『日本式 正道論』序章 世界と国家と人生、そして道


 世界について。

 人生について。

 そこで日本という国家が意識され、この日本の道と出会う。



第一節 心世界

 世界には、たくさんのものが在って、色々なことが起こります。

 世界という言葉は、仏典にはじまり、衆生の住む所をさします。「世」は過去・現在・未来の三世の時間、「界」は東西南北上下の空間をさします。宇宙という言葉も、「宇」は空間、「宙」は時間をあらわしますから、世界は宇宙という語に近い意味を持っています。一般語としての世界は、人間や生物が暮らしている範囲や、知識の届く範囲の総体を意味します。

 世界の認識は、心によって可能となります。それゆえ、心そのものは一つの世界です。日本臨済宗の祖である栄西(1141~1215)は、心について、〈それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり(『興禅護国論』)〉と述べています。太虚とは宇宙空間のことで、元気とは万物を生み出す根本エネルギーのことです。

 心は、身体を通じて言葉を発します。その心が、言葉を通じて他の心と交流することにより、心は世界の中の一つの作用であることを認めます。幕末の志士である吉田松陰(1830~1859)は、〈然れども人は人の心あり、己れは己れの心あり。各々其の心を心として以て相交はる、之れを心交と謂ふ(安政三年の『書簡』)〉と述べています。

 心とは、世界そのものであり、世界において相交わることなのです。

 江戸後期の儒学者である佐藤一斎(1772~1859)は、〈満腔子是れ惻隠の心なるを知れば、則ち満世界(すべ)て惻隠の心たるを知る(『言志後録』)〉と述べています。満腔子とは体全体のことであり、惻隠の心については、『孟子』の[公孫丑上篇]に、〈惻隠の心は仁の端なり〉と記されています。つまり、体全体が惻隠の心になっていることが分かれば、世界全体が惻隠の心で満ちていることが分かると語られているのです。

 心に対する考え方として、心が世界そのものであるという観方があり、また、ある心は世界の中にたくさん在る心の中の一つだという観方もあります。それぞれの観方は、世界に対する異なる角度であり、双方ともに、それぞれの視点で成り立ちます。そこで、様々な視点を取り込んだ、包括的な観方というものが考えられます。包括的な観方によって、世界を観ることは大切なことだと思われます。

 世界とは様々な角度から観ることができるものであり、色々な角度から観ることなのです。

 色々な角度から世界を観ると、世界の成り行く勢いは状況を生じさせ、そこにおいて心に選択肢が現れます。選択肢は複数あり、心はその中からどれかを選び取ります。そこでは、「選択しない」ということも選択肢の中の一つであり、「選択しない」という選択を選んでいることになります。「選択を誰かに委ねる」というのも、「選択をまわりの雰囲気に合わせる」というのも同様に選択の一つです。常に何かを選び続けることは、心の前提条件なのです。

 心は何かを選択し続けていきますが、その心がどういう世界に立っているかにより、選択肢の現れ方が決まります。別の言い方をすると、心が、自身の居る場所を解釈する仕方によって、出会う状況による選択肢がもたらされるのです。

 選択肢に応じて、心は自身の人生における「その選択」を選び取ります。江戸前期の儒学者である伊藤仁斎(1627~1705)は、このことを「意」と表現しています。〈意とは、心の往来計較する者を指して言う(『語孟字義』)〉のです。往来計較とは、あれこれくらべあわせて考慮することです。複数の選択肢の中から、その選択を選び取る「意」は、人生の為し方に関わります。

 人生とは、死を迎えるまでの期限付きの期間であり、選択肢と決断を導くものであり、その決断を伴う状況へと世界を繋げることなのです。

 公卿である北畠親房(1293~1354)は『神皇正統記』において、〈正直慈悲ヲ本トシテ決断ノ力アルベキ也〉と言い、〈決断ト云ニトリテアマタノ道アリ〉と述べています。どのような世界を成しているか、どのような人生を為しているかによって、決断の仕方が決まるのです。複数ある選択のそれぞれの意味を考慮し、それらを比較することで、選択肢の中から決断が行われるのです。



第二節 境界線

 では実際に、どう世界を成し、どう人生を為すのでしょうか。つまり、何故その選択肢になり、何故その基準での選択を決断するのでしょうか。

 そこには、「分かるということ」と「知るということ」、この二つの働きが必要になります。この二つの働きに関わってくる要素が、境界です。境界という要素は、世界と人生に影響を与えると同時に、世界と人生から影響を受けます。

 日本語では、「わかる(分かる)」は分別することによって、その異同を知ることです。「しる(知る)」は全体的に所有すること、つまり、「領(し)る」ことによってその全体を把握することをいいます。分かるには、境界線を引いて分けることが、知るためには境界線を引いて領有することが必要になるのです。ですから、世界による選択肢の成し方とか、人生による決断の為し方というものが、境界線を引くことによって形成されるのです。その働きにより、世界と人生の関係が展開されていくのです。

 最初は、世界も人生も曖昧なままです。何だか、グチャグチャしています。そこで、まずはひたすらに「分かる(分ける)」と「知る(領有する、自分のものにする)」を行うのです。赤ん坊が、ひたすら目にするものを手にし、口に含むように、です。あの行為は、手に取ることで世界を分け、口にすることで世界を知る行為なのです。

 そういった行為の先、時空における時間意識により、考え方に連続性・一貫性・持続性が獲得され、空間意識により限定性・限界性・特異性が芽生えてきます。それに伴い、物事の境界線が明確になっていきます。それは秩序の生成というべき推移です。秩序が整うにつれて、世界による選択肢の成し方とか、人生による決断の為し方に基準が仄見えてきます。そこには「世界⇔境界⇔人生」という関係があり、次に示すような相互作用が働いています。


00_01.bmp[図0-1] 世界と境界と人生



 様々な境界により、世界の成し方、および人生の為し方がはっきりしていきます。同様に、様々な境界は、世界からその在り方を、人生からその有り方を、つまりは意味を獲得します。これは心に関する、一連の物語です。

 境界は、心が世界と関係し合い、認識と共に成立するのです。心は感覚器官によって、今の現象を感覚として受容します。それぞれの感覚に対する識別により境界線が引かれます。その上で意識は、過去・未来・現在を対象とし、言語活動を行います。そこに深層心理が関わり、慣習・法律・不文律・道徳・文化・宗教・言語・民族などの境界線が引かれ、個々の領域を判別することが可能になるのです。私達は境界線を引くことで、物事が分かり、物事を知るのです。

 ちなみに仏教の唯識派は、心の存在も夢や幻として否定しますが、ここではそれも一つの観方であることを指摘しておきます。心の存在だけが確かであるという観方も、心の外に確固たる物が在るという観方も、同様に成り立ちます。これらの観方は、同時に成り立ち、それらを包括的に観る観方も生まれます。それぞれの観方は、互いに関係し合って世界を紡いでいきます。



第三節 垣領域

 心が世界において相交わることで、世界の観方において、心は自身の領域を持ちます。自身の領域を確定するために、外界と隔絶するために設けられるものを「(かき)」といいます。その垣によって区切られた領域を守るために、生物は己の命をかけることもあります。

 私たちは、他に対する境目によって垣を定めます。垣は、様々な境界を考慮した上で、内と外を隔てる区切りとして立てられます。その垣は、心に「こちら側」と「あちら側」という境目の意識を生じさせます。なぜなら、我(もしくは我々)は垣に囲まれた内側である「こちら側」の境界に居るのであり、垣の外側である「あちら側」の境界には居ないということが意識できるからです。あちら側に居るのは他であり、その他に対するものとして、こちら側に自分(たち)が居るのです。こちら側とあちら側を分ける境目が、垣によって生じるのです。その垣による境界ごとに、異なる思想が想定され、人間はその境涯に生き、そして死ぬのです。

 人間の生活の複雑さから、いくつもの「垣」が生じます。例えば、「(いえ)」・「(むら)」・「(さと)」・「(みやこ)」・「(くに)[國]」などです。

 漢字の成り立ちから見た場合、家は建物に、村は多数の人が集まり住む聚落に、里は耕作地に、都は城壁をめぐらせたところに、国は武装に関係しています。国家は邦家ともいい、国は軍事的、邦は宗教的な性格をもつ文字です。

 日本語では、家とは、自分や家族が生活を営み住んでいるところを意味し、先祖から代々伝えられてきたもの、また、それにまつわるものという意味を持ちます。村とは、地形・水系などによって人の居住に適し、人家が群がり生活圏を形成している区域・地域のことです。古代から国家機構の末端に組織され、行政・納税の単位とされてきました。里とは、人の住まない山間に対して、人家があつまって人が住んでいる所です。都とは、皇居のある地を意味しています。国とは、統治・人民・領土を合わせた一つのまとまりをいう語になります。故郷のことをいう場合もあります。太宰春臺(1680~1747)の『経済録』には、〈国ト云ハ、人ノ領スルニ由テ名ヅクル也〉とあります。

 これらの「垣」を築いて境界を確定するということは、心と世界が相互に働きかけ合うということです。それゆえ、選択肢における選択の基準、つまりは真善美と偽悪醜を形成する要因となります。単なる世界、単なる人生だけでは、意味のある基準は生み出されないのです。様々な境界の線引きを通して、意味と価値が生み出されるのです。

 この中でも「国家」は非常に重要です。国家は、統治・人民・領土という要素を持ちます。この三つのまとまりの線引きは、神意説、契約説、実力説など多岐にわたりますが、様々な境界(慣習・法律・不文律・道徳・文化・宗教・言語・民族など)を統合した伝統によって築かれています。



00_02.bmp[図0-2] 様々な境界の統合としての国家



 様々な境界を考慮し、国家の境界線が引かれ、国家の領域が形成されるのです。その伝統という記憶の遺産を通して国家を見た場合、統治は政府であり、人民は国民であり、領土は国土となります。歴史は国史となります。

 国家とは、政府・国民・国土を合わせたものであり、国史の伝統を紡いで来た・紡いで居る・紡いで行くことなのです。

 自分の帰属する国家を故郷だと思えるとき、自国は我々の居る場所だと想えます。そのとき国家は、世界と人生に対して大きな影響を及ぼします。

 ここで、日本という特定の国家からの眺めを考えてみます。日本語では、国のありかたを「国柄(くにがら)」、地形を「国方(くにかた)」、住民を「国人(くにひと)」、その全体を支配する儀礼を「国見(くにみ)」と言います。国史は、「日本史」になります。そのため日本は、日本史による国柄により、国見・国人・国方という要素を合わせた国家だと言えるのです。


00_03.bmp[図0-3] 国家の構造



 あらゆる要素の統合として国家は成り立ちます。その性質上、国家は現に在るものでありながら、常に曖昧さが付きまといます。その曖昧さ故に、その国家の正当性が問われます。つまり、時代の変遷により、その国家は、なぜその境界線により、その国家なのかが常に問われ続けます。何故この国家は、この境界線が引かれているのか。何故あの境界線ではないのか。その問いは常に問われ続けます。その答えは、国家の内側(国民)および外側(外国人)から求められます。国家は、内側からの力と外側からの力の平衡状態として成り立ちます。国家における政府・国民・国土という各要素は、こちら側とあちら側という国家間を意識した国史の伝統の上において、(げん)にそこに(あらわ)れてくるものなのです。そこに作用する力は、精神的および物理的なものの両方です。つまり、国家の内側と外側に対して、権威および権力が必要になるのです。その正統性の答えに完全はありえませんが、答えの妥当性がある程度保たれていれば国家は続きますし、保てなくなると国家は崩壊したり、他国に併合されたりします。



第四節 国家間

 心は、世界を完全に把握することはできません。また、真善美および偽悪醜を思ってしまうがゆえに、心が世界そのものを全肯定することは不可能です。なぜなら、世界の全てが真と善と美だけであり、偽と悪と醜が一切ないという考えを受け入れることはできないと思われるからです。

 その上で、心は何かを選択し続けて行きますから、そこには何らかの基準が働いているはずです。その基準が完全・完成・完璧に至ることは、世界の複雑さからいってありえません。それにも関わらず、人生には何らかの正しさの基準が必要になります。なぜなら、差し出された手が私に握手を求めているのか、私を殺そうとしているのか、それらがどちらでもよいとは思えないからです。そのため、選択を判断するために、言葉が必要になります。

 この言葉というものの性質上、正しさは(わたくし)の正しさではなく、(おおやけ)の正しさになります。公とは共有すべき正しさ(公正)のことで、私とは身勝手なわがまま(私欲)のことです。国家における正しさとは、その国家の公の正しさのことなのです。国家は、内側から国家を見たときに、その国家の公が必要となるのです。ですから、(厳密にはズレがあるでしょうが)国家の数だけ公があると想定されることになります。

 『十七条憲法』の十五番目には、〈(わたくし)(そむ)きて(おおやけ)()くは、これ臣の道なり〉とあります。貝原益軒(1630~1714)は『大和俗訓』で、〈義とは我が行ふべき公の理なり。私なくして我が為にせざるなり。わが身のためにするは義にあらず。利とはわが身のためにする私の心なり〉と言い、『大疑録』では〈「天下仁に帰す」とは、ただ公なれば、己私の間隔なく、天下広濶なりといへども、愛せざる所なきを言ふなり〉と述べられています。荻生徂徠(1666~1728)の『弁名』には、〈公なる者は私の反なり。衆の同じく共にする所、これを公と謂ふ。己の独り専らにする所、これを私と謂ふ〉とあります。その上で、〈公・私はおのおのその所あり。君子といへどもあに私なからんや。ただ天下国家を治むるに公を貴ぶ者は、人の上たるの道なり〉と述べられています。上田秋成(1734~1809)は、〈わたくしとは才能の別名也(『胆大小心録』)〉と述べ、私の才能面からの有用性を示しています。上杉治憲(1751~1822)は〈国家は先祖より子孫へ伝候国家にして、我私すべき物には之なき候(『伝国の詞』)〉と述べています。ここで示されていることが、国家を内側から見たときの基本となります。

 次に、国家を外側から見ることを考えてみる必要があります。それは世界から国家を捉えるということであり、他国から見た自国というものを意識させます。ここにおいて国家は、複数性を必要とします。国家は他の国家を必要とするのです。なぜなら、世界はこの自分の心における世界ですが、たくさんの心の共通の世界としても捉えられ、自分の心はその中の一つとしても考えられるからです。たくさんあると考えられる心は、国家という垣によって隔てられ、それぞれにおいて歴史と伝統を紡いでいると考えることができます。ここで、ある正しさが完全・完成・完璧に至ることはありえないということに注意が必要です。世界はその複雑さから、単一の思想体系では安定的に対応できないのです。そのため、自身の正しさの有り方は当然必要ですが、その上で、自身とは異なる正しさの在り方も必要なのです。自身の正しさのために、自身とは異なる正しさの在り方が必要なのです。世界に完全・完成・完璧がありえない以上、各々の正しさは、他の正しさによる掣肘が必要であり、それによって安定を得る必要があるからです。それゆえ、他との比較において独自の思想を持ち、かつ、それを維持できる国家というものが、非常に重要になるのです。なぜなら、国家との関わり、および国家間の捉え方が、世界と人生に息吹を与えるからです。

 このことを福沢諭吉(1835~1901)は『文明論之概略』で、〈自国の権義を伸ばし、自国の民を富まし、自国の智徳を脩め、自国の名誉を燿かさんとして勉強する者を、報国の民と称し、其心を名けて報国心と云ふ。其眼目は他国に対して自他の差別を作り、仮令ひ他を害するの意なきも、自から厚くして他を薄くし、自国は自国にて自から独立せんとすることなり。故に報国心は一人の身に私するには非ざれども、一国に私するの心なり。即ち此地球を幾個に区分して其区内に党与を結び、其党与の便利を謀て自から私する偏頗(へんぱ)の心なり。故に報国心と偏頗心とは名を異にして実を同ふするものと云はざるを得ず。此一段に至て、一視同仁四海兄弟の大義と報国尽忠建国独立の大義とは、互に相戻て相容れざるを覚るなり〉と見事に述べています。

 ですから『丁丑公論』で、〈公論と名けたるは、人のために私するに非ず、一国の公平を保護せんがためなり〉と語られながら、『痩我慢の説』では、〈立国は私なり、公に非ざるなり〉と語られているのです。これらの文章は、矛盾せずに成り立つのです。〈忠君愛国の文字は哲学流に解すれば純乎たる人類の私情なれども、今日までの世界の事情においてはこれを称して美徳といわざるを得ず。すなわち哲学の私情は立国の公道にして、この公道公徳の公認せらるるは啻に一国において然るのみならず、その国中に幾多の小区域あるときは、毎区必ず特色の利害に制せられ、外に対するの私を以て内のためにするの公道と認めざるはなし〉というわけです。つまり、国家という存在は、内側からみれば公に見え、外側からみると私に見えるものなのです。


00_04.bmp[図0-4] 国家への視点



 国家を外部から見るなら、立国のために私を通すものとして現れます。国家を内部から見るなら、規範や規律の基となる公をもたらすものとして現れます。世界の中の国家として国家を見るか、人生を包む国家として国家を見るか、その視点の違いにより、国家は異なった姿を現すのです。


00_05.bmp[図0-5] 国家の立場



 国家が、国家間における国際関係を考慮するということは、複数の思想体系の均衡状態をもたらします。そして、ある国家は、国際関係において、他国を参照しながら、自身の思想を調整して、自身を安定させます。ある国家が連続した歴史を持つということは、試行錯誤して調整された思想を持つといった観点から、その国家にとって有利に働くことがあります。

 以上のことから、ある国家が己の絶対性を唱え押し付けることは世界を不安定化させます。国家の廃止や国家の乗り越えを実行することも、世界を不安定化させます。また、国家の数があまりに多すぎても、複雑化し過ぎるために不安定化します。考慮すべき国家の数は、それなりの数である必要があるわけです。

 つまり、国家は関わりにおいて捉えられるのです。ある国家の人間から見ると、みずからの属する国家の正しさの体系、および、それとは異なっていたり対立したりする他国の正しさの体系があるのです。変遷する時代に際し、それらの相違において「国家」が強く意識されます。その認識の上において、国家間の関わりにおいて、国家は自らの内部に対して国内法を定めると同時に、国家間の取り決めである国際法の調整に努めるのです。各国家は、国際法によって便益を得ると同時に、国際法によって制約を受けるのです。

 その国家の状態は、状況によって揺れ動きます。その揺れ動きの中から、国家の分裂や国家の統合などが起こります。歴史において、時代の状況が直面する関わりが、国家という境界線を引くのです。また、引き直すのです。

 世界の成し方における選択肢、それに関わる国家の在り方、選択の仕方としての人生の為し方、それに関わる国家の有り方。この一連の歴史の流れから、この世界・この国家・この人生が立ち現れるのです。


00_06.bmp[図0-6] この世界とこの国家とこの人生



 この関係を基にして、世界・国家・人生は時代の変遷により変化していくのです。時代ごとに、それぞれは特色を持ちます。その上で、その諸々の変化を貫通するものとして、つまりは歴史観として、この世界・この国家・この人生が再度、捉えられます。それぞれの時代は、それぞれの時代において、この世界・この国家・この人生を捉えるのです。


第五節 言乃葉

 国家の持つ思想体系は、多くの要素を統合した歴史と伝統から構成されています。この中で言葉は、非常に重要な要素の一つです。

 心は言葉によって、世界に対して作用します。言葉は、感情、意志、考えなどを伝え合うために必要な共有財産です。意見の同意どころか意見の対立のためにも、共通で共有の通約可能な言葉がなければならないのです。世界を構成するものは、言葉によって構成されるのです。ですから、国家を構成するものも言葉によって構成されます。この言葉を用いて、人間は関係を築いていくのです。言葉は、それ自体で一つの思想の様式なのです。

 そこで、国家間で言葉が異なれば、それは思想の様式自体が異なるということになります。これは大きな違いです。それゆえ、ある国家が、その国特有の言語体系(ただ一つの言語にしろ、ある複数の言語群で構成されているにしろ)を備えているということは、その国家が、明確で特異な様式を持ち、その様式によって国際関係、つまりは世界に臨んでいるということになります。言葉は、国家の境界線に強く作用する要因の一つなのです。

 ただし、仮に世界が単一言語、例えば日本語しかない状況や、英語しかない状況、あるいは中国語しかない状況や、エスペラント語だけしかない状況だったとしても、国境線が引かれ、世界に複数の国家が存在するようになることが予想できます。同一言語を母国語とする人同士でも、あらゆる要素で関係したり無関係になったりするのですから。さらに、関係した上で敵になったり、友になったりもするのですから。

 例えば、同一言語内における二つの異なる集団が、「正しい」という言葉が指し示す状況を別様に見なしているならば、それらの集団が共に生活することは極めて困難になります。ですから、国家間の相違が言語の相違性に及ぶ場合、国家の境界線が強く作用する傾向がある、とは言えると思います。ですが、もっと根本的なことは、人間は言葉によって様々な境界線を引くということです。その中でも、いくつもの境界を統合した大枠の境界として、国家という重要なあり方が考えられるのです。国家はそれぞれに、各々の正しさを持ち、それは他国の正しさとの関係の間で調整されるのです。


第六節 日本国

 ここで国家について考えるために、日本史における国という言葉の変遷を見ていきます。

 『古事記(712)』や『日本書紀(720)』などの日本神話には、神々の住む天界の「高天原」や、日本の別名である「大八洲国(葦原中国)」、死者の住まう「黄泉の国(根の堅州国)」などが記されています。高天原と大八洲国の表現の違いから分かるように、「国」は「天」に対して「地」にあるものを指し示しています。

 『大宝律令(701)』では、「国家」という語で「天皇」を表しています。天皇の尊号を、直接的に称するのを憚ったためだと言われています。日本という国家にとって、天皇という存在が重要な意味を持つことが分かります。

 天台宗の最澄(767~822)は、『内証仏法相承血脈譜』において「三国」という表現を使用しています。三国とは、日本・唐土(中国)・天竺(インド)のことです。昔の日本人にとっては、この三国がそのまま世界として捉えられていたのです。この考え方は、長いあいだ日本人の思想に影響を与えました。

 紀貫之(870頃~945頃)の『土佐日記』には、国という言葉がいくつかの意味に使い分けられています。〈唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ〉という文章では、「この国」が「日本」を意味しています。唐と日本とは言葉は違いますが、月の光は同じはずですから、人の心も同じなのだと語られているのです。また別の箇所では、国が郡の意味で使われたり、故郷の意味で使われたりもしています。

 鴨長明(1155~1216)は、〈わが国は、昔、伊弉冉(イザナミ)、伊弉諾(イザナギ)の尊(みこと)より、百王の今にいたるまで、久しく神の御国として、その加護なほあらたなり(『発心集』)〉と述べています。日本国が、神の御国として考えられていることが分かります。

 慈円(1155~1225)は、〈日本國ノナラヒハ、國王種姓ノ人ナラヌスヂヲ國王ニハスマジト、神ノ代ヨリサダメタル國ナリ(『愚管抄』)〉と述べています。日本国は、天皇家の血筋によって保たれていることが分かります。

 浄土真宗の親鸞(1173~1262)は『高僧和讃』において、〈日本一州ことごとく 浄土の機綠あらはれぬ〉と述べ、日本における浄土を願っています。

 日蓮宗の日蓮(1222~1282)は、『立証安国論(真筆)』で「くに」の文字の書き分けを行っています。「国」の使用回数が十五回、「國」の使用回数が一回で、「□」の中に「民」で「くに」とする文字が五十二回です。「□」の中にどのような文字が入るかで、「くに」という言葉によって強調すべき要点を表しています。「くに」という言葉の使い分けの比較から、日蓮が「くに」と「民」を密接に結び付けて論じていることが分かります。また、『報恩抄』では、〈日蓮は日本国のはしらなり。日蓮失うほどならば日本国のはしらをたをすになりぬ〉と述べています。自分が日本を支えているのだという自負が伺えます。

 北畠親房(1293~1354)は、〈大日本者國也。天祖ハジメテ基ヲヒラキ、日神ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云也(『神皇正統記』)〉と述べています。受け継がれてきた伝統によって、日本と他国を区別していることが分かります。

 戦国時代では、戦いの単位である大名の領土が「国」として用いられる場合があります。このことは、時代の状況によって、国の意識の範囲が揺れ動いていることを示しています。朝倉孝景(1428~1481)は家訓『朝倉栄林壁書』において、〈国を見事に持成も、国主の心づかひに寄べく候事〉と述べ、越前守護大名の領有する地域に対して国という字を用いています。また、毛利元就(1497~1571)は子息(隆元・元春・隆景の三人)にあてた『毛利元就書状』において、〈誠手広く五ヶ国・十ヶ国之操調にて候〉と述べています。ここでも、戦国大名の領有する地域に対して国の文字が用いられています。安芸の領主から身を起こして、安芸・備後・石見・長門をはじめその周辺の諸国を征服して支配・介入できるようになった状態について語られています。

 江戸時代に入ると、幕府の海禁政策(いわゆる鎖国)の影響から、国の文字が藩単位で用いられることが多くなります。海禁政策とは、外交・貿易の権限を幕府が制限・管理することを指します。本多正信(1538~1616)は、〈国家ヲ治メントスレドモ治メル可キ本ナケレバ治ラズ。其本ト云ハ国主郡主ノ御心ナリ(『治国家根元』)〉と述べています。ここでいう国家は徳川幕府や藩を指し、国主は国持大名であり、郡主は小大名や上級旗本などを指しています。また、山本常朝(1659~1719)は、〈御国家を治め申上えの忠節、何か有る可きや(『葉隠』)〉と述べ、国家を佐賀藩とし、選び出されて佐賀藩を治めるという忠節よりほかになにがあろうか、と語っています。

 海禁政策下でも、オランダなどを通じて諸外国の情勢や学問を研究することはできました。しかし、庶民に情報が制限されていたのも事実です。そのため、日本という単位を「国」とすると、日本の正しさを他国と比較することが難しくなります。正しさは、比較対照を失うと暴走するか、脆弱化します。そのため、「国」が藩という単位で認識されたのだと思われます。そうすると、その藩(国)の掲げる正しさが、他の藩(国)と比較可能になります。正しさは、比較すべき他の正しさがなければ、自身の正しさを保てないのだと思われます。

 例えば福沢諭吉(1835~1901)は、〈各国の交際と人々の私交とは全く趣を異にするものなり。昔し封建の時代に行はれたる諸藩の交際なるものを知らずや、各藩の人民必ずしも不正者に非ざれども、藩と藩との附合に於ては各自から私するを免かれず。其私や藩外に対しては私なれども、藩内に在ては公と云はざるを得ず。所謂各藩の情実なるものなり。此私の情実は天地の公道を唱て除く可きに非ず、藩のあらん限りは藩と共に存して無窮に伝ふ可きものなり。数年前廃藩の一挙を以て始めて之を払ひ、今日に至ては諸藩の人民も漸く旧の藩情を脱するものゝ如しと雖ども、藩の存する間は決して咎む可らざりしことなり。僅に日本国内の諸藩に於ても尚且斯の如し(『文明論之概略』)〉と述べています。福沢諭吉は、封建時代では藩が基本単位であり、廃藩の後は日本が基本単位になったと考えているのです。

 ただし、江戸時代には藩を「国」とする考えと同時に、日本を「国」とする考えも当然ながら見られます。水戸藩の第二代藩主である水戸光圀(1628~1700)は、〈毛呂(もろ)()()を中華と称するは、其の国の人の言には相応なり、日本よりは称すべからず。日本の都をこそ中華といふべけれ。なんぞ外国を中華と名づけんや。其のいはれなし(『西山公随筆』)〉と述べ、日本人は日本を中心に考えるべきことを説いています。

 井原西鶴(1642~1693)の『日本道にの巻(西鶴独吟百韻自註絵巻)』には、〈和歌は和国の風俗にして、八雲立御国の神代のむかしより今に長く伝て、世のもてあそびとぞなれり〉とあります。また、〈日本道に山路つもれば千代の菊〉とあり、日本の街道の里程に山路の里程までを加えるなら、千年も保つという菊の寿命のように尽きることがないと述べています。近松門左衛門(1653~1724)の『国性爺合戦』には、〈日の本とは日の始、仁義五常情有り〉とあります。

 荷田在満(1669~1736)の『国歌八論』には、〈日本はわが万世父母の国なれども、文華の遅く開けたる故に文字も西土の文字を用ゐ、礼儀・法令・服章・器財等に至るまで悉く異朝に本づかざるはなし。ただ歌のみわが国自然の音を用ゐて、いささかも漢語をまじへず〉とあります。和歌に日本の独自性を見出していることが分かります。

 学者である富永仲基(1715~1746)の『出定後語』には、〈道を説き教へをなすは、振古以来、みな必ずその俗によつて、もつて利導す〉とあります。振古以来とは、昔からという意味です。その上で、〈竺人の、幻における、漢人の、文における、東人の、絞における、みなその俗しかり〉とあります。印度人が「竺人」であり、「幻」とは化幻性、神秘的性癖のことです。中国人が「漢人」であり、「文」は文辞性、修飾的性癖のことです。日本人が「東人」であり、「絞」は絞直性、秘密的性癖のことです。仲基は、〈言に物あり。道、これがために分かる。国に俗あり。道、これがために異なり〉と述べています。言語思想の形成条件の相違によって思想に違いがあり、地方固有の風俗習慣が行なわれることで風土的差異が思想に影響するというのです。

 本居宣長(1730~1801)の『鈴屋答問録』には、〈國とは、上代には一縣一郷ほどの所をもいひつれば、其地、其地に、國生ノ神は有べし〉とあります。国には、国ごとに根付いた神が居るというのです。その上で日本については、〈皇統の動きたまはぬを本として、其外にも他國にまされることの多きぞ、天照大御神の御本國のしるしにして、他に異なる也〉と語られています。

 上田秋成(1734~1809)は、〈他国の聖の教も、ここの国土にふさはしからぬことすくなからず(『雨月物語』)〉と述べています。ここでの他国は漢土(中国)であり、ここの国土とは日本のことを指しています。

 以上のように海禁政策下では、日本という単位と藩という単位が、それぞれの立場に応じて国という言葉で使い分けられていました。海禁政策が緩和(いわゆる開国)されると、国の使用例も日本という単位で統一されていきます。

 佐久間象山(1811~1864)は『省諐録(せいけんろく)』において、「一国」で松代藩を指し、「天下」で日本全体を意味し、「五世界」で五大洲、つまり地球全体を表現していました。しかし、後の『象山書簡』では「国」という言葉を日本全体の意味で用いる傾向がきざしています。国ないし国家を藩の意味で用いる傾向と、日本全体の意味で使う新しい傾向とが、時代の変遷により変化していくのが分かります。

 江戸末期の政治家である横井小楠(1809~1869)は、〈我国の万国に勝れ世界にて君子国とも称せらるるは、天地の心を体し仁義を重んずるを以て也。されば亜墨(あめ)()()()西亜(しあ)の使節に応接するも、只此天地仁義の大道を貫くの条理を得るに有り(『夷虜応接大意』)〉と述べています。日本を我国とし、新しく登場したアメリカ(嘉永六年六月三日浦賀に入港したアメリカ使節ペリー)やロシア(同七月十八日長崎に来航したロシア使節プチャーチン)と対峙させています。

 哲学者の西周(1829~1897)は、〈国とは何等を指して国と云ふべきものなるや。徒に土地あるを以て云ふ語にあらず。土地ありて人民あり、人民ありて政府ある之を国と云ふ。則ち英語state.国の字は元と或の字なり。其を境界して国と為すの字なり(『百学連関・総論』)〉と述べています。日本語の「国」と英語の「state」との通約が見られます。

 評論家の山路愛山(1865~1917)は、〈今日において日本は世界の日本なりというはなお徳川時代において薩摩は日本の薩摩なりというがごとし。世界は一の完璧なり。日本はその一部分なり。二者決して分つべからず。世秋を知らずして日本を知らんとし、世界の歴史を解せずして今の日本に処らんとするは、なお昔の日本を解せずして薩摩に処らんとするがごとし(『日本現代の史学および史家』)〉と述べ、国と世界との関わりについて言及しています。

 哲学者の西田幾多郎(1870~1945)は、〈外国の事物を研究しても、そこに日本精神が現れると云うことを忘れてはならない。そしてそれが逆に日本的事物に働くのである(『日本文化の問題』)〉と述べています。また、〈歴史的世界には、自己自身を形成する自覚的世界が含まれて居るのである。これが国家と云うものである。歴史的世界は、国家として自覚するのである。国家形成と云うものを予想せないで、歴史的世界と云うものなく、歴史的世界と云うものを前提とせないで、国家形成と云うものはない(『国体』)〉とも述べています。国家は歴史の上に形成されることを強調しています。

 以上のように、日本史において、「国」および「日本という国」の姿が示されています。国については、歴史的伝統的な相違によって、自国の正しさと他国の正しさを比較することが必要となります。その必要性の関係性において、国家の境界線は引かれるのです。


第七節 日本人

 自国とは、精神の奥底で、自分の思考・志向が基づいている様式です。それに自覚的になることは大切なことだと思われます。自覚的になった上で、その様式を引き受けるにしろ、はねのけるにしろ、意識的な関わりをどのように処するかを判断するために、日本というこの国家についての考察が必要になります。

 私は、日本という国家に属する日本人です。そのため、私が日本国の日本人であるということが大きな意味を持ちます。そのため、「日本とは何か」、「日本人とは何か」という問いが問われます。まずは「日本とは何か」という問いに答えたいと思います。そこでは、神道や仏教や儒教などを含めた日本史上における伝統に対し、それらを紡いで来た・紡いで居る・紡いで行くという共通意識が想定されています。それを踏まえた上で、私なりにこの問いに思想的に答えると、次のようになります。



 問:日本とは何か?

 答:日本とは、日本政府(国見)・日本人(国人)・日本列島(国方)を合わせたものであり、日本の伝統(神道・仏教・儒教など)を紡いで居ることです。



 日本は、土着の自然信仰を含めた広い意味での神道を基盤として、長い歴史を紡いで来ました。日本の基礎に、自然崇拝や祖先崇拝という「神道的なもの」があるのは間違いのないところです。その神道を基にして、様々な思想を受け入れ、取り入れてきました。

 その中でも、日本を基にして、日本に受け入れ、日本風に取り入れ、日本化したものとして仏教と儒教が考えられます。誤解を恐れずに言ってしまえば、「日本の仏教」は「本来の仏教」とは別物であり、「日本の仏教」は日本のものとなっています。儒教も、朱子学の硬直性へと進んだ大陸の儒教とは異なり、孔子の教えを受け継ぎながらも日本独自のものとして、つまりは「日本の儒教」として展開していきました。「日本の仏教」も「日本の儒教」も、既に日本のものと言っていいでしょう。言ってしまいます。ですから、日本の思想は「日本の神道」と「日本の仏教」と「日本の儒教」という基本思想の調和の上に築かれているのです。

 そこでは、三つの思想がただ「在る」というよりも、三つの思想の間に「居る」とか、「住んでいる」とか、「馴染んでいる」などの表現が似合います。ですから、日本が他の思想からの影響を受けた際にも、これら神道・仏教・儒教の間において取り入れているように思われます。それは、日本の永く連続した歴史の流れの中で、磨かれ洗練された膨大な財産に基づいているということです。日本史の伝統は、神道と仏教と儒教の間において紡がれているのです。逆に、これらの埒外で取り入れた思想は、どこかに歪みがあるように私には感じられます。それは、日本の歴史という財産を不当にも無視した、日本人ならぬ列島人(劣等人)の浅知恵だと思われるからです。

 このことを踏まえた上で、次に「日本人とは何か」という問いに答えたいと思います。まず、三つの思想の間で伝統を紡ぐとき、その場所は、「無常」と呼ばれうると思われます。日本人は「無常」に居るのです。「(はかな)い」と称される、神道や古来の自然観に基づく世界の観方があります。本居宣長(1730~1801)は人の情について、〈さて人情と云ふものは、はかなく児女子のやうなるかたなるもの也(『排蘆小船』)〉と述べています。かたなる(片生る)とは、未熟なさまのことです。人の情とは、未熟で儚いものだというのです。「(はかな)い」の「はか(計・量・捗)」は、範囲や量の単位であり基準のことです。つまり基準が無いということが、儚いということなのです。その(はかな)しが、仏教の持つ無常と強く結びつきました。儚く無常な世の中は、日本人の心の世界です。このことは、天を不可知的なものと見るように、儒教の需要の仕方にも影響を与えています。この無常の場所において、神道と仏教と儒教が築かれてきたのです。

 では、この無常の場所において、神道と仏教と儒教は、何を為すのでしょうか。神道は、天皇を祭祀とする(かん)(ながら)の道です。仏教は、仏陀の教えを正しい道としています。儒教は聖人の道を学びます。神道・儒教・仏教は、どれも道を行うという営為です。神道は神の道であり、仏教は仏道とも呼ばれ、儒教は儒道とも称されます。神道・仏道・儒道の三つから影響を受けながら、日本独自の思想展開を魅せた武士道や町人道、芸道や政道なども、やはり道という言葉で表されています。つまり、日本人は、道を行くのです。

 このような考えは以前からあり、例えば富野敬邦の『日本学芸の道統』(1943)では、〈我が日本精神の真をとらえる一つの方法はこれを道の國と解する見方である〉と語られています。

 この道を行くという営為は、日本語(大和言葉)によってなされます。日本人にとって日本語は欠かせません。特に、和歌は必須です。日本語により歌を詠うのが日本人です。大和(やまと)言葉(ことば)がそのまま大和歌(やまとうた)を意味することからも、日本人にとって歌を詠うということは、狭義には和歌を指し、広義には日本語による言語活動全般を意味します。

 例えば、『古今和歌集』の[仮名序]には、〈やまとうたは、人のこころをたねとして、万の言の葉とぞなれりける〉という美しい言葉ではじまります。和歌は、人の心に基づいて、たくさんの言葉となるのです。続いて、〈世の中にある人、事・業しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだせるなり〉とあります。人は、為したり行ったりすることが多いため、心の中で思うことを、見たり聞いたりすることに託して言うのです。そして、このことは人間に限りません。〈花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける〉と詠われています。日本では、生きとし生けるもの、そのすべては歌を詠うのです。歌の言葉は、言霊であり力を持ちます。〈力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり〉というわけです。

 つまり、無常において道を行くという営為は、和歌などの日本語を用いて行われるのです。日本人は歌を詠うのです。日本には様々な道があり、当然、和歌の道もあります。本居宣長の歌論『石上私淑言』には和歌の道について、〈たゞ物のあはれをむねとして、心に思ひあまる事はいかにもいかにもよみ出づる道也〉とあります。歌の道には、もののあはれがあるのです。日本では和歌の道を「八雲の道」や「敷島の道」と呼びます。八雲の道は、日本神話に基づいた表現です。『続古今和歌集』には、〈雲居より馴れ来たりていまも八雲の道に遊び〉とあります。日本人は八雲の道に遊び、歌を詠うのです。一方、敷島は大和あるいは日本を意味しますから、敷島の道は「日本の道」になります。日本人は、和歌の道を行き、日本の道を行きます。『新古今和歌集』の[仮名序]には、〈大和歌は、昔天地開けはじめて、人のしわざいまだ定まらざりし時、葦原中国の言の葉として、稲田姫素鵝の里よりぞ伝はれりける。しかありしよりこの方、その道盛りに興り、その流れ今に絶ゆることなくして、色に耽り心を述ぶるなかだちとし、世を治め民を和らぐる道とせり〉とあります。日本の歌は古代から日本の言葉として伝わった歌の道であり、盛んに興って今に至るまで絶えることなく続き、色や心を伴って世を治めて民を和らげる道だというのです。和歌を詠わなくなったら、日本語を話さなくなったら、それはもう日本人とは言えないでしょう。日本史において、和歌などに代表される日本語(大和言葉)は、圧倒的な存在感を誇っています。

 さて、ここまでで、日本人とは何かという問いに対する準備は整いました。日本人とは何かという問いに答えたいと思います。



 問:日本人とは何か?

 答:日本人とは、儚く無常な世の中で、日本語の歌を詠い、道を往く者たちです。日本人は道を歩む者たちなのです。





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