第二部 第五章 対近代の思想(進歩主義)
我々が近代の思想と訣別するために、前章までに政治上におけるデモクラシー(民主主義、民衆政治)・思想上におけるリベラリズム(自由主義)・経済上におけるキャピタリズム(資本主義)を否定してきました。
ここでは、最後のまとめとして、西欧的な進歩主義(progressivism)を否定し、そこに立たないことを宣言します。
『哲学・思想翻訳語辞典』には、「近代・モダン」について次のような説明があります。
17世紀フランスの新旧論争(Qurerlle des Anciens et des Modernes)を契機として、「古きもの(anciens)」と「新しきもの(modernes)」との対比は、歴史を没落とみなすか進歩とみなすかといった歴史観の対立を反映するものとなった。古典古代を模倣すべき範例とみなす人文主義的伝統はもはや自明のものではなくなり、「近代」科学の進展とも相まってしだいに進歩信仰が高まったのである。ここで「新しきもの=近代」は進歩概念と結びつくことになる。
進歩主義とは、進歩そのものを好ましいとする考え方であり、変化そのものが進歩をもたらすという価値観のことです。歴史を人間社会が最終形態へ向けて発展する過程と見なす進歩史観(progressive view of history)とも密接に関係しています。そこには、キリスト教的歴史観の影響が見られます。
西欧の文脈では、この進歩主義というのは大きなテーマになります。しかし、日本人にはほとんど馴染みがない考え方です。西欧のある種の思想に汚染されていなければ、日本人が進歩主義に陥ることはないでしょう。
近代の超克という試みにおいて、日本人は進歩主義には立ちません。
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