政治制度論『プラトン』

 プラトン(Plato, B.C.427?~347?)は、古代ギリシャの哲学者です。プラトンの『国家』は、西欧哲学史においても、西欧の政治制度の文脈においても、外すことのできない最重要文献の一つです。

 

第一節 『国家』の政治制度
 プラトンの『国家』には、有名な哲人王の宣言があります。〈哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり〉と、プラトンはソクラテスの口を通して理想の政治を示しています。続けて、〈あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、親愛なるグラウコンよ、国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う〉と、ソクラテスは親愛なるグラウコンへ語りかけています。
 では、哲学者とは何者かというと、〈「真実を観ることを」とぼくは答えた、「愛する人たちだ」〉とソクラテスは述べています。さらに、〈哲学者とは、つねに恒常普遍のあり方を保つものに触れることのできる人々のことであり、他方、そうすることができずに、さまざまに変転する雑多な事物のなかにさまよう人々は哲学者ではない〉とも語られています。
 ここでいう真実や恒常普遍のあり方という観点から、有名なイデア論が出てきます。プラトンはソクラテスの口を通して、〈知的世界には、最後にかろうじて見てとられるものとして、〈善〉の実相〈イデア〉がある。いったんこれが見てとられたならば、この〈善〉の実相こそはあらゆるものにとって、すべて正しく美しいものを生み出す原因であるという結論へ、考えが至らなければならぬ〉と言わせています。
 これらの考えの上で、『国家』における国制をまとめると、次のように分類できます。

 
Plato_01.bmp[図01] プラトンの国家の形態

  優秀者支配制は、哲人王の政治であり、名誉支配制は、当時の〈クレタおよびスパルタふうの国制〉が想定されています。寡頭制は、〈財産の評価にもとづく国制〉であり、〈金持が支配し、貧乏人は支配にあずかることのできない国制〉とされています。
 民主制は、〈快く、無政府的で、多彩な国制であり、等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制〉と語られています。〈民主制国家が善と規定するところのもの〉は、〈自由〉だとされています。プラトンの『国家』では民主制批判が多く語られており、例えば〈先生は生徒を恐れて御機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機知や冗談でいっぱいの人間となる〉と非難されています。〈国民の魂はすっかり軟らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹を立てて我慢ができないようになるのだ。というのは、彼らは君の知るとおり、最後には法律さえも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになるからだ。絶対にどのような主人をも、自分の上にいただくまいとしてね〉という非難もあります。民主制についてプラトンは、〈過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないもののようだからね〉とソクラテスに語らせ、〈最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ〉と結論づけています。
 その先で、〈民衆の慣わしとして、いつも誰か一人の人間を特別に自分たちの先頭におし立てて、その人間を養い育てて大きく成長させるのではないかね?〉という疑問を提起し、〈僭主(独裁制)が生まれるときはいつも、そういう民衆指導者を根として芽生えてくるのであって、ほかのところからではないのだ〉という結論に至っています。民主制から独裁制が生まれるというのです。

 

第二節 『国家』の政治考察
 『国家』に描かれている政治制度論について考えてみます。
 プラトンの主張のように、政治において「政治的権力と哲学的精神とが一体化」することの重要性は考えてみるに値します。問題は、その哲学的精神とは何かということです。
 プラトンの『国家』から判断するなら、善のイデアという真実を観ることができる哲学者が政治を行うことが最良だということになります。しかし、善のイデアを観るなどということは、やはり、いかがわしいと言わざるをえません。プラトンの哲人王の政治は、プラトンの意見そのままに肯定することはできません。
 ただし、哲学的精神を別様に定義するなら、「政治的権力と哲学的精神とが一体化」は十分に有効な考え方だと言えます。例えば、哲学史における諸々の考え方を学んだ者が政治を行うことは、危険性もありますが、基本的には有益なことです。
 また、プラトンの民主制に対する批判は傾聴に値します。民主制を礼讃する世の中においても、プラトンの批判に適切な反論が為された上で、その制度が肯定されているわけではありません。プラトンの哲人王への有効な批判はなされても、プラトンの民主制批判への反論として、有効な意見は提示されていません。提示されないまま、民主制が肯定されるという、異常な事態が起こることがありえるのです。この点に関しては、よく注意しておくことをお勧めします。


 

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