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第一部 第三章 諸井三郎『吾々の立場から』の検討

  
 諸井は、〈如何にして近代音楽を克服し、音楽をして感覚的刺戟の芸術から再び精神の芸術へ引き戻すかといふ事は、私自身の長い間の目標であつたし、今日とても少しも変りない課題である〉と述べています。その言葉の通り、諸井は音楽を通して近代の超克について論じています。〈そして結論として得たのは近代音楽といふものが根本的な点で何か誤謬を含んで居るのだといふ事に想到し、それを正して行くのは、音楽を再び精神の芸術に帰へす事であると思つたのである〉とあります。
 具体的な音楽論については、私は音楽に疎いため詳しいことは分かりません。ですから、諸井の音楽論に示されている近代の問題に絞って考察していきます。諸井が〈近代音楽は西欧近代文化の一翼をなして居るので、音楽としての特殊性はあるけれども、その根本的性格は近代文化一般に共通するものである〉と述べているところです。すなわち、〈近代文化は徹底的にヨーロッパ的なものである事と、それは人間中心主義を根底として居る事〉についてです。
 諸井自身は、〈吾が日本に於ける近代とは、西洋文明の輸入によつて生じた玉石混淆の混乱状態で、独特な特質を持つ文化現象〉と規定し、それは〈乱雑に輸入せられた西洋文明の模倣によつて惹き起された混乱自体〉と認識しています。その上で、〈この混乱状態を正視して、これが所謂日本の近代であり、これと西欧の近代との根本的に相違する事をはつきりと認識する事は絶対に必要である〉と考えているのです。
 具体的な〈根本的な意味に於ける近代の超克〉については、〈西洋の借物文化を清算する事であり、又吾々の文化の持つ混乱状態を立て直す事である。即ち日本の近代文化に対する国民的反省をなし、これに徹底した批判を加へて立直す事である。これは又西洋文化の盲目的模倣から目醒める事でもある〉と語られています。
 ただし、〈単純な西洋否定を警戒しなければならない。即ち西洋を超克する事は決して西洋の単純な否定によつて行はれはしない。吾々に取つて必要な事は、西洋文化の本質を知る事で、それが為には吾々自身の目で耳で西洋の文化を鋭く底の底まで見抜かなければいけない〉と警告されています。
 その上で諸井は、〈吾々の意味に於ける近代の超克の第一歩は西洋文化の本質を吾々自身の目で見抜く事で、これによつて吾々の中にある西洋文化に対しその真に取るべきものと、捨てるべきものとを明確にし、文化的混乱を整理して行く事である。即ち西洋文化の摂取を批判的に体系的にする事である〉と述べているのです。さらに、〈日本的意味に於ける近代の超克が、西洋文化の超克であるとするならば、日本の古典に対する反省と探究とが行はれるのは当然である。しかし古典の探究は唯単に回顧的であつてはならない。古きが故によい、といふ考へは骨董趣味と同一であつて創造性を認める事は出来ない。「復古とは維新である」といふ考へこそ吾々が古典探究に於いて取るべき態度で、単純なる復古的・回顧的態度は徹底的に避けなければならない〉と語られています。
 つまり、〈古へを探ねるといふ事は、古への形式を探究するといふ事ではなく、物の根源について考へる事である。即ち吾々が日本の古典を知るのは、その形式について云々するのではなく、日本の根源的なものについて知る事で、従つて極めて精神的な意味である〉ということです。〈日本的意味に於ける近代の超克は、吾々自身の文化を築き上げる事に他ならない。それの直接の意味は西洋を超克する事であるが、しかしより建設的な、より積極的な意味は吾々自身の文化の創造である。この仕事に於いて根本となるのは、精神の恢復といふ事である〉というわけです。
 まとめると、「近代の超克」のためには日本の古典の探求から日本の根元的なものを求め、その精神によって西洋文化から取るべきものと捨てるべきものを整理していくことになるのです。これは当たり前のことですが、その当たり前のことがおろそかにされてきたことは否めないのであり、それゆえ諸井の指摘は傾聴に値すると思うのです。

 

 

 

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