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第二部『第二章 西洋古代の「自由」』

【目次】
第一節 プラトンの「自由」
第二節 アリストテレスの「自由」
第三節 キケロの「自由」
第四節 西欧古代の「自由」についての考察


『第二章 西洋古代の「自由」』
 西洋古代における自由は、古くはギリシャ語のeleutheria(エレウテリアー)、およびラテン語のlibertas(リーベルタース)を挙げることができます。
 古代ギリシャ語のeleutheriaは民主制と結びついており、プラトン(BC427頃~BC347)やアリストテレス(BC384~BC322)が論じています。また、他者を奴隷として所有することが許されている人は、自由人と呼ばれていました。自由な人とは、奴隷ないしは隷属状態にある人々と対比される概念です。
 ラテン語のlibertasも、ギリシア語におけるeleutheriaと同じく、民主制における国民の特徴や奴隷と比したときの自由人の身分として論じられています。この古代ローマの自由については、キケロ(BC106~BC43)が論じています。


第一節 プラトンの「自由」
 プラトン(BC427頃~BC347)は、古代ギリシャの哲学者です。ソクラテスの弟子で、アテナイ郊外に学園アカデメイアを創設しました。西欧における「自由」を考える上で、プラトンの『国家』を外すことはできません。
 『国家』ではプラトンが、ソクラテスの口を借りて様々な国家制度について言及しています。その中で、奴隷でない人間として自由な人間が語られています。〈自由な人間たるべき者は、およそいかなる学科を学ぶにあたっても、奴隷状態において学ぶというようなことは、あってはならないからだ〉とあります。
 また、民主制国家については、〈この国家には自由が支配していて、何でも話せる言論の自由が行きわたっているとともに、そこでは何でも思いどおりのことを行なうことが放任されているのではないかね?〉と問われています。民主制国家では「自由」とともに「平等」も基本理念とされています。民主制は、〈快く、無政府的で、多彩な国制であり、等しい者にも等しくない者にも同じように一種の平等を与える国制〉として語られています。民主制の問題点については、〈国事に乗り出して政治活動をする者が、どのような仕事と生き方をしていた人であろうと、そんなことはいっこうに気にも留められず、ただ大衆に好意をもっていると言いさえすれば、それだけで尊敬されるお国柄なのだ〉と語られています。この指摘は当たっています。現に、今の日本がその通りだからです。
 民主制国家における個人については、〈そのときどきにおとずれる欲望に耽ってこれを満足させながら、その日その日を送って行くだろう〉とされ、〈こうして彼の生活には、秩序もなければ必然性もない。しかし彼はこのような生活を、快く、自由で、幸福な生活と呼んで、一生涯この生き方を守りつづけるのだ〉と語られています。この指摘も当たっています。まさに、現に、民主制国家の個人が、その通りだからです。ここで述べられているような人物の例を、私たちは今現在、いくらでも見ることができます。
 この幸福な生活を送ることができる民主制に対し、〈民主制国家が善と規定するところのものがあって、そのものへのあくことなき欲求こそが、この場合も民主制を崩壊させるのではあるまいか?〉という疑問が挙げられています。
 〈「自由」こそは、民主制国家がもっている最も善きものであって、まさにそれゆえに、生まれついての自由な人間が住むに値するのは、ただこの国だけである〉とありますが、その先に待っている結末に対して、〈思うに、民主制の国家が自由を渇望したあげく、たまたまたちのよくない酌人たちを指導者に得て、そのために必要以上に混じりけのない強い自由の酒に酔わされるとき、国の支配の任にある人々があまりおとなしくなくて、自由をふんだんに提供してくれないような場合、国民は彼ら支配者たいちをけしからぬ連中だ、寡頭制的なやつだと非難して迫害するだろう〉と述べられています。
 その上、〈国民の魂はすっかり軟らかく敏感になって、ほんのちょっとでも抑圧が課せられると、もう腹を立てて我慢ができないようになるのだ。というのは、彼らは君の知るとおり、最後には法律さえも、書かれた法であれ書かれざる法であれ、かえりみないようになるからだ。絶対にどのような主人をも、自分の上にいただくまいとしてね〉とあります。そのため、〈その自由放任のために、さらに大きく力強いものとなって、民主制を隷属化させることになる。まことに何ごとであれ、あまりに度が過ぎるということは、その反動として、反対の方向への大きな変化を引き起しがちなものだ〉と考えられています。〈過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないもののようだからね〉と述べられ、〈最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ〉と語られています。
 民主制から独裁制が生まれることが指摘され、〈僭主(独裁制)が生まれるときはいつも、そういう民衆指導者を根として芽生えてくるのであって、ほかのところからではないのだ〉と語られています。


第二節 アリストテレスの「自由」
 アリストテレス(BC384~BC322)は、古代ギリシアの哲学者です。プラトンの弟子であり、アテネに学校リュケイオンを開きました。
 『政治学』には、民主制における自由が示されています。民主制については、〈民主制は貧困者の利益を目標とするもの〉とあり、〈民主制は財産を大してもたずに困っている者が国制の主権者である時に存する〉とされています。民主制について、〈役人たちを非難する人々は民衆が決定しなければならないと言い、また民衆は喜んでこの申入れを受入れるのである、そのため役人たちの威信はことごとく失墜する〉と述べられています。
 それぞれの政治制度については、〈貴族制の徴(しるし)は徳であり、寡頭制のそれは富であり、民主制のそれは自由である〉と考えられています。その上で、〈国民の凡てがそして凡てのことについて評議するのは民主制的である、というのは民衆はこのような平等を求めるからである〉とあります。民主制は自由と平等という考え方に基づいた制度だというのです。
 アリストテレスは、〈最も民主制的であると思われているところの民主制においては、それにとって有益なこととは反対なことが起きている〉と言います。その理由は、〈何故なら正しいことは等しいことであると思われ、等しいことは何ごとによらず大衆によって決定されることが権威をもつことであると思われているのに、自由なこととは何ごとによらず人の好むことを為すことであると思われているからである〉と述べられています。そのため、〈従ってこのような民主制においては各人は彼の欲するままに、そしてエウリピデスの言うように、「何でもその気になったもののために」生活する。しかしこのことはよろしくない〉と結論付けています。
 アリストテレスは、〈民主制的国制の根本原理は自由である〉と言い、自由の徴(しるし)として二つのことを述べています。まず、〈自由の一つは順番に支配されたり支配したりすることである。というのは民主制的「正」は人の値打に応じてではなくて、人の数に応じて等しきものをもつことであるが、これが「正」だとすれば、大衆は必然に主権者であり、また何ごとによらず、より多数の者の決定することが最終的なものであり、またそれが正しいことであるということにならなければならないからである、何故なら彼らは国民のそれぞれの者が等しきものを持たなければならぬと主張しているからである〉とあります。次に、〈他の一つは人が好むままに生きるということである。というのはいやしくも好むままに生きることの出来ないことが奴隷たる者の定めなら、好むままに生きることは自由の働きだと人々は言うからである〉とあります。これらから、〈支配されないこと――出来れば何人によってもそうされないこと、しかしそれがかなわなければ、順番で支配され支配すること、に対する要求が起ってきたのである〉と語られています。
 アリストテレスは、〈大衆にとっては節度のある生活よりも無秩序な生活の方が楽しいもの〉と述べた上で、〈最善の生活とは、それぞれ個人にとっても、一般に国にとっても、徳に即した行為に与かり得るだけの外的善を備えた徳と結びついた生活である〉と語っています。


第三節 キケロの「自由」
 キケロ(Marcus Tullius Cicero, BC106~BC43)は、共和政ローマ期の政治家であり、文筆家であり、哲学者でもあります。
 『国家について』では、〈自由は、国民の権限が最大である国を除いて、いかなる定住地ももたない。たしかに自由より甘美なものは何一つありえないし、またそれは公平でなければ、けっして自由ではない〉と語られています。
 しかし、自由な国民については、〈もし自由な国民が自己を委ねようとする人々を選び、また安泰であることを望むかぎり、およそ最善の人を選ぶなら、たしかに国の安全は最善の人々の思慮に任されることになる〉とありますが、〈自由な国民がよろこんで受け入れる法の公平自体は維持することはできない〉と語られています。なぜなら、〈人物や身分について大きな区別〉があるからです。そのため、〈公平と呼ばれているものはもっとも不公平である。なぜなら、名誉が、国民全体の中にかならずいる最高の者と最低の者に等しいものとみなされるなら、公正そのものはもっとも不公平だからである。だが、そのことは貴族によって治められている国においては起こりえない〉と考えられているからです。
 また、奴隷ではないことが自由であることとして、〈王であれ貴族であれ、その奴隷となれば、すべての者は自由を失うのだ〉と語られています。
 政治については、〈王は敬愛によって、貴族は思慮によって、国民は自由によって、わたしたちの心をとらえる〉とありますが、自由については、〈指導者のあまりにも大きな権力から彼らの破滅が生じるように、自由そのものがこのあまりにも自由な国民を隷属に陥れる〉と語られています。なぜなら、〈すべて極端なものは、天候であれ、農地であれ、身体であれ、あまりにもうまくいったとき、たいてい反対のものに変わる〉からです。つまり、〈あのあまりにも大きな自由は国民にとっても私人にとってもあまりにも大きな隷属となるのだ。こうしてこの最大の自由から僭主と、あのもっとも不公正でもっとも厳しい隷属が生じる〉と考えられています。
 『法律について』では、自由人と奴隷について、〈休日と祭日の制度は、自由人には訴訟と争いの休止を、奴隷には仕事と労働の休止を意味する〉とあります。
 投票については、〈わたしがその自由を国民に惜しまずに与えるのは、貴族が権威を維持し、それを行使することができるという範囲においてである。じっさい、投票にかんする法律としてわたしがあげたのは次のようなものである。「投票は貴族には公開され、平民には自由でなければならない」〉とあります。その上で、〈国民には面目を保ちながら貴族たちを満足させる権利が与えられること、まさにそのことの中に、自由があるということになる〉と語られています。そのため、〈わたしたちの法律では、外見上の自由が与えられ、貴族の権威が保持され、紛争の原因が取り除かれることになるのだ〉と述べられています。


第四節 西欧古代の「自由」についての考察
 プラトン、アリストテレス、キケロの述べている「自由」についての意見は、妥当であると思われます。自由を賛美することは、独裁による隷属に繋がるか、逆に欲するままに振る舞うことで無秩序を招くという危険性が認識されているからです。
 ちなみにプラトンの民主制批判および自由批判は、大筋において正しいと私は思いますが、プラトンの掲げる哲学者王の政治(王者支配制)が正しいかというと、そうは思いません。
 その点において、プラトンの敵対者としてカール・R・ポパー(Sir Karl Raimund Popper, 1902~1994)を挙げることができます。ポパーの『開かれた社会とその敵』では、プラトン批判が繰り広げられています。ポパーが述べている「哲学者王」批判は、頷ける部分があります。例えば、表現の誇張が見られるとしても、〈われわれはプラトン自身以外の誰も真の守護者心得の秘密を知らず、その鍵ももたないことが分かる。だがこれが意味しうることは一つだけである。哲学者王とはプラトン自身であり、『国家』はプラトン自身の王権要求である〉という意見は当たっていますし、〈地上に天国を作ろうとする最善の意図をもってしてさえ、それが成功するのは、この世を地獄――人間だけが人間仲間に用意するあの地獄――に変えることだけである〉という意見も重要だと思います。
 ですが、哲学者王の政治を否定したポパーは、民主主義(民主制)を賞賛していることには注意が必要です。〈民主主義だけが暴力抜きの改革、それゆえ政治問題における理性の使用、を許容する制度的枠組を与える〉と述べ、〈人間であり続けたいと望むならば、そのときには唯一の道、開かれた社会への道があるのみである。われわれは安全および自由の両者のための良い計画を立てるために、持ち合わせの理性を用いて、未知と不確実と不安定の中へ進み続けなければならない〉と語っています。この抽象的で具体性を欠いた民主主義の肯定意見では、プラトンの民主制批判に対する反論になっていません。民主制の問題点を解決する論理も提出できていません。そもそも、民主主義は暴力による革命を平然と行います。
 つまり、プラトンの『国家』と、ポパーの『開かれた社会とその敵』は、互いの掲げる政治制度を批判する形になっており、その批判がそれなりの妥当性を有しているため、互いが推奨している政治制度がどちらも致命的な欠陥を抱える結果になっているのです。それゆえ、プラトンの言う意味での哲学者王の政治と、ポパーの民主主義は、ともに選択肢から除外されます。

 

 

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