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『日本式 正道論:第十四章 道の思想型・修道』

【目次】
第一節 道を修める
第二節 自(おの)ずからの道
第三節 自(みずか)らの道
第四節 目的としての道
第五節 手段としての道
第六節 我が道

 


『第十四章 道の思想型(しそうがた)・修道』
 前章までで、道の思想型における道筋と求道が示されました。
その道筋に沿って、求道が行われ、修道も行われます。そこで本章では、道の思想型における「修道」を見ていきます。

 


第一節 道を修める
 修道は、道を修めることです。道を修めるとは、道を身に付けるということです。道を身に付けるということは、道を学び、道を行い、道を歩むということです。
 『正法眼蔵随聞記』には、〈学者、命を捨ると思て、暫く推し静めて、云べき事をも、修すべき事をも、道理に順ずるか、順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば、いひもし、行じもすべき也〉とあります。道を学ぶ人は、命を捨てる覚悟で心を静め、道理に適っているか否かで、言うべきことを言い、行うべきことを行うというのです。修めるべき道は、道理に適っていることが必要だと語られています。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈物の理を知ると、知るが如くなすとは、道異なり〉とあります。道理を知っていることと、知っている通りに為せるかは別のことだというのです。〈賢々しく道理を申し述べて、災ひを逃れたりけるこそ、賢く覚ゆれ〉とあるように、道理を実践に生かすことが重要なのです。
 山鹿素行(1622~1685)の『山鹿語類』では、〈士の職分を知ると云とも、道に志す處あらざれば、知あつて行なければ全ならず也〉とあります。士の職分を知っていても、道に志すところがなければ、つまり、〈知あって行ないなし〉というのでは十全とはいえないというのです。
 そこで問われるべきことは、どうすれば道を修められるのかということです。その方法は、日本史の上に示されています。鈴木重胤(1812~1863)は、〈学びて此道を明かに為るを神習と云ひ、務て此道を行ふを神随と云ふ。此即、天下公民の道と為べき道なる者なり(『世継草』)〉と述べています。ここには、自(おの)ずからの道(此道を明かに為る)と、自(みずか)らの道(務て此道を行ふ)が示されています。また、自(おの)ずからの道が、自(みずか)らの道と一致するとき、状況に応じた目的(天下公民の道)と手段(為べき道)が必要となります。目的と手段の関係を見極め、道を実践することが必要になるのです。
 「おのずから」と「みずから」は、同じく「自ら」と表すことができます。「おのずから」為ったことが、「みずから」為したことと重なるのです。九鬼周造の『日本的性格』では、〈「みづから」の「身」も「おのづから」の「己」もともに自己としての自然である。自由と自然とが峻別されず、道徳の領野が生の地平と理念的に同一視されるのが日本の道徳の特色である〉と語られています。
 「おのずから」と「みずから」の同一性のように、目的と手段の関係にも同一性を考えることができます。目的と手段の分断は、閉鎖的な条件下において、状況を簡略化することで可能になるに過ぎません。時代と呼ばれる流れにおいては、手段は次の目的へと繋がり、目的は次の手段へと繋がります。その連鎖において、目的でありながら手段でもあること、手段でありながら目的でもあることが、人生に現れてきます。その段階ではむしろ、人生として現れてくるといった方がよいかもしれません。
 そのため日本における修道は、自(おの)ずからと自(みずか)ら、目的と手段の交わりにおいて、実践されるのです。

 
14_01.bmp[図14-1] 修道の型

 

 道を修めるという行為は、人生における営為です。日本史を省みれば、先人の人生における「自(おの)ずから-自(みずか)ら」という軸と、「目的-手段」という軸の交差が積み重なり、修道の型が示されるのです。

 


第二節 自(おの)ずからの道
 まず、日本史における自(おの)ずからの道を見ていきます。
 自(おの)ずからという古語は、「己(おの)つ柄(から)」の意であり、「そのままで」や「ひとりでに」、「無意識に」という意味の言葉です。現在でいう「自然」の意味を持ち、「偶然」や「万一」という意味も含まれています。自(おの)ずからには、自(みずか)らを超えた力が働いています。日本史における自(おの)ずからの道では、自(みずか)らを超えた力によって、道を自然と行えることが示されています。
 『日本書紀』では、〈惟神は、神道に随ふを謂ふ。亦自づからに神道有るを謂ふ〉とあります。神道は自(おの)ずからにあるのです。その、自(おの)ずからの神道に随うのを惟(かん)神(ながら)というのです。
 『源氏物語』には、〈道々に物の師あり、まねび所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむにあとありぬべし〉とあります。諸々の道にはそれぞれの師匠が居て、学ぶところの深さ浅さは別として、自(おの)ずから伝承された中で残ったものがあると語られています。
 『正法眼蔵随聞記』には、〈学道の人も、はじめ道心なくとも、只強て道を好み学せば、終には真の道心も、をこるべきなり〉とあります。道を学ぶ人も、そのはじめから道を学ぼうとする心がまえがなくても、ひたすら道を求め学ぶように努力していれば、やがては本当の心構えができてくるものなのだと語られています。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈後世の障りは、真実の道心あらば、今年も自(おのづか)ら嘆きあらじかし〉とあります。真の道心があるなら、来世の妨げを現世で心配することが自然となくなるというのです。
 北畠親房(1293~1354)は、〈一種姓ノ中ニヲキテモヲノヅカラ傍ヨリ傳給シスラ猶正ニカヘル道アリテゾタモチマシマシケル(『神皇正統記』)〉と述べています。時として傍流になることがあっても、自(おの)ずから本流に戻る道があって、秩序が保たれ続いて行くのだと語られています。
 宮本武蔵(1584~1645)の『五輪書』の[地之巻]では、〈道理を得ては道理をはなれ、兵法の道に、おのれと自由ありて、おのれと奇特を得、時にあひてはひやうしを知り、おのづから打ち、おのづからあたる、是みな空の道也〉とあります。また、[風之巻]では、〈おのづから武士の法の実の道に入り、うたがひなき心になす事、我兵法のをしへの道也〉とあります。兵法の道においても、自(おの)ずからの道が語られています。
 伊藤仁斎(1627~1705)の『童子問』では、〈仁に居り義に由るときは、即ち坐禪せず面壁せずと雖ども、然れども身自(おのずか)ら修まり、家自(おのずか)ら齊(おさ)まり、國自(おのずか)ら治まり、天下自(おのずか)ら平かにして、往くとして可ならずということ無し。苟しくも仁に居り義に由らざるときは、則ち設(たと)い其の心、明鏡の如く、止水の如く、一毫人欲の私無くとも?無し。此れ聖人の道、諸子百家に度越して、宇宙の間獨り尊しと為る所以なり〉とあります。面壁とは、壁に向かって座禅することです。仁義においては、坐禅などしなくても、各々がおのずからうまく往くことができるのだと考えられています。仁義がないときは、無私であろうとも益はないとされています。それが聖人の道なのだと語られています。
 同じく仁斎の『語孟字義』には、〈道はおのずから導くところ有り。徳は物を済(な)すところ有り〉とあります。
 井原西鶴(1642~1693)の『日本道の巻(西鶴独吟百韻自註絵巻)』には、〈自然と広き道の道筋〉とあります。道を学ぶ道である儒学は、おのずと広いというのです。
 内藤丈草(1662~1704)の『寝ころび草』には、〈人病を思ふ時に塵の心おのづからしりぞき、人死をおもふ時は道の念おのづからきざせり〉とあります。人が病気について考えるときには、俗な心が自然にしりぞくとされ、人が死について思うときは、道を願う心がおのずからきざすとされています。
 石田梅岩(1685~1744)は、〈根本既立トキハ、其道自生(『都鄙問答』)〉とあります。根本が既に立っているなら、道は自(おの)ずから生まれるというのです。
 五井蘭洲(1697~1762)は、〈義なる者は、天下の同じうする所にして、その為す所や義に当らば、何ぞおのづから一道ありと為さん(『駁太宰純赤穂四十六士論』)〉と述べています。義に適うことがなければ、自(おの)ずからの道はありえないとされています。逆に、義に適えば、そこに自(おの)ずから道が為されるとされています。
 賀茂真淵(1697~1769)は、〈凡世の中は、あら山、荒野の有か、自ら道の出来るがごとく、ここも自ら、神代の道のひろごりて、おのづから、国につきたる道のさかえは、皇いよいよさかえまさんものを(『国意考』)〉と語っています。道路が自(おの)ずから出来るがごとく、神の道も自(おの)ずから栄え行くとされています。
 本居宣長(1730~1801)は、〈然神代のまにまに大らかに治ろしめせば、おのづから神の道は足らひて、他に求むべきことなきを(『直毘霊』)〉と語っています。神代のように政治を行えば、自(おの)ずからに道は充足するというのです。
 二宮尊徳(1787~1856)の『二宮翁夜話徳』では、〈翁曰、夫誠の道は、学ばずしておのづから知り、習はずしておのづから覚へ、書籍もなく記録もなく、師匠のなく、而して人々自得して忘れず、是ぞ誠の道の本体なる〉とあります。誠の道とは、自(おの)ずから覚えるものなのだとされています。
 佐久間象山(1811~1864)は、〈ああ、人情に通じて人を服せしむるものは、自からその道のあるあり(『省?録』)〉と述べています。人情によって人を感服させるならば、そこに自(おの)ずからの道があるのだと語られています。
 福沢諭吉(1835~1901)は、〈唯真実の武士は自から武士として独り自から武士道を守るのみ。故に今の独立の士人もその独立の法を昔年の武士の如くにして大なる過なかるべし(『福翁百話』)〉と述べています。武士ならば、独り自(おの)ずから武士道を守るのみで、それは今も昔も変わりないと述べています。
 以上のように、日本史の上に自(おの)ずからの道が行われています。自(おの)ずからの道では、道の流れに身をおくことで、道を自(おの)ずから為すことができると考えられています。その自(おの)ずからの道においては、自(おの)らを超えた力が働いていると捉えられてきました。自(おの)ずからには、起原性・根拠性・根源性などが全体性として示されています。

 


第三節 自(みずか)らの道
 次は、日本史における自(みずか)らの道を見ていきます。
 自(みずか)らという古語は、「身づから」の意であり、「自分から」や「意識的に」という意味の言葉です。日本史における自(みずか)らの道では、ただ道を自分から学び行っていくことが説かれています。
 道元(1200~1253)の『正法眼蔵』の[自証三昧]には、〈自己を体達し、他己を体達する、仏祖の大道なり〉とあり、自己を体得して他者をも体得するのが仏祖の大道だと述べられています。
 『正法眼蔵随聞記』には、〈世情の見をすべて忘て、只、道理に任て、学道すべき也〉とあります。世間的な情量分別の考えをすべて忘れて、ただ道理が示すとおりに従って、道を学ばなくてはならないと語られています。
 『十訓抄』には、〈なかにも年若き輩は、飢ゑをしのびて、道をまなび、寒さをしのびて、君に仕へつつ、家をおこし、身を立つるはかりことをすべきなれば、なにごとにつけても、かたがたものに耐へしのぶべきなり〉とあります。若者は飢えを忍んで道を学ぶべきだというのです。主君に仕え、家を起こし、身を立てるために堪えて行くべきことが語られています。また、〈道にあらざるたぐひ、能によりて、道にいたる徳もあれば、氏をつがむがため、道にいたらむがために、かれもこれも、ともにはげむべし〉とあります。芸の家に生まれずとも、才能によって道にいたるという徳があるというのです。そのため、家を継いて、道に至るために努力すべきことが語られています。
 無住(1226~1312)の『沙石集』には、〈真実の道心あらん人は、徳を隠して失を慎みて、道行を細やかにすべし〉とあります。道心ある人は、咎を慎んで丁寧に道を行くべきことが語られています。
 『御成敗式目(1232)』では、〈ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり〉とあります。道理に基づいて、心の中にある知識を、仲間や権力に左右されずに言葉で発すべきだというのです。
 抜隊得勝(1327~1387)は、〈ココロザシ深キ時ハ、文字ヲシル人ハ、シルトコロヲ道ノタヨリトシ、知ザル人ハシラザルヲ道ノタヨリトス。「道ハ知ニモ属セズ、不知ニモ属セズ」、只一切ヲ放下シテ、ヲノレニカヘリテ看守セヨ(『塩山和泥合水集』)〉と述べています。道は、己を顧みて見守るものだというのです。ですから自分の持っている能力によって、文字を知っているならそれを武器に、知らないなら知らないなりに道を行うべきだというのです。
 一条兼良(1402~1481)は、〈道を道に行はんと思ふ(『文明一統記』)〉と述べています。
 中江藤樹(1608~1648)は、〈太虚神明のほんたいをあきらめ、たてたる身をもつて人倫にまじわり万事に応ずるを、道をおこなふといふ(『翁問答』)〉と述べています。万事に応じることが、道を行うことだと考えられています。
 熊沢蕃山(1619~1691)は、〈聖人の道は、五倫の人道なれば、天子・諸侯・卿丈夫・士・庶人の五等の人、学び給べき道なり(『集義和書』)〉と述べています。五倫の人道とは、父子の親・君臣の義・夫婦の別・兄弟の序・朋友の信のことです。五等の人とは、五階層の人ということです。聖人の道は、皆が、それぞれの立場で行うべき道なのだとされています。
 山鹿素行(1622~1685)は、〈聖学は名の為ぞや。人たるの道を学ぶなり。聖教は何の為ぞや。人たるの道を教ふるなり。人学ばざれば則ち道を知らず(『聖教要録』)〉と語られています。学ぶことで道を知ることができるとされています。逆に、学ばなければ道は知ることができないのだと考えられています。
 貝原益軒(1630~1714)は、〈道ヲ信ズル事篤ケレバ、之ヲ行ナヒ果ス。果ストハ行ナヒトグル也。之ヲ行ナヒ果セバ、之ヲ守リ固シトハ、道ヲ守ル事堅固ニシテ、失ナハザルナリ(『五常訓』)〉とあります。道を信じ、道を行い遂げ、道をしっかりと守って失わないようにすることが語られています。
 山本常朝(1659~1719)は、〈武勇と小人は、我は日本一と大高慢にてなければならず。道を修行する今日の事は、知非便捨にしくはなし。ヶ様に二つに分て心得ねば埒明ず、と也(『葉隠』)〉と述べています。武勇にすぐれた人や若衆は、自分こそは日本一だという高慢な態度がなければならないと考えられています。それに加えて道を修めるためには、己れの非を知れば直ちにこれを捨てるという心得が必要だというのです。
 松平定信(1759~1829)は、〈人の行ふべき、之を道と謂ひ、人の道に道(したが)ふ、之を政と謂ふ(『政語』)〉と述べています。人が行うべきを道と言い、人が道に従って行うのが政治なのだと語られています。
 二宮尊徳(1787~1856)の『二宮翁夜話』では、〈夫自然の道は、万古廃れず、作為の道は怠れば廃る〉とあります。人の世における作為の道は、おこたれば廃れてしまうのだと考えられています。ですから道の実践は、絶えず行う必要があると語られているのです。
 吉田松陰(1830~1859)は、〈人と生れて人の道を知らず。臣と生れて臣の道を知らず。子と生れて子の道を知らず。士と生れて士の道を知らず。豈恥づべきの至りならずや。若し是を恥るの心あらば、書を読道を学ぶの外術あることなし(『講孟余話』)〉と述べています。人でありながら、道を行わないのは、恥ずべきことだとされています。ですから、恥ずべき心があるのなら、自(みずか)ら道を学ぶべきだと語られているのです。
 西郷隆盛(1828~1877)は、〈道は天地自然の道なるがゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに、克己を以て終始せよ(『南洲翁遺訓』)〉と、天地自然と人の道が同じであることが語られています。己に打ち勝つことで、道を行うことが必要だと考えられています。
 山岡鉄舟(1836~1888)は、〈善なると知りたる上は直に実行に顕はし来るを以て武士道とは申すなり(『剣禅話』)〉と述べています。武士道は、それが善であるなら直ちに実行するものだというのです。
 以上のように、日本史の上に自(みずか)らの道が実践されています。自(みずか)らの道では、自分から道を学習・実践しようという意識が現れています。自(みずか)ら道を学び、自(みずか)ら道を行うのです。自(みずか)らの「み」は「身」であり、それは心と繋がります。この心が、この身をして為していくのです。自(みずか)らには、唯一性・尊貴性・有限性などが個別性として示されています。

 


第四節 目的としての道
 道には、目的という意味が有ります。
 辞典には、「道(みち)」に対して、〈人の進むあり方。人の行為・生き方について規範とすべき筋〉とあります。具体的には、〈そのものの分、または定めとして、よりしたがわねばならぬ筋。また、物事が必然的に成り行く筋、ことわり。道理。条理〉や〈神仏、聖賢などが示した道。神仏、聖賢の教え。教義。教理〉、あるいは〈特に、専門の方面。専門的な方法。学問、芸能、武術、技術などの専門の分野。中世以後、単なる技芸としてでなく、人間としての修行を目的として道という場合がある〉などがあります。「道(どう)」に対しては、〈人の守るべき正しいすじみち。修行のみち。さとり〉が挙げられています。
 このように、道は目的となります。そのとき次図のように、目的としての道に対し、自分はそこへ向かって行くという構図を考えることができます。

 
14_02.bmp[図14-2] 目的の道

 

 「到達すべき道は遥かに遠い」という文章は「到達すべき目的は遥かに遠い」と言い換えられ、「立身出世の道を立てる」という文章は「立身出世の目的を立てる」となるように、道を目的に置き換えることが可能です。
このように、日本の道は、目的となるのです。

 


第五節 手段としての道
 道には、手段という意味も有ります。
 辞典には、「道(みち)」に対して、〈事をなすにあたってとるべきてだて。手段。方法。やり方。特に、正当な方法〉とあります。「道(どう)」に対しては、〈方法。やり方。手段。技芸。学問〉とあります。
 このように、道は手段となります。そのとき次図のように、手段としての道に対し、自分がそれに沿って歩み進んで行くという構図を考えることができます。

 
14_03.bmp[図14-3] 手段の道

 

 「まだいくつもの道が残されている」という文章は「まだいくつもの手段が残されている」と変換でき、「成功するための有効な道を考える」という文章は「成功するための有効な手段を考える」と言い換えられるように、道を手段に置き換えることが可能です。
 このように、日本の道は、手段となるのです。

 


第六節 我が道
 修道において、「自(おの)ずから-自(みずか)ら」という軸と、「目的-手段」という軸が示されました。その軸の交わりにおいて、修道の型が展開されています。修めるべき日本の道は、日本史における先人たちの営みの上に示されています。
 道を修める行為は、自分を見つめる営為です。自(おの)ずからの道における起原性・根拠性・根源性などの全体性と、自(みずか)らの道における唯一性・尊貴性・有限性などの個別性から、その繋がりとして自分自身が意識できます。
 以前に、日本では心と道が結びつけていることを示しました。そこでさらに、自(おの)ずからと自(みずか)らの関係を重ねてみることができます。道から人へと向かうとき、自(おの)ずから導かれ、心から道へと向かうとき、自(みずか)ら志すのです。

 
14_04.bmp[図14-4] 自ら志し自ずから導かれる

 

 この関係から自分の心は、自(みずか)ら志すと同時に自(おの)ずから導かれることで、いくつかの選択肢の中からある決断を行っていることが分かります。このとき、自(みずか)らというときは意志的であり、自(おの)ずからというときは無意識的という傾向性が見られます。

 
14_05.bmp[図14-5] 意識的な自らと無意識的な自ずから

 

 道において、感じられて、思われて、考えられて、行われるのです。そこでは同時に、感じて、思って、考えて、行うのです。その過程において、様々な状況に直面します。その状況において、自分がどうするかを判断するために、目的と手段の考察が必要になります。
 道は、目的であると同時に、手段でもあります。目的と手段を峻別することは、非常に有効な方法です。ですが、それはきわめて限定された状況下で、任意の制約をおいたときのみ可能なことなのです。複雑で曖昧な世界の中では、手段と目的は分かち難く結び付いています。ある状況では目的だったことが、別の状況では手段となることがありえます。逆に、手段だったことが目的となることもありえます。特に時系列を考慮する際には、目的と手段の相互連関は複雑に絡み合います。目的は手段を要求し、手段は目的を要求します。その相互連関において、道を修めるための具(そな)えとして、道具が必要になります。

 
14_06.bmp[図14-6] 目的と道具と手段

 

 道具によって、目的と手段の関わりに対処することができるのです。その道具の選び方や用い方には基準が必要です。その基準は、道以外にありえません。手段でありながら同時に目的でもあるような、偉大な何らかの基準として、道という言葉が使われる場合があるのです。このとき、その基準をもたらし、その基準を活かすべきものとして、人生という意識が芽生えます。 
 つまり、修道の型において、我が道が立ち現れてくるのです。

 
14_07.bmp[図14-7] 修道における我が道

 

 道を修める行為は、道を学び、道を行う営為に示されています。道を修める営為は自分自身に関わることですから、我が道が意識されるのです。日本史において、先人たちが、どのように我が道を実践したのかを見ていきます。
 『正法眼蔵随聞記』には、〈他のそしりに[とり]あはず、他のうらみに[とり]あはず、いかでか我が道を行ぜん〉とあります。他人のそしりや恨みを取り合わず、何とかして我が道を行きたいものだと語られています。
 島津忠良(1492~1568)の『日新公いろは歌』には、〈いにしへの道を聞きても唱えへても、わが行いにせずば甲斐なし〉とあります。
 宮本武蔵(1584~1645)は、〈其道にあらざるといふとも、道を広くしれば、物毎に出であふ事也。いづれも人間において、我道我道をよくみがく事肝要也(『五輪書』)〉と述べています。ここでは、道が自分の道として、「我道」として捉えられています。その我が道は、他の道と相通じるものとして捉えられています。
 貝原益軒(1630~1714)は、〈人つねにわが身をかへりみて、わが身に道を求むべし(『大和俗訓』)〉と述べています。「我が身の道」では、常に自分自身を振り返ることが必要だとされています。
 山本常朝(1659~1719)は、〈何しに劣るべきと思ひて一度打向ば、最早其道に入たるなり(『葉隠』)〉と述べています。何にも負けない心積もりで挑めば、すでに自分はその道に入っているというのです。
 吉田松陰(1830~1859)は、〈然れども汝は汝たり、我は我たり。人こそ如何とも謂へ。吾願くは諸君と志を勵まし、士道を講究し、恆心を?磨し、其武道武義をして武門武士の名に負くことなからしめば、滅死すと雖ども萬々遺憾あることなし。豈愉快の甚しきに非ずや(『講孟余話』)〉と述べています。汝は汝であり、我は我なのだと語られています。
 西郷隆盛(1828~1877)の『南洲翁遺訓』では、〈道を行うものは、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生などに、少しも関係せぬものなり〉とあります。そこでは、〈人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手もなく、出来ざる人もなし〉と語られています。また、〈道を行い道を楽しむべし〉とも語られています。人は、道を行うものだとされています。ですから、道を歩むことが出来ない人はいないと考えられています。そこにおいて、自分が道を楽しめるかどうかが問われています。
 橋本左内(1834~1859)の『啓発録』には、〈後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか〉とあります。
 以上のように、道を修めるという修道において、「自(おの)ずから-自(みずか)ら」と「目的-手段」という交わりを経るならば、我が道が立ち上がります。『家康公遺訓』には、〈人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし〉とあります。修道の営為において、先人たちの人生を辿り、自分の人生を意識し、我が道を行うのです。

 

 

 

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