政治制度論『ミル』

 

 ミル(John Stuart Mill, 1806~1873)は、イギリスの哲学者であり、政治学者であり、経済学者です。

 

第一節 『自由論』の政治制度
 ミルの『自由論』は、主題は自由についてですが、政治制度についても語られています。
 まず、〈現代の世界には、民主的な政治制度をともなうにせよともなわぬにせよ、民主的な社会体制に向かう強い傾向が明らかに存在している〉という状況分析があります。
 その上でミルは、〈われわれは、さらに、社会主義者の意見がかなり広く普及することを想像しさえすればよい。そのときには、非常に少額のもの以上の財産、あるいは肉体労働によって得られたのでないなんらかの所得をもつことは、多数者の目には不名誉なことと映るようになるかもしれないのである〉と述べています。
 ミルは、民主主義的な制度を肯定し、それが社会主義的な制度へ進むことを肯定しています。

 

第二節 『代議制統治論』の政治制度
 ミルの『代議制統治論』には、政治制度についての言及があります。
 民主政治については、〈ほとんどいうまでもないが、理想的に最良の統治形態とは、文明のあらゆる状態において実行可能なあるいは望ましい形態を意味するのではなくて、それが実行可能で望ましい事情のもとで、直接および将来にわたり最大量の有益な結果をともなうものである。完全な民衆的統治は、この性格をもつことをいくらかでも主張できる唯一の政治体である〉とあります。
 共産主義については、〈人類が原則として他人よりも自分自身を、とおい人びとよりももっともちかい人びとを好むということが、真理でなくなるときにはいつでも、その瞬間から、共産主義は実現可能であるのみならず、唯一擁護できる社会形態であり、そして、そのときが到来すれば、それはまちがいなく実行されるであろう。わたくし自身としては、普遍的利己主義を信じないので、共産主義が、人類のエリートのあいだでは現在でさえ実現可能であろうし、のこりの人びとのあいだでもそうなりうる、ということを認めるのになにも困難はない〉とあります。ミルの述べている共産主義は、マルクス主義ではありません。ミルは、同じロンドンに住んでいたマルクスを知りませんでした。ここでの共産主義は、オーエン(1771?1858)やルイ・ブラン(1811?1882)の社会主義のことであり、土地や資本などの生産手段を社会の共有財産として、生産物および労働を各人に平等に分配しようとする思想を意味しています。
 代議制については、〈社会状態のあらゆる必要条件を十分に満たしうる唯一の統治は、国民全体が参加する統治であるということ、たとえ最小の公共的職務にではあっても、どんな参加も有益であるということ、その参加はどこにおいても、共同社会の改良の一般的程度の許す限り大きなものであるべきだということ、そして究極的にのぞましいのは、すべての人びとに国家の主権の分担をゆるすこと以下ではありえない、ということである。しかし、単一の小都市を越えた共同社会において、公共の業務のうちの若干のきわめて小さな部分にしか、すべての人が自分で参加することはできないので、完全な統治の理想的な型は、代議制的でなければならないのである〉とあります。ミルは、〈われわれは、代議制統治のなかに、もっとも完全な政治体の理想的な型を認識した〉と述べています。

 

第三節 『代議制統治論』の代議制統治
 ミルは、民主主義としての代議制統治について多くを語っています。
三つの根本条件については、〈一、国民がすすんでそれをうけ入れようとしていなければならず、二、国民が、それの保持に必要なことをおこなう意志と能力を、もっていなければならず、三、国民が、それがかれらに課する義務を履行し、職務を果たす意志と能力をもっていなければならない〉とあります。
 統治の意味については、〈代議制統治の意味するところは、国民の全体あるいはかれらのうちのある多数者からなる部分が、かれら自身によって定期的に選挙された代表者を通じて、究極的支配権力を、行使することであって、この権力はすべての国家構造において、どこかに存在しなければならない〉とあります。
 危険については、〈代議機関およびそれを統御する民衆世論における知性の度が低いことの危険と、数的な多数者側での、これがすべて同一階級から構成されているための階級立法という危険〉という二つの危険の種類が指摘されています。
 民主政治の観念については、〈民主政治の純粋な観念は、平等に代表された全国民による全国民の統治である〉とあります。
少数派については、ミルは、〈少数諸派が適切に代表されるということは、民主主義の本質的な部分である。それなしに可能なのは、真の民主主義ではなく、虚偽の見せかけの民主主義にほかならない〉と述べています。
 また、教育ある少数者については、〈教育ある少数者は、実際の投票においては、かれらの数だけにしか数えられないだろうが、道徳的な力としては、その知識と知識がかれらに与える他への影響力とによって、その数よりはるかに多く数えられるだろう。民衆の意見を、理性と正義の範囲にとどめおき、また、民衆の世論を、民主政治の弱い側面を攻めたてる種々の腐敗的な影響力から守るために、これ以上に適した制度は、人間の才知によってはほとんど考案されえないだろう。民主的国民は、こうして、いかなる他の方法によってもえられないことがほとんど確実であるもの――国民自身よりも高度の知性と人格をもつ指導者たち――を与えられるだろう〉と語られています。
 ミルは、〈真の民主政治においても、絶対的な権力は、数的多数者がこれを行使しようと思えば、かれらの手中にあり、かれらは、偏見、先入見、一般的思考様式において似ている単一の階級、しかも、それ以上はいわないにしても、最高の教養をもっているのではない階級からだけなるものであろう。したがって、その国家構造はやはり、階級統治のもつ特徴的な害悪をまぬがれないだろう〉と述べています。さらに、〈民主政治は、敬意の精神に有利ではない。それがたんなる社会的地位にたいする尊敬を破壊するということは、民主政治の影響力のうちの悪の部分のうちにではなく、善の部分のうちに数えられなければならない。ただしそうすることによって民主主義は、社会のなかに存在する(純粋の人間関係についての)尊敬の主要な学校を閉鎖してしまうのだが。しかしまた、民主政治は、まさにその本質において、すべての人が平等に考慮される権利をもつものごとを、ある人が他人にまさって考慮される権利をもつものごとよりも、はるかに強力に主張するために、個人的な優越にたいする尊敬さえも、標準に達しないおそれがある〉と語られています。

 

第四節 『自由論』と『代議制統治論』の政治考察
 ミルの『自由論』と『代議制統治論』に描かれている政治制度論について考えてみます。
 全体的にミルの議論は雑であり、論理の筋が通っていません。
 理想的に最良の統治形態として、民衆的統治を唯一のものとして挙げていますが、その理由は不明瞭です。社会主義や共産主義の理想についても、未熟な人間観察の妄想論に過ぎません。
 代議制統治についての説明も不十分です。示されている根本条件についても、代議制統治に関わらず、他の統治形態にも当てはまることにすぎません。
代議制の危険性として、世論の知識レベルの低さと、多数者側の階級立法が指摘されています。この点については、有益な指摘であり考慮すべき事柄です。
 少数諸派が適切に代表されるということは、民主主義がうまく行くための条件ですが、多数決という民主主義の本質によって阻害されてしまいます。民主主義は、その本質によって少数派を排除し自滅します。民衆的統治が、表面上だけでもうまく運営されているように見えるためには、民主主義以外の、民主主義に反する要素をこっそりと取り入れるしかないのです。
 ミルは、民主的国民は教育ある少数者を選ぶと述べていますが、これは致命的に間違っています。民主的国民は、優れた人物を引きずり落とすことが多いものなのです。
 ミルは、民主政治においても、階級統治と同じ害悪を持つことを指摘しています。これに関しては、その通りです。
民主政治が敬意や尊敬を破壊することを、ミルは善の部分として述べていますが、愚かとしか言いようがありません。優越さへの尊敬が標準に達しない社会は、優秀な人物の引きずり下ろしや、福祉のただ乗りが横行し、自滅して行くからです。

 

 

 

 

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