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第一部 第六章 下村寅太郎『近代の超克の方向』の検討

 

  下村は、〈我々が「近代」と称してゐるものはヨーロッパ的由来のものであり、少くとも今日それの超克が問題にされる「近代」は、その外には存しない。それ故我々に於て近代の超克が問題になり得るとすれば、それは具体的にはヨーロッパ的近代との対決に外ならぬ。従つて我々に於ける近代の問題性や超克の方向はヨーロッパの場合と必ずしも同一ではない。問題の自主的な把握が必要である〉と述べています。
 この問題の把握、つまり日本人の「近代の超克」は、「具体的にはヨーロッパ的近代との対決」を意味するという考え方は重要です。
 では、どのように対決すれば良いのでしょうか。下村は、〈近代の超克の方向は新らしき精神の概念の自覚を通してその方法を見出すべきではないであらうか〉と述べています。〈我々自身の課題として改めて我々の知性を反省すべきである。我々の知性は、少くとも傾向的には、植物的であつたのではないか。受容的である。柔軟性をもつ、繊細である、而も強靱性もある。しかし何れも植物的性格以外のものではない。我々ほど何ものに於ても、「花」を、美しく咲かせる民族は外にないであらう〉というわけです。
 正直、ヨーロッパ的近代と対決するための具体性に欠けていると言わざるを得ないのですが、少しだけ掘り下げて考えてみます。「精神の概念の自覚」として、日本人の知性が柔軟性・繊細さ・強靱性を持つという点は、確かに自覚しておくべきでしょう。それらが受容的であるということは、受容的でしかないという意味なら論外ですが、受容的でもあるという意味なら聞くべき点があると思います。確かに日本文化は、外国から入ってきた文化を受け容れて、それを取捨選択して高度な日本文化を築き上げてきたことは誇って良いことだと思うからです。雑種文化という日本文化という視点は、自覚的であるべき点だと思うのです。ですから重要なことは、外国文化に対して受け容れるべきことは受け容れ、受け容れるべきでないことは受け容れないという判断なのです。その判断によって、日本文化は柔軟性・繊細さ・強靱性を持つことになるのです。

 

 

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