『思想遊戯』第三章 第四節 ソクラテスについて
【ソクラテス】
前470,469~399。
古代ギリシャの哲学者。
アテネ生まれ。
対話を通して、よく生きることを求めた。
反対者の告発を受け、裁判で死刑を宣告され、獄中で毒杯を仰いで死んだ。
プラトンやクセノフォンなどの著作により、その活動が伝えられている。
第一項
智樹「では、次はソクラテスです。」
千里「西洋哲学の有名人だね。」
祈「釈迦や孔子などもそうですが、ソクラテスも著作を残していませんよね?」
一葉「はい。そのためソクラテスその人の思想は、他の思想家の著作を通じて知るしかありません。それは、ソクラテス問題と呼ばれています。」
千里「それって、だから釈迦や孔子と同じってことでしょ?」
一葉「ある意味で、同じ問題だね。でも、ソクラテス特有の問題がそこにはあると思うよ。」
琢磨「それは、どんな問題ですか?」
一葉「それは、ソクラテスについての言動を書き残した人たちの問題です。釈迦は、後世になるにつれ人間離れした超能力を獲得していきます。仏教徒が仏教の権威を示すため、釈迦に余計な設定を追加していったと考えることができます。しかし、経典の年代を精査していくことで、つまりは古い経典をたどることで釈迦の人間像に迫ることができます。孔子も後世になると創作が増えていきますが、『論語』には弟子が孔子の言動をかなり正確に書き残していると考えることができます。では、ソクラテスの場合は? ソクラテスの言動を書き残した人物は?」
智樹「......プラトンですね。」
一葉「そう、プラトンです。もちろん、プラトン以外にもソクラテスの言動を書き残した人はいます。喜劇作家のアリストパネスは戯曲『雲』で、ソクラテスを揶揄して描いています。ソクラテスの弟子のクセノポンは『ソクラテスの思い出』を残しています。クセノポンに対しては、ソクラテスの哲学者としての力量をとらえられていないという見方があります。そのため、ソクラテスの哲学的才能を描きえた人物として、プラトンによるソクラテスが注目されるわけです。」
琢磨「それでしたら、プラトンの描いたソクラテスを見れば何も問題ないってことですか?」
一葉「いいえ。プラトンは、自分の著作のほとんどで、中心的な登場人物としてソクラテスを用いています。しかし、プラトンの著作は、初期・中期・後期などに分類されていますが、後になるにつれ、それはソクラテスの哲学ではなくプラトン自身の哲学になってしまっています。」
千里「プラトンが、ソクラテスの口を通して、自身の哲学を語らせたということね。」
琢磨「なるほど。」
一葉「ですから、プラトンの著作からソクラテスその人の哲学を取り出そうとするとき、プラトン自身の考えをできるだけ排除しないといけません。」
智樹「だから、ソクラテス問題なのか...。」
祈「では、どうしましょうか?」
一葉「ソクラテスの考え方がもっとも反映されている著作としては、『ソクラテスの弁明』があります。岩波文庫から出ているのが入手しやすいので、それにしましょう。それには、一緒に『クリトン』という対話篇も載っていますので、それも合わせて読んでみましょう。それほど分量はありませんが、じっくり読んでみることをお勧めします。」
智樹「では、ソクラテスについては、岩波文庫の『ソクラテスの弁明』を読んでくるってことでお願いします。」
一葉「課題としては、なぜソクラテスは、みずから死刑になるようなことを言ったりしたのかという論点があります。そこに注意して読んでみてください。」
第二項
塾の飲み会にて。僕は、三宮先生にソクラテスについて聞いてみることにした。
智樹「先生、お久しぶりです。」
三宮「ああ、こんにちは。」
智樹「先生って、西欧哲学とかも詳しいですよね?」
三宮「そうでもないけど(笑)」
智樹「ご謙遜を(笑)」
三宮「西欧哲学って、どうして?」
智樹「大学のサークルで議論するために、ちょっとソクラテスについて調べていまして。」
三宮「大学のサークルで、そんなことしているの?」
智樹「哲学とか思想とか好きなやつを集めて、いろんな哲学者とかについて議論したりしています。」
三宮「いまどき、めずらしいね。」
智樹「そうですね(苦笑)。確かに、めずらしいと思います。それでですね、ソクラテスが裁判にかけられて、死刑判決を受けますよね。その動機について各人で考えてこようってことになっていまして。」
三宮「それで、佳山くんはどう考えているのかな?」
智樹「僕は、『ソクラテスの弁明』などを読んでみたのですが、どうもよく分からないというのが正直な感想です。悪法もまた法なりとか聞いたことがありますけど、明示的にそう書かれているわけでもないですし。いろいろな論点が出てくるので、混乱して訳が分からなくなっている状態です。」
三宮「たしかに、難しいよね。ソクラテスは、民主主義によって死刑を宣告されています。そのときの悪法もまた法とは、法律の重要性を言っているという受け取り方もされていたりします。ですが、私は、それは間違いだと考えています。」
智樹「単なる法律論ではないということですか?」
三宮「ええ。ソクラテスの考えは、悪法にも従わざるをえないけれど、そんなことに心をわずらわされるよりも、あの世でダイモーンの下で、先人たちと語らいたいということなのだと思います。ダイモーンというのは、神と人間の中間に位置する聖霊のようなものですね。ソクラテスは、ダイモーンの声を聞くことができたそうです。」
智樹「確か、ソクラテスのダイモーンの声は、禁止の命令でしたよね?」
三宮「そうですね。ソクラテスが何かをしようとするとき、それが曲がったことだったとき、ソクラテスを諫止する声として響いたということです。」
第三項
智樹「では、ソクラテスについての議論を始めましょう。ひとまずは、『ソクラテスの弁明』を中心にして。」
一葉「はい。ソクラテスは古代ギリシャの哲学者です。『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスは裁判に訴えられ、自身の弁明を行います。そこでソクラテスは、自説を堂々と述べます。そのため、死刑判決を受けます。票決は2回行われました。1回目は小差で有罪となり、2回目は陪審員の反感を招き大多数で死刑が可決されました。ソクラテスは友人から脱獄を勧められますが、それを断り、最期にはみずから毒杯をあおって死にます。」
千里「すごい話よね。」
琢磨「壮絶ですよね。」
一葉「まず注目すべき箇所は、ここですね。」
いずれにもあれ、事件をして神の御意のままに成り行かしめよ。とにかく私は国法に従い、そうして弁明しなければならない。
智樹「神の御意と国法という二つの論点が出てきていますね。」
一葉「はい。ソクラテスが何を重視しているかは、非常に重要な判断材料になります。」
祈「裁判の弁明で、ソクラテスは色々なことを述べています。その中で、面白い話があります。ソクラテスの友人のカイレフォンが、ソクラテス以上の賢者は一人もいないという神託を受けたという話です。」
琢磨「それでソクラテスは、どうしたんだっけ?」
祈「ソクラテスはその神託に驚き、世に知られた賢者を訪ねて自分よりも賢い人を見つけ、神託に反証しようとするの。」
千里「そういう話だったね。」
祈「その結果、ソクラテスも訪ねて行った人も、善や美についてはどちらも知らないことが判明します。しかし、賢者と言われている人は知らないのに知っていると思っており、ソクラテスは知らないことを知っていると思っていないことに気づくのです。いわゆる、"無知の知"という考え方です。該当箇所を読んでみますね。」
そう言って、水沢は『ソクラテスの弁明』を開く。
されば私は、少なくとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。
智樹「面白いよね。ここのところは。」
千里「そうだね。」
祈「そうですね。ただし、ソクラテスはこの神託を、ソクラテスを一例にした神語りだと解釈しています。賢者とは、ソクラテスのように自分の智慧に価値がないと悟った者だという例えだということですね。」
千里「謙虚なのか、傲慢なのか、微妙に判断しづらいよね?」
祈「たしかに、そうですよね。」
第四項
智樹「ソクラテスは青年を腐敗させた罪と、国家の信じる神々ではなく新しい神霊を信じた罪という意味不明な理由で訴えられています。」
千里「たしかに、意味不明だね。」
祈「それに対するソクラテスの回答が洒落ています。」
私に対する多大の敵意が多衆の間に起こっていることが真実であることは確かである。そうしてもし私が滅ぼされるとすれば、私を滅ぼすべきものはこれである。
一葉「多数派の悪意ですね。ソクラテスは、〈多衆の誹謗と猜忌〉とも述べています。」
智樹「おそろしい話ですよね。冷静になって考えてみると。」
一葉「はい。ソクラテスは、恥辱を受けるぐらいなら、死をも念頭に置いてはならないと述べています。その上でソクラテスは、アテナイ人たちに言うわけです。諸君に従うよりも神に従うと。それによって、アテナイ人たちに忠告するというのです。ここは重要です。アテナイ人への尊敬という観点から、アテナイ人の多数に従う者と、神々に従ってアテナイ人へ忠告する者と、どちらが正しいのかが問われるからです。」
智樹「それは当然、後者ですよね。」
一葉「はい。ソクラテスは異邦人にも同市民にも忠告すると言っていますが、血統の上で近しいアテナイの市民については、神が命じたからという理由を付加しています。」
智樹「ソクラテスの中では、神の御意と国法は整合的だということですね?」
一葉「はい。完全な一致を示しているとはまでは言えないと思いますが、ソクラテスの言葉から判断すると、そこに大きな齟齬はないようです。」
祈「ある種の解答になると思うのですが、神の御意と国法とソクラテス自身の命という三つの要因があって、ソクラテスは自身の命を度外視して論じていると見なせますよね? ソクラテスは、自分が死を怖れて正義に反して譲歩するような者ではないと述べていますし。」
一葉「はい。その通りです。ソクラテスは、善きものは徳から生ずると信じているのです。ですから、神の御意と国法のために、ソクラテスはみずからの命を度外視し、多数派の悪意と戦ったのです。」
そうして、一葉さんは著書の一節を読み上げる。
私は、投獄と死刑とを恐れて、違法決議をした諸君と行動を共にするよりも、むしろ国法と正義の味方となってあらゆる危険を冒すべきであると信じたのだった。
千里「へえ...。」
智樹「ソクラテスは、法廷での奇怪な振る舞いを国家に対する不名誉だと考えていますよね。たとえ死刑になろうとも、堂々としていることを自身に課しています。こういったところは、やはりさすがだなと感じますね。」
千里「なるほどね。」
祈「もっと言えば、ソクラテスは自分が死刑判決を受けることを予想していたことが挙げられます。それどころか、一回目の票数差がわずかなことを不思議だとすら言っています。」
千里「皮肉だね(笑)。」
祈「そうですね(笑)。挑発的ですよね。ただですね、法律についてソクラテスは、興味深い意見を述べています。」
水沢は、該当箇所を読み上げる。
私の信ずるところでは、もし他国人におけるが如く諸君の間においても、死活に係わる裁判はただ一日で決定すべきではなく、それには多くの日数を費やさねばならぬという掟があったならば、諸君にも多分信じさせることが出来たであろうと、思われるからである。
智樹「ああ、そうか。ソクラテスにとって、国法と法律は、違うものとして考えられているってことか。」
祈「ええ。法治主義というより、法の支配(the rule of law)に近いと思う。」
琢磨「法治主義と法の支配って、どう違うの?」
祈「法治主義は、統治は議会の制定した法律によるべしという考え方のこと。法の支配は、人ではなく法が支配するという法原則のことで、統治する者も統治される者も法に従うべきだと考えられているの。法の支配における"法"には、議会が制定した法律を超えた"基本法"が想定されているわけです。」
智樹「なるほど。国法におけるプレイヤーとして、法律の不備を訴えているわけか。」
琢磨「つまり、どういうこと?」
智樹「法律には、自分が法体系に従うという面と、自分が正しいと思うように法体系を変えようとする面があるだろ? つまり、人は法に従属する面と、法を超越して変更させてしまう面があるわけさ。だから、ここでソクラテスは、神と国法と市民という三つの基準点を用いて、従属と超越の両面について、同時進行的に論じているってわけさ。」
祈「そうね。だからソクラテスは、市民ソクラテスとして裁判において、国法に従いながら法律の不備を指摘していると見ることが出来るわけだね。」
一葉「お二人とも、素晴らしいです。」
祈「ありがとうございます。」
智樹「あ、ありがとうございます。」
僕は少し気恥ずかしくなった。水沢にはそんな気配は見えないけど。
祈「ここでソクラテスは、不当な判決を受けることを覚悟で、法律の不備を指摘しているわけですね。ですからソクラテスは、アテナイ人たちへ向かって、賢人に汚名を着せて処刑したという罪科を負わされるという忠告をしています。」
智樹「ソクラテスは大勢へ迎合しないから、裁判で有罪になると確信していたとしか思えないですし、それを聴衆へ向かって言ってもいますからね。」
一葉「ソクラテスは、曲がったことをして生き延びるよりも、堂々と弁明して死ぬ。つまり死刑になった方が遥かに優れていると考えているのですね。死を避けるよりも悪を避ける方が困難だということです。ですからソクラテスは、次のように言うのです。」
かくて今、私は諸君から死罪を宣告されて、しかし彼らは真理から賤劣と不正との罪を宣告されて、ここを退場する。私はこの判定に従おう、が彼らもまたそうせねばならぬ。恐らくそれはこうなるより外なかったのであろう、そうして私はこれで結構なのだと思う。
智樹「この台詞から、ソクラテスが何をしたかったかが分かりますね。」
祈「そして、目論見通りになったこともね。」
千里「なるほど、そうだね。」
第五項
智樹「ソクラテスの死の観念も重要だと思います。」
一葉「そうですね。」
智樹「ソクラテスの死についての考え方は、二通り示されています。一つ目は、死はすべての感覚が消失し無に帰すということ。二つ目は、霊魂の移転です。」
祈「代表的な死の概念だよね。」
智樹「うん。一つ目は夢すら見ない熟睡を例にして、好いものだと言っています。二つ目は、あの世で過去の偉人と語らうことができるなら、言語を絶する幸福だと述べられています。それゆえ、ソクラテス自身にとっても、死は望ましいものだというわけです。」
一葉「ただし、誰にとってもそうだと言っているわけではありませんよね?」
智樹「はい。ソクラテスはこの弁明に対し、ダイモーンの禁止の声は聞こえなかったと述べています。ソクラテスは、アテナイ人たちに、ソクラテスの息子たちのことをお願いしています。徳よりも蓄財その他を念頭におくようなら、叱責してくれと言っています。それをしてくれれば、ソクラテス自身も息子たちも、アテナイ人たちから正当な取扱いを受けたことになるというのです。」
千里「それ、すごいね。」
智樹「そうですね。」
千里「だってソクラテスは、この裁判でアテナイ人は、賢者を不当に死刑にしたという汚名を受けると予言していたわけでしょう? その上で、その汚名を晴らす方法も、そこで述べていたということでしょう?」
智樹「はい。」
千里「しかも、死刑を支持した民衆へ向かって、それを言ったということでしょう?」
智樹「はい。すごいですよね。最後の台詞も恰好良いですよ。読んでみますね。」
しかしもう去るべき時が来た――私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちのいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない。
第六項
智樹「前回は『ソクラテスの弁明』でしたので、今回は『クリトン』について論じていきましょう。」
一葉「『クリトン』という題名は、ソクラテスの友人の名前からとったものです。死刑判決を受けた後、牢獄にいるソクラテスに、クリトンが尋ねて来て話をします。」
琢磨「『ソクラテスの弁明』の続きが『クリトン』ってことですよね?」
一葉「はい。クリトンは、ソクラテスに逃亡を勧めます。それに対し、ソクラテスはこの年齢になって、最期が迫ったともがくのは馬鹿げていると言うのです。」
智樹「年齢と死の関係は、ソクラテスの考え方を理解する上で重要だと思うのですが...。」
一葉「どういった観点からですか?」
智樹「『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスは死んで人生の困苦を遁れる方が自分のためだと言っています。ですから、老齢が及ぼす影響を考慮しておくべきだと思うのです。」
一葉「素晴らしい着眼点だと思います。それで、どういった見解が可能になりますか?」
智樹「えっと、やっぱりソクラテスは、老人として後世へ何かを伝えようとしていたと思うんです。その場合、老人の特権と言ったらアレですが、死を怖れずに振舞うということを一つの武器にしていたのでしょう。」
一葉「面白いですね。ソクラテスは老人であるが故に、死を怖れずに若者たちに言葉を遺せたというわけですね?」
智樹「はい。だからこそ、ソクラテスのダイモーンは、ソクラテスが死刑になるのを制止しなかったのだと思うのです。」
一葉「そうすると、ソクラテスのダイモーンは、ソクラテスの深層意識の現れだったってことになりますね?」
智樹「ええ、そう考えることができます。ソクラテス自身が、〈熟考の結果最善と思われるような主義以外には内心のどんな声にも従わないことにしている〉と述べていますし。」
祈「それにも関係していますけど、『クリトン』には有名なソクラテスの名言がありますよね?」
一葉「ここですね。」
そう言って、一葉さんは本を開き、水沢に該当箇所を見せて確認する。
祈「はい。読んでみますね。」
一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである
祈「その言葉に続いて、次のようにも言っています。」
また善く生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだということ
智樹「良い台詞だよね。」
祈「理想主義すぎる気もするけどね。」
智樹「そうかもしれないね。ただ、ソクラテスの考えって、かなり簡潔だと思うんだよね。例えば、祖国について、こう言っているよね。」
祖国とは、母よりも父よりもまたその他すべての祖先よりももっと貴ぶべく、もっと畏敬すべくまたもっと神聖であって、神々や理性ある人間達の間で他に越えて尊重されているものであるということに。
祈「うん。」
智樹「さらに、こうも言っているわけ。」
我らは逃亡したり退却したりその持場を棄てたりすることなく、むしろ戦場においても、法廷においても、またどこにおいても、およそ国家と祖国との命ずるところはこれを実行しなければならない、でなければこれを説いて真の法の要求に関するその考えを改めさせなければならない。
琢磨「過激だね。」
一葉「そうかもしれないのですが、ここで注意すべきは、選択肢が二つ示されていることだと思います。」
智樹「さすがです。その通りだと思います。日本では、なぜか、ソクラテスは悪法も法なりと言ったという話になっていたりしますが、とんでもない間違いです。ソクラテスは、祖国たる国家の正しい法には従え、それが正しくなければ真の法になるようにしろと言っているわけです。」
琢磨「ああ、そういうことか。さっき過激とか言ってしまったけど、そういうことなら、当たり前のことを言っているだけだな...。」
智樹「ソクラテスは、国法のために正しいと考えたことを、自分の生命を度外視して論じた、ということです。」
一葉「さらに付け加えるなら、おそらくソクラテスは、追放よりも死刑になることの方が、国法にとって有益だからそうしたのでしょう。」
祈「...ああ、そうですね。」
智樹「...それは、いや、そう言われれば...。」
祈「そう考えると、すべてソクラテスの予想通りの展開であり、事実、そうなったということになりますよね?」
一葉「はい。そうです。その通りになった、ということなのでしょう。」
祈「だから、ソクラテスは、自身の計画通りに毒杯を仰いだ・・・。」
一葉「はい。それが、なぜソクラテスはみずから毒杯を仰いだのかの、解答です。その計画は、正義の名の下に進められたのです。ソクラテスは、自身の生命よりも、その他の何よりも、国家のための正義を重視したのです。」
祈「つまり、ソクラテスは、自身の生命を度外視したというより、自身の生命を効果的な武器として利用し、国家のための正義を行ったということですね?」
一葉「はい。その通りです。」
第七項
一葉「完璧にも見えたソクラテスの計画ですが、ソクラテスの死後、それはソクラテスが予想もしていなかった事態を生み出します。」
祈「それは、何でしょうか?」
一葉「それは、プラトンの哲学です。師であるソクラテスの死にショックを受けたプラトンは、プラトン自身の哲学を深めていきました。」
祈「プラトンの哲学...。」
一葉「そうです。ソクラテスの死は、おそらく人類史上最大の天才哲学者プラトンを生み出してしまいました。」
祈「ソクラテスの計画は、プラトン哲学という計画外のものを生み出してしまったということですか?」
一葉「はい。そうですね。ソクラテスが意図したこととは違うものを、プラトンは生み出してしまったのです。ただし、それは確かにソクラテスの哲学の一部でもあったとも言えます。ソクラテス自身の哲学の中に、プラトン哲学の種を見つけることは十分に可能だからです。ですが、それは、その種は、怪物のような成長を遂げてしまったのです。」
祈「怪物を生み出した...。」
一葉「はい。西洋史における最大にして最強の哲学。西洋における考え方の根底。今現在においても、それは西洋における思考様式に徹底的に食い込んでいます。プラトンは、ソクラテスの意図を読み誤り、ソクラテス哲学の一部を巨大化させ洗練させました。そのあまりに巨大に成長したプラトン哲学は、西洋という特殊な思考様式を生み出してしまったのです。」
その後、少しばかり静寂が続いた。
第八項
帰り道で、僕は一葉さんと今日の話の続きを話す。
一葉「智樹くんは、ソクラテスの中では、神の御意と国法は整合的だと言いましたよね?」
智樹「はい。」
一葉「アテナイ市民は、ソクラテスを死刑に追いやりました。そこには醜い集団的熱狂があったことも確かでしょう。しかし、アテナイ市民は、ソクラテスに何らかの不信感を抱いていたのではないでしょうか? しかも、その不信感は、もしかしたら健全と呼べるようなものだったのかもしれません。」
智樹「それは、民主主義が正しいといったようなことですか?」
一葉「いいえ。民主主義とはまったく別の問題です。もっと思想的に深い問題です。民主主義が正しいとは限らないというのは、思想的にはあまりに当たり前の話です。民主主義そのものを正当化に用いている者は、端的に低レベルです。公言するかは別にして、です。覚えておいた方がよいですよ?」
智樹「はい。では、ここでは何が問題なのでしょうか?」
一葉「それは、"神"の問題です。」
智樹「"神"の問題ですか?」
一葉「はい。ソクラテスは、ダイモーンの禁止の声を聞くという間接的な形ではありますが、神の意志と国法を整合的な形にしてしまったのです。」
智樹「それの、何が問題なのでしょうか?」
一葉「日本の神々は、完全な正しさを保証する神ではありませんでした。そして、ギリシャの神々も。」
智樹「あっ、そうか。確かにそうですね。」
僕は、その観点に驚いた。
一葉「ソクラテスは、確かにソクラテス以前とプラトン以後の変化を産み出してしまったのです。そのキープレイヤーだったと言わざるをえないのです。ソクラテスは、人間を超えて人間に益や災いをもたらす神々という概念を、違うものへと変質させてしまったのです。彼にプラトンという弟子がいなければ、もしかしたら彼はその咎を指摘されることはなかったのかもしれません。しかし、彼には事実プラトンという弟子がいました。そのためソクラテスは、西洋における思考様式に、驚くべき、そして恐るべきものを付け加えてしまったのです。」
智樹「つまり、完全な正しさを保証する神...。いや、保証するというより、完全な正しさを指し示す神...。」
一様「はい。さらに踏み込むなら、完全な正しさが存在することを前提とする神、それを、ソクラテスは産み出してしまった...。少なくとも、その下地を用意してしまったのです。
そして、西洋における思考様式において、そのことを理解し指摘した者がいます。」
智樹「それは・・・・・・。」
一葉「その者の名は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェです。」
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