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第一部 第十一章 河上徹太郎『「近代の超克」結語』の検討


 河上は「近代の超克」という座談会を巡って、次のような感想を述べています。


 此の会議が成功であつたか否か、私にはまだよく分らない。たゞこれが開戦一年の間の知的戦慄のうちに作られたものであることは、覆ふべくもない事実である。確かに我々知識人は、従来とても我々の知的活動の真の原動力として働いてゐた日本人の血と、それを今まで不様に体系づけてゐた西欧知性の相剋のために、個人的にも割り切れないでゐる。会議全体を支配する異様な混沌や決裂はそのためである。さういふ血みどろな戦ひの忠実な記録であるといふことも、識者は認めて下さるであらう。しかも戦ひはなほ継続中である。確かな戦果は、戦塵が全く拭ひ去られた後でなければ分らぬであらう。


 ここには、まじめに考えられたまじめな文章が記されています。
 大東亜戦争の開戦一年目という時代状況において、この座談会および論文の内容には参照すべき点が多々含まれており、私は敬意を表さずにはいられません。それゆえ問題は、戦塵が拭い去れらた後、つまり戦後世代が「近代の超克」を引き継いで論じておかなければならなかったのに、その営みがほとんど省みられなかったことにあるのです。
 河村は、〈我々は「如何に」現代の日本人であるかが語りたかつたのである〉と述べ、〈しかもこれだけ未知の人が集まつて、これだけの仕事が出来たといふのも、偏に日本の国の有難さなのである〉と語っています。
 こういった「近代の超克」という過去の遺産がありながら、戦後の日本人はこの問題について真面目に考えるということをほとんどして来ませんでした。それどころか、負けたとたんに自由主義は素晴らしいとか民主主義万歳とか言いはじめたのです。このような思想のふしだらさに嫌気がさす者は、「近代の超克」という問題を引継ぎ、それに取り組むという方法があります。
 私なりに「近代の超克」の問題意識を引き継ぎ、「近代を超克すること」について考察していきます。



 

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