『日本式 正道論』第九章 政道


 政道とは、日本の政治分野における歩みのことです。

 北畠親房(1293~1354)の『神皇正統記』には、〈オヨソ政道ト云コトハ所々ニシルシハベレド、正直慈悲ヲ本トシテ決断ノ力アルベキ也〉とあり、政治の道における決断の重要性を説いています。黒田長政(1568~1623)の『黒田長政遺言』には、〈先我身ノ行儀作法正シクシテ、政道ニ私曲ナク、万民ヲ撫育スベシ〉とあります。松平定信(1759~1829)は『政語』で、〈人の行ふべき、之を道と謂ひ、人の道に(したが)ふ、之を政と謂ふ〉と述べています。日本の政道においては、政治の「道」の伝統が展開されています。そこには日本人の根本規範が示されていると思われます。

 日本における政道の系譜は、『十七条の憲法』に始まり、『大宝律令』を通り、『御成敗式目(貞永式目)』や『武家諸法度』を介して、『五箇条の御誓文』に続き、『大日本帝国憲法』に至ります。また、文部省が編纂した『国体の本義』や『臣民の道』があります。この一連の系譜から、日本人の規範意識が見えてくるはずです。

 本章では、日本憲政上の重要文献から、日本における政治の「道」を見ていきます。




第一節 十七条憲法

 『十七条憲法』は、『日本書紀』に皇太子の作成とする記述があることから、聖徳太子の作とする伝承があります。儒教・仏教・法家・老荘思想などからの影響が見られ、君臣の秩序・政治倫理・社会道徳などについて広く記されています。

 [一条]の〈和をもって(とうと)しとし〉という言葉はあまりにも有名です。〈(かみ)(やわら)(しも)(むつ)びて、事を(あげつら)うに(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん〉とあり、話し合いの重要性が述べられています。

 [五条]には、「臣の道」が語られています。〈餮(あじわいのむさぼり)を絶ち、欲(たからのほしみ)を()てて、明らかに訴訟(うったえ)(さだ)めよ〉とあります。

 [十五条]でも、〈(わたくし)(そむ)きて(おおやけ)()くは、これ臣の道なり〉とあります。そのためには、〈上下和諧(わかい)せよ〉と記されています。

 [十七条]では、〈それ(こと)はひとり(さだ)むべからず。かならず衆とともに(あげつら)うべし〉とあります。重要なことは一人で決定せずに、多くの人々と議論すべきだというのです。そうするならば、〈衆と(あい)(わきま)うるときは、(こと)すなわち(ことわり)を得ん〉というのです。つまり、多くの人々とともに是非を論じるなら、物事が理に適うようになると示されているのです。




第二節 大宝律令

 『大宝律令』は、日本で701年もしくは702年に施行された国家統治の根本法典です。天皇の命令であるとともに、天皇も遵守すべき規範とされていました。

 律令制には、〈五畿七道〉の定めがあります。これは畿内をのぞく全国を東海道など七つの行政区劃に分けたものであり、道は地理的な領域の意に用いられています。これ以降、道の用法は、地理的領域から人間の営みの領域へも移っていきます。




第三節 御成敗式目(貞永式目)

 『御成敗式目』は、五十一箇条からなる鎌倉幕府の基本法典で、貞永式目や関東武家式目などとも呼ばれています。執権北条泰時を中心に1232年に制定されました。武家社会の道理に基づいて作成されています。

 文章中には、〈道理なきによつて御成敗を蒙らざる輩、奉行人の偏頗たるの由訴へ申す事〉とあります。偏頗とは、えこひいきのことです。道理なきことは、えこひいきだということが語られているのです。そのため、〈ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり〉と記されています。道理によって言葉を発すべきであり、そこでは他人の目や権力よりも道理が優先されるべきことが明記されています。




第四節 武家諸法度

 『武家諸法度』は、江戸時代の将軍が武家に対して発した法令です。初令は1615年に徳川家康が起草させ公布しました。

 道について見てみると、[台徳院]には〈文武弓馬之道、専ら相嗜む可き事〉とあり、〈凡そ治国の道、人を得る在り〉とあります。

 [文照院]では〈文武之道を修め、人倫を明かにし、風俗を正しくすべき事〉が語られています。




第五節 五箇条の御誓文

 『五箇条の御誓文』は、明治元年の1868年に公布された維新政権の施政理念です。国内の公議輿論と、国外の開国和親を表明したものです。

 [第四条]には、〈旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ〉とあり、「公道」について言及されています。また、五箇条の後に、明治天皇が群臣に向けて下した勅語があります。そこには、〈我が國未曾有の変革を為んとし、朕躬を以て衆に先んじ、天地神明に誓ひ、大に斯国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆亦此旨趣に基き、協心努力せよ〉とあり、「万民保全の道」が語られています。




第六節 大日本帝国憲法

 『大日本帝国憲法』は、1889年に黒田清隆内閣のときに公布された欽定憲法です。君主権の強いプロイセン憲法を模範とする基本方針の基、伊藤博文や井上毅などが憲法起草に関わり完成しました。

 『大日本帝国憲法』の[告文]には、〈皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益々國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ增進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆〉とあります。「臣民翼贊ノ道」という言葉が見られます。

 伊藤博文の『憲法義解』の[第十六条]では、〈恭て按ずるに、國家既に法廷を設け、法司を置き、正理公道を以て平等に臣民の権利を保護せしむ〉とあり、「正理公道」が語られています。[第五十五条]では、〈大臣政事の責任は獨り法律を以て之を論ずべからず。又道義の関る所たらざるべからず〉とあり、「道義」が語られています。[第五十九条]では、〈裁判官をして自ら其の義務を尊重し正理公道の代表と為らしむるは、蓋し亦公開の助に倚る者少しとせざるなり〉とあり、ここでも「正理公道」が語られています。




第七節 国体の本義

 『国体の本義』は、日本の国体を明らかにするために、1937年に当時の文部省が学者たちを集めて編纂した書物です。

 まず国体については、〈大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である〉と明記されています。そして、〈臣民の道は、皇孫瓊瓊杵ノ尊の降臨し給へる当時、多くの神々が奉仕せられた精神をそのまゝに、億兆心を一にして天皇に仕へ奉るところにある〉と示されています。瓊瓊杵ノ尊(ににぎのみこと)とは、天照大神の孫であり、日向(ひむか)の高千穂峰に降った天孫降臨の神様です。

 [結語]においては、〈我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ〉と語られています。




第八節 臣民の道

 『臣民の道』は、臣民の道を日常生活の中で実践するために、1941年に文部省教学局より刊行された著作です。

 まず[序言]で、〈皇國臣民の道は、國體に淵源し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常實踐の道であり、國民のあらゆる生活・活動は、すべてこれ偏に皇基を振起し奉ることに歸するのである〉とあります。

 [臣民の道]ではさらに詳しく、〈天皇へ隨順奉仕するこの道が臣民の道である〉と語られています。具体的には、〈即ち臣民の道は、私を捨てて忠を致し、天壤無窮の皇運を扶翼し奉るにある〉と説明されています。

 また、[皇國臣民としての修練]には、〈道は發して敎となり學となる。學は道を生活の各領域に於いて認識し把握する所以のものであり、數は學をその内容として道を具現するものである。故に敎と學、知と德とは道に於いて一如たるものである〉とあります。道そのものについて説明されているのが分かります。




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