『夢幻典』[捌式] 無常論
世界は、はたして有るのだろうか。
この問いに肯定的に答えられたとしても、
世界は有り続けるのかという問いに対しては、
別種の難しさが生じてしまうだろう。
その難しさゆえに、世界は続くとも、続かないとも言えない。
単に有ることからは、
それが有り続けるとも、有り続けることはできないとも、言うことができない。
なぜなら、すべては移り変わってしまうのだから。
認識のための固定端は、視点をずらすことで意味を見失う。
価値あるものは、常住を保証されはしないだろう。
変わらないことを欲しても、世界は意のままにならない。
縁起によってすべてが生じ、そして滅してしまう。
その理は、世界そのものについても及んでしまうだろう。
人生や世の中は、無常だと思われる。
常なることを願うがゆえに、そうでない有限性が問題となる。
そこでは、この世界のあり方が問われることになる。
創造主が世界を創ったと言うことはできない。
なぜなら、現に無が有ることが、世界を形作っているのだから。
語ることができるのは、そこまでであり、創造主を語ることは越権行為である。
創造主の想像はたやすい。
しかし、そこに越権があるが故に、安易な思考へと進むことはできない。
時を止めることはできない。
時の停止を認識することができないのだから。
認識できてしまえば、それは原理的に時の停止ではありえないのだから。
刹那。
刹那が有る。
それは点ではなく、幅を持った瞬間として。
なぜなら、幅を点へ収束させると、これが消滅してしまうから。
だから、ここには幅がなければならない。
ここに心が宿っているから。
過去と未来の否定、そして、現在の肯定。
前後は無く、今だけが有る。
今において、そこに心が宿っているから。
刹那滅。
今が変わる。
今が以前の今へ。現在だったものが過去へ。
今が以後の今へ。未来だったものが現在へ。
今は変わるから、刹那が滅びる。
刹那が滅び、何かが残される。
心相続。
刹那が滅び、心が相続される。
滅ぶことによって、続く何かがあるだろう。
だから、時間が紡がれている。
時間の概念によって、心が相続されるだろう。
相続されている心が有ると、見なされることになるだろう。
すべては関係によって紡がれる。
すべてが因果によって生じ、滅する。
時間の流れにおいて、すべてが移り変わっていく。
森羅万象において、存在の中心に意識されているもの。
我は有り、我は無し。
生の始めに暗く、死の終わりに冥し。
諸行無常。
すべては常ならず移り変わる。
ここにおいて、儚さが心に届いて無常観が現れる。
厳しい無常の世界において、優しさと美しさが生まれる。
たとえ、すべてが滅び行くのだとしても。
草木国土悉皆成仏。
そこでは、このような考えも浮かぶのだろう。
それは飛躍であり、保証はないのだとしても。
ここにおいて、因果関係の論理に亀裂が走る。
人間性を抜きにした論理は、人間によって打ち破られる。
打ち破られることが、可能であるのだから。
人間に可能なことは、ある種の人間によって為され得る。
だから、そのような物語が紡がれ得る。
たとえ、この世が夢幻だとしても。
世の中は夢か現か、
現とも夢とも知らず、
有りて無ければ。
たとえこの世が、夢幻なのだとしても。
夢に蝶となる。
ゆえに、現実に蝶となる。
そして、蝶となり羽ばたく。
今という永遠が現実を形作る。
ゆえに夢は現実に、現実は夢と成る。
奇跡的に永く続いたある一つの文明において、
不思議な言葉遊びが生まれた。
無常を詠う遊び心を、ここで示そう。
色は匂へど 散りぬるを (諸行無常)
我が世誰ぞ 常ならむ (是生滅法)
有為の奥山 今日越えて (生滅々已)
浅き夢見じ 酔ひもせず (寂滅為楽)
一つの儚い幻想が示され、そしてやがて終わるだろう。
儚く無常な世の中において、
それでも護るべきものがあった。
だから、歌が詠われたのであろう。
それはどこかもの悲しく、
切なく、
胸を締め付ける。
この世界の終わりを以て、
この世界が護るべきものであることを示そう。
思想の究極において、生命の手段化が行われる。
問いが問われる。
偉大なる物語とは何か?
答える声が微かに聞こえるだろう。
永遠でないものを、
永遠であれと希う、
永遠でない者たちの歌。
【解説】
空海の『秘蔵宝鑰』には、次の言葉があります。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し。
とてつもない言葉です。素晴らしく、そして恐ろしい考えでもあります。
夢と現(うつつ)の和歌は、『古今和歌集』からのものです。夢と蝶の関係は、『荘子』の「胡蝶の夢」からの影響がみられます。よろしければ、『夢と現実の境界』や『いろは歌の美しさ』などの論考も参照していただけると嬉しいですね。
無常において、語られるべきものがあります。あるはずです。それは、きっと・・・。
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