第一部 第九章 菊池正士『科学の超克について』の検討


 菊池は物理学者という立場から、「科学」を考察しながら「近代の超克」について論じています。
 例えば菊池は、〈一つの方法は科学的方法を批判することで、是は哲学の仕事ですが、又科学の専門家としても充分反省して見るべき問題です〉と述べています。専門家として誠実な態度だと思います。
 神については、〈神は実在かどうかと云ふ様な議論のある所に神様などある筈はないと思ひます。神仏への途は今も昔と同じ様に神秘的な飛躍的な道しか残つてゐないと信じます〉と語られています。私も同意しますし、同意できない人も参照しておくべき見解だと思います。
 菊池は科学という方法を良く理解しているため、「近代の超克」という問題に対し、科学的ではない考え方を提示しています。菊池は、〈東洋の大乗仏教的の精神に一番引きつけられます。従来の我々の考へ方はすべて西欧的な「我」を中心としたものであり、「我」の自覚と云ふことを一種の誇りとして来ましたが、結局それでは飛躍は出来ない。昔から東洋で云はれてゐる「我の滅却」と云ふことを現代日本人は今一度真剣に考へるべきときだと思ひます。是は単に利己心を押へるとか、個人主義的な考へ方を改めるとか、さう云つた表面的の問題ではありません。物の見方を根柢からひつくり返すことになります〉と述べています。
 この見解には深いものがあります。西田幾多郎の「無」の哲学に通じるものがあると思います。少しばかり掘り下げておくと、「我の滅却」は「我」をある意味において前提としているわけです。それゆえ「我の滅却」を考えておくということは、「我」を中心とした世界観および「我の滅却」による世界観の両視点を持つことになるのです。両視点を持つ自分と、「我」を中心とした世界観に拘泥する自分という二人の自分を想定してみることができます。異なる自分の比較をしてみることは、決して無駄にはならないと私は思います。



 

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