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第一部『第三章 日本史における「自由」』

【目次】
第一節 奈良時代・平安時代
 第一項 六国史
 第二項 天平文化
 第三項 平安仏教
第二節 鎌倉時代
 第一項 『御成敗式目』
 第二項 『吾妻鏡』
 第三項 鎌倉文化
 第四項 鎌倉仏教
 第五項 軍記物語
第三節 室町時代・安土桃山時代
 第一項 中世仏教
 第二項 戦国時代
 第三項 桃山文化
第四節 江戸時代
 第一項 江戸前期・寛永文化
 第二項 江戸中期・元禄文化
 第三項 江戸後期・化成文化


『第三章 日本史における「自由」』
 本章では、日本史の時代区分ごとに、日本人が書き記した文書中の「自由」の使用例を見ていきます。江戸時代までの日本の自由を見ていくと、第一章で示した自由の構造に基づいて用いられていることが分かります。

 

第一節 奈良時代・平安時代
 まずは、奈良時代と平安時代における自由です。

 

 第一項 六国史
 奈良・平安時代に編纂された六国史には、自由の用例がいくつか見られます。日本の史書における「自由」は、中国の史書における「自由」の用例が踏まえられています。史書の自由は、王位簒奪者や反逆や専横や犯罪を表現する否定的な意味で用いられています。
 日本最初の勅撰正史である『日本書紀(720)』では、まず[綏靖天皇紀即位前紀]に、〈遂に以て諒闇(みものおもひ)の際(きは)に、威(いき)福(ほひ)自由(ほしきまま)なり〉とあります。ここでの「自由」は、『後漢書』の[皇后紀十下閻皇后紀]にある〈兄弟、権要にして、威福自由なり〉という用法を踏まえ、勝手気ままという否定的意味を持っています。
 [清寧天皇紀]においても、〈権勢自由、費用官物(いきほひほしきままにして、官物(おほやけもの)をつひやす)〉とあります。「ほしきまま」という勝手な振る舞いを非難の意味合いで用いています。
 また、[孝徳紀大化二年三月]には、天皇の原則が〈天地(あめつち)の間(あひだ)に君(きみ)として万民(よろづのおほみたから)を宰(をさ)むることは、独り制(をさ)むべからず。要(かなら)ず臣(まへつきみ)の翼(たすけ)を須(もち)ゐる〉と記載されています。天皇の統治下においては、天皇の独裁が禁止され、臣下の助けを用い、民を宝とすることが原則となっているのです。『日本書紀』において既に、日本では独裁政治が禁止されているということは特筆に値します。
 次は、平安初期の歴史書である『続日本紀(797)』です。[光仁天皇・宝亀八年九月の条]に、〈中納言より内臣を拝し、職封一千戸を賜りき。政を専とし、志を得て升降(しやうかう)自由なり〉とあります。升降自由とは、官人の昇進や降格を意のままにするという共同関係における自由です。良継の官吏としての人事権の恣意擅断に対して、非難の意味で用いられています。
平安前期の歴史書である『日本後紀(840)』には、〈百司衆務、吐納自由、威福之盛、熏灼四方〉とあります。共同関係の自由です。政務を勝手に行い、権力を乱用して勢力を伸ばしたことが非難の意味で記されています。
 『日本三代実録(901)』の[清和天皇紀]には、〈往来意に任せ、出入自由なり〉とあります。ここでの自由は法令無視です。共同関係や環境対応の自由です。
 また[清和天皇紀]には、〈諸々の余の名神をして神力自在ならしむ〉や〈庶幾(こひねが)はくは神威を自在に増し〉と「自在」の文字が見えます。禅学の中では、自由と自在をほぼ同じ用法で用いることがありますが、『日本三代実録』では「自由」と「自在」が区別されています。ここでの「自在」は、比較的穏当な肯定的な意味で、心理状態の自由について用いられています。ここでの「自」は、単なる「自」ではなく、神の助けを借りた「自」であることが述べられているため、肯定的な意味合いになっているのです。
 [陽成天皇紀]にも「自由」があり、〈此の職、太上天皇の拝受せし所、豈に是れ朕の自由にすべけんや〉とあります。天皇にも自由にはならない領域があるというのです。その限界は、先帝陛下の御遺志だとされています。ここでは先例の遵守が、天皇の自由を制限するものとして示されています。天皇自身が、自ら「自由」ではないと宣言しているのです。自分が自由ではないという自覚が、その人を偉大ならしめえるという実例が示されているのです。
 [光孝天皇紀]では、〈追捕罪人、拷掠違法、放免自由〉とあります。拷問も放免も、法を破って好き勝手に行うという共同関係における自由であり、当然ながら否定的な意味合いです。
 以上のように、六国史の中の「自由」は、悪しきことに基づいていたり、何に由っているかを示していないため、否定的な使用例が多いことが分かります。

 

 第二項 天平文化
 天平文化における自由の用法としては、菅原道真(845~903)が白詩の『白氏文集』の影響を受け、「自由」を肯定的に使用しています。
 [秋夜、宿弘文院]という題で、〈脚に信(まか)せて涼しき風に自由を得たり〉とあり、肯定的な意味で用いられています。環境対応の自由が、心理状態の自由につながっていることが分かります。
 また、[舟行五事]という題で、〈虚心の者は自由なり〉とあります。煩わしいことにとらわれていない心が、精神の自由として肯定的に用いられています。

 

 第三項 平安仏教
 仏教においても、自由が盛んに用いられています。そこで、平安仏教における自由を見ていきます。
 最澄(767~822)の『注無量義経』には、〈自由は大唐の俗語にして、文語には云ひて自在と為す〉とあります。自由は俗語であり、文字で書き記すときは自在を使うと述べられています。自在については、〈是故に今自在力を得れば法に於いて自在にして法王と為り〉とあります。ここでの自在の「自」は、法においての「自」であるため、肯定的な意味を持っています。
 空海(774~835)の『平安遺文・補遺』には、〈悉く天心に繫(かか)り、若(もし)くは大若くは小、敢へて自由なりとせず〉とあります。自分の上にある現世の法秩序に対しては、自由だと言うことはできないとの意識が見られます。法における自分が尊いのですから、自分は法に対して自由になってはいけないのです。ここでの自由は法に対するものなので、否定的な意味を持ちます。
 また、『秘密曼荼羅十住心論』には、〈経に自然と云ふは、謂はく、一類の外道の計すらく、一切の法は皆自然にして有なり〉とあります。自然とは、他より何らの力を加えられることなく、自ら然ることです。法は、それ自身で然らしむものなのだと語られています。この「自然」は、法が自ずから然らしむるものなので肯定的な意味を持ちます。
 源信(942~1017)の『往生要集』には、『西方要決釈疑通規』からの引用で、〈久しく生死に沈んで制すること自由ならず〉とります。生死に執着して身の行いを慎むことができない、自(みずか)らに由(よ)ることができないという意味です。
『大日本国法華経験記(法華験記)』は平安朝の末頃、比叡山横川に住する一沙門が編集した法華経信仰者の霊験記です。この中で、〈仏を見法を聞くこと、心に自在を得たり〉とあります。ここでの自在は、仏の法を開いた「自」であり肯定の意味であり、心が煩悩を離れた通達無礙の境地のことです。
 注目すべき点として、最澄と空海の「自」の用法が挙げられます。その「自」が法における「自」ならば肯定され、法に対する「自」ならば否定されるのです。あくまでも「自」は、「自」を超えた法によって判定されていることが分かります。

 

第二節 鎌倉時代
 次は、鎌倉時代の文献に現れる自由を見ていきます。

 

 第一項 『御成敗式目』
 鎌倉幕府の基本法典である『御成敗式目(1232)』には、自由の用例が数多く示されています。
 [四条]では〈理不尽の沙汰甚だ自由の姦謀なり〉とあります。ここでの自由は、謂れのないという否定的な意味です。[第三十七条]では〈しかるに近年より以降、自由の望みを企て〉とあります。ここでの自由は、我儘勝手に所有欲を充たすということで否定的なものです。[第四十条]では〈猥りに自由の昇進を求むる〉とあります。我侭勝手な自由であり非難の意味で使われています。
 『御成敗式目』の[御成敗式目追加]においても、多くの自由が示されています。〈而して地頭等自由のままに相論の条、慥かに停止さるべし〉、〈左右無く出家せしめ、なほ所領を知行する事、甚だ自由の所行なり〉、〈禁忌を称して自由に帰国の条〉、〈自由の対捍(不服従・抵抗)を致し〉、〈自由に任せて上洛遠行あるべからず〉、〈今更自由の新儀を致すべからず〉、〈領家預所の免許を蒙らずして、自由に任せ立用に任せ及ばず〉、〈或いは自由に洛中に横行の由あまねくその聞えあり〉などが挙げられます,
 また、[建武以来追加]においても、〈近年禁制に背き、自由の競望を致すか〉、〈自由の横領を致すの由その聞えあり〉、〈その外の自由の新関は厳密に停廃すべきの由、仰せ下されうべきか〉、〈左右無く庭中を企つるの条自由の至りなり〉、〈洛中辺土ならびに田舎に居住せしむる云々、自由の至りなり〉などが挙げられます。
『御成敗式目』は、道理という規範が基と成っています。如何に強大な権力者といえども、自らの自由によって振舞うことは禁止されているのです。『御成敗式目』では、道理に由ることを善しとし、道理に由らない行為を「自由」としています。〈ただ道理の推すところ、心中の存知、傍輩を憚らず、権門を恐れず、詞を出すべきなり〉とあり、道理によって言葉を発すべきことが述べられています。そこでは、他人の目や権力よりも道理が優先されるべきことが明記されています。よって、道理に由らない自由は、否定的な意味として使われているのです。

 

 第二項 『吾妻鏡』
 鎌倉時代の歴史書である『吾妻鏡』は、治承4年(1180)源頼政の挙兵から、文永3年(1266)までの87年間を変体漢文の日記体で記しています。『吾妻鏡』の中には、〈恣に私威を耀かし、自由の下知を成して〉、〈定めて自由の沙汰に似候か〉、〈由緒無く自由の押領に任するの由〉、〈自由の押領〉、〈自由の任官〉、〈自由の狼藉〉、〈自由の張行〉、などの「自由」の用法が見られます。これらの自由も六国史における自由と同様に、「ほしきまま」としての放縦であり糾弾対象となっています。特定の権威に対立した、悪しきことに基づいて行う行動が「自由」として捉えられているため、否定されるのです。
 また、〈自専の慮を挿み〉や〈動もすれば自専の計有り〉などのように「自専」という言葉も用いられています。自主独立・独断専行といった意味で「自専」が用いられているようです。

 

 第三項 鎌倉文化
 鎌倉文化における自由として、狛近真による雅楽書である『教訓抄』(1233)を挙げることができます。例えば、〈是偏ニ名利ノ罪、自由ノ科ノガレガタキユヘ也〉とあります。財物を貪ることは、自由の一つであり、悪しきこととされています。また、〈自由ノ案立〉は、習も説もなく我説を立てることを言い、〈自由ノ今案〉で、説もなく習もない自分勝手な演奏法を指しています。
 鎌倉中期の説話集である『十訓抄(1252)』には、〈あるいは自由のかたにておだやかならず。これ、わが涯分をはからず、さしもなき身を高く思ひ上げて、主をも軽め、傍人をも下ぐるなり〉とあります。この自由は、身の程を弁えずに思い上がることであり、否定的なものです。
 無住(1226~1312)の仏教説話集『沙石集(1283)』には、〈賢遁の門に入りて、僅かに寒を防ぎ、飢ゑを休めて、心安く身自在にして、一生を送らんと思ふ、まめやかに賢き心なり〉とあります。ここでの自在は、心が安らかな上での身の自在であり、肯定的な意味です。また、〈楽天云はく、「富貴にして苦あり。苦は心の危く愁ふるにあり。貧賤にしても楽あり。楽は身の自由に有り」と云へり〉とあります。貧しいから楽なこともあり、身体的に楽が出来ることが身体の自由として述べられています。また、〈自由ノ邪推〉という記述もあり、この自由は放埓なわがままです。
 吉田兼好の随筆『徒然草(1330~31)』の第六十段に、〈この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・弁説、人にすぐれて、宗の法灯なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大方、人に従ふといふ事なし〉とあります。他人を気にせず、自らに由って行動している人に対して言及されています。

 

 第四項 鎌倉仏教
 鎌倉仏教においても、自由が数多く論じられています。
法然(1133~1212)の『選択本願念仏集』には、源信の『往生要集』と同じく『西方要決釈疑通規』からの引用で、〈久しく生死に沈んで制すること自由ならず〉とあります。生死に執着してしまうと、自己を制することができないというのです。
 また、『七箇条制誡』では、〈黒闇の類、己が才を顕はさむと欲し、浄土の教えをもつて芸能として、名利を貪り檀越を望み、ほしいままに自由の妄説をなして、世間の人を誑惑す〉とあります。ここでの自由は、妄説で他人をたぶらかすのですから否定的な意味を持っています。ちなみに、〈黒闇の類〉は正しい行ないをせぬ者です。〈芸能として〉とは、和讃とか礼讃にふしをつけてとなえるのを指すとされています。〈檀越〉は、相に衣食などを施す供養主で、施主・檀那とも言います。〈誑惑〉とは、たぶらかしまどわすということです。
 親鸞(1173~1262)の『教行信証』には、自在が語られています。〈諸仏の大法を念ぜば、略して諸仏の四十不共法を説かむと。一つには自在の飛行意に随ふ、二つには自在の変化辺なし、三つには自在の所聞無閡なり、四つには自在に無量種門を以て一切衆生の心を知ろしめすと〉とあります。四十不共法とは、仏だけがもっている勝れた四十種の特質です。そのうちのいくつかが自在として語られています。ちなみに、無閡は無礙と同じ意味で、さわりのないことです。また、〈豪貴富楽自在なることありといへども、ことごとく生老病死を勉(まぬか)るることを得ず〉とあります。自分に富や楽があるからといっても、その自分は生老病死の四苦を逃れることができないと語られています。ここでの自在の「自」に掛かるものは、富や楽などのため、ここでの自在の評価は低いものとなっています。
 親鸞の『末燈抄』の[自然法爾の事]では、〈自然といふは、自はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。然といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは行者のはからひにあらず、如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。法爾といふは、この如来の御ちかひなるがゆゑに、しからしむるを法爾といふ〉とあります。自然法爾とは、自己の力で仏になろうとしたり、善行を積んで仏に救われようとしたりする人為をすて、ひたすら仏の願力のままに身をゆだねることです。親鸞の弟子にの唯円による『歎異抄』には、〈わがはからはざるを自然とまうすなり。これすなはち他力にまします〉とあります。
 中世において「自然」には「ジネン」と「シゼン」という二つの訓み方がありました。「ひとりでに」や「おのずから」を意味する場合にはジネンとよまれ、「もしも」や「万一」を意味する場合にはシゼンと読まれていました。
道元(1200~1253)の『正法眼蔵』の[仏性]では、〈百丈山大智禅師、衆ニ示シテ云ク〉とし、禅師の言葉を引用して自由の語が出てきます。〈於後能く因果を使得す、福智自由なり〉や〈五陰に礙へられず、去住自由にして、出入り無難なり〉とあります。福智とは、菩薩の善を行なって徳を積む福行と、自己の悟りを完成するための智行のことです。その福智が自らに由るのですから、肯定的な意味です。また去来自由とは、出入りが可能であるという意味で、環境対応の自由に関わっています。
 [阿羅漢]には、〈諸の漏を已に尽し、また煩悩無く、己の利を逮得し、諸の有結を尽して、心は自在を得たり〉とあります。煩悩がない状態になれば己の利はついてきて、諸々の煩悩の束縛が解けてしまへば心は自在を得るというのです。また、〈心得自在の形段、これを高処自高平、低処自低平と参究す。このゆゑに、墻壁瓦礫あり。自在といふは、心也全機現なり〉ともあります。心は自在なることを得たということは、高処にあれば高処にあって平らかに、低処にあれば低処にあって平らかなことです。だから、高処には墻壁(隔てるもの)があり、低処には瓦礫があるのです。心の自在というのは、心のすべてのはたらきが自由に現れることだと示されています。
 [唯仏与仏]には、〈得道のあしたより、涅槃のゆふべにいたるまで、一字をもとかざりけるとも、とかるることばの自在なりける〉とあります。仏が悟りを開いて涅槃に入られるまで、生涯一字も説かなかったといいますが、説かれた言葉は自由自在であったというのです。
 明恵(1173~1232)の『梅尾明恵上人遺訓』には、〈先づ身心を道の中に入れて、恣(ほしいまま)に睡眠せず、引くままに任せて雑念をも起さず、自由なるに随ひて坐相をも乱らず〉とあります。ここでは精神状態の自由が環境対応の自由に繋がっており、肯定的に用いられています。自由になるにつれ、自らに由るにつれて、坐相(坐禅の姿勢)は乱れなくなるということです。『鎌倉遺文』では、〈若(も)し数日京に住(とど)まる要事有らば、或いは同法或いは侍者・下僧等・一身に相具すること自由なるべからず〉とあります。規則違反をするなという意味で用いられています。誰でも良いから必ず同行者を連れて行け、単身で出京してはならぬ、その点を自由に考へてはならぬという意味です。

 

 第五項 軍記物語
 『長門本・平家物語(1177~84)』では、〈自由に任せて延暦寺の額を興福寺の上に打せぬるこそ安からね〉と有ります。ここでの自由は、共同関係における乱暴狼藉を意味しています。その乱暴狼藉を咎めています。
 鎌倉中期から後期の作である『源平盛衰記』では、〈自由の京(きょう)上(のぼり)も其(それ)恐(おそれ)ありと存(ぞんじ)、〉とあります。勝手に京都に向かうことが憚られたことが語られています。ここでの自由は勝手な判断という意味で、否定的な意味合いを持ちます。

 

第三節 室町時代・安土桃山時代
 次は、室町時代と安土桃山時代における自由を見ていきます。

 

 第一項 中世仏教
 中世仏教においても自由の言葉を見ることができます。
一休宗純(1394~1481)の『狂雲集』には、〈奪人奪境 事なほ稠し、幽谷閑林も自由ならず〉とあります。盗人や越境者がびっしり集まり、どこもかしこも自分の思うままに動けないと語られています。この自由は、環境対応に関する自由です。
 蓮如(1415~1499)は室町中期の浄土真宗の僧です。『蓮如文集』には、〈一念をもてば往生治定の時剋とさだめて、そのときのいのちのぶれば、自然と多念におよぶ道理なり〉とあり、「自然」が語られています。南無阿弥陀仏の一念を起こすことをもって往生決定の時点と定めて、その時以後に命がながらえれば、おのずと念仏を積み重ねるので、多念の称名になるという理屈です。

 

 第二項 戦国時代
 戦国武将の著作の中にも、自由の用法を見ることができます。
 大内家歴代が発布した『大内家壁書』には、1439年~1529年に出された法令がまとめられており、〈若し猶自由の族あらば、殊に御成敗あるべきの旨〉や〈或いは自由の進退を邪意(我意)に任せ〉とあります。ここでの自由は、法の違反や秩序の混乱を指し、否定的意味を持ちます。
 結城政勝(1503~1559)の法度『結城氏新法度』には、〈銭撰り候てよく存候哉。万事是者不自由にて候〉とあります。ここでの不自由は、不便・不都合とほぼ同じ意味です。
 武田信玄(1521~1573)が制定した分国法『信玄家法(甲州法度之次第)』には、〈私に没収せしむるの条甚だ自由の至りなり〉や〈意趣なくして寄親を嫌ふ事、自由の至りなり〉とあります。私(わたくし)という自らに由るという自由であり、否定の意味です。
 今川氏の家法『今川仮名目録』には、〈自今以後、自由之輩は罪過に処すべし〉という表現があります。自由之輩とは、我儘勝手の者です。先例・法令などによってつくられた秩序を乱す行為は、すべて「自由」と表現され非難の対象となっています。また、〈寺を他人に譲与の一筆を出す事、甚だ以て自由の至り曲事なり〉ともあります。この自由も我儘勝手です。
 本多正信(1538~1616)の著作であると言われている『治國家根元』では、〈智恵ノ自由〉として精神的な自由が、〈是ヲ救ヒ玉フニ自由ナリ〉として能力があるという意味の身体状態の自由が用いられています。また、〈自由ヲフルマフモノナリ〉ともあり、こちらは勝手氣儘の否定的自由です。
 別所長治(1558~1580) について記された『別所長治記』には、〈一旦ノ合戦勝負難決(けっしがたし)、然(され)バ駆引為自由、〉や〈川ヲ渡ス方ハ引方不自由ナルニヨツテ諸卒強キ物ト聞〉とあります。ここでの自由・不自由は、可能・不可能、容易・困難の意味で用いられています。自由の応用的用法であり、自分の環境対応における自由です。
 伊達政宗(1567~1636)の老臣伊達成実(1568~1646)の筆録である『伊達日記』には、〈自由ニ通路を任候〉、〈通路不自由ニ成候〉、〈早通路不自由ニ成候間〉、〈通路自由候故〉などの用法があります。この自由と不自由は、通行可能・不可能という意味に限定されています。この自由も環境対応における自由です。
 黒田長政(1568~1623)の遺言『黒田長政遺言』には、〈自由ヲ働キ、掟ヲ守ラズ〉とあります。この「自由」は、「勝手気侭」の意味で「掟」に反するものです。
 甲州武田武士の事績や心構えや武将の条件などが記されている『甲陽軍鑑』には、〈国中の地頭人、子細を申さずして、恣に罪科の跡と称し、私に没収せしむるの条、甚だ自由の至なり〉とあります。領国内の地頭が、事情を明らかにしないまま、好き勝手に罪科の跡と称し、私意を以て所領や財物を没収することは勝手もはなはだしい、ということです。

 

第三項 桃山文化
 桃山文化における自由の用例として、千利休の茶の湯論を伝える茶書『南方録』があります。
 [墨引]には、〈ねんごろに根源をきはめぬれば、いかやうにも自由なることと云々。たとへば、真の文字を知て、行草に至れば、いかほど自由にくづしやつしても本性たがはず〉とあります。根源を極めた心理状態の自由が肯定的に語られています。
 他にも、〈向炉にては、道具の座せばく不自由なれども、元来向炉は丸畳にて、居座はくつろぎあり〉とあり、不自由が環境対応において困難の意味で用いられています。また、〈柱なし自由なるゆへ、休の作事に所々これ有り〉ともあります。台目切の茶席に台目柱をたてるのは最も複雑な茶室の構造の一つで、紹鷗時代にはむしろ柱なしの台目切が主で、柱を立てるようになるのは利休時代と考えられています。〈されども大名高家の自由なるには、南面、北面、別々の諸具用ひたるることなれば、取捨に及ばず〉とあるのは、共同関係の自由が諸々の条件によって肯定され許容されることが示されています。
 [滅後]には、〈めたと雨さへふれば、小雨にも自由して玄関へ手水出すにては更になし〉や、〈囲の類にて、諸事不自由なり〉や、〈また台目だゝみ広く自由なるゆへ種々の置合も出来、さまざまの道具をも取出し、無益のことになりぬ〉などがあります。いずれも、環境対応における自由が語られています。

 

第四節 江戸時代
 江戸時代の文献には、自由の文字がたくさん記されています。その数は膨大であり、全てを示すことは不可能ですが、有名な人物の作品の中から、いくつか自由の用例を江戸の前期・中期・後期に分けて見ていきます。

 

 第一項 江戸前期・寛永文化
 江戸前期および寛永文化における自由の用例を見ていきます。
柳生宗矩(1571~1646)は江戸時代初期の武将、大名、剣術家です。『兵法家伝書』には、〈放心心を具せよとは、心を放すこころをもて、心に綱をつけて恒に引きて居ては、不自由なぞ。放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云ふ。此放心心を具すれば、自由がはたらかるゝなり〉とあります。この自由は、心理状態の自由が肯定的に述べられています。心を客観的に冷静に突き放して見つめることができる心があれば、自由となるというのです。
 江戸初期の臨済宗の僧である沢庵(1573~1645)の『不動智神妙録』には、〈一所に定り留りたる心は、自由に働かぬなり〉や〈稽古、年月つもりぬれば、心を何方へ追放してやりても、自由なる位に行く事にて候〉とあります。これは精神の内面における心理状態の自由です。『澤菴和尚書簡集』には、〈文字之力自由に御座候〉とあり、精神の外面における共同関係に関わる自由も語られています。また、〈行歩不自由〉とあり、身体状態と環境対応に関わる自由も語られています。
 鈴木正三(1579~1655)は禅僧で仮名草子作者です。『萬民徳用』には、〈商人なくして世界の自由成べからず〉とあります。これは環境対応の自由が商人によって可能になるということです。そこでは、〈売買の作業は、国中の自由をなさしむべき役人に天道よりあたへたまふ所也と思定て、此身は天道に任て得利を思念を休、正直の旨を守て商せん〉と述べられています。商人は、環境に対応するための自由を役人を通して天道から与えられると思い、利益よりも正直を守って商売すべきだと語られています。環境対応の自由は、具体的には〈通路自由〉や〈渡世のいとなみ品々自由〉とあり、人的および物的な空間的移動の自由を意味しています。武士については、〈己が心に勝ち得る〉こととして、〈万事に勝ちて、物の上と成て自由なり〉と語られています。心理状態の自由が、身体状態・共同関係・環境対応の自由とつながることが語られています。
 同じく鈴木正三の『驢鞍橋』にも、たくさんの自由が語られています。〈各々もなにとも思わず、自由に捨らるゝ程さまざま工みて、此身を捨習わるべし。なる程強き心を用いずして叶べからずと也〉や〈自由に死程に成たさに修する也〉、〈心を自由に使ふて、世界の用に立が正法也〉や〈自由に舞べき心有〉などは、心理状態において自由があるということです。心理状態の自由な力があれば、為すべきことを為すことができ、死ぬべきときに死ぬことができるというのです。また、金銭的なことにおいて、〈自由に使ふ事はならず〉と、共同関係における自由の用例もあります。〈我法も武勇には自由に使るべしと思ふ也〉や〈何と自由に書出す人あらんや〉も、共同関係の自由です。〈若し外道中中我手裡殺活自由也と云て、殺しも仕、放ちも仕たらば、でかい佛の耻也〉とあるのは、共同関係における我儘勝手な否定的な自由です。〈智勝ト者、萬法の上と成て、萬事を使ふて自由の義なり〉は、知識がある人は全ての法則の上で物事を使うことができるとの意味で、内面的な自由が外面的な自由につながることが語られています。〈修行の功にて、世間を次第に自由に使ふ也。佛法なくして世間自由に使るべからず〉というのも同様です。仏法により、世間を容易に渡ることができる自由です。〈我執さゑ切れば、萬念に勝て自在也。苦楽ともに何ともなし〉は、心理状態の自由であり、〈無我の心に到て、私なく物に任て自由也〉も同様です。〈只道理を以て、自由に成様に計り教ゑ來れり〉は、自由が道理に基づいており肯定されています。
 宮本武蔵(1584~1645)の『五輪書』には、〈一人の敵に自由に勝つ時は、世界の人に皆勝つ所也〉とあり、外面における自由が語られています。また、〈兵法の道に、おのれと自由ありて〉とは、兵法の道に基づいた自らに由ることであり、肯定的な自由です。〈両手に物を持つ事、左右共に自由には叶ひがたし〉では、左右両手を思いのままに振ることが至難な業であることが意味され、身体状態の自由が語られています。〈太刀の道を知るといふは、常に我さす刀をゆび二つにてふる時も、道すぢ能くしりては自由にふるもの也〉や〈おもき太刀自由にふらるゝ所也〉というのも同様に、身体状態の自由です。〈兵法自由の身になりては、敵の心をよく計りて勝つ道多かるべき事也。工夫有るべし〉とあるのは、共同関係の自由であり、〈敵を自由にまはさんと思ふ所、我は将也、敵は卒なり。工夫あるべし〉とあるのは、環境対応の自由です。

 

 第二項 江戸中期・元禄文化
 次は、江戸中期および元禄文化における自由の用例を見ていきます。
中江藤樹(1608~1648)の『翁問答』には、いくつか共同関係における「自由」の用法があります。〈文のよみかき自由にせざるはなし〉や〈文字之力自由に御座候〉とあり、文章の読み書きの自由が語られています。また、〈大軍を自由自在にとりまはし武略をめぐらし〉とあるのも、大軍を自分の思うがままに動かして戦略を立てる共同関係の自由です。〈才とは武略かしこく人数を自由自在にとりまはし〉とあり、多数の人を自分の思うがままに動かす自由が示されています。
 熊沢蕃山(1619~1691)の『集義和書』には、〈政の才ある人を本才と申候。其人に学あれば、国・天下・平・治仕候。本才ありても学なければ、やみの夜にともし火なくして行がごとくにて候。しかれども、ありきつけたる道なる故ありき候。されど、前後左右を見ひらきて自由のはたらきはならず候〉とあります。共同関係における自由が、環境対応における自由で例えられて論じられています。続いて、〈才知なくして学ある人の政をするは、盲者の昼ありくがごとくにて候〉とした上で、〈不自由にても、みづから見てありくと、見ずしてありくとは、見てありくはまさり申すべき候〉とあるのも同様です。
 水戸藩主である徳川光圀(1628~1700)の『徳川光圀教訓』には、〈大兵は三四尺之刀をも自由に振廻し〉とあり、身体状態の自由が語られています。
 臨済宗の僧である盤珪永琢(1622~1693)の『盤珪禅師語録』には、〈只生じたる體を一心が家といたして、住まするによつて、其内はものを聞、香をかぎ知り、物いふ事の自由なれども、かりあつめ生じたる此體が滅しますれば、一心の住家がなく成ますゆへに、見聞物いふ事ならぬまでの事でござる〉とあります。心が体という家に住んでいれば、自由に動かせるというのです。心理状態の自由が、身体状態の自由に繋がることが示されています。それゆえ、〈自由に道をあるきますわひの〉ということが可能になるのです。
 また、〈行さきが不自由にござつて、道中も人が宿を借せば、有がたく〉とあるのは、環境対応における不自由です。〈自由に問たがよふでござる〉というのは、言論における共同関係における自由です。
 盤珪が、〈日本の平話で結句よふ自由に問れて相すむに、間にくひ語で問ふは、下手な事でござる〉と述べている箇所は、漢文の語録にもとづく漢語の問答に反対し、日本語でしかも平話で問答すべきことを説いています。つまり、〈自由な平話で問ふて、埒明さつしやれい〉というわけです。日本語で分かりやすく話せば、問題が生じることもなく、意味も明らかに分かるようになるというのです。
 貝原益軒(1630~1714)の『和俗童子訓』では、〈筆のはたらき自由〉と共同関係の自由が肯定すべきものとして語られています。しかし、〈物ごとゆたかに、自由なるゆへに、このむかたに心はやくうつりやすくして、おぼれやすし。はやくいましめざれば、後にそみ入ては、いさめがたく、立かへりがたし〉と言うとき、その自由は共同関係において戒めるべきものとして語られています。また、共同関係における自由は、『大和俗訓』においても、〈富貴なる人は、ひとにほどこしすくふこと自由にして、ひろく行ひやすし〉と例が挙げられています。
 井原西鶴(1642~1693)は江戸前期の浮世草子作者で俳人です。西鶴の作品の中には、自由という言葉が数多く語られています。その中でも特筆すべきこととして、『日本永代蔵』では「万事の自由」と「万物の自由」が語られています。前者は、〈諸大名には、いかなる種を前生に蒔き給へる事にぞ有りける。万事の自由を見し時は、目前の仏というて又外になし〉とあります。後者は、〈世に舟あればこそ、一日に百里を越し、十日に千里の沖をはしり、万物の自由を叶へり〉とあります。
 また、『本朝二十不幸』では、〈銀(かね)程自由なる物はなし〉とあり、『好色一代男』でも、〈金銀をちりばめ。自由を仕懸〉とあります。金に関わる共同関係における自由が語られています。『好色一代女』では、〈立つ事、不自由なり〉とあり、身体状態の自由について述べられています。
 天文地理学者である西川如見(1648~1724)の『町人囊』には、〈或人の云、よろづの事、余りに自由なるはよからぬ事也。近代は物事巧みに自由なる物多く出来たりといへ共、人間はむかしの実儀に及ぶ事なし。古の人は無欲実儀にして、世智弁にたくみ成事なし〉とあります。実儀とは実体なことで、世智弁とは小才をきかすことです。共同関係や環境対応において、あまりに自由すぎることに警鐘を発しています。
佐藤直方(1650~1719)の『学談雑録』には、〈タトヘバ人ノ路ヲ行ニ、左ノ足バカリニテモ右ノ足バカリニテモ行レズ。異端ハ片足デ行ト云タモノナリ。然レドモユカレヌユヘニ、一方ノ足ノ代リニ木カ竹ニテ足ヲコシラヘタレドモ、後ニ附タ仮リモノナレバ、根本ノ足ノヤウニハタラカレズ、不自由ナリ。ココガ理ノ似セモノナリ。儒ノ方ニ不自由ナルコトハナシ〉とあります。肉体的な自由の例を用いることにより、精神的な自由を論じています。
 俳人である向井去来(1651~1704)の『去来抄』には、〈和歌優美の上にさへ、かくまでかけり作したるを、俳諧自由の上に、ただ尋常の気色を作せんは、手柄なかるべし〉とあります。趣向を働かせて自らに由った表現を生命とする俳諧においては、平凡な景色を詠むだけでは作者の手柄はないというのです。
 浅見絅斎(1652~1711)の『絅斉先生敬斉箴講義』には、〈耳デ聞ト云モ、是ガキカス。手ガ動ト謂テモ、手計ガ自由ニ動ク物デナシ。足デ歩ムモ、足ガヒトリ自由ニアルク物デナシ〉とあり、それに対し、〈日用万事全体、心ノ為業、心ノ動クナリ〉と語られています。肉体の自由は、心に由ることが示されています。
 佐賀藩士である山本常朝(1659~1719)の『葉隠』では、〈毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりてゐる時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり〉とあります。常に死と一つになり切っている時に、武道に基づいた自らに由る境地となり、為すべきに定められた職務を果たせるというのです。
 俳人である服部土芳(1657~1730)の『三冊子』には、〈中頃、難波の梅翁、自由をふるひて世上にひろしといへども、中分以下にして、いまだ詞を以てかしこき名なり〉とあります。中堅どころに難波の西山宗因という人がおり、自らに由って作品を広めていますが、力量は中以下であり、言葉遣いのうまさで評価を得ているというのです。また、〈高く位に乗じて、自由をふるはんと根ざしたる詞ならんか〉とあります。自らに由ったことに根差した作人は、高い句境や句位を獲得してはじめて得られるというのです。
 荻生徂徠(1666~1728)の『鈐録』には、〈習伝授有て畢竟の処士卒をよく修練させて、如何程の大勢にても手もつれなく自由に取てまはし乱れさる様にする仕形なり〉とあります。また、〈下知迅速ニテ手モツレナク分合自在ナリ〉ともあります。どちらも身体状態の自由が語られています。また、同じく荻生徂徠の『政談』では、〈自由便利ナルコト言計リナシ〉や、〈店替ヲ自由ニシ、他国ヘモ自由ニ行キ、他国ヨリ来リ其所ニ住コト自由ナレバ、日本国中ノ人入乱レ、混雑シ〉とあります。〈出入自由ニナル也〉ともあります。これは外面における共同関係や環境対応の自由です。
 太宰春台(1680~1747)の『経済録』では、〈掌ニ握タルガ如クニ自由ヲナスハ、党ヲ結ブト、駅使ノ往来便利ナルトノ故也、茲ニ至テハ、上ヨリ厳令ヲ出シ、刑罰ヲ立テ威セドモ、如何トモスベキ様ナシ〉とあります。共同関係の自由を、身体状態の自由で例えています。また、〈利権トイフハ、物ノ利ヲ自由ニスル権利ナリ〉ともあります。ここでは共同関係の自由が、環境対応の自由につながることが示されています。
 石門心学の始祖である石田梅岩(1685~1744)の『斉家論』には、〈士農工商をのれをのれが業に心をいるれば、何の不自由なきやうにとの御仁政〉とあります。各職業において各々が役割を果たすなら、共同関係において不自由のない世の中になるというのです。『莫妄想』では、〈言語ヲ以テ自由ヲナシ、手ニ持、足行テ自在スル〉とあり、精神の自由と肉体の自在が語られています。身体状態の自由については、〈眼耳鼻ヨリ手足ニ至迄斯ノ如ク自由スル事ハ、目ニ見ト謂モ目ニ見ル所以ナシ〉とあります。身体を自由にしていることは目に見ることができますが、その基となる所以は目には見えないというのです。また、〈眼耳鼻ヨリ手足ノ自由スルハ唯自由スル事ニ候哉。亦自由サスル所以ノ者有リヤ如何〉とあり、身体を自らに由るようにすることはただ自由にすることであり、その自由にさせる基となる所以は何かと問うています。『都鄙問答』では共同関係における親孝行の面より、〈親ニ不自由ヲサセマジキ為ナリ〉とあります。また梅岩の思想では儒仏神道が渾然一体となっていますが、神道については、〈天神地祇は如斯、自由ナル御神ナリ。ソノ自由ノ口ヨリ生ズルユヘニ、生ズル物モ又自由ナリ〉とあります。神は自ずからなる神であり、その神より生じた物もまた、自ずからなるというのです。
 室鳩巣(1658~1734)の『鳩巣先生文集』には、〈人となれば自由ならず、自由は人をなさず〉とあります。この言葉が意味するところは、〈安んぞ自由にして悪に流れざるものあらんや〉とあるように、自分が由って立つところが自分自身の判断だけならば、悪へと流れてしまうという考え方に立脚しています。自らが由るところが、自分を超えた善であるならば人間であると言えて、自分自身でしかないなら悪になり人間とは言えないということです。ですから、〈一つの自由は凶刃となるの端なり。一つの不自由は吉人となるの端なり〉と語られているのです。
 同じく室鳩巣の『駿台雑話』には、〈むかしよりもろこしやまとゝもに、世の英雄豪傑、多くは己が武勇智謀に誇て天のいまだ定まらざるを見て、天道は人力をもて自由になるものとおもひつゝ、猛威を逞うし、詐力を恣にして、一且は志を得るに似たりといへども、程なく天定まりぬれば、忽に天罰にあたりて、身うせ家滅ぶる事、古今歴々として、そのためしすくなからず〉とあります。天道は、人間の力でどうとでもなるという考え方を否定しています。逆に、自分の判断が天道に由っているなら、それは聖人の心だというのです。ですから、〈聖人の心のとまる所は自由を得て廻る事、ものゝ掌にあるがごとし〉とあり、天道に基づいた自らに由る自由が肯定されているのです。室鳩巣の述べていることは、自分が何に基づいているかを述べていない自由は、自分自身の価値判断にのみ基づいている自由であるから、否定すべきだということです。聖人は、天道に基づいていますから、その自由は善きものに基づいている自由なので肯定されているのです。
 江戸中期の俳人である横井也有(1702~1783)の『鶉衣』には、〈さるを聖人も右の袂の自由を物ずけり〉とあります。孔子も右手の自由のため、わざわざ右の袂を短くしたことが語られています。肉体における身体状態や環境対応の自由です。
 俳人である蕪村(1716~1783)の『むかしを今』の序に、〈予、此一棒下に頓悟して、やゝはいかいの自在を知れり〉とあります。蕪村は俳諧の自在、つまり心のままなる世界を知ることができたというのです。また、『洛東芭蕉庵再興記』には、〈されば詞人吟客の相往来して、半日の閑を貪るたよりもよく、飢をふせぐまうけも自在なるべし〉とあります。この自在は、食事の支度をするのも望みしだいという意味です。
 三浦梅園(1723~1789)の『三浦梅園集』には、〈天下の勢をとる事を権柄といへり。権とは秤の錘なり。柄とは其錘を自在によくつり合はするなり。今衡は持すれども、懸る者の軽重を秤錘をもて自由にする事あたはずんば、権柄を何にかせん〉とあります。天下を取るには、平衡が大事であり、その平衡は自らに由って取らないでどうするのか、と語られています。

 

 第三項 江戸後期・化成文化
 最後に、江戸後期および化政文化における自由の用例を見ていきます。
 心学者である中沢道二(1725~1803)の『道二翁道話』では、〈肝心の死ぬる事さへおれが自由にならぬもの〉と語られています。中沢道二は、死ぬということでは自由にならず、身体面で動くことでは自由になると考えています。例えば、〈天の心で育て上られ、次第々々に成人するほど、見たり聞いたり、飛んだりはねたり、自由自在が出来るものゆへ〉とあります。大人になるにつれ、天の心によって身体状態を自由に制御できるようになるというのです。そこでは、〈天徳が備はりて有る故、見聞覚知の自由が出来る〉とあり、天の徳に基づいて見る・聞く・覚える・知るという自由が可能になると言います。さらには、〈世界中が心じやによつて、自由が出来たものじや〉とあるように、世界に心があることにより自由が可能になると言い、〈互に道があつて和合するから、萬事萬端用も足り自由ができる〉と語られています。
 国学者の本居宣長(1730~1801)の『秘本玉くしげ』には、次のように自由が論じられています。

 交易のために商人もなくてはかなはぬものにて、商人の多きほど、国のためにも、民間のためにも自由はよきもの也。然れども、惣じて自由のよきは、よきほど損あり。何事も自由よければ、それだけ物入多く、不自由なれば物入はすくなし。然るに今の世は、人ごとに我おとらじとよきものをのぞみ、自由なるうへにも、自由よからんとするから、商人、職人、年年月月に、便利よく自由なる事、めづらしきものなどを考へ出し、作り出して、これを売ひろむるゆゑに、年年月月に、よきもの、自由なるもの出来て、世上の物入は、漸漸に多くなること也。すべて何事も、今までなければなくて足りぬる事も、あるを見ては、無が不自由に覚え、又今までは麁相なる物にてことたれるも、それより美物出れば、麁相なるは甚わろく思はるる故に、次第次第に事も物も数数おほくなり。美麗になりゆくこと也。かくて事も物も一つにても多くなり華美になれば、それだけ世話も多く、物入は勿論おほき也。これみな、世中の奢りの長ずるにて、畢竟は困窮の基となることぞ。

 宣長が論じている自由は、商人によって可能となる共同関係における自由です。その自由について、必要性を認めた上で、自由すぎるときに弊害が起こることが指摘されています。例えば通貨については、〈此金銀通用始まりては、甚世上の便利にして、尤自由よろしき事也、さて通用の金銀は、随分多きほど便利にして自由は宜しき也、然れ共、それに付て又失ある事多く、返て世上の困窮に及ぶ基ともなる也〉と述べられています。金銀の流通が多くなれば、それ故に便利になりますが、その過剰供給ゆえに問題が起こることもあるというのです。宣長は、〈自由便利になるにつきては、其失も甚多けれ共、年久しく馴来りたる事なれば、此ならひは、俄には改めがたし〉と言い、自由の領域が大きくなるにつれて多くを失いますが、馴染みのあるものを改めるのは困難だと考えています。
 蘭方医である杉田玄白(1733~1817)の『蘭東事始』には、〈当時は其人々の門人なれば同道し給へる事も自由なり〉とあり、共同関係における自由が語られています。
 儒学者で経済学者でもある海保青陵(1755~1817)の『経済話』には、〈上に権なふて、下に権あるなり。下に権あるとは、下が上の御自由にならぬ也〉とあります。下々に臨機応変に対応する構えがあるとき、政府が自由に民衆を支配できないというのです。『富貴談』には、〈同格なるものを自由自在にせんとする事、ちからの勝たる事也〉とあり、同格の者同士で相手を意のままにするには、力で勝つことが必要だと語られています。『洪範談』には、〈己れが心でさへ己れが自由にはなりかぬるものなり。左れば他人を自由にせんとするは無理なる事なり〉とあり、心理状態の自由が難しいため、共同関係における自由も難しいことが述べられています。また、〈事物を己れが自由自在にとりまわすは、自由になるべきものを自由にするなり、自由になるまじきものを自由にするにてはなし〉ともあります。これは、そもそも自由にするということは、自由にできる可能性があることが対象であり、自由が不可能なものは対象外だということです。他にも、〈聖人はなんでも知りており、何事をも自由にするものなり〉や、〈智がくわしいゆへに、万物をつかふ事が自由になるゆへなり、天理にあるだけの事は自由になる理なり〉とあり、知識によって、自らに由ることができるという考え方が見られます。『天王談』には、〈天下の人はみな天より生を受けて居るゆへに、人は人の自由にはならず、理の自由になること也〉とあります。つまり、人間は天より生を受けるがゆえに、自分自身に基づくのではなく、理に基づいているというのです。『善中談』には、〈智民が愚士を自由自在に欺く〉とあり、知恵のある者が、知恵のない者を好きにできるという共同関係における自由が語られています。
 江戸時代の農学者である大蔵永常(1768~1861)の『広益国産考』には、〈農家にて漉立てても捌口不自由にては?と成らざれば〉とあり、〈板にて造りたるものを下駄のごとくはき、深田に入りて自由に働くなり〉とあります。環境対応の自由についてであり、道具がうまく動かないときの不自由と、うまく作用するときの自由が語られています。
 心学者である柴田鳩翁(1783~1839)の『続鳩翁道話』には、〈この本心は手まえ勝手にこしらえたものではなく、則ち天より禀得ましたもので、仁義礼智信の徳をそなえ、親にむかえば孝、主人にむかえば忠、兄弟仲よう、夫婦はむつまじう、朋友には真実のまじわり、何ひとつ不自由なことなく、物に応じて自在なるゆえ、明徳とも申します〉と語られています。簡単に言えば、皆のおかげで不自由せずに自在でいることができるということです。また、〈つかんだものをはなしさえすれば、自由自在に、手はぬけるものを、一度つかんだら、首がちぎれても離すまいと、かた意地なうまれつき、それで自由自在の、大安楽ができぬのじゃ〉とあります。ここでは、心理状態が身体状態の自由に影響することが示されています。『続々鳩翁道話』では、〈道とは自由自在のできるという名じゃ。無理すると自由自在はできぬ。無理のない本心にしたがえば、自由自在で安楽にござります。これを道と申しまする〉とあります。道は、自らに由っているというのです。また、〈人と道と合せものではござりませぬ、道は性にしたがうの道で、うまれつきのとおりにするのが道じゃ。道のほかに物なく、もののほかに道はござりませぬ。また古人の説に、心は道なり、道は天なりともみえまして、心をしれば道をしります、道をしれば天をしります。これをしれば、天人一致、万物一体の道理がしれます。よしまたこの道理はしらいでも目は見る、耳はきく、手はもつ、足はゆく、訳を知ったもしらぬも、生れつきの道じゃによって、自由自在にできまする〉と語られています。道理に基づいて、自由が可能になるというのです。

 

 

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