『日本式 自由論』第四章 江戸時代


 江戸時代の文献には、自由の文字がたくさん記されています。その数は膨大であり、全てを示すことは不可能ですが、有名な人物の作品の中から、いくつか自由の用例を江戸の前期・中期・後期に分けて見ていきます。

第一節 前期・寛永文化

 江戸前期および寛永文化における自由の用例を見ていきます。



第一項 沢庵

 江戸初期の臨済宗の僧である沢庵(1573~1645)の『不動智神妙録』には、〈一所に定り留りたる心は、自由に働かぬなり〉や〈稽古、年月つもりぬれば、心を何方へ追放してやりても、自由なる位に行く事にて候〉とあります。これは精神の内面における心理状態の自由です。『澤菴和尚書簡集』には、〈文字之力自由に御座候〉とあり、文章能力があることが自由として語られています。また、〈行歩不自由〉とあり、ある環境に適応した身体能力があることが自由として語られています。



第二項 鈴木正三

 鈴木正三(1579~1655)は禅僧で仮名草子作者です。『萬民徳用』には、〈商人なくして世界の自由成べからず〉とあります。これは商売という自由が商人によって可能になるということです。そこでは、〈売買の作業は、国中の自由をなさしむべき役人に天道よりあたへたまふ所也と思定て、此身は天道に任て得利を思念を休、正直の旨を守て商せん〉と述べられています。商人は、環境に対応するための自由を役人を通して天道から与えられると思い、利益よりも正直を守って商売すべきだと語られています。環境対応の自由は、具体的には〈通路自由〉や〈渡世のいとなみ品々自由〉とあり、人的および物的な空間的移動の自由を意味しています。武士については、〈己が心に勝ち得る〉こととして、〈万事に勝ちて、物の上と成て自由なり〉と語られています。心理状態の自由が、身体状態・共同関係・環境対応の自由とつながることが語られています。

 同じく鈴木正三の『驢鞍橋』にも、たくさんの自由が語られています。〈各々もなにとも思わず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習わるべし。なる程強き心を用いずして叶べからずと也〉や〈自由に死程に成たさに修する也〉、〈心を自由に使ふて、世界の用に立が正法也〉や〈自由に舞べき心有〉などは、心理状態において自由があるということです。心理状態の自由な力があれば、為すべきことを為すことができ、死ぬべきときに死ぬことができるというのです。また、金銭的なことにおいて、〈自由に使ふ事はならず〉と、共同関係における自由の用例もあります。〈我法も武勇には自由に使るべしと思ふ也〉や〈何と自由に書出す人あらんや〉も、共同関係の自由です。〈若し外道中中我手裡殺活自由也と云て、殺しも仕、放ちも仕たらば、でかい佛の耻也〉とあるのは、共同関係における我儘勝手な否定的な自由です。〈智勝ト者、萬法の上と成て、萬事を使ふて自由の義なり〉は、知識がある人は全ての法則の上で物事を使うことができるとの意味で、内面的な自由が外面的な自由につながることが語られています。〈修行の功にて、世間を次第に自由に使ふ也。佛法なくして世間自由に使るべからず〉というのも同様です。仏法により、世間を容易に渡ることができる自由です。〈我執さゑ切れば、萬念に勝て自在也。苦楽ともに何ともなし〉は、心理状態の自由であり、〈無我の心に到て、私なく物に任て自由也〉も同様です。〈只道理を以て、自由に成様に計り教ゑ來れり〉は、自由が道理に基づいており肯定されています。



第三項 宮本武蔵

 宮本武蔵(1584~1645)の『五輪書』には、〈一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也〉とあり、外面における自由が語られています。また、〈兵法の道に、おのれと自由ありて〉とは、兵法の道に基づいた自らに由ることであり、肯定的な自由です。〈両手に物を持つ事、左右共に自由には叶ひがたし〉では、左右両手を思いのままに振ることが至難な業であることが意味され、身体状態の自由が語られています。〈太刀の道を知るといふは、常に我さす刀をゆび二つにてふる時も、道すぢ能くしりては自由にふるもの也〉や〈おもき太刀自由にふらるゝ所也〉というのも同様に、身体状態の自由です。〈兵法自由の身になりては、敵の心をよく計りて勝つ道多かるべき事也。工夫有るべし〉とあるのは、共同関係の自由であり、〈敵を自由にまはさんと思ふ所、我は将也、敵は卒なり。工夫あるべし〉とあるのは、環境対応の自由です。



第二節 中期・元禄文化

 次は、江戸中期および元禄文化における自由の用例を見ていきます。



第一項 中江藤樹

 中江藤樹(1608~1648)の『翁問答』には、いくつか共同関係における「自由」の用法があります。〈文のよみかき自由にせざるはなし〉や〈文字之力自由に御座候〉とあり、文章の読み書きの自由が語られています。また、〈大軍を自由自在にとりまはし武略をめぐらし〉とあるのも、大軍を自分の思うがままに動かして戦略を立てる共同関係の自由です。〈才とは武略かしこく人数を自由自在にとりまはし〉とあり、多数の人を自分の思うがままに動かす自由が示されています。



第二項 熊沢蕃山

 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈政の才ある人を本才と申候。其人に学あれば、国・天下・平・治仕候。本才ありても学なければ、やみの夜にともし火なくして行がごとくにて候。しかれども、ありきつけたる道なる故ありき候。されど、前後左右を見ひらきて自由のはたらきはならず候〉とあります。共同関係における自由が、環境対応における自由で例えられて論じられています。続いて、〈才知なくして学ある人の政をするは、盲者の昼ありくがごとくにて候〉とした上で、〈不自由にても、みづから見てありくと、見ずしてありくとは、見てありくはまさり申すべき候〉とあるのも同様です。



第三項 徳川光圀

 水戸藩主である徳川光圀(1628~1700)の『徳川光圀教訓』には、〈大兵は三四尺之刀をも自由に振廻し〉とあり、身体状態の自由が語られています。



第四項 盤珪永琢

 臨済宗の僧である盤珪永琢(1622~1693)の『盤珪禅師語録』には、〈只生じたる體を一心が家といたして、住まするによつて、其内はものを聞、香をかぎ知り、物いふ事の自由なれども、かりあつめ生じたる此體が滅しますれば、一心の住家がなく成ますゆへに、見聞物いふ事ならぬまでの事でござる〉とあります。心が体という家に住んでいれば、自由に動かせるというのです。心理状態の自由が、身体状態の自由に繋がることが示されています。それゆえ、〈自由に道をあるきます〉ということが可能になるのです。

 また、〈行さきが不自由にござつて、道中も人が宿を借せば、有がたく〉とあるのは、環境対応における不自由です。〈自由に問たがよふでござる〉というのは、言論における共同関係における自由です。

 盤珪が、〈日本の平話で結句よふ自由に問れて相すむに、間にくひ語で問ふは、下手な事でござる〉と述べている箇所は、漢文の語録にもとづく漢語の問答に反対し、日本語でしかも平話で問答すべきことを説いています。つまり、〈自由な平話で問ふて、埒明さつしやれい〉というわけです。日本語で分かりやすく話せば、問題が生じることもなく、意味も明らかに分かるようになるというのです。



第五項 貝原益軒

 貝原益軒(1630~1714)の『和俗童子訓』では、〈筆のはたらき自由〉と共同関係の自由が肯定すべきものとして語られています。しかし、〈物ごとゆたかに、自由なるゆへに、このむかたに心はやくうつりやすくして、おぼれやすし。はやくいましめざれば、後にそみ入ては、いさめがたく、立かへりがたし〉と言うとき、その自由は共同関係において戒めるべきものとして語られています。

 また、共同関係における自由は、『大和俗訓』においても、〈富貴なる人は、ひとにほどこしすくふこと自由にして、ひろく行ひやすし〉と例が挙げられています。



第六項 井原西鶴

 井原西鶴(1642~1693)は江戸前期の浮世草子作者で俳人です。西鶴の作品の中には、自由という言葉が数多く語られています。その中でも特筆すべきこととして、『日本永代蔵』では「万事の自由」と「万物の自由」が語られています。前者は、〈諸大名には、いかなる種を前生に蒔き給へる事にぞ有りける。万事の自由を見し時は、目前の仏というて又外になし〉とあります。後者は、〈世に舟あればこそ、一日に百里を越し、十日に千里の沖をはしり、万物の自由を叶へり〉とあります。

 また、『本朝二十不幸』では、〈銀(かね)程自由なる物はなし〉とあり、『好色一代男』でも、〈金銀をちりばめ。自由を仕懸〉とあります。金に関わる共同関係における自由が語られています。『好色一代女』では、〈立つ事、不自由なり〉とあり、身体状態の自由について述べられています。



第七項 西川如見

 天文地理学者である西川如見(1648~1724)の『町人囊』には、〈或人の云、よろづの事、余りに自由なるはよからぬ事也。近代は物事巧みに自由なる物多く出来たりといへ共、人間はむかしの実儀に及ぶ事なし。古の人は無欲実儀にして、世智弁にたくみ成事なし〉とあります。実儀とは実体なことで、世智弁とは小才をきかすことです。共同関係や環境対応において、あまりに自由すぎることに警鐘を発しています。



第八項 佐藤直方

 佐藤直方(1650~1719)の『学談雑録』には、〈タトヘバ人ノ路ヲ行ニ、左ノ足バカリニテモ右ノ足バカリニテモ行レズ。異端ハ片足デ行ト云タモノナリ。然レドモユカレヌユヘニ、一方ノ足ノ代リニ木カ竹ニテ足ヲコシラヘタレドモ、後ニ附タ仮リモノナレバ、根本ノ足ノヤウニハタラカレズ、不自由ナリ。ココガ理ノ似セモノナリ。儒ノ方ニ不自由ナルコトハナシ〉とあります。肉体的な自由の例を用いることにより、精神的な自由を論じています。



第九項 向井去来

 俳人である向井去来(1651~1704)の『去来抄』には、〈和歌優美の上にさへ、かくまでかけり作したるを、俳諧自由の上に、ただ尋常の気色を作せんは、手柄なかるべし〉とあります。趣向を働かせて自らに由った表現を生命とする俳諧においては、平凡な景色を詠むだけでは作者の手柄はないというのです。



第十項 浅見絅斎

 浅見絅斎(1652~1711)の『絅斉先生敬斉箴講義』には、〈耳デ聞ト云モ、是ガキカス。手ガ動ト謂テモ、手計ガ自由ニ動ク物デナシ。足デ歩ムモ、足ガヒトリ自由ニアルク物デナシ〉とあり、それに対し、〈日用万事全体、心ノ為業、心ノ動クナリ〉と語られています。肉体の自由は、心に由ることが示されています。



第十一項 山本常朝

 佐賀藩士である山本常朝(1659~1719)の『葉隠』では、〈毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりてゐる時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり〉とあります。常に死と一つになり切っている時に、武道に基づいた自らに由る境地となり、為すべきに定められた職務を果たせるというのです。



第十二項 服部土芳

 俳人である服部土芳(1657~1730)の『三冊子』には、〈中頃、難波の梅翁、自由をふるひて世上にひろしといへども、中分以下にして、いまだ詞を以てかしこき名なり〉とあります。中堅どころに難波の西山宗因という人がおり、自らに由って作品を広めていますが、力量は中以下であり、言葉遣いのうまさで評価を得ているというのです。また、〈高く位に乗じて、自由をふるはんと根ざしたる詞ならんか〉とあります。自らに由ったことに根差した作人は、高い句境や句位を獲得してはじめて得られるというのです。



第十三項 荻生徂徠

 荻生徂徠(1666~1728)の『鈐録』には、〈習伝授有て畢竟の処士卒をよく修練させて、如何程の大勢にても手もつれなく自由に取てまはし乱れさる様にする仕形なり〉とあります。また、〈下知迅速ニテ手モツレナク分合自在ナリ〉ともあります。どちらも身体状態の自由が語られています。また、同じく荻生徂徠の『政談』では、〈自由便利ナルコト言計リナシ〉や、〈店替ヲ自由ニシ、他国ヘモ自由ニ行キ、他国ヨリ来リ其所ニ住コト自由ナレバ、日本国中ノ人入乱レ、混雑シ〉とあります。〈出入自由ニナル也〉ともあります。これは外面における共同関係や環境対応の自由です。



第十四項 太宰春台

 太宰春台(1680~1747)の『経済録』では、〈掌ニ握タルガ如クニ自由ヲナスハ、党ヲ結ブト、駅使ノ往来便利ナルトノ故也、茲ニ至テハ、上ヨリ厳令ヲ出シ、刑罰ヲ立テ威セドモ、如何トモスベキ様ナシ〉とあります。共同関係の自由を、身体状態の自由で例えています。また、〈利権トイフハ、物ノ利ヲ自由ニスル権利ナリ〉ともあります。ここでは共同関係の自由が、環境対応の自由につながることが示されています。



第十五項 石田梅岩

 石門心学の始祖である石田梅岩(1685~1744)の『斉家論』には、〈士農工商をのれをのれが業に心をいるれば、何の不自由なきやうにとの御仁政〉とあります。各職業において各々が役割を果たすなら、共同関係において不自由のない世の中になるというのです。『莫妄想』では、〈言語ヲ以テ自由ヲナシ、手ニ持、足行テ自在スル〉とあり、精神の自由と肉体の自在が語られています。身体状態の自由については、〈眼耳鼻ヨリ手足ニ至迄斯ノ如ク自由スル事ハ、目ニ見ト謂モ目ニ見ル所以ナシ〉とあります。身体を自由にしていることは目に見ることができますが、その基となる所以は目には見えないというのです。また、〈眼耳鼻ヨリ手足ノ自由スルハ唯自由スル事ニ候哉。亦自由サスル所以ノ者有リヤ如何〉とあり、身体を自らに由るようにすることはただ自由にすることであり、その自由にさせる基となる所以は何かと問うています。

 『都鄙問答』では共同関係における親孝行の面より、〈親ニ不自由ヲサセマジキ為ナリ〉とあります。また梅岩の思想では儒仏神道が渾然一体となっていますが、神道については、〈天神地祇は如斯、自由ナル御神ナリ。ソノ自由ノ口ヨリ生ズルユヘニ、生ズル物モ又自由ナリ〉とあります。神は自ずからなる神であり、その神より生じた物もまた、自ずからなるというのです。



第十六項 室鳩巣

 室鳩巣(1658~1734)の『鳩巣先生文集』には、〈人となれば自由ならず、自由は人をなさず〉とあります。この言葉が意味するところは、〈安んぞ自由にして悪に流れざるものあらんや〉とあるように、自分が由って立つところが自分自身の判断だけならば、悪へと流れてしまうという考え方に立脚しています。自らが由るところが、自分を超えた善であるならば人間であると言えて、自分自身でしかないなら悪になり人間とは言えないということです。ですから、〈一つの自由は凶刃となるの端なり。一つの不自由は吉人となるの端なり〉と語られているのです。

 同じく室鳩巣の『駿台雑話』には、〈むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇て天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一且は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶる事、古今歴々として、そのためしすくなからず〉とあります。天道は、人間の力でどうとでもなるという考え方を否定しています。逆に、自分の判断が天道に由っているなら、それは聖人の心だというのです。ですから、〈聖人の心のとまる所は自由を得て廻る事、ものゝ掌にあるがごとし〉とあり、天道に基づいた自らに由る自由が肯定されているのです。室鳩巣の述べていることは、自分が何に基づいているかを述べていない自由は、自分自身の価値判断にのみ基づいている自由であるから、否定すべきだということです。聖人は、天道に基づいていますから、その自由は善きものに基づいている自由なので肯定されているのです。



第十七項 横井也有

 江戸中期の俳人である横井也有(1702~1783)の『鶉衣』には、〈さるを聖人も右の袂の自由を物ずけり〉とあります。孔子も右手の自由のため、わざわざ右の袂を短くしたことが語られています。肉体における身体状態や環境対応の自由です。

 俳人である蕪村(1716~1783)の『むかしを今』の序に、〈予、此一棒下に頓悟して、やゝはいかいの自在を知れり〉とあります。蕪村は俳諧の自在、つまり心のままなる世界を知ることができたというのです。また、『洛東芭蕉庵再興記』には、〈されば詞人吟客の相往来して、半日の閑を貪るたよりもよく、飢をふせぐまうけも自在なるべし〉とあります。この自在は、食事の支度をするのも望みしだいという意味です。



第十八項 三浦梅園

 三浦梅園(1723~1789)の『三浦梅園集』には、〈天下の勢をとる事を権柄といへり。権とは秤の錘なり。柄とは其錘を自在によくつり合はするなり。今衡は持すれども、懸る者の軽重を秤錘をもて自由にする事あたはずんば、権柄を何にかせん〉とあります。天下を取るには、平衡が大事であり、その平衡は自らに由って取らないでどうするのか、と語られています。



第三節 後期・化成文化

 最後に、江戸後期および化政文化における自由の用例を見ていきます。



第一項 中沢道二

 心学者である中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』では、〈肝心の死ぬる事さへおれが自由にならぬもの〉と語られています。中沢道二は、死ぬということでは自由にならず、身体面で動くことでは自由になると考えています。例えば、〈天の心で育て上られ、次第々々に成人するほど、見たり聞いたり、飛んだりはねたり、自由自在が出来るものゆへ〉とあります。大人になるにつれ、天の心によって身体状態を自由に制御できるようになるというのです。そこでは、〈天徳が備はりて有る故、見聞覚知の自由が出来る〉とあり、天の徳に基づいて見る・聞く・覚える・知るという自由が可能になると言います。さらには、〈世界中が心じやによつて、自由が出来たものじや〉とあるように、世界に心があることにより自由が可能になると言い、〈互に道があつて和合するから、萬事萬端用も足り自由ができる〉と語られています。



第二項 本居宣長

 国学者の本居宣長(1730~1801)の『秘本玉くしげ』には、次のように自由が論じられています。



 交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほど、国のためにも、民間のためにも自由はよきもの也。然れども、惣じて自由のよきは、よきほど損あり。何事も自由よければ、それだけ物入多く、不自由なれば物入はすくなし。然るに今の世は、人ごとに我おとらじとよきものをのぞみ、自由なるうへにも、自由よからんとするから、商人、職人、年年月月に、便利よく自由なる事、めづらしきものなどを考へ出し、作り出して、これを売ひろむるゆゑに、年年月月に、よきもの、自由なるもの出来て、世上の物入は、漸漸に多くなること也。すべて何事も、今までなければなくて足りぬる事も、あるを見ては、無が不自由に覚え、又今までは麁相なる物にてことたれるも、それより美物出れば、麁相なるは甚わろく思はるる故に、次第次第に事も物も数数おほくなり。美麗になりゆくこと也。かくて事も物も一つにても多くなり華美になれば、それだけ世話も多く、物入は勿論おほき也。これみな、世中の奢りの長ずるにて、畢竟は困窮の基となることぞ。



 宣長が論じている自由は、商人によって可能となる共同関係における自由です。その自由について、必要性を認めた上で、自由すぎるときに弊害が起こることが指摘されています。例えば通貨については、〈此金銀通用始まりては、甚世上の便利にして、尤自由よろしき事也、さて通用の金銀は、随分多きほど便利にして自由は宜しき也、然れ共、それに付て又失ある事多く、返て世上の困窮に及ぶ基ともなる也〉と述べられています。金銀の流通が多くなれば、それ故に便利になりますが、その過剰供給ゆえに問題が起こることもあるというのです。宣長は、〈自由便利になるにつきては、其失も甚多けれ共、年久しく馴来りたる事なれば、此ならひは、俄には改めがたし〉と言い、自由の領域が大きくなるにつれて多くを失いますが、馴染みのあるものを改めるのは困難だと考えています。



第三項 杉田玄白

 蘭方医である杉田玄白(1733~1817)の『蘭東事始』には、〈当時は其人々の門人なれば同道し給へる事も自由なり〉とあり、共同関係における自由が語られています。




第四項 山片蟠桃

 商人の山片蟠桃(1748~1821)は、『夢の代』で商人の商売について、〈不自由ナルコト云ベカラズ。ナンゾ天下ノ万民コレヲ守ランヤ。ユヘニ国々ニ隠慝ノコトアリトイヘドモ、一々禁ズルコトアタハズ〉と述べています。たとえ隠れた悪事があったとしても、政府が介入してはいけない民間の商売の領域があるというのです。



第五項 海保青陵

 儒学者で経済学者でもある海保青陵(1755~1817)の『経済話』には、〈上に権なふて、下に権あるなり。下に権あるとは、下が上の御自由にならぬ也〉とあります。下々に臨機応変に対応する構えがあるとき、政府が自由に民衆を支配できないというのです。

 『富貴談』には、〈同格なるものを自由自在にせんとする事、ちからの勝たる事也〉とあり、同格の者同士で相手を意のままにするには、力で勝つことが必要だと語られています。

 『洪範談』には、〈己れが心でさへ己れが自由にはなりかぬるものなり。左れば他人を自由にせんとするは無理なる事なり〉とあり、心理状態の自由が難しいため、共同関係における自由も難しいことが述べられています。また、〈事物を己れが自由自在にとりまわすは、自由になるべきものを自由にするなり、自由になるまじきものを自由にするにてはなし〉ともあります。これは、そもそも自由にするということは、自由にできる可能性があることが対象であり、自由が不可能なものは対象外だということです。他にも、〈聖人はなんでも知りており、何事をも自由にするものなり〉や、〈智がくわしいゆへに、万物をつかふ事が自由になるゆへなり、天理にあるだけの事は自由になる理なり〉とあり、知識によって、自らに由ることができるという考え方が見られます。

 『天王談』には、〈天下の人はみな天より生を受けて居るゆへに、人は人の自由にはならず、理の自由になること也〉とあります。つまり、人間は天より生を受けるがゆえに、自分自身に基づくのではなく、理に基づいているというのです。

 『善中談』には、〈智民が愚士を自由自在に欺く〉とあり、知恵のある者が、知恵のない者を好きにできるという共同関係における自由が語られています。



第六項 大蔵永常

 江戸時代の農学者である大蔵永常(1768~1861)の『広益国産考』には、〈農家にて漉立てても捌口不自由にては益と成らざれば〉とあり、〈板にて造りたるものを下駄のごとくはき、深田に入りて自由に働くなり〉とあります。環境対応の自由についてであり、道具がうまく動かないときの不自由と、うまく作用するときの自由が語られています。



第七項 柴田鳩翁

 心学者である柴田鳩翁(1783~1839)の『続鳩翁道話』には、〈この本心は手まえ勝手にこしらえたものではなく、則ち天より禀得ましたもので、仁義礼智信の徳をそなえ、親にむかえば孝、主人にむかえば忠、兄弟仲よう、夫婦はむつまじう、朋友には真実のまじわり、何ひとつ不自由なことなく、物に応じて自在なるゆえ、明徳とも申します〉と語られています。簡単に言えば、皆のおかげで不自由せずに自在でいることができるということです。また、〈つかんだものをはなしさえすれば、自由自在に、手はぬけるものを、一度つかんだら、首がちぎれても離すまいと、かた意地なうまれつき、それで自由自在の、大安楽ができぬのじゃ〉とあります。ここでは、心理状態が身体状態の自由に影響することが示されています。『続々鳩翁道話』では、〈道とは自由自在のできるという名じゃ。無理すると自由自在はできぬ。無理のない本心にしたがえば、自由自在で安楽にござります。これを道と申しまする〉とあります。道は、自らに由っているというのです。また、〈人と道と合せものではござりませぬ、道は性にしたがうの道で、うまれつきのとおりにするのが道じゃ。道のほかに物なく、もののほかに道はござりませぬ。また古人の説に、心は道なり、道は天なりともみえまして、心をしれば道をしります、道をしれば天をしります。これをしれば、天人一致、万物一体の道理がしれます。よしまたこの道理はしらいでも目は見る、耳はきく、手はもつ、足はゆく、訳を知ったもしらぬも、生れつきの道じゃによって、自由自在にできまする〉と語られています。道理に基づいて、自由が可能になるというのです。







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