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第一部 第五章 林房雄『勤王の心』の検討

 
 林房雄は、〈神の否定、人間獣化、合理主義、主我主義、個人主義の行きつく道は、当然、「神国日本」の否定である〉と述べています。続けて、〈日本の現代文学者は、半ばは無意識に、半ばは意識しつゝこの道を歩いた。かくして、青年をあやまり、国をあやまつた。この罪は何によつて贖ふべきか。何によつてつぐなふことができるか〉という問いを発しています。
 その問いに対し、林は次のような言葉を紡いでいます。

 

  罪深き我等は死ぬよりほかに道はないかもしれぬ。だが、日本の神は国民にその罪の故に死ねとは仰せられぬ。
 罪と穢れの夜見の国に迷ひ入つた国民に対しては、夜見よりかへれ、よみがへれ、而して国の伝統の清冽なる流のただ中に禊せよと仰せられる。
 このありがたき御声に従ひ、神と、天皇の目にひざまづき、我が罪業の深さを自覚するとき、我が胸、我が腹、我が四肢五体のすみずみより、ほのぼのと葦芽の如く芽生え出るもの、これぞ、この心こぞ、勤皇の心である。
 岩間に湧く清水の如く、清冷にして透明なる心、地底に燃ゆる火の如く、渾一にして激烈なる心、私なく人なく、ただ神と天皇のみ在はします大事実を知る心。
 単なる愛国ではない。単なる憂国でもない。勤皇の心を知らざる愛国者と憂国者は、いつでもその逆のものに転ずることができる。
 我が罪業の深さを知り、個と私の一切を捨てて日本の神の前にひざまづいた境地に生れた勤皇、その心のみが、まことの愛国者、まことの憂国家をつくるのである。

 

 ここには非常に感傷的で情緒的で、ある意味で非論理的な文章が展開されています。
 しかし、しっかりとした論理の基本には、しっかりとした感情が必要です。それは、根拠を求める行為を掘り下げて行くとたどり着く、論理の構造から導かれる結論なのです。
 そういった観点から考えていくと、勤王の心というのは、確かに「神の否定」・「人間獣化」・「合理主義」・「主我主義」・「個人主義」の問題点に対抗しうるものであるように思えるのです。
 林は、〈日本の文学よ、お前の本然の姿をとりかへせ〉と述べ、そのために〈文学の求むるまことの純粋は勤皇の心の中にある〉と語っています。一見して、過度に感情に訴えた表現であるように思えますが、論理的な観点からも考えてみるべき内容が含まれていると思われるのです。

 

 

 

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