2014年8月アーカイブ


 Mr.Childrenの12枚目のシングル「マシンガンをぶっ放せ -Mr.Children Bootleg-」は、歌詞がなかなかに過激です。

 その過激さに惑わされずに、その歌詞の意味をよくよく考えてみるのも楽しいかもしれませんよ。


 やがて来る"死の存在"に目を背け過ごすけど
 残念ですが僕が生きている事に意味はない
 愛せよ目の前の不条理を


 いいですね。突っ走ってますね。恰好良いですね。

 〈僕が生きている事に意味はない〉と歌っているわけですが、「意味はない」とは、どういう意味でしょうか?

 意味はないことの意味を問うているわけです。

 哲学的でしょ?

 まず、「意味はない」ということは、たぶん「訳が分からない」ということとは違う気がしませんか?

 「意味はない」ということは、「意味がある」ことではない、ということです。

 ですから、「意味がある」ということが分かっていないと、「意味はない」とは言えないように思うわけです。

 ということは、何かについて「意味がある」と思っていて、その何かを利用して「意味はない」と言っていることになるわけです。

 ですから、そこには、その人が何をもって「意味がある」と考えているのかという思想が隠されているのです。

 そこに踏み込んでいくのは、なかなに危険で、興味深いことなのですよ?


 ということで、歌詞について色々と考えることができるわけです。

 他にも、


 良識を重んじてる善人がもはや罪だよ


 とか、この一文でどれだけのことが語れることか。

 ちょっと考えてみることも、楽しいかもしれませんよ。


 野猿は、『とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた音楽ユニットですね。

 番組やその経緯については、まったく見ていませんでしたが(笑)


 野猿の歌は、番組を見ていないくても日常的に聞こえてきましたね。

 この「叫び」は、音楽のテンポも良いですし、歌詞も良いですね。


 こんな時代に生まれ 俺は神を知らない
 罪深き欲望に支配されているよ


 これって、けっこう深いですよ。

 神を知らないものの罪深き欲望とは、何によって規定されているのかが問題となるからです。


 神を知らないのなら、その欲望は罪深きものとはならないのではないか?

 その欲望が罪深きものであるとの認定は、神以外の何かによってなされているのか?


 このような疑問が浮かびます。

 ここには、神を知らないことによる罪深さがあるのではないでしょうか?

 そうだとするなら、神が居ないことを憂える、真なる神の存在が隠されているのではないでしょうか?

 とある哲学者の用語法を用いるなら、「神」ではなく〈神〉の存在が措定されているのではないでしょうか?



 偽善者の行列に 俺は並びながら
 掌を差し出したら恵んでくれたよ
 奪った弱者のダイヤモンド


 そのダイヤモンドの輝きは、

 卑劣さを伴うが故に美しい。




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