『思想遊戯』第三章 第三節 孔子について
【孔子(こうし)】
前551頃~前479頃。
儒教の祖。
中国、春秋時代の魯(ろ)の思想家。
魯に仕えた後に官を辞して諸国を遍歴し、晩年は門人の教育に専心した。
その思想は、弟子が編纂した『論語』に記されている。
日本の文化にも、古くから大きな影響を与え続けている。
第一項
智樹「釈迦の次は、孔子ですね。」
琢磨「孔子っていうと、儒教の人だっけ?」
智樹「そうだね。」
一葉「孔子と言えば、『論語』です。」
智樹「そうですね。儒教の本はたくさんありますが、孔子については、まずは『論語』で良いのではないかと思います。」
一葉「私もそう思います。」
智樹「では、各自『論語』を読んできてもらって、次回以降に孔子について議論していきましょう。」
琢磨「『論語』って、孔子が何か言って、弟子がその通りですって言っているだけだったような気がするんだよなぁ。」
千里「まあ、受験の漢文とかで出ていて、それで嫌いになる人も多いよね。」
智樹「それなら、それで構わないわけだよ。一応ちゃんと読んで、堅苦しいなら堅苦しいって感想を言えば良いだけ。」
琢磨「まあ、そう思えば気が楽かな。」
祈「そうそう。べつに授業じゃないんだから、誰かの気に入るように言う必要はないから。読んでみて、素直に思ったことを言えばいいよ。」
一葉「峰くん。峰くんの孔子のイメージってどんななのかな?」
琢磨「えっと、多くの弟子にいろいろ教えていたイメージですかね。」
一葉「そうだね。孔子はいろいろな国へ行って、自分の教えを実践してもらうように頼むのだけれど、受け入れられませんでした。だから孔子は、弟子の育成につとめるようになりました。でも、孔子の最愛の弟子の顔回は、教えを守って赤貧を貫き、孔子より先に死んでしまうのです。また、別の弟子の子路は、主君を守って惨殺されてしまいます。すっかり失望した孔子は、不遇の末路を迎えたのです。」
琢磨「不遇の思想家ってことですか?」
一葉「はい。そうですね。今現在、孔子の教えは日本を含めて広まっていますが、孔子は自分の教えはもう終わりだと思っていた可能性が高いのです。少なくとも『論語』を読む限りでは。」
智樹「不思議なものですね。」
一葉「そうですね。ですから、そういったことも頭に入れて『論語』を読んでみると、また違った発見があると思いますよ?」
第二項
智樹「まずは、『論語』で気に入った箇所を挙げていきましょう。」
祈「じゃあ、智樹くんからだね。」
智樹「まあ、いいけど...。僕が気に入ったのは、この文章だね。」
義を見て為ぜるは、勇なきなり。
[為政]
智樹「為すべきことをしないのは、臆病者だってことだね。」
祈「まあ、男の人が好きそうな言葉ではあるよね。」
智樹「そう言われると、なんか恥ずかしいけどね。でも、この言葉はしっかりと噛みしめておきたいと思うんだよ。」
一葉「素敵です。」
智樹「えっ、そ、そうですか?」
祈「智樹くん。顔がにやけているよ。」
智樹「にやけてねぇし。」
千里「はいはい。」
智樹「いや、高木先輩もからかわないでくださいよ。もう、次、行きましょう。次は琢磨な。」
琢磨「俺はですね、ここかな。」
己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ。
[顔淵]
千里「自分の望まないことは他人にもするなってことだね。」
琢磨「当たり前と言えばそれまでなんですが、なんか好きな言葉ですね。」
祈「いいと思うよ。」
智樹「確かにね。でも、これだと突っ込みどころもないなぁ。」
琢磨「じゃあ、もう一個いい?」
智樹「いいよ。」
千里「うん。」
琢磨「では。」
子の曰わく、束脩(そくしゅう)を行うより以上は、吾れ未だ嘗て誨(おし)うること無くんばあらず。
[述而]
千里「"そくしゅう"って何?」
琢磨「束脩(そくしゅう)は、乾肉(ほしにく)のことです。乾肉(ほしにく)一束(ひとたば)を持ってきたら、どんな人でも孔子は教えたという話です。」
祈「乾肉(ほしにく)を持ってきたらっていうのは、要するに最低限の礼儀があれば教えるってことだね。」
千里「へえ、来るもの拒まずってやつだね。」
智樹「高い授業料を取らなかったっていうことですね。」
琢磨「そういったところが、何か良いなって思ったんだ。」
千里「良いと思うよ。じゃあ、次は私ね。けっこう悩んだんだけど、私はこれかな?」
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
[衛霊公]
智樹「あ~、分かります。僕もそれにしようか迷いましたもの。」
千里「これ、やっぱり良いよね。」
智樹「はい。」
祈「そうですね。簡潔だし、分かりやすいし、奥深いです。」
一葉「さすが。ちーちゃん。」
千里「一葉に褒められると、何か微妙なのよね。」
一葉「何でよ。ひどいよ。」
祈「まあまあ。では、次は私のを発表しますね。」
これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
[雍也]
祈「知っていることは好むことに及ばず、好むことは楽しむことに及ばない、という意味です。」
智樹「分かるなぁ。」
祈「智樹くん、さっきからそればっかりだよ(笑)」
智樹「でも、良いと思うんだからしょうがない。」
千里「そうだよね。」
琢磨「勉強でも、そうだったりするもんな。数学とかでも、解くのが楽しくなってくるとはかどるものな。」
智樹「やっぱり、楽しんでやらないと続かないよね。では、最後は一葉さん、お願いします。」
一葉「はい。」
道に志し、徳に拠り、仁に依り、藝に遊ぶ。
[述而]
一葉「正しい道を目指し、徳を根拠にし、仁によって芸に遊ぶという意味です。」
智樹「なるほどなぁ。」
祈「何がなるほどなの?」
智樹「うん? 何か、一葉さんに合っている気がするなぁと思って。」
僕がそう言うと、一葉さんは薄く微笑んだ。
一葉「ありがとうございます。」
第三項
孔子の論じていることは、テーマごとに分けられるので、何回かに分けて論じてみることにした。いくつかテーマを決め、みんなでそのテーマについて予習し、一つずつ語り合うことに。最初のテーマは"言葉"だ。
智樹「まずは、孔子の言葉の問題から論じてみましょう。」
一葉「はい。孔子が弟子の子路と話しをしていて、政治ではまず何からすべきかを問われる場面があります。そのとき孔子は、〈必らずや名を正さんか〉と答えるのです。それに対し、弟子はそれを遠回りなやり方だと返すのですが、孔子はその考えはがさつだと言ってたしなめるのです。ここは重要なところなので、実際の箇所を読んでみますね。」
君子は其の知らざる所に於いては、蓋(かつ)闕如(けつじょ)たり。名正しからざれば則ち言(げん)順(したが)わず、言順わざれば則ち事成らず。事成らざれば則ち礼楽(れいがく)興こらず、礼楽興こらざれば則ち刑罰中(あた)らず、刑罰中らざれば則ち民手足を錯(お)く所なし。故に君子はこれに名づくれば必らず言うべきなり。これを言えば必らず行なうべきなり。君子、其の言に於いて、苟(いやし)くもする所なきのみ。
[子路]
千里「難しいよ」
一葉「君子は、自分の分からないことには黙っているものだというのです。名が正しくなければ、言葉も順当に伝わらず、仕事もうまくいかず、礼儀も音楽も盛んにはならず、刑罰も適切にならず、民衆は不安になるというのです。ですから、君子は名を付けて言葉の意味を通し、言ったことを実行すべきだというのです。君子は、自分の言葉に責任を持つということです。」
智樹「確か、釈迦も名について言及していましたね。」
祈「どことなく通じるところがある気がするね。」
琢磨「名は一切のものに打ち勝つとかでしたっけ?」
一葉「はい。孔子は釈迦ほど断定的に述べているわけではありませんが、名、つまりは言葉を重視していることは共通していると思います。」
千里「要するに、政治には言葉での説得が重要だってこと?」
一葉「そうだね。頭ごなしに命令しても駄目だよってことだね。言葉をきちんと用いて説明し、納得させないと民の不安はなくならないってことだね。孔子は別のところで、〈辞(じ)は達するのみ〉([衛霊公])と述べていて、言葉は意味を伝えることが第一だと言っているの。」
千里「そういうことかぁ。」
第四項
智樹「今度は、重要キーワードの"仁"についてです。」
一葉「白川静という学者の説によると、仁という用語は孔子が発明したものだそうです。孔子の前は、仁が徳の名称としては用いられていませんでした。"仁"は、心の寛大さを表す"任"が原義だそうで、同音の"人"を連想させます。仁について孔子が語っていることを見ていくことで、孔子の思想の理解が深まります。」
智樹「確かに、孔子と言えば仁ですものね。」
一葉「はい。それでですね。私なりに"仁"の意味を述べておくなら、"我が人と関わる徳"ということになります。」
祈「我が人と関わる徳......ですか?」
一葉「はい。まず、孔子と弟子(顔淵)の会話に、仁についての問答があります。該当するところを、読んでみますね。」
己れに克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下仁に帰(き)す。仁を為すこと己れに由る。而(しか)して人に由らんや。
[顔淵]
祈「仁にとって、礼が重要だということですか?」
一葉「はい。そうです。孔子は弟子にその要点を聞かれ、礼に外れたことは見ないように、聞かないように、言わないように、しないように注意しています。」
智樹「仁は他人がどうこうではなく、自分次第ということですね。」
一葉「その通りだと思います。」
祈「そういうことですか...。だから、仁は、我と人との関わりの徳ではなく、我が人と関わる徳になるのですね?」
一葉「さすがです。祈さん。」
千里「へぇ、すごいなぁ。」
琢磨「俺、まだ微妙に分かっていないんですが...。」
一葉「そうですね。例えば、孔子が仁者について述べたところなどを参考にしてみましょうか。」
惟(た)だ仁者のみ能(よ)く人を好み、能く人を悪(にく)む。
[里仁]
智樹「ああ、なるほど。そういうことですか。」
琢磨「だから、どういうこと?」
一葉「仁を持つ人は、単に周りと合わせて仲良くなるというわけではないということです。仁を持つ人なら、本当に人を好んだり憎んだりできるというのです。つまり、好むべき人を好み、憎むべき人を憎めるのが仁の人だというのです。」
琢磨「ああ。だから、"我と人"ではなく、"我が人と"ということになるのですね...。」
一葉「はい。次の箇所なども、それがよく分かると思います。」
仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る。
[述而]
智樹「仁は、自分次第だということがよく分かりますね。」
千里「自分が仁を求めれば、すぐに仁に至れるってことね?」
智樹「そうですね。」
祈「孔子は仁について聞かれたとき、〈仁は則ち吾れ知らざるなり〉([憲問])とも言っていますよね?」
水沢は、『論語』を見ながら質問をする。
一葉「はい。そうですね。そういったところが、孔子はうまいなと思います。」
そう言って、一葉さんは静かに微笑む。
祈「確かに、うまいですね。」
琢磨「何が、どう、うまいの?」
一葉「謙遜していると言ってもよいですが、言葉を使い分けているのですね。仁は自分次第という点に注目するなら、仁とは何かを聞かれたとき、知らないと応える理屈もあるということです。」
僕はあらかじめ用意していたメモを見ながら答える。
智樹「孔子は、〈仁に当たりては、師にも譲らず〉([衛霊公])とも述べていますよね。そこらへんが、恰好良いと思うんですよ。」
琢磨「師匠との血みどろの争いがはじまるわけだな。」
智樹「なぜそうなる。」
千里「ギャグに走るなっての。」
祈「話を戻すと、仁は自分次第ですが、その具体的な内容が問題になりますよね?」
一葉「そうです。具体的に孔子は、恭しいこと・寛(おおらか)なこと・信(まこと)であること・機敏なこと・恵み深いことの五つを行うことを挙げています([陽貨])。」
千里「確かに、その五つができれば、他人と良好に関わることができるでしょうね。」
智樹「仁は、自分次第か。師匠にも譲らず、好むべき人を好み、憎むべき人を憎む、それが仁の人だということですね。」
一葉「はい。孔子が"仁"という言葉に込めた想いは、次の言葉によく表れています。」
志士(しし)仁人(じんじん)は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。
[衛霊公]
智樹「これは、重いですね。」
一葉「はい。自分次第の"仁"は、自分の命よりも重いのです。志ある人や仁の人は、命惜しさに仁を害することなく、一命を賭して仁を行うことがあるというのです。」
ここで、静寂が訪れた。
しばらく待ってから、僕は口を開いた。
智樹「孔子にとって、仁はそれほどのものだったということですね。」
一葉「そうですね。」
琢磨「仁の思想かぁ。」
祈「ええ。ところで、仁が自分次第のものだとしても、自分次第ではどうしようもないこともありえますよね? そういった問題もあると思うのですが・・・。」
一葉「はい。よい着眼点です。ですから孔子は、仁という徳を重視していますが、仁とは別に"聖"という価値を置いているのです。聖については、孔子と弟子(子貢)の次の会話が参考になります。」
子貢が曰わく、如(も)し能(よ)く博(ひろ)く民に施して、能く衆(しゅう)を済(すく)わば、何如(いかん)。仁と謂(い)うべきか。子の曰はく、何ぞ仁を事とせん。必らずや聖か。
[雍也]
智樹「政治において、良い統治ができることは"聖"であり"仁"を超えているということですか?」
一葉「そうだと思います。"聖"の原義は、神の声を聞きうる人を意味しています。孔子は政治に関わろうとして諸国をめぐります。しかし、孔子の教えは受け入れられず、晩年の孔子は弟子の育成につとめます。そのため孔子は、"聖"を説くことはできず、"仁"を重視せざるをえなかった、と見ることができるかもしれません。いささか穿った見方ではありますが。」
祈「いえ、鋭いと思います。」
一葉「ありがとうございます。孔子は、聖と仁について〈為して厭わず、人を誨(おし)えて倦まず〉([述而])とも述べています。飽きることなく、怠ることなく聖や仁を目指していたのが、孔子という人物なのです。」
智樹「でも、孔子は〈怪力乱神を語らず[述而]〉だったわけで、それも関係しているのだと思います。」
琢磨「怪力乱神って?」
智樹「怪異と暴力と背徳と神秘のこと。つまり、宗教的なことを語ることを避けたかったから、神にかかわる"聖"ではなく、人にかかわる"仁"をあえて説いたと考えることもできるってこと。」
一葉「そうですね。素晴らしい視点だと思います。」
第五項
智樹「"仁"に続いて、今回は"中庸"について見ていきましょう。」
祈「儒教において、中庸は非常に重要な価値ですよね。」
智樹「それもそうだけど、もう一般用語のような気もするよね。」
祈「そうだね。」
一葉「中庸という語そのものは、『論語』では次のような形で出てきます。ちょっと読んでみますね。」
中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民(たみ)鮮(すく)なきこと久し。
[雍也]
祈「中庸という徳が、民衆の間で乏しくなったことが嘆かれているわけですね?」
一葉「はい。孔子は、政治の理想を古代の周王朝に求めていますから。中庸については、後世の儒者である朱子が、"中"を過不及のないこととし、"庸"を平常の意味だと解説しています。極端を避けた程よい中ほどの徳だと考えられています。それは、孔子の次の言葉によく表れていると思います。」
過ぎたるは猶(な)お及ばざるがごとし。
[先進]
智樹「行き過ぎは足りないのと同じで、中庸ではないということですね?」
一葉「はい。」
祈「釈迦の中道と似ていますが、微妙に違ってもいるような気もします。」
一葉「そうですね。仏教の中道は宗派によって多義的ですし、細かい相違点にこだわるよりも、まずは大まかな考え方を捉えておきましょう。」
智樹「孔子の言動って、中庸という概念に当てはめてみると納得できることが多いですよね。例えば、進退についても、ある人には進めと言うし、ある人には退けと言う([先進])。人の性格によって、言うことを変えているわけです。」
一葉「素晴らしい意見だと思います。他に、中庸という視点から、何か言えることがあるでしょうか?」
祈「では、私が中庸かなと思ったところを紹介します。」
衆(しゅう)これを悪(にく)むも必らず察し、衆これを好むも必らず察す。
[衛霊公]
祈「大勢が憎むときも好むときも、必ず調べて盲従はしないという意味です。」
千里「多数派が正しいわけではないってことね。」
智樹「確かに、中庸にはそういった考えが重要だな。」
一葉「そうですね。」
琢磨「そういった話でいいなら、孔子の皮肉とかも中庸なのかなって気がしますけどね。弟子(子貢)が誰かの悪口を言ったとき、孔子が君は賢いねと言って、自分はそんなに暇じゃないって言った話がありましたよね([憲問])?」
一葉「はい。あります。確かに、そういった皮肉も中庸という視点から考えると納得できたりしますね。」
智樹「弟子が悪口を言ったとき、単に頭ごなしに怒るって方法もありますけど、孔子みたいにチクリと皮肉を言うのも効果的な場合がありますからね。」
一葉「その話での弟子は子貢といって、頭の回転が速い人だったようです。そういうタイプの人には、こういった皮肉が利くような気もしますね。」
祈「でも、少し気になることもあるのですが...。」
智樹「何かな?」
祈「中庸を持ち出してしまうと、『論語』もそうですが、批判そのものが難しくなるというか。」
智樹「どういうこと?」
一葉「水沢さんの言っていることは、分かります。つまり、孔子の言動について具体的に批判しようと思っても、それは、そのときの状況では妥当していたのだという言い逃れができてしまうのではないか、ということです。違いますか?」
祈「そうです。その点が気になります。」
琢磨「ええと、具体的に言うと...?」
一葉「そうですね、『論語』の中でも批判しやすい箇所で考えてみましょうか([子路])。父親が羊を盗んだときの息子の対応についてです。ある人が自分の村では、父親の盗みを息子が知らせたと孔子に自慢するわけです。それに対し孔子は、自分の村では父親は息子のために隠し、息子は父親のために隠すのだと言うのです。」
琢磨「へえ。」
千里「何それ? 孔子って、泥棒を擁護しているの?」
祈「ある意味で、そうですよね。これって、人治と法治の違いですよね?」
一葉「はい。」
琢磨「人治と法治って?」
祈「人の裁量によって治めるのが人治で、法律によって治めるのが法治。」
琢磨「ああ。」
千里「現代においては、法治国家が常識だものね。人治国家だと賄賂が横行するし。」
智樹「確かに、そうですね。そういった意味でも、ここでの孔子を非難することは簡単ですよね?」
一葉「はい。でも、厳密に考えると、法治か人治かの二者択一を迫るのは、思想的には低レベルです。法律は抽象的に定められていますから、実際にはそれを具体的に適用しなければなりません。ですから、そこに解釈の入り込む余地があるのです。よって、善き統治には、法治と人治の両方が必要になるのです。法律だけで雁字搦めにしてしまうと、社会から柔軟性が失われてしまいます。例えば、訴訟大国になってしまうなどですね。」
智樹「確かにそうですね。」
祈「そして、その法治と人治のバランスは、状況によって変化する...。だから、孔子の言葉は中庸に適っていたのかもしれない...。そして、そうではないのかもしれない...。」
一葉「その通りです。そういった観点がありえます。ただ、この話では、孔子は相手側の詳しい情報に言及せずに、人治を主張しています。ですから、一応はここでの孔子の言動を批判しておいても良いように思います。」
祈「そうですね。」
琢磨「つまり?」
智樹「つまり、法治と人治には、中庸があるってこと。それは状況に依存するってこと。だから、その話での孔子は、いささか中庸を外しているのかもしれないってことだね。」
千里「へえ。面白いね。」
第六項
智樹「次のテーマは、"和"です。平和の"和"という文字です。」
一葉「『論語』では、和についても語られているので、特に日本との関係で見ておく必要があります。」
祈「日本の『十七条の憲法』との関係が問題となるわけですね?」
一葉「はい。その通りです。」
智樹「あの、"和をもって貴し"のことですか?」
一葉「はい。その和の思想には、『論語』の影響があるように思えますから。」
琢磨「孔子は、和についてどう述べているのですか?」
一葉「厳密には、孔子ではなく、弟子の有子という人物の言葉です。ちょっと読んでみますね。」
有子が曰わく、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。小大これに由るも行なわれざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以てこれを節せざれば、亦た行なわれず。
[學而]
智樹「ああ、確かに、和を貴しと為すという言葉が出てますね。」
一葉「ただ、『論語』の和は、礼のために和が重視されているのです。礼によって節度が保たれなければ和は行われないという考え方なのです。」
千里「礼がともなわないと、和だけではうまくいかないと言っているわけね。」
祈「そこが、日本の和との違いですね。」
一葉「はい。『十七条憲法』では、自他が反目することなく、互いに論じ合うことによって調和がもたらされるということが説かれています。みんなが互いを思い合い論じ合うことで、物事がうまく行くことが日本の和なのです。」
祈「和は第一条に出てきて、礼は第四条ですしね。」
琢磨が、小声で僕に話しかけてきた。
琢磨「なあ、これって常識なの?」
智樹「あの二人が尋常じゃないだけだと思うよ。」
高木先輩もそれに乗っかってきた。
千里「同感。」
それが聞こえているのか聞こえていないのか、一葉さんは言葉を紡ぐ。
一葉「日本の礼は、和という前提に立って行われるものなのです。和において礼をなせば、世が大過なく治まると考えられています。『十七条憲法』の内容から判断するなら、それぞれが各自の役割を重視しながらも、みんなで、みんなのことを考えて話し合うことで、物事がうまく進んでいくと考えられています。それが、日本の和だと言うことができます。」
第七項
智樹「『論語』では、恥についての考え方も印象的です。」
祈「そうだね。」
琢磨「孔子は恥を知る人物だったってことだな。」
智樹「うまいこと言ったつもりかもしれないけど、あまりうまくないぞ。」
琢磨「うるせぇ。」
そう言って、二人で笑う。それを見た水沢は、あきれ顔になるが、気を取り直して話を続ける。
祈「『論語』では恥について色々と語られているけれど、次の文章は秀逸だと思います。」
これを道(みち)びくに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。これを道びくに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し。
[為政]
千里「刑罰よりも道徳の方が重要だってことだね。」
智樹「そうですね。」
祈「法律で縛ると、人民は法の網目をくぐり抜けようとし、それを恥ずかしいとも思わなくなるということです。一方、道徳で導いて礼儀を重視した政治を行えば、恥ずかしさを覚えて正しく振舞うようになるってことですね。」
琢磨「なるほどね。」
一葉「他にも、孔子が恥について語った箇所はいくつかあります。貧しいことは恥ではないといった考え方も示されていますが、重要なのは言葉を発するときに恥を意識していた点だと思います。」
祈「私もそう思います。」
智樹「ええと、具体的にどういうことですか?」
一葉「言葉が実践に追いつかないことを恥だと考え、言葉を慎重に扱っていたということです。」
智樹「ああ、そういうことですか。深いですね。」
一葉「恥という言葉が出たので、罪についても少し考えてみましょう。孔子が〈罪を天に獲れば禱(いの)る所なきなり[八佾]〉と述べているところから、孔子が罪と天を結び付けていたことが分かります。」
智樹「天に対して罪を犯したら、祈るところもないってことですか?」
一葉「はい。中国の古典を参照すると、『墨子』には〈罪とは禁を犯すなり〉とあり、『説文解字』には〈罪とは法を犯すなり〉と記されています。つまり、罪とは、してはならないことをすることだと考えられます。」
智樹「ああ、そうか。そう考えると、恥と罪の違いが明確になりますね。」
一葉「はい。」
琢磨「どう違うの?」
智樹「道徳や礼儀に反していることが、恥になるってこと。」
琢磨「それって、罪と同じじゃないの?」
智樹「ちょっと違う。罪の意識は、してはならないことに結びつくわけ。で、恥の意識は、為すべきことを為さしめるっていうこと。」
一葉「智樹くん、素晴らしいです。」
千里「へえ、それは面白いね。」
祈「恥は何々すべしに関わり、罪は何々することなかれに関わるってことですね? ですから、恥は義とか名誉と結びつくわけですね?」
一葉「はい。水沢さんも、素晴らしいです。それでですね、ここまでの思索を考慮して、孔子の最愛の弟子である顔淵が死んだときの様子を考えてみましょう。」
顔淵(がんえん)死す。子の曰わく、噫(ああ)、天予(わ)れを喪(ほろ)ぼせり、天予れを喪ぼせり。
[先進]
智樹「確か、孔子の罪は、天と結びついていたんですよね?」
一葉「はい。」
智樹「ということは、ここで孔子は罪を犯しているということになります。」
一葉「はい。その通りだと思います。」
祈「それはそうなのですが、もう少し踏み込んで言えることがあると思います。つまり、ここで孔子は罪深いことをしているのですけど、恥ずかしいことはしていない、ということになります。」
一葉「はい。祈さん、素晴らしいです。」
智樹「なるほど。」
第八項
智樹「孔子の『論語』と言えば、"道"についても説かれていますよね。最後のテーマは、もちろん"道"です。」
一葉「はい。〈朝(あした)に道を聞きては、夕べに死すとも可なり([里仁])〉などの言葉が有名ですね。」
千里「その言葉からすると、孔子は道を知らなかったっていうことかな?」
祈「そうだと思います。孔子は、中国周王朝の周公旦(しゅうこうたん)という政治家にあこがれていました。その周公旦の政治に、孔子は"道"を求めたのだと思います。」
琢磨「つまり、道が具体的に何なのかは分からないってことですか?」
一葉「ヒントはあります。孔子が〈吾が道は一以てこれを貫く〉と述べたとき、弟子である曾子(そうし)が、それは〈忠恕(ちゅうじょ)のみ〉であると解説しています。忠恕とは、まごころと思いやりのことです。」
祈「他にも、孔子は〈君子の道なる者三つ([憲問])〉と述べていますよね。その三つとは、仁人・知者・勇者のことです。〈仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼(おそ)れず〉と説明されています。孔子は自分にはできないと述べていますが、弟子(である子貢)はそれを謙遜だと言っています。」
千里「勇者とかって、智樹くんや琢磨くんが好きそうな言葉だよね?」
琢磨「そうですね。」
智樹「分かります。勇者は恐れないってのが、僕ら世代には響くよね。」
琢磨「まあな。」
祈「何? 魔王と勇者のようなノリで?」
琢磨「そうそう。」
そう言って、僕と琢磨は顔を合わせて笑いあう。
一葉「勇者は儒教の概念で、魔王は仏教の概念ですよね。そこに西欧ファンタジーの影響が入ってきて、魔王と勇者という概念枠組みが出来上がっている。非常に面白いですよね。」
千里「また一葉は、話を難しくする...。」
一葉「そんなことないよぉ。」
千里「まあ、話が脱線したのは否めないね。」
一葉さんと高木先輩がじゃれだしたので、話を元に戻すことにする。
琢磨「ええと、とりあえず、孔子は、見果てぬ道を目指したってことですね。」
千里「綺麗にまとめたね。」
琢磨「そうですか?」
一葉さんが、僕に目配せをしてきた。
智樹「じゃあ、道についてはこのあたりで。そろそろ遅くなってきたので、今日はこのあたりで終わりにしましょう。」
千里「そうだね。」
第九項
その日、僕は一葉さんと話ながら帰った。
一葉「孔子の道を、批判しましょう。」
智樹「・・・どうやってですか?」
一葉「孔子の道の捉え方を、それは孔子の存在した時代状況に制約されたものとして考えることによってです。」
智樹「どういうことでしょうか?」
一葉「孔子が、人と道の関わりについて述べたところを読んでみますね。」
子の曰わく、人能く道を弘む。道、人を弘むるに非ず。
[衛霊公]
智樹「人を弘むるに非ず・・・。ここですか?」
一葉「はい。人間こそが道を広めることができ、道が人間を広めるのではないと孔子は言っています。」
智樹「そこに非対称性があるということですか?」
一葉「はい。孔子は、天下に道があれば、礼楽や征伐は天子から起こり、道がなければ諸侯から起こるとも言っています。人があっての道という考え方が根強いように思えます。」
智樹「そうですね。ですが、それは、そういうものだっていう話ではないのですか?」
一葉「孔子の道については、その通りです。しかし、ここに日本の道との対比を持ち込むことができます。」
智樹「日本の・・・道・・・・・・。」
一葉「孔子には、人間が道を広めるのであり、道が人間を広めるのではないという考え方がみられます。もちろん、過去の日本人も『論語』の影響を受けていますから、そのような考え方も引き継いではいます。例えば、江戸末期の思想家・藤田東湖の『弘道館記』には、〈弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり〉と記されています。」
智樹「明らかに『論語』の影響が見てとれますね。」
一葉「はい。しかし、例えば江戸前期の儒学者・伊藤仁斎の『語孟字義』には、〈道はおのずから導くところ有り。徳は物を済すところ有り〉という考え方が示されています。他にも、『等持院殿(尊氏)御遺書』には、〈道ヨク天下ヲ治ム。故ニ道徳仁義ヲ天下ノ主トシ、吾謙リテ道ニ事エズンバアルベカラズ〉という記述があります。これらは、明らかに思想あっての人間という考え方です。日本の道は、その思想の力によって、人の心を導くものでもあるのです。」
智樹「なるほど・・・。」
一葉「つまり、日本においては、人と道は相互に影響を与え合い、支え合うのです。それが、日本の道なのです。」
智樹「そして、それによって、孔子の道への批判となる、ということですね?」
一葉「はい。その通りです。もちろん、孔子の時代状況では、思想が人間を導くといっても、それだけの思想が遺されていなかったのだとも言えます。そういった観点から、公平さに欠けた批判だと言うこともできます。」
智樹「・・・なるほど。」
一葉「ここに、世界の残酷さを観ることもできます。しかし、思想上の蓄積が豊富に残されているのなら、孔子の道の考えに縛られる必要もないのです。」
智樹「・・・確かに、そうですね。」
そう言って、僕らはしばらく黙って歩いていた。
不意に、僕の頭の中にある考えが浮かんだ。
智樹「一葉さん。」
一葉「はい」
智樹「この場合、孔子の道を批判してはいますが、否定にはなっていませんよね?」
一葉「はい。その通りだと思います。」
智樹「ここには、時代状況を、自身に置き換えて考えるという思考の可能性がありますよね?」
一葉「はい。あります。」
智樹「そうであるなら、孔子の道の考え方も、状況によってはありえますよね。」
一葉「ありえるというより、ありえざるを得ない、ということだと思います。」
智樹「確かに・・・、そうですね。」
そう言って、僕らはお互いの顔を見ながら静かに微笑んだ。
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