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『日本式 正道論:第三章 仏道』

【目次】
第一節 平安仏教
 第一項 天台宗の最澄
 第二項 真言宗の空海
 第三項 天台宗の源信
 第四項 西行
第二節 鎌倉仏教・浄土系
 第一項 浄土宗の法然
 第二項 浄土真宗の親鸞
 第三項 時宗の一遍
第三節 鎌倉仏教・禅系
 第一項 臨済宗の栄西
 第二項 曹洞宗の道元
  『正法眼蔵』
  『正法眼蔵随聞記』
第四節 鎌倉仏教・法華系
 第一項 日蓮宗の日蓮
第五節 鎌倉仏教・鎌倉旧仏教
 第一項 天台宗の慈円
 第二項 法相宗の貞慶
 第三項 華厳宗の明恵
 第四項 華厳宗の証定
 第五項 真言律宗の叡尊
 第六項 華厳宗の凝然
第六節 中世仏教
 第一項 臨済宗の夢窓疎石
 第二項 臨済宗の中巌円月
 第三項 臨済宗の抜隊得勝
 第四項 浄土真宗の蓮如
第七節 近世仏教
 第一項 日蓮宗の日奥
 第二項 臨済宗の沢庵
 第三項 浄土宗の大我
 第四項 浄土真宗の仰誓
 第五項 曹洞宗の良寛
 第六項 浄土真宗の竜温
 第七項 浄土真宗の徳竜
第八節 近代仏教
 第一項 清沢満之
 第二項 鈴木大拙


『第三章 仏道』
 仏教は、釈迦[仏陀] (前463~前383、または前565~前485)を開祖とする宗教です。仏道とも称されます。
 仏教が日本へ伝わったのは、朝鮮三国時代の百済からです。飛鳥時代には、朝鮮半島の影響を受けながら次第に国家仏教の形を整えていきました。奈良時代には、南都六宗と呼ばれる学問仏教が整備され、国分寺や東大寺大仏などに代表される国家護持の方向が明確化されました。平安時代には、最澄が天台宗を、空海が真言宗を開き、仏教の普及につとめました。鎌倉時代には、鎌倉新仏教と呼ばれる仏教運動がおこり、法然・親鸞らの浄土教、栄西・道元などの禅、日蓮の法華信仰などが宗派として定着しました。その後も日本の仏教は、独自の発展を遂げていき、現在に至るまで大きな影響を及ぼしています。
 仏教の教えは様々ですが、基本は「仏の道」です。ですから、仏教関連の書物には、仏の「道」についての伝統が展開されています。本章では、日本の仏教における仏の「道」を見ていきます。

 


第一節 平安仏教
 平安仏教は、平安時代に創始された仏教の宗派のことです。具体的には真言宗、天台宗の二宗を指します。その特徴の一つは山岳仏教です。奈良仏教が都市仏教であるのに対し、最澄は比叡山に延暦寺を、空海は高野山に金剛峯寺を開きました。

 

 第一項 天台宗の最澄
 最澄(767~822)は、空海とともに平安仏教の双璧と称される、日本天台宗の開祖です。『法華経』を中心としながらも、法華円教のみならず、密教・禅・戒律・浄土の諸思想を含んだ仏教を比叡山に樹立しました。
 最澄の『山家学生式(天台法華宗年分学生式)』では、道心が語られています。〈国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす〉とあります。国宝とは、国家の宝として崇敬すべき人を指します。道心とは、菩提心(悟りを求めようとする心)で、真実の道を求める心です。
 道心のある人については、〈乃ち道心あるの仏子を、西には菩薩と称し、東には君子と号す〉とあり、道心のある仏弟子は、インドでは菩薩、中国では君子とされています。具体的には〈悪事を己れに向へ、好事を他に与へ、己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり〉という心を持つ人です。では、日本においてどうかというと、〈釈教の中、出家に二類あり。一には小乗の類、二には大乗の類なり。道心あるの仏子、即ちこれこの類なり。今、我が東州、ただ小像のみありて、未だ大類あらず。大道未だ弘まらず、大人興り難し〉と語られています。釈迦の教えの中で出家に二種類あり、一つは小乗(上座部)で、二つ目は大乗です。道心がある人は大乗の方です。今の日本には、小乗の形だけで大乗の人が居ないと言っています。大乗の道法が未だ広まっておらず、大乗の行人が出てこないと嘆いているのです。
 『顕戒論縁起』においても、〈皆なこれ生を軽んじて道を重くし、広く自他を利する所以なり〉とあり、大乗の道が大切だと述べられています。
 また、『得業学生式(比叡山天台法華院得業学生式)』では、〈中道の心を上となす〉とあります。中道とは、両極端を離れた中正なる道です。中道は、仏教の根本的立場で仏教各宗により種々に説いていますが、天台宗では空仮中の三諦の説を立て、すべての存在は一面的に考えられる空・仮(け)をこえた絶対であり、それを中とします。またこの三は相互に別なく円融し、即空・即仮・即中としての中道であるとされています。

 

 第二項 真言宗の空海
 空海(774~835)は、平安初期の密教家で、真言宗の開祖です。唐で学び、日本に初めて体系的密教をもたらしました。高野山に金剛峰寺を建立し、京都に綜芸種智院を開きました。
 『遍照發揮性靈集』では、〈物の荒癈は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道に在り〉と語られています。では、道はどういうものかというと、〈人を導くは教なり。教を通するものは道なり。道、人無ければ擁(ふさが)り、教、演ぶること無きときは癈(すた)る〉とされています。ここでは、教えを挟んで人と道との相互応答が見られます。人を導くのは教えで、教えを通すものは道です。逆に言うと、道は教えを通し、その教えは人を導くものです。しかし、道は人がいなければ塞がり、教えも人がいなければ廃れます。道と教えと人は、互いに支え合っているのです。
 また、〈又古人、道の為に道を求む。今の人は名利の為に求む。名の為に求むるは求道の志とせず、求道の志は己を忘るる道法なり〉と述べられています。名利とは名誉と利益のことで、道法とは悟りに至る正道の法のことです。
 また、『秘密曼荼羅十住心論』の[巻第八]では、〈一実の理、本懐を此の時に吐き、無二の道、満足を今日に得〉と述べられています。一実の理・無二の道とは、ともに法華一乗を指します。仏の本懐たる一日の理が開示され、法華一乗の道が明かされて、仏の所願が満足されたことが述べられています。
 『秘蔵宝鑰』には、〈有・空、即ち法界なりと観ずれば、則ち中道正観を得。此の中道正観に由るが故に、早く涅槃を得〉とあります。現世は仮りの有であり、空であり、そのまま法界の相であると観察されれば、そこに縁起による中道の正しい見方が生じるというのです。この中道の正路によって涅槃に到達できるとされています。ここでいう中道とは、囚われた心を離れて公正に現実を見極めた上で正しい行動を取ることを意味します。また、〈仏法存するが故に、人皆眼を開く。眼明らかにして正道を行じ、正路に遊ぶが故に、涅槃に至る〉ともあります。仏法により人間は心の眼を開くことができ、それによって正しい道を進むことができて、悟りに至ることができるというのです。

 

 第三項 天台宗の源信
 源信(942~1017)は、平安中期の天台宗の僧侶です。往生極楽に関する経論の要文を集めた『往生要集』を著し、念仏の実践を勧めました。
 日本における地獄の思想は、空海の『三教指帰』や景戒の『日本霊異記』もありますが、源信の『往生要集』の影響が非常に大きいと言えます。『往生要集』では、八大地獄などが詳述され、地獄に堕ちることに対する恐怖心から、浄土信仰の隆盛の大きな要因となりました。
 『往生要集』の中に、〈一には地獄、二には餓鬼、三には畜生、四には阿修羅、五には人、六には天、七には惣結なり〉とあり、六道について記述されています。七番目の惣結は、六道を総括するということです。六道とは、地獄から天までの六つの世界のことで、六趣とも言います。衆生がその業(ごう)によって生死を繰り返す迷いの世界です。『往生要集』における記述から、六道をまとめると次のようになります。

 
03_01.bmp[図3-1] 『往生要集』の六道

 

 以上の六道に対して、七番目の惣結(六道を総括すること)については、〈第七に、惣じて厭相を結ぶとは、謂く、一篋は偏に苦なり。耽荒すべきにあらず〉とあります。一篋とは、地・水・火・風の四大結合によってできた人間の身体を箱に例えたものです。また耽荒とは、度を越して楽しみにふけることです。つまり、六道の厭うべき相を総括するなら、地・水・火・風の四つの要素の結合から成るこの身は、まことに苦の連続なのだと考えられているのです。度を越して楽しみにふけるべきではないとされています。なぜなら、生・老・病・死の四つの苦しみは必ずやってくるもので、逃げ隠れしてやり過ごせるものではないからと説明されています。
 『往生要集』には正道についての記述もあり、〈麁強の惑業は、人をして覚了せしむれども、ただ無義の語は、その過顕れずして、恒に正道を障ふ。善く応にこれを治すべし〉とあります。麁強の惑業とは、あらくはげしい煩悩のことです。つまり、荒っぽい強烈な煩悩は、人がすぐこれに気づいて注意しますが、無意味な語の場合は過ちがはっきりとはあらわれないので、常に正道を妨げるというのです。だから、このことにはよく気をつけて改めるべきだというのです。
 また、〈不退転の位に至るに難易の二道あり。易行道と言ふは即ちこれ念仏なり〉という言葉もあります。ここでいう二道とは、難行道と易行道です。難行道とは、自らの修行実践によって悟りに至る道です。易行道とは、難行に対する容易な行で、他力念仏に立つ道です。自力修行の難行に対するものとして人々に勧められています。ここでいう自力・他力とは、念仏行において称える功徳をわが功績とみなすのが自力念仏で、我の上に現れた仏の働きかけと見るのが他力念仏です。注意が必要ですが、他力とは他人の力ではなく、自力の根源をなす仏の力を意味します。

 


 第四項 西行
 西行(1118~1190)は平安後期の僧であり歌人です。鳥羽院に北面の武士として仕えていましたが、出家して草庵に住み、諸国を行脚して歌を詠みました。
 西行の詠歌を収めたものに『山家集』や『新古今和歌集』があります。〈ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃〉という歌はあまりにも有名です。『山家集』の中には、六道について詠ったものがあります。

 [地獄] 罪人のしぬる世もなく燃ゆる火の薪なるらんことぞかなしき
 [餓鬼] 朝夕の子を養ひにすと聞けば苦にすぐれてもかなしかるらん
 [畜生] 神楽歌に草取り飼ふはいたけれど猶その駒になることは憂し
 [修羅] よしなしな争ふことを楯にして怒りをのみも結ぶ心は
 [人] ありがたき人になりけるかひありて悟り求むる心あらなん
 [天] 雲の上の楽しみとてもかひぞなきさてしもやがて住みしはてねば

 また、道について詠じたものもいくつか挙げておきます。

 思ふともいかにしてかはしるべせん教ふる道に入らばこそあらめ
 遁れなくつひに行くべき道をさは知らではいかゞ過ぐべかりける
 あくがれし心を道のしるべにて雲にともなふ身とぞ成ぬる
 いとゞしく憂きにつけても頼むかな契し道のしるべ違ふな
 厭ふべき仮の宿りは出でぬなり今はまことの道を尋ねよ


第二節 鎌倉仏教・浄土系
 日本には、7世紀前半に浄土教が伝えられました。
 源信が『往生要集』を著して天台浄土教を盛んにし、平安末期から鎌倉時代に入ると、法然が浄土宗を、親鸞が浄土真宗を、一遍が時宗をそれぞれ開きました。これら浄土教の各宗は、それぞれの発展を遂げ、日本仏教における一大系統を形成して現在に及んでいます。

 

 第一項 浄土宗の法然
 法然(1133~1212)は、鎌倉時代の僧侶で、浄土宗の宗祖です。称名念仏のみで浄土往生ができるという専修念仏の教えを唱え、鎌倉仏教の祖師たちに多大な影響を与えました。
 法然の主著は『選択本願念仏集』です。この中で、〈曇鸞法師(どんらんほっし)の往生論の注に云く〉とし、〈二種の道あり。一は難行道、二は易行道〉と示されています。易行道の易とは安易・平易の意味です。ですから易行道とは、誰でも行じうる道のことです。ここから法然は〈難行道は即ちこれ聖道門なり。易行道は即ちこれ浄土門なり〉と述べています。ここから、〈すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし〉と、聖道門を捨てて浄土門に帰せよ、という浄土宗の基本的立場が主張されています。

03_02.bmp
[図3-2] 『選択本願念仏集』の二種の道

 

 聖道門とは、自力の行をはげんでこの世で悟りを開くことを目指す聖人の道です。浄土門とは、阿弥陀の本願を信じて念仏して浄土に生まれ、来世に悟りを得ようとする凡夫の道です。法然の教えでは、易行の念仏が正当化されています。

 

 第二項 浄土真宗の親鸞
 親鸞(1173~1262)は、鎌倉時代の仏教者で、浄土真宗の祖です。法然門下から出て、念仏の信心による浄土往生を説きました。
 親鸞の『教行信証』では、〈世間の道に難あり易あり、陸道の歩行は則ち苦しく、水道の乗船は則ち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし〉とあり、法然と同じく易行道が正当化されています。
 他にも道について、〈一道は一無礙道なり。無礙は、謂く生死即ちこれ涅槃なりと知るなり〉とあります。一道とは、一つの無礙道であり、無礙とは、いわば生死の迷いがそのまま悟り(涅槃)であると知ることです。親鸞滅後の異端を歎いたといわれる唯円(?~?)の『歎異抄』でも、〈念仏者は無礙の一道なり〉とあります。念仏者(信心の行者)の行く道には礙(さわ)りがない、つまり妨げがないということです。
 『教行信証』の別の箇所では、〈道の言は路に対せるなり。道は則ちこれ本願一実の直道、大般涅槃、無上の大道なり。路は則ちこれ二乗・三乗、万善諸行の小路なり〉ともあります。つまり、道という言葉は、路に対するもので、道とは、すなわち本願という絶対不二にして真実の近道であり、究極の悟りに達するこの上もない大道だというのです。路とは、すなわち小乗の聖者や仏、さらには菩薩たちが行く路であり、できるだけ多くの善やさまざまな修行が必要な小路のことです。
 『涅槃経』から引用している箇所では、〈道に二種あり。一つには常、二つには無常なり。菩薩の相にまた二種あり。一つには常、二つには無常なり。涅槃もまたしかなり。外道の道を名づけて無常とす、内道の道は、これを名づけて常とす〉とあります。道には二つの種類があるのだと語られています。一つには常住、二つには無常です。菩薩のすがたにも二種類あって、一つには常住、二つには無常であり、涅槃もまたそうなのだとされています。異教の道を無常と名付け、仏教の道は常住と名付けられます。ですから、〈道と菩提および涅槃と、ことごとく名づけて常とす〉とあり、道と悟りとそれに涅槃はすべて常住と名付けられています。
 また、正しい道は平等と関連付けられています。〈正道の大道大慈悲は出世の善根より生ずといふは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道とする所以は、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるを以ての故に発心等し、発心等しきが故に道等し、道等しきが故に大慈悲等し。大慈悲はこれ打つ道の正因なるが故に、正道大慈悲と言へり〉とあります。ここの「正道の大道大慈悲は出世の善根より生ず」という部分は、『浄土論』の詩からの引用です。ここで言われていることは、正道の大いなる慈悲が世を捨てし善根より生るというのは、平等の大道について言ったものです。平等の道をさして正道といったわけは、平等がすべてのものの、その本体の姿だとされているからです。すべてのものが平等であるから、起こした菩提心も平等であり、起こした菩提心が平等であるから、道も平等であり、道が平等であるから、広大な慈悲も平等であるとされているのです。そしてこの広大な慈悲は悟りをうる直接の因であるから、正道の大いなる慈悲と言われているのです。

 


 第三項 時宗の一遍
 一遍(1239~1289)は、鎌倉時代後期の仏僧で、時宗の開祖です。衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め、全国を遊行しました。
 一遍の言行録である『一遍上人語録』には、〈阿弥陀仏はまよひ悟の道たえてたゞ名にかなふいき仏なり〉とあり、悟りの道が語られています。生死については、〈有心は生死の道、無心は涅槃の城なり。生死をはなるゝというふは、心をはなるゝをいふなり〉とあります。有心は物にとらわれた妄念の心で、無心は一切の妄念を離れた心のことです。心の有り様が大事であり、〈心の外に法を見るを名づけて外道とす〉と語られています。
 他にも、〈又或人かねて上人の御臨終の事をうかがひたてまつりければ、上人云、「よき武士と道者とは、死するさまを、あたりにしらせぬ事ぞ。わがをはらんをば、人のしるまじきぞ」と曰ひしに、はたして御臨終、その御詞にたがふ事なかりき〉とあります。ある人が、一遍に臨終について尋ねたときのことです。一遍は、よき武士と仏道にいる者は、死に様を人には知らせないのだと言い、実際に一遍の死ぬときがそうであったと伝えられています。
 また、一遍の弟子である聖戒(?~?)がまとめた『一遍聖絵』では、一遍の残した次のような言葉があります。

 はねばはねよをどらばをどれはるこまの
  のりのみちをばしる人ぞしる

 


第三節 鎌倉仏教・禅系
 日本に禅が定着したのは鎌倉時代で、栄西や道元などによって移入されました。

 

 第一項 臨済宗の栄西
 栄西(1141~1215)は、鎌倉初期の僧で、日本臨済宗の開祖です。禅と戒律との厳修を説く『興禅護国論』を著し、禅宗の正当性の宣揚につとめました。
 『興禅護国論』では、〈善戒経に云く〉とし、〈菩薩、道のために禅定を修し、現世に楽を受けしむ〉とあります。道は菩提の道で、禅定を修せしめる相手は衆生です。
 また、栄西は〈日本国において、祖道すなはち大いに興ることを得んと欲す〉と述べています。

 


 第二項 曹洞宗の道元
 道元(1200~1253)は、鎌倉時代の仏教家で、曹洞宗の祖です。道元の主著である『正法眼蔵』と、道元が語った仏道修行の心得を弟子の懐奘(1198~1280)が筆録した『正法眼蔵随聞記』から、道についての記述を見ていきます。

 

  『正法眼蔵』
 道元の主著である『正法眼蔵』の書名は、正しい仏法の眼目の処在を意味します。
 『正法眼蔵』の[現成公案]では仏道について、〈仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり〉とあります。つまり、仏道を習うのは自己を習うということです。自己を習うとは、自己を忘れるということです。自己を忘れるとは、多くのことに教えられるということです。多くのことに教えられるとは、自己と他己の体と心を脱ぎ捨てるということです。ここでいう他己とは、他における自己のことです。
 [谿声山色]では、〈ただまさに先聖の道をふまんことを行履すべし〉とあります。仏祖先徳の歩んだ道を踏もうとすべきだと語られています。
 [伝衣]では、〈ただ正伝を正伝せん、これ学仏の直道なり〉とあります。正伝を正しく伝え受けるのなら、それが仏法を学ぶのに最も近い道だというわけです。
 [仏性]では、『無門関』からの引用で〈平常心是道〉が語られています。平常心是道とは、普段の心がそのまま悟りであるということで、徹底した日常行為の肯定の上に成り立ちます。
 [仏教]では、〈諸仏の道現成、これ仏教なり〉とあり、もろもろの仏の言葉の実現したものが仏教だと語られています。ここでの道は、言葉を意味します。『正法眼蔵』では、道を動詞として使う場合は「言う」の意味となり、名詞として使う場合は「言葉」の意味となる用法が見られます。道取という言葉は「表現」の意味で用いられ、道得という言葉は「仏教に相応しい表現」という意味で用いられています。

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[図3-3] 『正法眼蔵』の道の用法

 

 [行持(上)]では、〈仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず。発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり〉とあります。仏祖の大道には、かならず最高の修行があり、連綿として断絶することがありません。発心・修行・正覚・涅槃と続いて少しの間隙もありません。修行は持続して、道は巡り続くというのです。
 [行持(下)]では、〈ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし〉とあり、日々の修行は、感謝し報いる正しい道であるべきだと語られています。
 [全機]では、〈諸仏の大道、その究尽するところ、透脱なり、現成なり〉とあります。諸々の仏の大道は、究極のところ、透き通ってありのまま現れているということです。
 [古仏心]では、〈古仏の道を参学するは、古仏の道を証するなり。代代の古仏なり。いはゆる古仏は、新古の古に一斉なりといへども、さらに古今を超出せり、古今に正直なり〉とあります。古仏の道を学ということは、古仏の道を体得することです。だから、代々すべてが古仏なのです。いわゆる古仏の古は、新古の古に他なりませんが、その古仏とは、古今を超越したもので、古今をまっすぐに貫いたものだというのです。
 [密語]では、〈諸物之所護念の大道を見成公案するに、汝亦如是、吾亦如是、善自護持、いまに証契せり〉とあります。諸々の仏の護持した大道をありのままに突き詰めると、汝もまたかくの如し、吾もまたかくの如し、みずから護持するが善いのです。このことは今でも同じことだというのです。
 [遍参]では、〈仏祖の大道は、究竟参徹なり〉とあり、仏祖の大道は、究極のところ善知識を訪ねて参学することに尽きるとされています。
 [発無上心]では、〈仏法の大道は、一塵のなかに大千の経巻あり、一塵のなかに無量の諸仏まします〉とあり、仏法の大道においては、塵ほどの中にも、幾千の経巻があり、限りなき仏たちがましますと語られています。
 [発菩提心]では、そのものずばりで、〈菩提は天竺の音、ここには道といふ〉とあります。菩提というのは、天竺のことばを音写したもので、中国ではそれを道と訳すというわけです。
 [三十七品菩提分法]では、八正道(八聖道とも言います)が語られています。八正道は、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定から成ります。

 
03_04.bmp[図3-4] 八正道

 

 [自証三昧]では、〈自己を体達し、他己を体達する、仏祖の大道なり〉とあります。自己をも体達し、他己をも体達するのが、仏祖の大道というわけです。
 [四禅比丘]では〈仏言〉とし、〈唯一究竟道ナリ〉とあります。仏が〈究極の道はただ一つである〉と言ったとのことです。

 

  『正法眼蔵随聞記』
 懐奘が道元の言葉を筆録した『正法眼蔵随聞記』では、〈学道の人も、はじめ道心なくとも、只強て道を好み学せば、終には真の道心も、をこるべきなり〉とあるように、道を求め学ぶように努力すれば、本当の心構えが出来てくるものだとされています。そこで、〈善知識に随て、衆と共に行て、私なければ、自然に道人也〉と言われ、高徳の賢者に従って、私心なく皆の者と一緒に修行すれば、おのずとそのまま仏道の人であるとされています。ここで注意すべきは、〈道は無窮なり。さとりても、猶行道すべし〉ということです。つまり、道は無窮なので、悟ったとしても、なお修行しなくてはならないと語られているのです。
 道元は、〈道を得ることは、根の利鈍には依らず。人々皆法を悟るべき也。只精進と懈怠とによりて、得道の遅速あり。進怠の不同は、志の到ると到ざると也。志ざることは、無常を思はざるに依なり。念々に死去す。畢竟暫くも止らず。暫くも存ぜる間、時光を虚すごすこと無れ〉と言います。道を得ることは、生まれつきの賢愚によるのではなく、人間はみな法を悟り得るものなのだと語られています。ただ、努力しているか怠けているかにより、道を得るのに早いか遅いかの違いが生ずるのだとされています。努力するか怠けるかの違いは、道を求める志が切実であるかないかの違いによります。志が切実でないのは、無常を思わないからだといいます。人間は少しも留まることなく死へと向かいますから、存命の間は、むなしく時を過すことがあってはならないと説かれています。そこで、〈私曲を存ずべからず。仏祖行来れる道也〉と、自分勝手に考えるのではなく、釈尊や歴代の祖師たちが踏み行ってきた道を辿ることが示されています。
 しかし、いきなり高慢な理想を掲げるのも困り者です。まずは自分の身近なところを大切にすることが肝心です。〈人、其の家に生れ、其道に入らば、先づ、其の家の業を修べし、知べき也。我が道に非ず、自が分に非ざらん事を知り修するは即非也〉とあるように、生まれた家の家業を修めて知るべきだと語られています。自分の分限を超えたこと、つまりは自分の道ではないことを学び身につけることは心得違いとだとされています。
 道を学ぶ人に対しては、〈学者、命を捨ると思て、暫く推し静めて、云べき事をも、修すべき事をも、道理に順ずるか、順ぜざるかと案じて、道理に順ぜば、いひもし、行じもすべき也〉と言われています。命を捨てる気概でやるにしても、心を静かにして、言うべきことも、修めるべきことも、道理に適っているかどうかで、言ったり行ったりすべきだと語られています。まさしく、道理が大事なのだとされています。そこで、〈世情の見をすべて忘て、只、道理に任て、学道すべき也〉とあり、世間的な見方を忘れて、ただ道理が示すとおりに道を学ぶべきと言われます。そこにおいては、〈他のそしりに[とり]あはず、他のうらみに[とり]あはず、いかでか我が道を行ぜん。徹得困の者、是を得べし〉とあり、他人の誹謗や恨みに取り合わず、なんとかして自分の道を行うしかないとされています。徹底的にやり抜こうとする者だからこそ、道を得ることができるのだとされているのです。ですから、〈只、時にのぞみて、ともかくも、道理にかなふやうに、はからふべき也〉とあり、時宜に応じて道理に適うように計らうべきことが説かれています。

 


第四節 鎌倉仏教・法華系
 鎌倉中期に出た日蓮は、法華思想の体系化に努めました。

 

 第一項 日蓮宗の日蓮
 日蓮(1222~1282)は、鎌倉時代の仏教者で、日蓮宗の開祖です。念仏批判の姿勢を取り、法華経の信仰を説きました。
 『立正安国論』では、〈夫れ出家して道に入るは法に依りて仏を期するなり〉とあります。出家して仏道に入るのは、法に従って成仏を目指すためだと語られています。また、〈但し仏道に入りて数(しばしば)愚案を廻らすに、謗法の人を禁じて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん〉とあり、仏道に入って対策を考えてみると、謗法の人を禁止して正道の僧侶を重んずれば、国中は安穏となり天下は泰平となるであろうとされています。
 『顕謗法抄』では、〈月支・尸那には外道あり、小乗あり。此日本には外道なし、小乗の者なし〉と語られています。インドは外道であり小乗で、日本は違うと述べています。では大乗はというと、〈諸大乗経には中道の理王なり〉とあります。ここでの中道は、いずれにもとらわれず現実を正しく見究めることです。
 『法花題目抄』には、〈仏道へ入る根本は信を本とす〉とあります。

 


第五節 鎌倉仏教・鎌倉旧仏教
 鎌倉仏教とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて発生した仏教変革の動きを指します。その中で、浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・時宗・日蓮宗(法華宗)を鎌倉新仏教と呼びます。この鎌倉新仏教に対し、旧仏教(南都仏教)の中にも新しい動きが生まれました。これを鎌倉旧仏教と呼びます。

 

 第一項 天台宗の慈円
 慈円(1155~1225)は、鎌倉時代初期の天台宗の僧です。
 歌人として後鳥羽上皇に高く評価される一方、日本国のあるべき姿を説き明かそうとして1220年頃に史論書『愚管抄』を著し末法思想を示しました。末法思想とは、末法に入ると仏教が衰えるとする思想のことです。末法とは、仏法の行われる時期を三つに分けた三時のうち、最後の退廃期のことです。その末法思想において、道理が語られています。文中には道理という文字が頻発し、江戸時代には「道理物語」と呼ばれました。道理という言葉は、様々な意味で使用されています。『日本の名著9(中公バックス)』にある大隅和雄の補注を参考にすると、道理の意味を次のように分類できます。
 第一に、〈御孝養アルベキ道理〉というように、人が践み行うべき道徳的に正しい道という意味があります。第二に、〈タゞ一スヂノ道理ト云事ノ侍ヲ書置侍リタル也〉や〈世ノ移リ行道理ノ一通リヲ書ケリ〉というように、筋道・理屈という意味があります。第三に、〈三世ニ因果ノ道理ト云物ヲヒシトヲキツレバ〉というように、因果(の道理)という意味があります。第四に、〈仏法王法マモラルベキ道理〉や〈コレ又臣下出クベキ道リ也〉というように、各道理の相対的な把握の上で、それらを超える社会的な基準(としての道理)という意味があります。第五に、〈ウツリマカル道理〉や〈何事モサダメナキ道理〉というように、道理は世の移り変りに従って変化して行く(という道理)という意味があります。これらの道理の意味を踏まえて、『愚管抄』の中でも重要と思われる「道」の用例を見ていきます。
 [巻第三]では、〈加様ノ次第ヲバ、カクミチヲヤリテ正道ドモヲ申ヒラクウヘハ、ヒロクシラント思ハン人ハカンガヘミルベキ事也〉とあります。こういうふうに順々になってゆく歴史の次第を順を追って、正しい道を申し明らめる上は、広く歴史を知ろうとする人は参照し、反省して見るべきであるということです。
 [巻第五]では、〈文武ノ二道ニテ國主ハ世ヲオサムルニ〉とあります。
 [巻第六]では、〈コレハヲリヲリ道理ニ思ヒカナヘテ、然モ此ヒガ事ノ世ヲハカリナシツルヨト、其フシヲサトリテ心モツキテ、後ノ人ノ能々ツ丶シミテ世ヲ治メ、邪正ノコトハリ善悪ノ道理ヲワキマヘテ、末代ノ道理ニカナヒテ〉とあります。この書ではその折々の道理に考えを合わせて、しかもこんな誤ったことが世を滅ぼそうとして事をたくらんだのだと人々にその節々を理解させ心を行きとどかせて、のちの人がよくよくつつしんで世を治め、邪と正との道理、善と悪との道理をわきまえて末の世の道理に適うように書いたというのです。
 [巻第七]では武力について、〈チカラノ正道ナルカタハ、宗廟社稷ノ本ナレバ、ソレガトヲルベキニヤ〉とあります。武力の使用が正しい道理に従って行われるということは、国家の大本なので通るべきだというわけです。歴史を貫くものとしては、〈コレニツキテ昔ヲ思ヒイデ今ヲカヘリミテ、正意ニヲトシスエテ邪ヲステ正ニキスル道ヲヒシト心ウベキニアヒ成テ侍ゾカシ〉とあります。昔のことを思い出し、現在のことを顧みて、世の中を正しい考えにもとづくように帰着させ、邪を捨てて正に帰する道をしっかりと理解すべきだというのです。歴史を顧みて判断するということが重要だということです。そこで、君は臣を立て、臣は君を立てて世を治めていくという道理を基として、〈コノ道理ニヨリテ先例ノサハサハトミユルト、コレヲ一々ニヲボシメシアハセテ、道理ヲダニモコ丶ロヘトヲサセ給ヒナバメデタカルベキ也〉と語られています。道理によって先例を明白に理解することができるのですから、それを事にあたっていちいち考え合わされて、道理を理解してその筋を通したなら、たいへん立派な世となるであろうと語られているのです。

 

 第二項 法相宗の貞慶
 貞慶(1155~1213)は、平安末期から鎌倉初期の法相(ほっそう)宗の僧です。戒律を厳守し、旧仏教の改革を提唱しました。
 『愚迷発心集』には、〈実にこの身を念(おも)はんと欲せば、この身を念ふことなかれ。早くこの身を捨てて、以てこの身を助くべし。徒らに野外に棄てんよりは、同じくは仏道に棄つべし〉とあります。身を捨ててこそ、身を助けることができるということです。ただし、ただ捨てるのではなく、仏の道にこそ身を捨てるべきだとされています。そこで、〈我進んで道心を請ふ〉と述べられているのです。
 また、『興福寺奏状』では、〈まさに知るべし、余行によらず、念仏によらず、出離の道、ただ心に在り〉とあります。出離とは、迷いを離れて解脱の境地に達することで、仏門に入ることです。仏の道は、心に在るのだと語られています。

 

 第三項 華厳宗の明恵
 明恵(1173~1232)は、鎌倉初期の華厳(けごん)宗の僧です。
 『摧邪輪』では、〈我、口業(くごう)を以て、讃嘆説法して、皆わが化(け)を受け、言下(ごんか)に道(どう)を得ん者をして尽さしめん〉とあります。明恵は、言葉と行為をもって仏教の教義を説き聞かせ、道を得る者に尽くすと述べています。
 『却癈忘記』では、〈惣テ聊モ菩提心ナドアリテ仏道ヘヲモムキヌルニハ、身命ナドハモノ、カズニテモ候ハヌ也〉とあります。仏の道に赴くには、体や命などはものの数ではないとされています。
 『梅尾明恵上人伝記』では、〈清浄の欲と云ふは仏道を願ふ心也。仏道に於いて欲心深き者、必ず仏道を得る也〉とあります。仏を願う心が清浄で深いならば、仏の道を得ることができるというのです。そこで、〈日々に志を励まし、時々に鞭をすゝめて、大願を立てて、善知識の足下に頭をつかへて、身命を惜しまずして道行を励ますべし〉とあり、日々志を持って過ごし、時には厳しく、大願を立て、善き知識に頭を垂れ、身体や生命を惜しまずに道を行くことが勧められています。そのため、〈実に生死を免れんと思ひ給はば、暫く何事をも打ち捨て、先づ仏法と云ふ事を信じて、其の法理を能々弁へて後、せめて正路に政道をも行ひ給はば、自ら宜しき事も候ふべし〉と語られています。生死の迷いから逃れたいならば、仏法を信じて法理を弁えて、正しい道に政治を行い、自ら実践すればよいというのです。
 『梅尾明恵上人遺訓』には、〈人は阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)と云ふ七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべき様、俗は俗のあるべき様なり。乃至、帝王は帝王のあるべき様、臣下は臣下のあるべき様なり。此のあるべき様を背く故に、一切悪きなり〉とあります。人間の「あるべきよう」が、その各々の立場において、あるべき様として語られています。そして法師(仏法に通じ人々を導く師となる者)に対しては、〈只心を一にし、志を全うして、徒らに過す時節なく、仏道修行を励むより外には、法師の役はなき事也〉とあります。心を一つにし、志を全うし、時間を無駄にせず、仏の道を修行するより他はないとされています。

 

 第四項 華厳宗の証定
 証定(1194~?)は、鎌倉初期の華厳(けごん)宗の僧です。
 『禅宗綱目』では、〈修行するところの理、宜しくこれに順じて、乃ち心を起して悪を断じ、善を修せず、また心を起して道を修せざるべし。道即ち心なり、心を将(も)つて還つて心を修すべからず。悪もまた是れ心なり、心を将つて還つて心を断ずべからず。不断不修、任運自然なるを、名づけて解脱の人とす〉とあります。道は心なのだと語られています。そこにおいては、善悪ともに心であり、自然なままの状態である人が解脱した人なのだとされています。

 

 第五項 真言律宗の叡尊
 叡尊(1201~1290)は、鎌倉中期の律宗の僧です。蒙古襲来で神風を祈願しました。
 『興正菩薩御教誡聴聞集』には、〈我心ヲ聖教ノ鏡ニアテ見ルニ、教ニ背クトコロヲバ止メ、自ラアタルヲバ弥(いよいよ)ハゲマシ、道にスヽムヲ学問トハ申ナリ〉とあります。自分の心を聖なる教えに映してみて、教えに背くことを止め、自分に合うところを伸ばし、道へと進むのが学問だというのです。中道については、〈空有ニ着セズシテ空有ヲ失ザルヲ本意ト為ス、即中道也〉とあります。ここでの中道は、一切のものは唯識所変のもので、非有非空の中道であることを言います。

 

第六項 華厳宗の凝然
 凝然(1240~1321)は、鎌倉時代後期の東大寺の学僧です。
 『華厳法界義鏡』には、〈妙有これを得て、しかして有ならず、真空これを得て、しかして空ならず、生滅これを得て、しかして真常たり、縁起これを得て、しかして交映たり。菩薩これを得て、遐(はる)かに誓願を発し、広く業行を修し、無住の道に遊歴し、有涯の門に通入す〉とあります。流転生滅する迷いの世界において、華厳の真理観によると、菩薩は誓いを立てて修行し、自在無礙の道を巡るのだとされています。

 


第六節 中世仏教
 中世においても、仏教では道が語られています。例として、禅家や室町仏教を代表する蓮如を挙げることができます。

 

 第一項 臨済宗の夢窓疎石
 夢窓疎石(1275~1351)は、夢窓国師とも称される南北朝時代の臨済宗の僧です。
 『夢中問答集』の[求道と福利]には、〈道のために福を求むることは、まことに世欲に異なりといへども、求め得たる時は喜び、しからざる時は嘆く〉とあります。仏道のために福を求めることは世俗の欲とは異なりますが、求め得たときは喜び、そうでなければ嘆くというのです。
 [神仏の効験]には、〈虚妄の見を離れて、真正の道を悟れるは、真実正直の人なり〉とあり、〈仁義の道を学びて、物を殺さず理を曲げずは、これ又正直の人なり〉とあります。
 [政治と仏法]には、〈十七箇条の憲法の始めに、上下和睦、帰敬三宝と載給へるも、政道を行なふことは、仏法のためなるよしなり〉とあります。聖徳太子の十七条の憲法を根拠として、政治を行なうのは、仏法のためでもあると語られています。
 [菩提心]には、〈衆生のために仏道を求むる人を、菩薩と申すなり〉とあります。
 [不二の摩訶衍] には、〈ただ自ら出離する道を求めて、他を益する心なし。この故に同じく小乗心と名づく。衆生を利益せんために、大乗の道を求むるをば、菩薩と号す〉とあります。自分だけで他を益する心がなければ小乗であり、衆生を益する道を求めるのなら大乗であり菩薩だといえるというのです。

 

 第二項 臨済宗の中巌円月
 中巌円月(1300~1375)は南北朝時代の臨済宗の僧です。
 『中正子』では、〈道の大端は二あり、曰く天、曰く人。天の道は誠なり、人の道は明なり。それ惟だ誠明の体に合すれば、中なり、正なり。正なるものは道に遵って邪ならず。中なるものは道に適って偏せず〉とあります。道には天と人とがあるとされています。それを踏まえて、〈聖人の道は大なり。仁義なるのみ〉と語られています。そのため、〈仁義は天人の道か。天の道は親を親とす。人の道は尊を尊とす。親を親とするの仁は信に生ず。尊を尊とするの義は礼に成る。天人の道殊(こと)なると雖も、推してこれを移せば一なり。これを一にするは、知と謂ふべきかな〉とあり、天の道と人の道の違いが述べられています。天は親しむべきを親しむのに対し、人の道は尊ぶべきを尊ぶのです。親しむという仁は信じることから生じ、尊ぶという義は礼によって成ります。天の道と人の道とは異なるといいますが、推し進めるなら一つのことです。これらを一つとするのは知識だとされています。
 また、経権の道についても述べられています。〈経権の道は、国を治むるの大端なり。経は常なり、変ずべからざるものなり。権は常にあらざるなり、長ずべからざるものなり。経の道は秘吝すべからず、これを天下の民に示して可なり。権なるものは経に反きてその道に合ふものなり。反きて合はざれば、権にあらざるなり〉とあります。経は永遠不変の常道で真理のことです。経はけちってしまっておくのではなく、広く民に開示すべきものだと語られています。権は臨機応変の方策のことです。権は常に妥当するものではないので、ひき延ばして恒久化してはならないと語られています。権は経に背いているように見えますが、道に適っているとされています。道に適っていなければ権とは言えないというのです。
 また、沿の道と革の道という言葉も見えます。〈凡そ四時の用たる、春は生じ夏は養い、秋は殺し冬は静なり。静なるが故に能く生ず生ずれば養う。これすなはち沿の道なり。既に生じ既に養ひてこれを殺す、これ革の道なり〉とあります。沿は踏襲・保守の意で、因と同じです。革は変革のことです。改革の道についても言及があり、〈中正子曰く、改革の道は、疾く行ふべからず〉と語られています。いわゆる漸進の思想です。

 

 第三項 臨済宗の抜隊得勝
 抜隊得勝(1327~1387)は臨済宗の僧です。
 『塩山和泥合水集』では、〈ココロザシ深キ時ハ、文字ヲシル人ハ、シルトコロヲ道ノタヨリトシ、知ザル人ハシラザルヲ道ノタヨリトス〉とあります。志が深いならば、文字を知る人は文字を知ることによって道の便りを得、文字を知らない人は文字を知らないことをもって道の便りとすると語られています。

 

 第四項 浄土真宗の蓮如
 蓮如(1415~1499)は室町中期の浄土真宗の僧です。浄土真宗と本願寺は親鸞の子孫によって細々と守られていましたが、蓮如が宗旨を平易な文で説く『御文(おふみ)』を使って布教を行い、門徒派を組織化して勢力の拡大に成功しました。
 『御文』には、〈善知識にあひてそのをしへをうけて、この南無阿弥陀仏の名号を南無とたのめば、かならず阿弥陀仏のたすけたまふといふ道理なり〉とあります。善知識とは、人々を仏の道へ誘い導く高徳の僧のことです。その仏道に励む人に会って教えを受け、南無阿弥陀仏を唱えれば、阿弥陀仏が助けてくれるという道理が語られています。
 また、〈浄土真宗トヲカルゝコトハ、浄土宗四ヶ流ニハアヒカハリテ、真実ノ道理アルガユヘニ、真ノ字ヲヲカレテ浄土真宗ト定メタリ〉とあります。真実の道理ゆえに、真という文字を置いて浄土真宗と定めたと語られています。

 


第七節 近世仏教
 近世においても仏教の流れは受け継がれ、仏の道について語られています。

 

 第一項 日蓮宗の日奥
 日奥(1565~1630)は安土桃山・江戸初期の日蓮宗の僧です。
 『宗義制法論』では、〈それ世間と出世、その道、異なるといへども、倶に法度を以て、最も要枢となす。法度にあらざるよりは諸道立つことなし〉とあります。世間と出世とは、俗世間と出世間のこと、あるいは俗人と僧侶のことです。どちらの道でも法度が重要だと述べています。また、〈それ仏法を習はん人は、先づ五常の道を学んで、世間の義理を知るべし。しかる所以は、仏法は至つて深く、人の智は極めて浅し。故に先づ世間の道を知れば、仏法に入り易し〉と語り、日常と仏教を結びつけて論じています。世間の道を知れば、仏法にも入りやすいとされています。

 

 第二項 臨済宗の沢庵
 沢庵(1573~1645)は江戸初期の臨済宗の僧です。
 沢庵の『不動智神妙録』には、〈今少し能く知れば、凡夫の信ずるにても破るにてもなく、道理の上にて尊信し、仏法はよく一物にして其理を顕す事にて候。諸道ともに斯様のものにて候〉とあります。諸々の道は、道理の上で尊び信じ、そこにおいて理をあらわすのです。そこでは、〈仏と衆生と二つ無く。神と人と二つ無く候。此心の如くなるを、神とも仏とも申し候。神道、歌道、儒道とて、道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候〉と語られています。道に違いはなく、心の明らかなるところを道と述べているのです。
 『玲瓏集』では、〈欲念を離れて岩木の如くにては、万事を作す事ならざる也、欲をはなれすして、無欲の義に叶ふは道也〉とあります。欲望を離れるといっても、岩や木のようになってしまえば何もできません。欲をただ離れるのではなく、義に叶うために無欲になるのが道だとされているのです。

 

 第三項 臨済宗の盤珪永琢
 盤珪永琢(1622~1693)は、江戸時代前期の臨済宗の僧です。
 『盤珪禅師語録』には、〈孝の道に叶へば則佛心でござる〉とあります。仏のこと以外にも、〈侍は常に義理を第一といたし、一言にても相違あればとがめ、間のぬからぬ所が、侍の道でござる〉と述べていたり、〈商ひの道にて利を得まするは、我等が一人に限りまする事でもござらぬ〉と語っています。

 

 第四項 浄土宗の大我
 大我(1709~1782)は、浄土宗の僧です。
 著作である『三彝訓』で神儒仏の一致を説いています。彝は、のりで、守るべき教えです。『三彝訓』には〈皇天自ら三道を立て、以て国を治め民を安んずるにおいては、謂ひつべし、至れり尽せりと〉とあります。皇天は、天皇・皇室のことです。三道は神儒仏の三教を指します。近世初期の三教一致論には、儒教・道教・仏教の一致を説くものが多くみられますが、享保頃から以後になると、神儒仏一致を説くものが見られるようになります。

 

 第五項 浄土真宗の仰誓
 仰誓(1721~1794)は、江戸時代中期の浄土真宗の僧です。
 仰誓の『妙好人伝』では、〈いにしへのかしこかりつる跡とひて仏の道にすすめとぞおもふ〉とあります。古の賢人の辿った跡を問うことによって、仏の道に進もうと語られています。

 

 第六項 曹洞宗の良寛
 良寛(1758~1831)は、江戸後期の曹洞宗の僧で歌人です。諸国を行脚し、生涯寺を持たずに隠棲(いんせい)して独自の詩を残しました。
 『良寛道人遺稿』には、〈目前は道に非ず、道は目前〉とあり、自身の方から道を見つけたわけではなく、道の方から目に入ってきたと語られています。その道に対し、〈香を焼(た)いて仏神を請じ、永く道心の固きを願う〉と述べ、道心を強く持つことを願っています。その道については、〈是非は始めより己に因る、道は固より斯の若くならず〉とあります。是非は自分本位ですが、道は決してそんなものではないとされています。そのため、〈仏は是れ自心の作なり、道も亦有為に非ず〉と述べられています。仏は自分の心が造るものであり、道もまた無常ではないと語られているのです。

 

 第七項 浄土真宗の竜温
 竜温(1800~1885)は、東本願寺派京都円光寺の僧です。
 『総斥排仏弁』では、〈別シテ神道ハ吾国ノ大道、儒ハ世間聖人ノ立ルトコロ、吾仏教ニオヰテ、世間教ト同一体ナレバ、聊モソノ道ヲサシテ邪ナリト云ニハ非ズ。ソノ道ノ正意ヲ伝ズシテ、熾ニ仏法ヲ憎嫉スル徒類ハ、則チ吾ガ法城ヲ破ントスル怨敵ナリト謂ベシ〉とあります。神道は日本の大道であり、儒教は世間の聖人の立てるところであり、仏教は世間の教えと同じなので、仏教を邪ということはできないと述べています。道の正しい意味を伝えないで、その道を憎むことは間違いなのだとされています。

 

 第八項 浄土真宗の徳竜
 徳竜(?~?)は東本願寺派無為信寺の僧です。
 『僧分教誡三罪録(1884)』では、〈タヾ王法仁義ノ道ニ順ジテ、此世ヲスゴセヨト教ヘタマフガ、浄土真宗ノ掟ナリ。コノ道理ヲコヽロエザレバ、罪アリナガラ助ルイハレヲ知ルベカラズ〉とあります。浄土真宗の掟として、王法仁義の道にしたがって生を送るべきことが語られています。掟と道の関係については、〈国法ニテモ、スベテ定メオクトコロノ法則ヲ掟ト称ス。掟ハ、道ニソムカヌヤウニ立タルモノナレドモ、仁義孝悌ノ道ハ、百王国ヲ異ニスルトモ、千歳時ヲ隔ツトモ、改ラザルノ道ナリ。掟ハ、其国ニ従ヒ、ソノ時ニ応ジテ、政ヲ改ルコトアリ。故ニ、国家ニアリテハ、其国其時ノ掟ニシタガハズンバアルベカラズ〉と語られています。道は国家を超えて通じるものであり、掟は国家毎に定めたり改めたりするものとして考えられています。

 


第八節 近代仏教
 近代においても仏教の流れは続いていき、仏の道について語られています。

 

 第一項 清沢満之
 清沢満之(1863~1903)は、近代の仏教思想家で真宗大谷派の僧です。東西諸思想に通じ、真宗信仰に新たな地平を開きました。
 『精神主義』において、〈道は近いところにあるのに、迷った人はそれを遠いところに求める。宗教は目前にあるのに、惑った人はそれをほかの物に求める。足もとを見定めることを知らない人は、宗教を知らない世間人である〉とあります。また、〈何が修養の方法であるか。ほかでもない、すべからく自己を省察すべきである、大道を知るべきである。大道を知れば、自己にあるものに不足を感じることはないであろう。自己にあるものに不足を感じなければ、他人にあるものを求めないであろう。他人にあるものを求めなければ、他人と争うことはないであろう。自己に充足して、求めず、争わなければ、天下のどこにこれより強いものがあろうか、どこにこれより広大なものがあろうか〉とあります。そこで、〈絶対他力の大道を確信すれば足りる。それで大道はけっして彼らを捨てないであろう〉と語られています。

 

 第二項 鈴木大拙
 鈴木大拙(1870~1966)は、近代の仏教学者です。
 既成の宗派敵対立場を超えて、禅・浄土・華厳などの大乗仏教の諸思想について幅広く論じました。また、禅を中心に欧米に仏教思想を紹介しました。
 『無心ということ』において、〈それなら道とは何かというに、これは「無心是道」または「道本無心」である。無心を了すれば、そこに自ら道があらわれる。こうなれば、仏は即道これなりと結んでよい。道もと無心、無心是れ道――そして即心是仏、心即無心という連鎖ができ上れば、道即是仏、仏即是道で、いずれも畢竟無心であるという次第にならなくてはならぬ。無心是れ道、無心是れ仏、いずれでもよいから、今かりに道と言っておいて、それですべてを代表させる〉とあります。そこで、〈無心是れ道で、心がなくなれば道もまた無である。そこに心と道と一如の世界が成り立つ。道も心も無の世界で一如となるのである。この一如の場所、身心是道ということができる、また道是れ身心ということができる〉と語られています。
 『日本的霊性』においては、〈禅者の言葉に「平常心是道」ということがある。また「無事於心、無心於事」[心に無事で、事に無心なれ]という言葉があるが、これでなくてはならんのだ。ここには生死ということはないのである。なんでもすべきこと、そのことに成りきれば、無心である。無心であれば、無事である。それが平常心である。そこに道がある。この道さえ踏んでゆければ、非常時には非常時であり、平時には平時である〉とあります。

 

 

 

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