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『日本式 正道論:第十一章 道の思想基』

【目次】
第一節 三道一致
第二節 人と道
 第一項 神
 第二項 仏
 第三項 天
  天皇とつながる天
  異なる世界としての天
  人間の運命を左右する天
  為すべきことを示す天
  法則としての天
  不可知としての天
 第四項 死
第三節 人の道
 第一項 天皇
 第二項 衆生
 第三項 聖人

 


『第十一章 道の思想基(しそうもと)』
 前章において、道の思想形が示されました。
 思想は、「前提・方向・枠組」という形式を有しています。ただし、どのような前提か、どのような方向か、どのような枠組であるかは、思想ごとに異なります。なぜなら思想は、思想ごとに独自の様式を備えているからです。それぞれの思想は、自身の様式を成り立たせている基を持ちます。その要素となる基は、歴史や伝統に依存します。ですから、日本の道の思想も、独自の様式を持ち、その様式を成り立たせている基を持ちます。
 本章では、日本の道の思想基を見ていきます。

 


第一節 三道一致
 日本における道の思想は、独自の様式を備えています。その様式の基を具体的に言うと、神道・仏教・儒教などを挙げることができます。
 日本の思想史では、様々な基の統合が語られています。北畠親房(1293~1354)は〈サマザマナル道ヲモチヰテ、民ノウレヘヲヤスメ、ヲノヲノアラソヒナカラシメン事ヲ本トスベシ(『神皇正統記』)〉と述べています。様々な道によって国民の困苦や争いごとをないようにするのが、国を治める根本であるというのです。
日本には、神道と仏教と儒教などのそれぞれの教えが、互いに排斥するのではなく、一致を見るという考え方があります。例えば神道では、早くから三教枝葉果実説が唱えられています。吉田兼倶(1435~1511)は、〈吾ガ日本ハ種子を生じ、震旦は枝葉ニ現はし、天竺は果実を開く。故ニ仏教は万法の果実たり。儒教は万法の枝葉たり。神道は万法の根本たり。彼の二教は皆是れ神道の分化也(『唯一神道名法要集』)〉と述べています。神道は種であり、仏教は果実となり、儒教は葉っぱとなるというのです。長野義言(1815~1862)も、〈儒仏両道をわが正道の枝葉とし給ふ事、貢献の具なればさもあるべし(『沢能根世利』)〉と述べて、三教枝葉果実説を引き継いでいます。わが正道とは、惟(かん)神(ながら)の大道のことです。
 石門心学でも、神道・仏教・儒教が一致するという立場を取っています。石田梅岩(1685~1744)の『石田先生語録』では、〈神儒仏ノ三道ヲ倚ヨラズシテ尊ビ用ユル〉と語られています。中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』には、〈たゞ素直に和合の道。此外に道はない。それが?道、夫が儒道、それが佛道じや。此外に道といふはない〉とあります。
 本居宣長(1730~1801)は、『排蘆小船』においては、〈大道と云ふは、儒は聖人の道を以て大道とし、釈氏は仏道を大道とし、老荘は道徳自然にしたがふを大道とし、それぞれに我道を以て大道とす。吾邦の大道と云ふときは、自然の神道あり。これ也。自然の神道は、天地開闢神代よりある所の道なり〉と述べています。『鈴屋答問録』においては、〈儒も佛も老も、皆ひろくいへば、其時々の神道也〉と述べています。〈後世、國天下を治むるにも、まづは其時の世に害なきことには、古へのやうを用ひて、随分に善神の御心にかなふやうに有べく、又儒を以て治めざれば治まりがたきことあらば、儒を以て治むべし。佛にあらではかなはぬことあらば、佛を以て治むべし。是皆、其時の神道なれば也〉というわけです。
 二宮尊徳(1787~1856)の『二宮翁夜話』では、〈翁曰、世の中に誠の大道は只一筋なり、神といひ儒と云仏といふ、皆同じく大道に入るべき入口の名なり、或は天台といひ真言といひ法華といひ禅と云も、同じく入口の小路の名なり〉と語られています。そこでは、〈皆大道の入口の名なり、此入口幾箇あるも至る処は必一の誠の道也〉とされています。世の中には大きな道が一筋あり、全ての道は、その大きな道への入り口だというのです。そのことは、〈譬ば不士山に登るが如し、先達に依て吉田より登るあり、須走より登るあり、須山より登るありといへども、其登る処の絶頂に至れば一つ也〉とあるように、富士山の登頂に例えられています。具体的には、〈神道は開国の道なり、儒学は治国の道なり、仏教は治心の道なり、故に予は高尚を尊ばず、卑近を厭はず、此三道の正味のみを取れり〉と語られています。
 報徳思想を継ぐ岡田良一郎(1839~1915)は、〈神教ニ報本反始ノ道ヲ貴ビ、儒教ニ以徳報徳ヲ以テ人倫ノ行ト為シ、仏教四恩ヲ報スルヲ以テ大乗トス(『報徳学斉家談』)〉と述べています。神教は神道で、報本反始とは天地や祖先の恩に報いることです。四恩は仏典により異なりますが、『大乗本生心地観経』では、父母恩・衆生恩・国王恩・三宝恩のことを指します。
 仏教では、浄土宗の大我(1709~1782)が、〈皇天自ら三道を立て、以て国を治め民を安んずるにおいては、謂ひつべし、至れり尽せりと(『三彝訓』)〉、と述べています。三道とは、もちろん神道・儒道・仏道です。浄土真宗の竜温(1800~1885)は、〈別シテ神道ハ吾国ノ大道、儒ハ世間聖人ノ立ルトコロ、吾仏教ニオヰテ、世間教ト同一体ナレバ、聊モソノ道ヲサシテ邪ナリト云ニハ非ズ。ソノ道ノ正意ヲ伝ズシテ、熾ニ仏法ヲ憎嫉スル徒類ハ、則チ吾ガ法城ヲ破ントスル怨敵ナリト謂ベシ(『総斥排仏弁』)〉と述べています。仏教も神道や儒教と同じく正しい教えを伝えるものであり、それを排斥することに抵抗の意を示しています。
 九鬼周造(1888~1941)の『日本的性格』では、〈日本的性格、従って日本文化の有っている三つの契機として自然、意気、諦念の三つ〉が挙げられています。その上で、〈自然、意気、諦念の三つは神、儒、仏の三教にほぼ該当しているというように見ることができる。発生的見地からは、神道の自然主義が質料となって儒教的な理想主義と仏教的な非現実主義とに形相化されたというようにも考えられる。そしてそこに神、儒、仏三教の融合を基礎として国民精神が涵養され日本文化の特色を発揮したと見られるのである〉と語られています。
 高橋是清(1854~1936)は、『随想録』の [仏像と私]において、〈私はこれ等の聖賢の説いた道は、結局一つものだと云ふことが解つて来た。みなこれは現世の苦難を救ふために説かれたもので、道はただ一つだ、信ずべき、歩むべき道はただ一つだといふことを考へるやうになつて来た〉と述べています。
 以上のように、神道と仏教と儒教は一致すると考えられてきました。そのとき、神道は惟(かん)神(ながら)の道を、仏教は仏の正しい道を、儒教は聖人の道をそれぞれ歩もうとします。そのため、そこで道という共通の言葉が浮かび上がります。仏教は仏道とも言い、儒教も儒道と言いますから、三つの道が一つに重なります。

 
11_01.bmp[図11-1] 神道と仏道と儒道の三道一致

 

 日本の道の思想では、三道一致が成り立つのです。ですから、神道・仏道・儒道が道の思想における基本基となります。

 

第二節 人と道
 日本の三道一致において、神道・仏道・儒道のそれぞれの道は、何が基となっているのでしょうか。大まかに言うなら、神道は神の道ですから「神」であり、仏道は仏の道ですから「仏」であり、儒道では天道や人道が語られるので「天」や「人」と言えるでしょう。上田秋成(1734~1809)の『雨月物語』には、〈善を撫で悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。三ツのものは道なり。我がともがらのおよぶべきにあらず〉とあります。天・神・仏という、人間の人智の及ばぬ三つの道が示されているのです。この三つに加えて、武士道における「死」を人智の及ばぬものとして挙げることもできます。
 ただし、三道は一致し、武士道も三道の間に居るのですから、これらの区別は便宜的なものです。神仏習合により、神と仏は同じところへ向かいますし、天への畏敬は、神道・仏道・儒道・武士道の全てにおいて見ることができます。
 そして、神の道も仏の道も武士の道も、人の道に連なることは明らかです。天道も人道と繋がります。ですから、人の道のために、人を超えるものとして、神道は神の道を、仏道は仏の道を、儒道は天の道を、武士道は死の道を、それぞれ道の基として持っているのです。
 それぞれの基は、人間を超えています。人間を超えたものを通じて、人と道は関わります。人の道は、我々人間の道であり、人間の道のために人間を超えるものとして、神・仏・天・死などが想定されているのです。その基の間において、つまり人間を超えたものの間において、人と道は交わるのです。

 
11_02.bmp[図11-2] 人間を超えた基の間

 

 日本人は古来より、絶対や究極を設定することはしませんでした。日本人は、神や仏や天や死などを通じて、それらに恐れや畏れを抱きながら、大事なものや大切なことを想定し、物語を紡いできたのです。

 


 第一項 神
 神道における道は、神々の道です。八百万の神々というように、日本人は有限なものの中に崇高さを求めるのです。
 日本神話の神は、絶対神でも究極神でもありません。日本人は絶対も究極も、それ自体としては捉えられないと考えて来たように思われます。それを暗示するように、日本の神(カミ)の語源の一つに、「隠身」という説があります。『古事記』では、〈天地初メて発りし時、高天ノ原於成りませる神ノ名は、天之御中主神。次に、高御産巣日神。次に、神産巣日神。此ノ三柱ノ神者、並に独神ト成り坐し而、身を隠しましき〉と語り始められています。身を隠すこの三柱の神たちから、日本史は紡がれていきます。
 菅原道真(845?903)に仮託して後世に記された『菅家遺誡』には、〈凡そ神事の枢機は、正直の道心をもて事ふるときは、神ここに照し降り、玄ここに至り遊ぶ〉と記されています。ここでの道心は、事の善悪正邪を判断し正道を行おうとする心であり、人心に対して使われています。その道心を持って神に仕えるとき、神は降り立ち遊びに興じるというのです。
 吉田兼倶(1435~1511)の『神道大意』には、〈天地に有ては神と云ひ、万物に有ては霊と云ひ、人倫に有ては心と云ふ、心は則神明の舎、混沌の宮也〉とあります。『唯一神道名法要集』では、〈神トハ、天地万物の霊宗也〉とあります。つまり、天地に有り、全ての霊の根本が神なのだとされているのです。
 林羅山(1583~1657)の『神道伝授』には、〈神ハ天地之霊也〉とあります。霊には支社の魂、鬼神、神妙な力というような意味があります。天地之霊とは、天地に内在し、天地を運行させる霊力を指しています。神と人間の関係については、〈民ハ神ノ主也。民トハ人間ノ事也。人有テコソ神ヲアガムレ、モシ人ナクバ誰カ神ヲアガムル〉とあります。人間が神を崇めるからこそ、神が存在するという儒教の影響を受けた見方が示されています。その神について、〈神ハ心ノ霊也。心ハ形ナケレドモ、生テ有物ヲ霊トモ妙トモ云也〉とあるように、神は人間が崇める心によって存在する神秘的な存在なのだとされています。
 新井白石(1657~1725)の『古史通』には、〈神とは人なり。我が国の俗凡その尊ぶ所の人を称して加美といふ〉とあります。尊い人を神と呼ぶというのです。
 本居宣長(1730~1801)の『古事記伝』では、〈迦微とは、古御典等に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐ス御霊をも申し、又人はさらにも云ず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云なり〉とあります。「すぐれたる」は程度の激しさで、「徳」ははたらきを言います。神(迦微)とは、激しいはたらきを持つ畏れるべき何かだというのです。
宣長の『石上私淑言』には、〈美知は御路にて知といふが本語也〉とあり、〈道の字にはさまざまの義をかねたれど、美知の言は本は道路の外の意なし〉とあります。それゆえ、〈神道は吾御国の大道なれども、それを道と名づくることは、上つ代にはなかりし也。文字わたりてかの国の道の字の用ひやうを見ならひて後にこそは、天照大御神より伝へましまして天日嗣しらしめす天皇の高御座の御業をも、神道とは名づけられたりけれ〉と語られています。『くず花』では、〈神の道は、さかしらを厭ひて、自然を立んとする道にはあらず。もとより神のままなる道なり〉とあります。神のままの道が、神の道なのだと語られています。『直毘霊』では、〈天照大神の受け給ひ、保ち給ひ、伝へ給ふ道なり。故れ、是を以て神の道とは申すぞかし〉と語られています。天照大神から始まり、「受ける→保つ→伝える」と続いていくことが、神の道だというのです。
 国学の見方としては、上田秋成(1734~1809)が『胆大小心録』で〈神は神にして、人の修し得て神となるにあらず〉と述べています。儒教における見方との対比が見られます。

 

 第二項 仏
 仏教における道は、仏の道です。「仏」とは、「仏陀(ブッダ)」すなわち「目覚めた人」や「真理を悟った人(覚人)」を意味します。仏の中でも、釈迦(前463~前383、または前565~前485)は仏教の開祖で特別な位置を占めています。
 日本での釈迦仏は、仏神として捉えられてきました。つまり、仏という名の神と考えられていたのです。『日本書紀』では仏を、外部世界から流離してきた「蕃神(あだしくにのかみ)」や「仏神」と表現しています。「蕃神」は、神道に由来する「国神(くにつかみ)」と対比しての呼び方です。『元興寺縁起(747)』では仏を「他国神」とし、『日本霊異記』では仏を「隣国の客神(まらうどかみ)」と捉えていました。『扶桑略記』においては、仏を「大唐の神」と見なしているように、神仏習合の考え方を見ることができます。
 また、日本では、死んだ人やご先祖様を仏様と言う場合もあります。後白河法皇(1127~1192)撰の『梁塵秘抄』には、〈仏も昔は人なりき われらも終には仏なり 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ〉とあります。仏も遠い昔には人間だったのであり、私たちも最後には成仏することができるというのです。しかし、三身仏性を本来備えている身であると知らずに、仏道をなおざりにしているのなら悲しいことだというのです。
 親鸞(1173~1262)の『教行信証』には、〈謹んで真仏土を按ずれば、仏は則ちこれ不可思議光如来なり、土はまたこれ無量光明土なり〉とあります。つつしんで真実の仏とその浄土について思いをめぐらせてみると、仏とは不可思議な光にあふれたものであり、浄土もまた量りしれない光につつまれたものであるとされています。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』の[仏教]では、〈諸仏の道現成、これ仏教なり〉と、仏の言葉の実現したものが仏の教えに他ならないと述べられています。[唯仏与仏]では、〈無上菩提の人にてあるをり、これをほとけといふ。ほとけの無上菩提にてあるとき、これを無上菩提といふ〉とあります。人が最高の智慧をもった人となった時に仏と呼ぶというのです。智慧が仏の有する最高の智慧である時、これを無上菩提と呼ぶというのです。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈一切仏心は慈悲なり。一切慈悲は観音なり〉とあります。仏の心は慈悲であり、慈悲は観音だというのです。そのため、〈仏の道に入らむ人は、慈悲を心に習ひ好むべきなり〉と語られています。
 盤珪永琢(1622~1693)の『盤珪禅師語録』には、〈孝の道に叶へば則佛心でござる〉とあります。

 

 第三項 天
 日本における天は、儒道における天道の影響が強いといえます。ただし、そこには神道的なものや仏教的なものなど、様々な基が含まれています。
 そのため日本における天は、いくつもの属性を持っています。それぞれの属性は、別個に見えながらも互いに関連し合っています。天の属性を大まかに分類するなら、?主に神道の影響から、「天皇とつながる天」、?主に仏道の六道の影響から、この世界とは「異なる世界としての天」、?主に戦乱における影響から、「人間の運命を左右する天」、?主に儒道の影響から、「為すべきことを示す天」、?主に儒道や町人道の影響から、「法則としての天」、?日本人の考え方を基にした、「不可知としての天」、に分けられます。これらの属性が交じり合い、日本人の天の見方が形成されているのです。

 


  天皇とつながる天
 「天」は、音読みでは「てん」であり、訓読みでは「あま」となります。
 「あま」というのは、我々の頭上に広がっているものです。天(あま)が空(そら)と区別されるのは、そこに水が有るからです。空(そら)とは、空言や空耳などから分かるように、実に対する虚を指します。つまり、何もないのが空(そら)なのです。
 天(あま)からは、水がこぼれ落ちることで雨(あめ)となり、海(あま)が保たれるのです。日本では、天照大神などの神様は天(あま)である高天原に住んでいると考えられています。本居宣長の『古事記伝』では、〈高天原は、すなわち天なり〉という記述があります。高天原から瓊瓊(ニニ)杵(ギノ)尊(ミコト)という神様が、地上である日向国の高千穂に降り立ち統治者となりました。これを天孫降臨と言います。その子孫が天皇です。ですから日本では、天と地上とは繋がりがあるものとして捉えられているのです。
 『十七条憲法』では、〈君をば天とす。臣(しん)をば地とす。天は覆(おお)い、地は載す〉と論じられています。
 西川如見(1648~1724)の『町人嚢』には、〈天子は萬民の上に居給ひ、天道の御名代と成給ひて、天道を恐れ慎み萬民を教誡め給ふ事〉とあります。天皇が天道と関連づけられて論じられています。
 上田秋成(1734~1809)は『胆大小心録』で、〈此國には天が皇孫の御本國にて、日も月もこゝに生れたまふと云しなり〉と述べています。
 庶民思想の中からは、天を太陽に見立てて御天道(おてんとう)様(さま)と呼び、人間を見守る大いなる存在とする見方も生まれています。例えば、仮名草子『浮世物語(1665頃)』には、〈お天道人ころさずといふがごとく〉とあり、浄瑠璃『平仮名盛衰記(1739)』には、〈其日暮の身なれども、お天道様が正直〉とあります。

 

  異なる世界としての天
 仏教では、六道の一つに天道という世界があります。六道とは、自ら作った業によって生死を繰り返す六つの世界のことです。源信(942~1017)は、〈天道を明さば三あり。一には欲界、二には色界、三には無色界なり。その相既に広くして、具さには述ぶべきこと難し(『往生要集』)〉と述べています。欲界は、欲望にとらわれた生き物が住む世界です。色界は、物質的な制約は残るものの、淫欲と食欲を離れた生き物が住む世界です。無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界です。その三つの欲界・色界・無色界は、あまりに広く、うまく語りつくすことが難しいとされています。
 このように、この世界とは異なった原理を持つ別な世界として、「天」が考えられている場合があります。

 

  人間の運命を左右する天
 天は、運命を左右するものとしても考えられてきました。
 『平家物語(1177~84)』では、〈運を天道にまかせて、身を国家に投ぐ。試に義兵をおこして、凶器を退けんとす〉とあります。天道が、人の運を左右するとされています。
貝原益軒(1630~1714)は、〈不仁は天地人のにくむ所なり。故に、つひに天罰をかうぶりてわざはひあり。その上、子孫までもむくゆるものなり。天道おそるべし(『大和俗訓』)〉と述べています。ここでは天道が、仁徳をつかさどることによって、人の運命を左右することが語られています。
 井原西鶴(1642~1693)は『本朝二十不幸』で、〈孝なる道をしらずんば、天の咎を遁るべからず〉と記しています。『日本永代蔵』には〈天道言はずして国土に恵みふかし。人は実あつて偽りおほし〉とあります。〈天の咎めも有るべし〉とも記されています。
 新井白石(1657~1725)は『読史余論』で、〈かゝれば時の至らず天のゆるさぬ事は疑なし〉、〈天は報應誤らずといふべし〉、〈天の報應かくの如く明らかなり〉と述べています。天が天罰を下し、人の運命を左右することが示されています。ただし、〈天の報應あやまらずといへども、抑又みづから作れるの孽なり〉とされ、人の努力が大事だとされています。ですから、〈天道は、天に代りて功を立る人にむくい給ふ理〉が語られているのです。
 山本常朝(1659~1719)は、〈盛衰を以て人の善悪は沙汰されぬこと也。盛衰は天然のこと也。善悪は人の道也。教訓のためには盛衰を以ていふ也〉と述べています。天然は、栄枯盛衰を司るものとされています。ですから天然に善悪はなく、善悪は人の道だとされているのです。
 栗山潜鋒(1671~1706)が著した『保建大記』(1689)では、〈存亡は天に在り、可否は己れに在り。道に悖りて苟に免るるは、則ち己れを尽して天に順ふ者に非ざるなり〉とあります。存亡をつかさどる天の力の偉大さが示されています。
 頼山陽(1780~1832)は、〈その変ずるは天運なり。而して必ず人事に由りて変ず(『日本政記』)〉と述べています。天が運命を左右しますが、それは人の努力に由るというのです。
 渡辺崋山(1793~1841)は、〈然れども、物極れば衰ふ、衰極れば興る、天道自然に斡旋致し候(『初稿西洋事情書』)〉と述べています。栄枯衰退という天の法則がおのずからめぐってくるのだと語られています。
 天が運命を左右するとき、それは人の努力や善悪を超えている場合と、あくまで人の努力や善行によってもたらされる場合の二通りが示されています。その違いは、時代状況によって相違が見られます。戦乱の世では、天の運命の無慈悲が強調され、太平の世では、人の努力が重視されているように思われます。

 


  為すべきことを示す天
 天は、為すべきことを示す善として捉えられる場合もあります。つまり、当為(とうい)としての天です。
 『甲陽軍鑑』では、〈天鑑私なし〉とあり、天には依怙(えこ)贔屓(ひいき)がないことが述べられています。そこで〈自然に祈りてよきひともあるべし。これ皆天道なり〉と語られ、天道が善なるものとされています。
 中巌円月(1300~1375)は、〈仁義は天人の道か。天の道は親を親とす。人の道は尊を尊とす。親を親とするの仁は信に生ず。尊を尊とするの義は礼に成る(『中正子』)〉と述べています。天が人を伴って仁義と関わって捉えられています。
 熊沢蕃山(1619~1691)は『集義和書』において、〈天に出ざるは、終に正道をなす事なし〉と述べています。天に基づいてこそ公であるということです。また、『孟子(離婁上)』や『中庸(章句二十章)』の影響から、〈誠は天の道也。誠を思ふは人の道なり。誠を思ふ心真実なれば、誠すなはち主となりて、思念をからずして存せり〉とあります。誠のままであるのは天道で、誠のままになろうと思って力を尽くすのは人道だというのです。誠のままになろうと思う心の真実の努力が実って、思わなくとも誠が存するようになると考えられています。
 貝原益軒(1630~1714)の『大和俗訓』では、〈天地の御心にしたがふを以て道とす。天地の御心にしたがふとは、我に天地より生れつきたる仁愛の徳をうしなはずして、天地の生める所の人倫をあつくあはれみうやまふをいふ。是れ乃ち人の行ふべき所にして、人の道なり〉と語られています。天地には仁愛の徳があり、その人倫を行うのが人の道だというのです。
 西川如見(1648~1724)は『町人嚢』で、〈天理にして私なき事を公とはいへり。天子は萬民の上に居給ひ、天道の御名代と成給ひて、天道を恐れ慎み萬民を教誡め給ふ事〉と言い、〈天子将軍いづれも天道にしたがひ給ひて法度禁制を立給ひ、四民は天子将軍にしたがひ奉て法度禁制を慎み守りて天下太平也〉と述べています。西川は、〈天地に凶事なし。凶は人にあり〉と考えているのです。
 山本常朝(1659~1719)は、〈我智恵一分の智恵ばかりにて万事を成す故、私より天道に背き、悪事を成也(『葉隠』)〉と述べています。自分一人の狭い了見で全てをなそうとするのは、私にこだわるために天道に背く悪事であるというのです。常朝の語法では、善悪である天道と、運命を左右する天然が区別されています。
 佐藤一斎(1772~1859)は、〈天道は窮尽すること無し。故に義理も窮尽すること無し(『言志晩録』)〉と述べています。天道が義理と関連づけられて語られています。
大塩中斉(1793~1837)は、〈人は即ち天なり。学なるものは、天徳を学ぶなり。道を明らかにするとは、天道を明らかにするなり(『洗心洞?記』)〉と述べています。人が天の徳を学んで天道を明らかにすべきことが語られています。
 斉藤高行(1819~1894)は、〈我道は分度にあり。分なる者は、天命の謂なり。度なる者は、人道の謂なり。分度立ちて譲道生ず。譲なる者は、人道の粋なり。身や、家や、国や、天下や、譲道を失ひて衰へざる者は、未だ之あらざるなり。分度を失ひて亡びざる者は、未だ之あらざるなり(『報徳外記』)〉と述べています。人の世の分度は、天命と人道によって生じるとされています。分度によって譲り合いの道が生まれ、それがなければ身も家も国も天下も衰え亡びてしまうというのです。
 西郷隆盛(1828~1877)の『南洲翁遺訓』では、〈天は人も我も同一に愛し給う故、我を愛する心を以て人を愛するなり〉と述べられています。そのため、〈人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし〉と語られているのです。
 以上のように、為すべきことを示す天は、私なきものであり、仁義などの善をもたらすものと考えられています。

 


  法則としての天
 天は、世の中がどうであるかを示す存在として考えられている場合もあります。つまり、法則としての天です。
 柳生宗矩(1571~1646)は〈天道は物をいかす道(『兵法家伝書』)〉と述べています。ここでの天道は天下の道であり、天の理法、無為自然の真理のことです。
中江藤樹(1608~1648)は、〈惟天地万物父母、惟人万物之霊とのたまふ時は、ばんみんはことごとく天地の子なれば、われも人も人間のかたちあるほどのものはみな兄弟なり(『翁問答』)〉と述べています。全ての民は天の子であり、人間は皆兄弟だとされています。
 山崎闇斎(1618~1682)は、〈造化ト云ガヤツパリ天道也。ソノ流行ノナリヲ云也。造ハ無ヨリ有ニ向ヒ、化ハ有ヨリシテ無ニ趣(『大学垂加先生講義』)〉と述べています。天道は造化だというのです。造化とは、有ることと無いことを移り行く流れのことだとされています。つまり、宇宙の創造作用を意味しているのです。
 山鹿素行(1622~1685)は、〈天地の道、聖人の教は、多言に渉らず、奇説造為なし。自然の則を以てするのみ(『聖教要録』)〉と述べています。天地の道は自然にのっとることだとされています。
 伊藤仁斎(1627~1705)の『語孟字義』では、〈天とは、命の由って出ずるところ、命とは、天の出だすところ〉とあります。道との関係については、〈道はなお路のごとし。人の往来するゆえんなり。故に陰陽こもごも運る、これを天道と謂う。剛柔相須うる、これを地道と謂う。仁義相行なわるる、これを人道と謂う。みな往来の義に取るなり〉とあります。往来ということからそれぞれの道が導かれています。天は陰陽という考え方に関わるとされています。
 荻生徂徠(1666~1728)は、〈先王の道は、先王の造る所なり。天地自然の道に非ざるなり(『弁道』)〉と述べています。天下を安んずるための先王の道と、天地自然の道が厳しく峻別されています。
 石田梅岩(1685~1744)は、〈天道ハ萬物ヲ生ジテ、其生ジタル者ヲ以テ其生ジタル物ヲ養、其生ジタル物ガ其生ジタルヲ喰フ。萬物ニ天ノ賦シ興フル理ハ同ジトイヘドモ、形ニ貴賤アリ。貴キガ賤キヲ食フハ天ノ道ナリ(『都鄙問答』)〉と述べています。食物連鎖の考え方が見られますが、そこに貴賎という考え方が混じっています。
 三浦梅園(1723~1789)の『多賀墨卿君にこたふる書』では、〈天地は、我立る者にはあらず。其立ちたる者に、我したがふ事に候へば、天地を全観する事も、人事を精しく察する事も、唯有る通りそのまゝにみるより外の細工なく候〉とあります。天地は我々の立てたものではなく、もとからあるものだというのです。その天地に我々人間が従うためには、天地を全観することも、人事を精察することも、ただあるがままに見るより他に工夫のしようがないと述べられています。
 中沢道二(1725~1803)は、〈天地の常とは則ち道の事でござります。天の心といふは、一切萬物人間禽獣草木に至るまで、皆天の心なるゆへ(『道二翁道話』)〉と述べています。一切の全てが天の心なのだとされています。
 尾藤二洲(1747~1813)は、〈天に外なし。道の外なき所以なり。天に内なし。道の内なき所以なり。道は是れ天の由つて立つ所。天は是れ道の以て行はるる所なり(『素餐録』)〉と述べています。外なし内なしとは、持ち出しもせず、持ち込みもせず、一切の束縛なく、自然に存在することを言います。
 松平定信(1759~1829)は、〈道は聖人のひとの性にもとづきて建給ふ処にして、天地の自然にはあらず(『政語』)〉と述べています。聖人の道と天地の自然が区別されています。
 佐藤一斎(1772~1859)は、〈慮らずして知るものは、天道なり。学ばずして能くするものは、地道なり。天地を?せてこの人を成す(『言志耋録』)〉と述べています。慮らずして知るとは、思慮分別を加えず先天的に知ることを指します。それが天道だとされているのです。
 柴田鳩翁(1783~1839)の『続々鳩翁道話』では、〈天は音もなく、香もなく、ただ物を生ずる理がござります、これをさして天と申します〉と語られています。それは例えば、〈則ち天のいいつけは、元亨利貞と申して、元ははじまる、亨はとおる、利はとげる、貞はなるというて、この元亨利貞を天の四徳という。則ちこれが天のいいつけでござります。さりながらかように申しては、子供衆に分らぬ、いま一段ハッキリと申そうならば、春夏秋冬、これ元亨利貞の徳にして、人の目に見えるところの天のいいつけでござります〉と語られています。自然の巡り合わせが、天だとされているのです。
 二宮尊徳(1787~1856)の『二宮翁夜話』には、〈皆人の為に立たる道なり、依て人道と云、天理より見る時は善悪はなし〉とあります。〈天に善悪なし〉だというのです。〈人道は人造なり、されば自然に行はるる処の天理とは格別なり〉と、人と天が厳密に区別されています。天の理は、〈天理と人道とは格別の物なるが故に、天理は万古変ぜず、人道は一日怠れば忽ちに廃す、されば人道は勤るを以て尊しとし、自然に任ずるを尊ばず〉とされています。あくまでも〈天に善悪あらず、善悪は、人道にて立たる物なり〉と見なされているのです。つまり、〈天道は自然なり、人道は天道に随ふといへ共、又人為なり、人道を尽して天道に任すべし、人為を忽にして、天道を恨る事勿れ〉と考えられているわけです。
 以上のように、天が法則として捉えられている場合があります。自然の法則や、食物連鎖、四季の移り変わりなどが挙げられます。

 


  不可知としての天
 日本人は天について、究極的には知りえないものとして考えてきたように思われます。中国の朱子学的な「可知」的天観ではなく、日本では「不可知」的天観だったと言えるでしょう。日本人にとって天は、計り知れないものだったのです。
 もちろん、朱子学受容の初期段階では、日本にも「可知」的天観が見られます。林羅山(1583~1657)が編集した藤原惺窩(1561~1619)の言葉を載せた『惺窩先生文集』では、〈それ天道なる者は理なり〉とあり、〈凡そ人、理に順はば、則ち天道その中にありて、天人は一の如きものなり〉と語られています。この考え方は、宋学の重要な主張です。天道が理として捉えられ、人がその理に従うことで、人が天と同じになるとされています。その天は、『天下國家之要?』では〈天心は萬物に充滿していたらさる所なし〉とあるように、法則としての側面が示されています。『惺窩先生倭歌集』では〈天道は徳あるものに天下をもつて与え給ふ〉とあり、善を示し運命を左右する力として示されています。
 しかし儒道が、日本の儒道となるにしたがい、「不可知」的天観へと移行します。
貝原益軒(1630~1714)は、〈天地の道は猶たやすく知りがたし(『大和俗訓』)〉と述べ、天地の不可知性を語っています。
 新井白石(1657~1725)は、〈天意のほどはかりがたき事にや(『読史余論』)〉と言い、天の知りがたいことを認めています。
 荻生徂徠(1666~1728)は『弁名』で、〈それ天なる者は、知るべからざる者なり。かつ聖人は天を畏る。故にただ「命を知る」と曰ひ、「我を知る者はそれ天か」と曰ひて、いまだかつて天を知ることを言はざるは、敬の至りなり〉と述べています。聖人は天を畏れ、天を知るなどと不遜なことは言わないというのです。
 ここで注意すべきは、日本人が日本の思想から離れ、外来の思想に強く影響された場合に、「不可知」的天観ではなく「可知」的天観へと傾斜するということです。その例として、藤原惺窩や、啓蒙思想家である福沢諭吉(1835~1901)が挙げられます。
福沢諭吉は『福翁百話』において、〈唯我輩は過去の事実に徴して人事進歩の違わざるを知り、禍福平均の数を加除して幸福の次第に増進するを知り、由て以て天道人に可なるの理を証するのみ〉とし、天道が理として人間に理解可能なものだと考えています。また、〈天道既に人に可なり。その不如意は即ち人の罪にして不徳無智の致す所なれども、人間の進歩改良は天の約束に定まり、開闢以来の事実に証して明に見るべし〉とも述べています。ここでの天道は、進歩史観と結び付けられています。これは、肯けない意見です。なぜなら、科学の不可逆性は限定された期間でそれなりに妥当しますが、そのことと正義の増大は比例しないからです。進歩史観は、きわめて如何わしい考え方なのです。
 やはり日本の「不可知」的天観におけるように、偉大な何かを設定してしまうのではなく、想定に留めておくべきなのです。その想定を、想定と知りながら敢えて語ることが重要なのだと思われます。

 


 第四項 死
 武士道における道は、死の道です。武士は、人間の力では避けることのできない死をしっかりと見据えています。
 『太平記』には、〈勇士の戦場に命を捨つる事、ただこれ子孫の後栄を思ふ故なり〉とあります。
 『黒田長政遺言』には、〈惣ジテ武士ハ毎日死ヲ極メ居ルト申サズ候得バ、事ニヨリ越度之レ有リ候。毎日朝夕刀脇差自分ニ拭ヒ候テ頂戴致、一日生死無事有事、此二腰之儀ニテ候事ヲ、ウヤマヒ忘レ申サズ候、肝要ニテ候〉とあります。長政は、刀が生死を分けると述べています。戦国武士にとっては、死は文字通り日常現実の問題だったのです。
 宮本武蔵(1584~1645)の『五輪書』には、〈大形武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬといふ道を嗜む事と覚ゆるほどの儀也〉とあります。武士は、ただ死ぬという道をたしなむというのです。
 大道寺友山(1639~1730)の『武道初心集』では、〈武士たらんものは正月元旦の朝雑煮の餅を祝うとて箸を取初るより其年の大晦日の夕に至る迄日々夜々死を常に心にあつるを以本意の第一とは仕るにて候〉とあります。武士は死を常に心掛けることが第一だというのです。
 山本常朝(1659―1719)の『葉隠』では、〈武士道と云は、死ぬ事と見付たり〉という有名な言葉があります。武士の道においては、死ぬことが思想の対象となっているのです。
 武士道は、神道・仏道・儒道から影響を受けながらも、「死」という人間を超えたものへと突き進む道です。その「死」の思想において、生命尊重を超える思想の可能性が仄見えてきます。すなわち、義です。死の思想において、道は義と出会い、道義となるのです。

 


第三節 人の道
 人と道は、人間を超えた存在である神・仏・天・死といったものと交わります。その交わりにおいて、人の道が紡がれて行きます。
 神道・仏道・儒道の三道は一致しますが、全く同じなら逆に意味がありません。それぞれには違いがあり、違いが均衡をもたらすという関係になっているからこそ、一致することで安定を得るのです。
三道を、政治の面から見た場合、神道は天皇の道を、仏道は衆生の道を、儒道は聖人の道を語っていることに気が付きます。この三つの調和の上に、日本人の政道は築かれているのです。
 敢えて西欧哲学に当てはめれば、神道は君主制に、仏道は民衆制に、儒道は貴族制に類似性があると言えるかもしれません。その三つの制度の調和が政治に安定をもたらすのですから、西洋で言う混合政体が日本の政治制度となります。

11_03.bmp [図11-3] 混合政体としての日本の政道

 

 天皇の道と、衆生の道と、聖人の道は、それぞれの特徴を踏まえた上で交じり合います。皇道・易行道・王道の交差と言い換えることも可能です。もし、これらの一つだけしか日本になかったならば、日本史の安定性は大きく崩れていたと思われます。日本は和の国だと言われるように、それぞれの道が交じり合い、調和し合った上で、秩序を保って成り立つのです。

 


 第一項 天皇
 神道を政治の面から見ると、天皇の役割が重要であることが分かります。日本は天皇を神道最高位の祭祀とする君主国として、安定的で持続的な秩序を維持してきました。
 君主政治が独裁政治へと転落しなかったのは、日本において天皇が権力をほとんど持たず、国家の継続性と正統性を示す権威であり続けたからです。つまり、歴史の知恵によって独裁には傾かなかったのです。
『日本書紀(孝徳紀大化二年三月)』には、〈天地(あめつち)の間(あひだ)に君(きみ)として万民(よろづのおほみたから)を宰(をさ)むることは、独り制(をさ)むべからず。要(かなら)ず臣(まへつきみ)の翼(たすけ)を須(もち)ゐる〉とあります。日本では伝存最古の正史において既に、独裁制が禁止され、臣下と連携することの重要性が示されているのです。
 『十七条憲法』の[一条]では、〈和をもって貴(とうと)し〉とあり、〈事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず〉とあります。和をもって話し合えば、うまくいくということです。[十七条]では、〈それ事(こと)はひとり断(さだ)むべからず〉とされ、〈かならず衆とともに論(あげつら)うべし〉とあります。一人で決めてしまうのではなく、話し合いによって物事を決めるのだという基本原則が掲げられています。
 賀茂真淵(1697~1769)は、〈皇神の道の、一の筋を崇むにつけて、千五百代も、やすらにをさまれる、いにしへの心をも、こころにふかく得つべし(『歌意考』)〉と述べています。皇神の道、つまり天皇の道では、古の精神を継承するのだという決意がはっきりと語られています。
 本居宣長(1730~1801)の『玉勝間』では、〈そもそも道は、君の行ひ給ひて、天の下にしきほどこらし給ふわざにこそあれ〉とされ、『うひ山ぶみ』では〈すべて下たる者は、よくてもあしくても、その時々の上の掟のままに、従ひ行ふぞ、即古の道の意には有ける〉と語られています。一見すると暴論に見えますが、易姓革命により引き起こされた惨劇を鑑みれば、一理も二理もある意見です。天皇を通して政治を行うことで、時代の連続性を確保することができます。そのため、独裁を掣肘することができるのです。ここで掣肘する対象は、一人の横暴者のみならず、その時代の多数派の暴走をも含みます。ある一世代が、傲慢にも過去の遺産を食い潰したり、未来へ禍根を残してはならないのです。
 大国隆正(1792~1871)は、〈わが学統の大意は、皇統の長くつづき給ふわが国の国体を主張し、これをわが大道の基本として(『学統辨論』)〉と述べています。神々から天皇へと長く続いていることが、日本の国体であり、道だと語られているのです。
 高橋是清(1854~1936)は、『随想録』の [我が国体と民本主義]で、〈根本は、いづれの国でも民意に依つて政治の行はれる国なれば、尊重する〉とした上で、〈我が国は三千年来民意を本意として皇道と云ふものが行はれて居つたのである〉と述べています。その詳細については、〈我が国の皇道と云ふものを国体の根源から研究して見たならば、畏(かしこ)くも天子に於かせられては、常に民の心を以て御自分の心とせられ、民の苦楽を以て、御自分の苦楽御同様に思召さるるのであつて、民の本とするの政治であるのである〉と語られています。
 このように、神道では天皇の道が語られています。天皇を通じて日本を継承することにより、時代の連続性を保障しています。そうすることで、個人の独裁および多数派の暴走を防いでいるのです。その継承による連続性が掟や道となるのです。

 


 第二項 衆生
 仏道を政治の面から見ると、衆生に対する平等の考え方が見られます。衆生とは、多くの生きとし生けるもの、一切の生物のことです。
 日本の仏教は、大乗仏教です。そのため、衆生における平等の観念が育まれました。それゆえ、西欧でいう民主制との類似性があると言えるかもしれません。
法然(1133~1212)の『往生要集釈』には、〈それ仏性平等にして〉とあります。『選択本願念仏集』には、〈二種の道あり。一は難行道、二は易行道〉とあり、〈難行道は即ちこれ聖道門なり。易行道は即ちこれ浄土門なり〉とあります。易行道の易は安易・平易の意味で、誰でも行える道です。法然は浄土門を説き、誰でも行える道を示しました。
 鴨長明(1155~1216)の『発心集』には、〈この世の望み、高きも賤しきも、道同じ〉とあり、現世での望みは身分の高下にかかわらず同じ事柄だと語られています。
 親鸞(1173~1262)も『教行信証』で、〈世間の道に難あり易あり、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし〉と述べています。親鸞も、法然と同じく誰でも行える道を示しているのです。また、親鸞は平等について、〈正道の大道大慈悲は出世の善根より生ずといふは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道とする所以は、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるを以ての故に発心等し、発心等しきが故に道等し、道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲はこれ打つ道の正因なるが故に、正道大慈悲と言へり〉と述べています。平等は、あらゆる事象の本体だとされています。あらゆる事象が平等を本体としているから、悟りを得ようとする心も等しく起こるというのです。ですから、悟りの道も平等だというのです。悟りの道が平等ですから、大慈悲も平等だというのです。大慈悲は仏の悟りを得る原因ですから、正しい道の大慈悲と言えるというのです。
 一遍(1239?1289)の言行録である『一遍上人語録』には、〈田夫野人・尼入道・愚痴・無智までも平等に往生する法なれば、他力の行といふなり〉とあります。誰でも平等に往生する法が、他力として説かれています。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』の[仏性]には、〈仏道にいふ一切衆生は、有心者みな衆生なり〉とあります。仏の道では、心有るものはすべてが衆生と見なされているのです。また、『正法眼蔵随聞記』では、〈道を得ることは、根の利鈍には依らず。人々皆法を悟るべき也。只精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり。進怠の不同は、志の到ると到ざると也〉と語られています。道を得ることは生まれつきの賢愚によるのではないというのです。人間はみな法を悟り得るものとされています。ただ、努力しているか怠けているかにより、道を得るのに早いか遅いかの違いが生ずるというのです。努力するか怠けるかの違いは、道を求める志が切実であるかないかの違いによると語られています。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈仏智は平等なり。国の浄穢を見ず、形に道俗を分たず〉とあります。仏智は平等であり、国の浄穢を区別せず、姿の僧か俗かを差別しないというのです。そのため、〈平等の慈悲を起こし、孝養の懇志を励まして、衆生を救ひ助くべし〉と語られています。
 夢窓疎石(1275~1351)の『夢中問答集』には、〈衆生のために仏道を求むる人を、菩薩と申すなり〉とあります。
 このように、仏道では衆生と平等が語られています。そこでは、すべてを同じとする見方が示されていますが、努力という点もしっかりと押さえられています。

 


 第三項 聖人
 儒道を政治の面から見ると、聖人が徳によって統治するという考え方が見られます。いわゆる王道です。儒道では、力による統治の覇道よりも、徳による統治の王道が賞賛されています。
 儒道の王道は聖人の教えに基づき、身分の違いを含んだ上で成り立ちます。儒道での「聖」については、『礼記』の楽記篇に〈作る者これを聖と謂ふ〉とあります。聖人とは、その知識をもって道を作る人なのです。それゆえ、西欧でいう貴族制との類似性があると言えるかもしれません。
 『十訓抄』には、〈古き跡を恥ぢずして、君道にもかなひ、身徳ともせむこと、まことの至要なり〉とあります。古跡に恥じずに、君子の道にかなうようにして身の徳を行うことが本当に大事だというのです。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈聖人の道は、五倫の人道なれば、天子・諸侯・卿丈夫・士・庶人の五等の人、学び給べき道なり〉とあります。五倫の人道とは、父子の親・君臣の義・夫婦の別・兄弟の序・朋友の信のことです。五等の人とは、五階層の人ということです。そこでは、〈世の、道をいふ者、すこしきなり。故に大道の名あり。大道とは大同なり。俗と共に進むべし、独り抜ずべからず。衆と共に行ふべし〉とあり、道を言う人は少ないと述べられています。ですが、その道は衆と共に行くべきものだと語られています。衆として行くのではなく、衆と共に行くというところに特色が見られます。
 山鹿素行(1622~1685)は、〈聖人の道は人道なり(『聖教要録』)〉と述べています。
 伊藤東涯(1670~1736)は、〈衆人の上に就いて、その同じく行なうところをもって言うときは、すなわちこれを道と謂う(『古今学変』)〉と述べています。衆人の上に就いてと述べているところに、自負が伺えます。
 貝原益軒(1630~1714)は、〈賢人以下ハ、天道、聖人ノゴトクナラザレドモ、ツトメテ此誠ヲ行ナフハ、是人ノチカラヲ用ヒテ行ナフ理ナレバ、「人ノ道也」トイヘリ(『五常訓』)〉と述べています。凡人は聖人のようには振舞えませんが、聖人のように誠を行うように心掛ければ人の道を行くことができると語られています。
 荻生徂徠(1666~1728)の『弁道』では、〈それ道は、先王の道なり〉とあり、〈孔子の道は、先王の道なり。先王の道は、天下を安んずるの道なり〉とあります。〈先王の道は、先王の造る所なり〉とされています。『弁名』では、〈けだし道なる者は、堯舜の立つる所にして、万世これに因る。然れどもまた、時に随ひて変易する者あり。故に一代の聖人は、更定する所あり〉とされています。その理由については、〈聖人の智に非ざるよりは、いまだその更改する所以の意を与り知ること能はざる者なり〉と語られています。つまり、道は聖人(堯舜)が立てたもので、道の変更も聖人によって行われますが、その変更する理由は聖人でなければ分からないというのです。
 亀井昭陽(1773-1836)の『読辨道』には、〈道は其れ何するものか。唯だ聖人、能くその全きを観て、これを建つるを為す〉とあります。道は、聖人にのみ建てることが可能なものだとされています。
 このように、儒道では聖人の道が語られています。そこでは、聖人のすぐれた智恵や徳を参照しようとする見方が示されています。

 

 

 

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