「それも面白そうだし、ディベートとかでも良いと思うんだ。」

祈「ディベート? 私たちで?」

智樹「僕たちでディベートするのを見せるでも良いし、一般参加を募っても良いと思う。」

千里「どうだろう? 盛り上がるのかな?」

 高木先輩がもっともな指摘をする。僕は考えながら、妥当な答えを返す。

智樹「多分ですけれど、それほど盛り上がることはないと思います。でも、それでもいいじゃないですか。自分たちが楽しめれば良いと思いますよ。」

 高木先輩もうなずく。

千里「まあ、大規模になって面倒くさくなるのもアレだしね。私たちで楽しめればそれでいいかもしれないね。」

智樹「はい。それで問題ないと思います。」

琢磨「で、何かテーマはあるの?」

 琢磨が当然の質問をしてくる。

智樹「誰か哲学者とか思想家とか選んで、調べて、それをまとめて展示するとか、議論するとかを考えているけど・・・。」

祈「誰か、具体的なアイディアはあるのかな?」

 水沢が聞いてくる。僕は、考えていた名前を出す。

智樹「ニーチェとか、かな。」

 高木先輩が、静かに笑う。

千里「ふふ。ニーチェか。好きそうだよねぇ。」

 僕は少し恥ずかしくなる。

智樹「いいじゃないですか。それじゃあ、高木先輩は何かアイディアあるんですか?」

千里「私? 私は別に良いよ。ニーチェで。」

一葉「四聖について調べてみるのはどうでしょうか?」

 そこで、一葉さんが口を開いた。

祈「シセイ? 市政って、市の行政のことですか?」

 水沢が質問し、一葉さんが答える。

一葉「いいえ、違います。四人の聖人君子で、四聖です。」

智樹「その四人は、誰のことですか?」

一葉「釈迦、孔子、ソクラテス、イエス・キリストの四人です。日本では、この四人をまとめて四聖と呼ぶことがあります。」

祈「大物が来ましたね。しかも、かなりの。」

一葉「そうですね。でも、これらの人物を調べることは、ある意味ではやりやすい面もあると思うのです。」

祈「例えば、どのような面でしょうか?」

一葉「釈迦は、仏教の開祖です。孔子は、儒教の祖です。ソクラテスは、古代ギリシャの有名な哲学者です。イエス・キリストは、キリスト教の始祖です。それぞれの思想は、それぞれに大変な歴史を有しています。ですから、それらの思想史にまで踏み込むと、かなりの労力が必要になってきます。ですが、これらの思想の源流に当たる人物に焦点を当てることで、それらの考えの大本をつかむことができると思うのです。」

琢磨「なるほど。面白そうですね。」

智樹「確かに、そうですね。僕も、良い案だと思います。では、それでいきたいのですが、誰か異論ある人はいますか?」

千里「私はないよ。」

祈「私もありません。」

 僕は、みんなを見回して言った。

智樹「では、テーマは"四聖"で進めさせていただきます。順序はどうしましょうか?」

一葉「まずは、釈迦から行きましょう。次いで、孔子、ソクラテスで、最後はイエスでどうでしょうか?」

琢磨「その順序に意味はあるんですか?」

一葉「誕生の早い順です。」

琢磨「なるほど。」

智樹「では、その順序で行きましょう。」

一葉「あっ、最後に良いですか?」

智樹「はい。」

一葉「この四名は皆、自分の著作を残してはいません。彼らの言行は、彼らの弟子たちが残したものです。だから、そこには落とし穴が隠されています。」

祈「落とし穴ですか?」

一葉「はい。ですから・・・。」

祈「・・・? 何ですか?」

一葉「いいえ。すいません。四聖に関する本は、本人ではなく弟子が書き残したものだということは、心のどこかに留めて読んでみてください。」

祈「・・・はい。」

 一葉さんは、何かを言おうとして、やっぱり止めたように僕には感じられた。彼女は、何を言おうとして、止めたのだろうか?




第二項

 僕は一葉さんに、帰り道で四聖について聞いてみた。

智樹「テーマを四聖にしたのって、確かに楽しそうだと思います。」

一葉「ありがとうございます。」

 そう言って、一葉さんは僕に静かに微笑む。僕は照れながらも質問を返す。

智樹「四聖って、どういう基準でその四人なのですか?」

一葉「ヤスパースという哲学者は、紀元前800年から200年の間を"枢軸時代(Achsenzeit)"と名づけました。彼はこの時代に、人類にとっての根本思想が発生したと考えたわけです。釈迦、孔子、ソクラテスの三名は、この枢軸時代の有名人です。彼らは互いのことをまったく知らず、それぞれが人類の知的遺産ともいうべき活動を行っていたのです。」

智樹「その区間ですと、キリストは枢軸時代の後になりますね。」

一葉「はい。四聖という言葉は、明治時代に日本の学者が言い出したものだそうです。文明開化と浮かれていた世相において、西洋だけに偏ることなく、世界の思想を広く捉えようという態度がうかがえます。時代区分で考えるなら、イエスを除いた三聖でも良いのでしょうが、当時も今も世界に多大な影響を与えているキリスト教思想を考慮するなら、イエスを含めるのも有効だと思われます。」

智樹「『聖書』とかの話になって来ますよね。僕、今まで『聖書』とかは読んだことがないので、今回はそれに踏み込むのが楽しみなんですよ。」

一葉「はい。ちなみに、井上円了という仏教哲学者は、古今東西の聖賢として代表四人を選んでいますが、その構成は、釈迦、孔子、ソクラテス、カントという人選になっています。イエス・キリストではなく、ドイツの哲学者のイマヌエル・カントが入っています。」

智樹「イエスをわざわざ外して、カントを入れているということですか?」

一葉「はい。井上は、哲学を東洋哲学と西洋哲学に分けて考えています。東洋哲学からは、インド哲学の代表者として釈迦を、中国哲学からは孔子を選んだのです。一方、西洋哲学からは、古代からソクラテスを、近代からカントを選んでいるわけです。」

智樹「東洋哲学の方は分かりますが、西洋哲学を古代と近代に分けるのって、かなり無理矢理な気がしますけど。」

一葉「無理矢理ですよね。井上は、イエスを入れたくなかったのだと思います。」

 そう言って、一葉さんは静かに苦笑した。

智樹「なぜですか?」

一葉「それは、智樹くんも四聖の考え方を追っていくことで見えてくると思います。イエスは、順序からしたら最後になります。そこまでで、釈迦、孔子、ソクラテスの考えを十分に理解しておけば、イエスを外したくなる気持ちも分かるようになるかもしれませんよ?」




第三項

滝嶋「こんにちは。佳山くんだっけ?」

 僕が大学の構内を歩いていると、声を掛けられた。ええと、滝嶋先輩だっけ?

智樹「はい。なんのご用でしょうか? 滝嶋先輩。」

 滝嶋先輩が、僕の方へとゆっくりと近づいてきた。

滝嶋「佳山くん、最近サークル作ったんだって?」

智樹「はい。そうですが・・・。」

滝嶋「で? どうなの? 調子良いの?」

智樹「調子良いのかと聞かれましても、まだできたばかりなので、これからの頑張り次第ですが・・・。」

滝嶋「まあ、そうだよね。」

 この人は、何を言いたいんだ?

智樹「失礼ですが、僕、急いでいますんで、何かご用なら簡潔にお願いしたいのですが。」

 僕がそう言うと、滝嶋先輩は視線をそらしながら言った。

滝嶋「別に。メンバーは、誰が入っているのかな。」

 僕は怪訝な表情をしてみせた。

智樹「僕の知り合いですけど。もう行っても良いですか?」

 滝嶋先輩は、視線をそらしたまま答えた。

滝嶋「ああ。」

智樹「では。」

 僕は軽く会釈をして、彼から離れていった。




第四項

 僕は水沢とお昼を食べていた。

智樹「水沢、四聖のテーマ、面白そうだと思わない?」

祈「そうだね。」

 水沢から、何か微妙な空気を感じる。

智樹「何か、まずかった?」

祈「ううん、そんなことないよ。」

智樹「水沢は、何かやってみたいテーマとかあったのかな?」

祈「別に、四聖でよかったと思うよ。面白そうだし。」

 何か水沢は不満そうな気がする。

智樹「何か、不満がありそうだけど・・・。」

祈「智樹くんさ、上条先輩の言うことには、無条件で従っている気がするけど。」

智樹「うん? 別にいいじゃん?」

祈「このサークルって、一応は智樹くんが幹事長なんでしょ? 上条先輩は副幹事長だし、智樹くんが上条先輩の言いなりっていうのも、どうかと思うけど。」

智樹「う~ん、そう言われるとそうかもしれないけど。でも、一葉さんの言うことって、別に何も間違っていないと思うし、良いことを言ったら、それに反対する必要もないと思うんだけど。」

祈「でも、サークルとしたら、幹事長が副幹事長のいいなりっていうのは、良くないと思うけど。」

智樹「別にそんなに大きなサークルでもないし、仮に僕が先輩のいいなりだったとしても、誰も気にする人なんていないと思うんだけどなぁ・・・。」

祈「私は嫌だな。そういうの。智樹くんに誘われて私もこのサークルに入ったのだから、智樹くんは幹事長としてしっかりしてほしいな。」

智樹「そんなものかなぁ。分かったよ。もっとしっかりするから。」

祈「分かれば良いのです。」

 そう言って、水沢は良い笑顔になるのです。












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